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 2003/vol.05

「もう、がっくり。涙も出なかった」
中央大学サッカー部は、中村が3年の時、史上初の2部降格という屈辱を味わった。パス回しを重視するあまりにゴールが遠く、引き分けが続き、まるで勝ち方を忘れてしまったかのような試合が続いていた。
 関東大学サッカーリーグは、前期7試合、後期7試合の計14試合で争い、1部の8位(最下位)と2部の1位は自動入れ替え、1部の7位と2部の2位が入れ替え戦を行うシステムである。
 中大は、最終節の対順天堂大戦で勝てば、入れ替え戦へ出場する権利が得られたが、0対3で敗戦してしまう。試合後、同じ会場でライバル慶應大が青山学院大と対戦することになっていた。あとは、慶應の負けを願うしかなかった。だが、中村が観客席で見守るなか、慶應は4対1で勝利する。中大の1部リーグ最下位と自動降格での2部落ちが決定した。
「1年で1部復帰」というスローガンが掲げられ、中村はキャプテンに就任した。
「リーグ戦が終わった後は、選手だけでトレーニングするんです。切羽つまってたし、自分たちで一生懸命メニューを考えて練習しました。試合に出られない4年生もみんな協力する感じでやれて、来年はけっこういいかもしれないって思いましたね」
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   関東大学サッカーリーグ2部での戦いが幕を開けた。滑り出しから好調だった中大は、前期(第7節)終了時点で2位日大と勝ち点差4で首位を走っていた。
「1部と2部の差かもしれないけど、この年は点が取れるようになった。ただ、結果的には連勝できてたけど、後期に入ってから内容はあんまり良くなかったんです」
 10月13日、後期も終盤に差し掛かった第5節、流通経済大と対戦し、阿部(現・FC東京)に2点を決められ敗れてしまう。流れが変わった。悪い方へと。
「実は、同じ会場で俺たちの前に日大が試合をして、目の前で勝たれちゃったんです。それまで日大の存在をそんなに意識してなかったんですけど、それでみんな硬くなっちゃった。勝たなきゃって感じで…」
 日大の勝利、中大の敗戦で、2チームの勝ち点差は一気に「1」に縮まってしまう。中大は、続く明治との試合でも1対1と分けてしまい、最終節を前に遂に日大が首位に躍り出た。

 2002年10月26日(土)、最終節は日大との直接対決だった。首位を行く日大の勝ち点は30、2位の中大は29。自動昇格を意味する優勝をつかむためには、勝つ以外に道はなかった。
 前半8分に退場者を出した中大は10人での苦しい戦いを強いられる。しかし、22分、中村のFKからヘディングシュートが決まり先制点を奪う。中大は、徹底的に守りを固めたが、後半8分、同点ゴールを決められてしまう。中大は、7人で守り、3バックにシステム変更した日大のスペースを突き中村とFWのたったふたりで攻撃を仕掛けていった。後半12分、中村が勝ち越しゴールを決めると、続く3点目を、相棒であるFWが挙げ勝負が決まった。
 一部昇格を告げるホイッスルが鳴ると、歓喜の輪ができイレブンの目から涙がこぼれおちた。ひと際、泣いていたのはキャプテン中村憲剛だった。
「監督に『よくやったな。ごくろうさん』って声をかけられて、いろんなこと思い出しちゃってワーッときましたね。新聞には『キャプテンが人目をはばからず泣いた』って俺だけが泣いてたみたいに書かれたんだけど、みんな泣いてたんですよ!」
 中大を率いる山口監督は、こう振り返った。
「彼は、華奢だけど体は強くて技術もある。もともと(精神的に)強いタイプじゃないからキャプテンは、どうかな?って最初は思ってたんですよ。でも、責任感がすごく出て本当に強くなりましたね。昇格を決めた試合なんかは、彼がいたからこそ勝てたと思っています」(山口)
 
 山口監督が語るように、困難を乗り越えた経験は、中村自身にも“精神的な強さ”を意識させた。
「相当強くなったと思います。それまでの僕は、試合中にキレちゃうことが多かった。意外ですか? 自分がうまくいかなかったりしても味方に対してもあった。一番イヤなのはパスミスとか普段できることを自分ができない時なんです。でも、4年になってキャプテンにもなって変わった。俺がばっと言ってしまったら試合が終わってしまう、という気持ちで毎試合臨んでましたね。あとは、苦しい時に積極的に声を出すようにもなった」
 ベストイレブン、アシスト王を受賞し、1部昇格を後輩たちへの置き土産に4年間の大学生活が幕を閉じた。
 

