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vol.17

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GK21/西部洋平選手

楽観を使いこなす

GK21/西部洋平選手

テキスト/小林 剛 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Kobayashi,Go photo by Ohori,Suguru (Official)

川崎フロンターレに加入して3年目。12月で34歳となる守護神はシーズンが佳境を迎えた今、
自身の、そしてチームの未来に何を見据えているのか。強面の裏に隠された、苦悩と希望とは─

 ヤマザキナビスコカップ決勝をかけたG大阪との第2戦を控えた前日。いつものように麻生グラウンドで調整を続けていた。練習の締めくくりとなるセットプレーの確認で異変が起きてしまった。クロスの対応で飛び跳ねた瞬間、ずっと違和感を抱えていた右足の内転筋に痛みが走った。

 「マジかよ。何で、このタイミングなんだよ…」

 第1戦を1-3で落としたその夜から、2-0で勝利するイメージを膨らませていた。G大阪の攻撃をシャットアウトすれば、仲間が必ず得点してくれる。そんな切な願いは届かない。

 2014年10月12日。秋の陽光が差し込む等々力のピッチに、背番号21の姿はなかった。ベンチから外れたメンバーと一緒に、メインスタンドから窓越しに逆転勝利を祈っていた。ホームの後押しを受け、川崎が序盤から攻勢を強める。前半9分、MFレナトの左サイドからのクロスにFW大久保嘉人が中央で合わせて先制点を奪った。隣で見守っていたDF中澤聡太の雄叫びのような叫び声が、室内に響き渡る。

 「何かが起きるかもしれない。いける」

 しかし、以降の決定機を逃し続けると、迎えた前半43分に中央を突破され、G大阪のMF阿部浩之に同点弾を許す。さらに同45分にはサイドからのクロスを再び阿部にゴールネットに流し込まれ、致命的な2点を失った。「ちょっと簡単にやられている。最近の悪いところが出てしまった」。チームメートの奮闘むなしく、2年連続で準決勝敗退という結果に終わった。

 「今年こそタイトルが取れる。プロ生活16年目で、シーズン前から思えたのは初めて」

 2010年の清水時代にも同じような感覚があった。それは開幕から10試合負けなしで首位を走り、チームの雰囲気や目指しているサッカーへの手応えが増していったものだ。今年2月の宮崎キャンプの時点から、すでにそんな好感触をつかんでいた。3年目の風間サッカーでの躍進は約束されていたようにすら思っていた。

 今シーズンの幕開けを告げるアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)開幕戦から先発を飾ったが、リーグ戦では結果が出なかった。第1戦の神戸戦、続く広島戦でも終了間際に失点し、勝ち点3を逃した。そして、風間八宏監督は流れを変えるため、第3節大宮戦では後輩の杉山力裕を先発に送り出した。ポジションを失った西部はただ、漠然とした疑問をチームに抱いていた。

 「良いサッカーをしているけど、優勝するために必要なことを忘れている」

 球際の寄せ、攻守の切り替え、ハードワーク…。一戦一戦に懸ける熱量が絶対的に足りない─。

 逆転負けを喫した大宮戦の直後のことだ。ACLでのオーストラリア遠征の最中、キャプテンの中村憲剛を中心に、選手たちだけでミーティングを敢行した。チームを最後尾から見守っていた西部はこう口を開いた。

 「良いサッカーをしていても勝たないと意味がない。やっぱり戦う姿勢とか、もう一つテンションを上げて、向かっていかないと。サッカーはそんなに甘くない」。

 直後のウエスタンシドニー戦から再びゴール前に立ちはだかった。そのゲームには敗れたが、チームが目指すサッカーと戦う原点をもう一度見つめ直せたという実感が残っていた。

 そこからチームは勢いと本来の流麗さを取り戻す。中3日の敵地でのFC東京戦を4-0で快勝すると、5月18日の横浜F・マリノス戦まで公式戦15試合で10勝2分け3敗。西部自身もゴールマウスの前に君臨し、5月7日のFCソウル戦、同18日の横浜F・マリノス戦以外はすべて1失点以内に踏みとどめた。まだ、まだ巻き返しが可能な暫定8位でワールドカップ(W杯)ブラジル大会の中断期に入った。