 2003年、フロンターレに加入した中村は、これまで全試合にメンバー入りを果たしている。石崎監督は「パスが出せる選手というと、シゲ(茂原)とケンゴ。ドリブルもシュートもうまい。ただ、プレスについては、もっと要求したい」と課題も含めて期待を寄せている。
戦術理解度が高いと思わせるプレーは「考える」ことが身についているからだろう。
 
「その礎は高校ですね。僕は高校はいった時は155cmぐらいしかなかった。当時の監督に『お前はちっちゃいんだから「頭を使わないとやっていけない』って言われて、ポッて頭にランプがついた。パスを出す時に相手の右足に出すか左足に出すか。次のプレーにつなげるためにどうしたら味方がやりやすいか、あとは敵がいやがるプレーをする。いろんなこと言われて意識してやってたけど、まあ、当時は下手だったからできませんでしたけど、頭はフル回転させてました。細くてフィジカルも弱かったから、ぶつからないようなポジショニングを工夫したり、自分が苦しくなる前に人を使って局面を変えるとかね」
 調子がいい時は、「たまに全部が見える時がある」という。「全部が見える」世界とはどんなものなのだろうか。
「なんていうんだろう。敵と味方の両方が頭のなかでクリアーに写っている感じ。不思議な感覚なんですけど、そういう時は判断も早いし決断力もあるからスパッとうまくいく。自分ではいつも同じようにやる気満々でピッチに入るんだけど、視野が極端に狭い時と極端に広い時があるんですよね」
 第20節のサガン鳥栖戦での中村のプレーを鮮烈に記憶している方は多いだろう。
 前半7分、「あそこに出せばなにか起きると思った」中村は、スルーパスをゴール前に通す。「夜露があってボールがつるっと滑ったから、球足がすごい速かった。よく合わせてくれたと思う」というボールは、走りこんでいた今野がダイレクトでコースを変えてゴールに入った。
 そして前半41分、左サイドのアウグストがドリブル突破し前線にクロスをあげる。
「ケンゴがアピールしていたのがわかったし、いいタイミングで走ってたからね。でも、まさかダイレクトで打つとは驚きだよ」(アウグスト)
 中村はアウグストから上がるクロスを予測して走っていた。「相手(選手)がいたから、これ、トラップしたらかっさらわれるな。打て! 打っちゃえ!」(中村)と、その瞬間、ジャンピングボレーでとらえたボールは、ドライブ回転がかかりゴールにつきささっていた。「やつが考えていることはわかるから、一緒にプレーしやすい」という伊藤優津樹は、このスーパープレーを「キャプテン翼みたい(笑)」と表現した。スタジアムは一瞬シンとなった後、ワーッと大歓声が響き渡った。
「全然、力んでないプレーなんですよ。あのね、すっげえ芯に当たった時ってボールの重さを感じない。ポンって合わせた感じ。打った瞬間ミートが軽かったから、あっ、これはいけるなって。あんなコースにいくことは滅多にないし、おもしろいよね。ああいうのがあるからサッカーはやめられないっすね」と一気にまくしたてるように興奮して振り返った。
 このふたつのプレーは、中村に小学生時代を思い起こさせていた。
「小学校は、府中の府ロク(サッカークラブ)っていうチームなんですけど、僕が5年の時によみうりランドでやる全国大会に出たり、けっこう強かった。とにかく反復練習しましたねぇ。コーチが出したボールを走りこんで打つ時に、『ミートはここだぞ』って当てる位置を細かく教えてもらった。あの練習がなかったら、ボレーはなかったと思いますよ。でも、あんなにキレイなのは、史上最高です」
 だが、決して満足はしていない。
「鳥栖戦は、確かにその二つはいいプレーだったけど、イージーミスもあったから、そっちも気になった。引きずらない方だけど、ほんとミスするとイヤなんですよね。普段の練習からノーミスでやるのが究極の目標です」
 
 舞台は違うが、1部昇格を成し遂げて流した歓喜の涙を、中村憲剛は再び流せるだろうか。
「もし昇格できたら? どうだろう。うーん、レギュラー獲れてないですからね、まだ。泣けるのかなぁ、俺。でも、泣くほど喜べるぐらいに中心選手になって活躍したいですね」



今季、中央大学から川崎フロンターレに加入した即戦力MF。2部落ちした中大を1年で1部に復帰させた立役者でもあり、キャプテンも務めた。
1980年10月31日生まれ、東京都出身。175cm、66kg。

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