MF19/森谷賢太郎選手

  チームメートや指揮官からの信頼を得るには、ピッチ上でのプレー、結果が最も影響力を持つのは言うまでもない。それでも、彼の振る舞いには守護神たる理由がある。

 中断期明けを見据えた北海道キャンプ2日目。ミニゲーム中にアクシデントが起きてしまった。こぼれ球に反応した可児壮隆の膝が顔面に突き去った。「死ぬかと思った」。右頬の骨折ですぐにチームを離脱。それから1週間後の6月24日には川崎市内の病院でチタンプレートを3枚も入れる大手術を行った。「何針縫ったのか分からない。きつかったよ」

 ただ、その数日後だ。お見舞いにきた若手の集団のなかに可児の姿もあった。すると、奥さんにこう笑いかけた。「こいつがクラッシャーなんだよ」。冗談めかして紹介した。可児はその何気ない一言に救われた。「実際に会うまで、なんて言われるか怖かった。でも、本当に優しい人。練習中のことなんだから仕方がないって」。練習グラウンドに戻ってからも、1度も負傷させたことを話題にすることなく、逆に「おれを壊したんだから、練習をちゃんとやれよ」といった前向きな言葉を送られたという。

 西部自身はしかし、苦しい時間を過ごしていた。例えば、リハビリ当初は日常生活のなかでは人とすれ違うときに、体が大きくのけぞるような反応を示した。再び練習グラウンドに戻るとその症状は自然と消えていたが、今度は失ったポジションを取り戻す戦いが始まっていた。「自分のプレーが評価されないで定位置を明け渡したわけではないから、この時期はきつかった。チームも負けていたし、すごく歯がゆかった」

 8月はベンチから試合を眺める日々が続き、チームは大きく勝ち点を伸ばせないでいた。それでも、ふてくされた態度をとるわけにはいかない。GK最年長として率先してボールを追い、またボールを蹴っていた。ベンチから外れ、沈んだ表情を浮かべていた安藤駿介には、「大丈夫か。飯でも食いに行くか」と声を掛けるなど、周囲への気遣いも忘れなかった。安藤が「自分のことの方が大変なのに、人に気を使える人。いろんな人を見ていないようで、見ていてくれる。経験に裏打ちされた、落ち着きがあるんですよ」と尊敬のまなざしを送れば、2012年に若手を引っ張ってほしいという理由もあって、獲得に走った庄子春男強化本部長も「心中いろいろあると思うけど、一生懸命やってくれている。出られないときの取り組む姿勢、言動一つ一つが良い手本になっている」と高い評価を与えるほどだ。

 ようやく9月に待ち焦がれた出番が訪れる。杉山の負傷によって、巡ってきた好機に燃えないわけがなかった。復帰戦となった13日の徳島戦。試合直前には首位浦和が清水から勝利を挙げ、勝ち点を伸ばしていた。「勝たないとタイトルから遠ざかる。無失点しか狙っていなかった」。最終ラインとしっかり連携しながら、ピンチをつくらせなかった。FW安柄俊のプロ初得点が飛び出すなど、最下位相手に4-0と完勝。チームにとって公式戦8試合ぶりのクリーンシートとなった。

「今まで外で見ていて思ったことを、考えながらやって、それを表現できた。みんなも我慢するところは我慢してくれた。これだけチャンスを作れることも、試合前はあまり思っていなかった。少しべた引きされるのかなとも思っていたけど、意外にうまく崩せていた。次は本当に勢いを付けるには絶好の相手だと思うので、次もゼロで抑えたい。自分も目立ちたい」。勝ち点差4で追う浦和追撃に向け、「最高のスタートを切った」(西部)。

 正直言えば、戸惑っていた。そして、怒っていた。

 「この試合の重要さを分かっているのか。どうしたんだよ。ふわふわしちゃって」

 10月5日の新潟戦。徳島戦から快進撃が始まるかと思われたが、なかなか勝ち点を伸ばせなかった。前節仙台戦では15位相手に勝ち点を1しか積み上げられず、試合開始前には浦和との勝ち点差が8まで広がっていた。シーズンの分岐点となる一戦のはずが、時間の経過とともにパフォーマンスが落ちていく。新潟の鋭いプレスに腰が引け、パスが回らない。そして、球際の鋭さや最後の一線を割らせないといった気迫もピッチから漂ってこない。追い付くことも、ひっくり返すこともできず、0-3で完敗した。何より、あの大宮戦直後に確認した原点を忘れているような試合運びが悔しさを募らせた。

 闘争心むき出しに戦う大久保もまた試合後に同じようなことを口にしている。

「やりたいサッカーに自信を持ってやっていたのに。自信と積極性がなくなって失速でしょ。びびっている感じ。こんなんじゃ今までやってきた意味がない。優勝を狙うのに、こんな戦い方していたら全く意味がない」

 どこか足りない勝負強さ—。西部の脳裏に浮かぶのは2003年に約半年だけ在籍した鹿島時代のことだ。常勝を義務づけられたクラブでは、試合前日のセットプレーの確認では指揮官を筆頭にほとばしるような緊張感が漂っていた。トニーニョ・セレーゾ監督は「どうして相手を飛ばせるんだ。飛ばせるくらいなら、相手の足を踏んで飛ばせるな。ゴールを絶対に奪わせるな」などと激しく檄を飛ばした。当時22歳のゴールキーパーにとって、新鮮な感覚であり、勝負の厳しさを目の当たりにした経験だった。

 「かなり汚いけど、試合に向かっていく雰囲気、この試合に懸けるというような気持ちが伝わってきた。良いか悪いかは別にして、フロンターレは今時というか、どの試合でも冷静なんだよ」。

 だからこそ、クラブの未来に自分の役割を投影させる。

「今のフロンターレの良い雰囲気のまま、もう一つアクセントを加えたい。ここでプレーする限り、自分がもっと違う雰囲気を醸し出せるようなアクセントになりたい。嫌だと思われることも言ってかないと。この攻撃的なスタイルで、この雰囲気で、優勝できれば最高だから。勝負に向き合う大人のチームになったら、本当に強くなるし、もっと強くなる」

 2011年のJ2湘南ベルマーレ時代から再び、J1で活躍する舞台を与えてくれた川崎への恩義を常に抱いている。だから負傷することもあるけれど、体のメンテナンスは絶対に怠らない。10時から練習が始まるとしたら、8時にはクラブハウスを訪れる。じっくりシャワーを浴び、トレーナーから約1時間掛けて、入念にマッサージを受ける。テーピングをしっかり巻き、準備を万全にして練習グラウンドに足を運ぶ。帰宅後の夕食では、スポーツ選手の食事をサポートする民間資格「ジュニア・アスリートフードマイスター」を習得した奥さんの手料理に支えられ、体重を維持する。スマートフォンでのゲームを一緒にする仲の登里享平は「普段から痛くなくても全身をマッサージしたらいいとか、良いリラックス方法があるとか、いろんなことを教えてくれる。自分にとって、お父さん的、いや兄貴的存在で頼りになる」と笑う。

 夢はもちろん、このクラブで優勝すること。そして40歳まで現役にこだわってプレーすること。山梨・帝京第三高校から浦和に入団し、鹿島、清水、湘南、そして川崎と移籍を繰り返してきた。気が付くと、高校卒業時にJリーグに加わった同期は、FW大黒将志(現J2京都)、FW玉田圭司(現J1名古屋)ら数少なくなっている。38歳でもJ1の第一線で戦う楢崎正剛(J1名古屋)、39歳となった今も情熱をピッチに注ぐ川口能活(J2岐阜)のような元日本代表という肩書はない。だけど、一度も立っていない頂点に立つことで、チームにとっても、そして自分自身にとっても、さらなる世界を広げてくれると思う。

「クラブから残ってもらいたいと思われる価値のある選手で居続けないと。去年みたいに最後の最後で何が起きるか分からないし。1年間戦って、何も得られないのはもったいない。モチベーションを落とさないためにも、チャンスがゼロではない限り、諦めてはいけない。タイトルやACL出場権を含めて、チームとして、どう戦っていくべきか。全員でもう一度、同じ方向を向いて戦えるようにしたい」

マッチデー

   

profile
[にしべ・ようへい]

高い身体能力はもちろんのこと、試合全体を見る冷静さとここ一番での集中力でゴールを守る最後の砦。2013年は序盤こそリズムに乗り切れない時期があったが、シーズンが進むに連れて本領を発揮。安定したパフォーマンスを続け、シーズン終盤の守備陣の好調を支えた。

1980年12月1日 兵庫県
神戸市生まれ
ニックネーム:ヨウヘイ

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