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SEASON 2015 / 
vol.09

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DF18/

HERO

DF18/エウシーニョ選手

テキスト/隠岐麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Oki,Marina photo by Ohori,Suguru (Official)

アマゾン川に程近い町に生まれ育ったエウシーニョ。
家族が大好きで、出かけるよりも家が好き。いつも笑顔で、おとなしくて、サッカーが大好き。
そんな、僕らの控えめなHEROのこれまで、これから─

 世界に名だたる広大なアマゾン川。
 エウシーニョの生まれ故郷であるポルトヴェーニョは、アマゾン川最大の支流のひとつであるマディラ川の東に位置するブラジル北部のロンドニア州の都市である。
 アマゾンという地名から想像出来るように、自然豊かなこの場所で、エウシーニョは、3兄弟の末っ子として誕生した。町のお祭りやサッカー大会など自治会で何かあれば、“町のまとめ役”として、いつも中心となって取り仕切っていたお父さんは、家族にとって頼りになるだけでなく、町の人たちから一目置かれていた。貧しい人たちのために寄付を募るビンゴをやるとなれば、その司会者となってまとめることもあった。そして、そんな父を一歩下がって支えるような大人しい性格の母。偉大な父を尊敬し、母の性格を受け継いだエウシーニョ少年は、すぐ上の兄と時折けんかをしては負けていたという。
「それでも、今よりもけんかをするぐらいには多少はやんちゃだったんだ」とエウシーニョは笑顔で話してくれた。

 ブラジルにいる少年たちのほとんどがそうであるように、エウシーニョも小さい頃から兄と一緒にボールを蹴り始めた。サッカースクールに入ったのは、8歳の時。地元ホンドニアにある地方からも選手が集まるようなしっかりした組織のスクールだった。学校が午後からの日は午前中はスクールで練習、またはその逆というスケジュールで、ほぼ毎日通っていた。現在も細身のエウシーニョは、当時は細いうえに小柄で、そういう体格とスピードを活かした選手だった。やがて、同じスクールで育った選手たちの中から、ビッグクラブの育成チームに行く子が出てくるようになり、サッカー好きな父親に試合を観につれていってもらうようになると、微かにプロ選手になりたいという夢を持つようになっていった。
 しかし、エウシーニョが育った小さなホンドニアという町から自分がプロサッカー選手になるとは、この時誰も思っていなかったし、親子もまだその時は、夢の域から出ない話だと思っていた。
「でも、たくさん練習はしていました。それは子どもの頃もプロになってからも変わりません。片道30分かけて自転車で通い、練習後にはフィジカルの練習もしました。体はこの通りで昔から細かったけど、風邪を引くのは年に1回ぐらいで、風邪をひいても練習は休まなかったよ」

 エウシーニョは、その後、14歳の時に地元に近い場所にあるジーナスというプロクラブの育成に所属し、大会で優勝も経験。その後、州大会にも勝ち進んで、16、17歳の時には2年連続でサンパウロで開かれた全国大会にも出場を果たす。
 そして、18歳になる頃に最初のプロ契約を結ぶこととなった。プロと言えば響きはよいが、その頃はまだ多少の給料がたまに支払われる程度で、町以外から来た選手にはまだ支払われる額が少しは多かったが、地元のエウシーニョにはその額は微々たるものだった。

DF18/エウシーニョ選手

 2010年、サンパウロの全国大会に出る前の州の大会で対戦相手だったビエナから注目され、オファーを受け、加入。同じホンドニア州ではあるものの、舗装されていない道路をバスで12時間かけてビエナへと渡ることとなった。

 その後、ビエナの監督がマリンガの指揮を執ることになった際に、エウシーニョ始め数選手がマリンガに移籍。この時に、パラナ州3部リーグから2部リーグに昇格することになる。

 そうして、エウシーニョは少しずつ、少しずつステップアップを積み重ねていった。

「選手としては、ワイドで基本的に攻撃は自由にやれていたので、チームの中である程度の形はできていたなかで、プレーがうまくいき、徐々に道が拓けていきました」

 2011年1月、エウシーニョは、ヘモに移籍する。所属は半年間だったが、エウシーニョにとっては、地方にしては大きなクラブだったこと、たくさんのサポーターがいたことから、初めて「応援される=サポーター」の存在が感じられた貴重な経験となった。
「初めてサポーターやまわりから勝利やタイトルを要求される環境だったので、12000人ぐらいの観客のなかでプレーする緊張感もありました。移籍して最初の試合でゴールを決められたことで、自分のことを気に入ってもらうことが出来て、いい流れに乗ることができ思い出深いです」

 その後、ヘモの経営的な事情もあり、2011年夏にナショナルMGに移籍、2012年は、CRBに所属し、ブラジル州選手権の2部でプレーをし、そこでの活躍が認められて、フィゲイレンセFCに移籍することとなった。
 そして、2013年、エウシーニョが幼い頃から憧れていたヴァスコ・ダ・ガマのユニホームに袖を通すこととなった。エウシーニョの気持ちとは裏腹に、疲労骨折で全治1ヵ月の怪我を負ってしまい、スタートは出遅れたが、復帰後にスタメンの座を勝ち取った。だが、監督が交代したことによって、新監督が同じサイドバックのポジションの選手を加入させたため、出番をなくしてしまった。夢をかなえたエウシーニョだったが、試合に出ることを優先させるため、バスコを離れることとなった。
「僕が小さい時、家族全員がバスコを応援していました。ちょうど、インテルナショナルとサンパウロとバスコから同じタイミングでオファーがきたのですが、正式オファーとなったのはバスコでした。ビッグクラブに移籍できたことは本当にうれしかったですし、お父さんは喜んで新聞を全部買い占めていました。ホンドニアからバスコへの移籍は町の人たちにも喜んでもらえたし、小さい頃の自分を想像しても、まさか未来の自分がそうなるとは予測していませんでした。僕は身体が小さかったし、細かったし、ブラジルでは身体が大きくないと無理だと思われてしまうところもあったし、おとなしい性格を心配されたこともありました。他のクラブに所属していた時に、『その身体じゃ、通用しないだろう』と言われ続けたこともありました。でも、こうして、サプライズを起こすことができたのです。怪我もあったり、監督の解任があって試合に出られない日々もありましたが、ホンドニアから飛行機で3時間かけて家族が来てくれたり、僕が試合に出られない時はリオに観光をしたりということができました」

 普段は温和なエウシーニョが、表情を崩して一気にまくしたてた。

 エウシーニョには、信念がある。
「何かをチャレンジしたり、夢を持とうとしても、周りの人たちの意見が強いと、その夢が小さく押し込められてしまうことがあると思います。でも、自分はやれるんだ、という強い気持ちを持てば、それも跳ね返せるはずです。僕は、たったひとりの僕として生まれてきました。周りの人の意見やアドバイスは聞いて取り入れたうえで、何ができるのか、何をするのかは自分自身で考えてできると思います。自分がしっかりと自分自身のことを信じて、やるべきことをやればいいと思うのです」

 エウシーニョが、そう確固たる信念を持つようになったのは、プロ選手としてプレーするようになってからだという。他の選手のプレーや考え方に触れたり、挫折や壁にぶつかった時にどう乗り越えていくのかという部分も間近で知り、一度自分の中に取り込んで、冷静に考えて、少しずつ自分の成長に結び付けてきた。

 バスコでの経験は試合という意味では、思うような結果には至らなかったが、エウシーニョを成長させてくれるものとなった。その後、移籍したアメリカミネイロでは、当初は控え選手だったが、サイドバックの選手が怪我をしたために、エウシーニョに出番が回ってきた。2015年新加入選手記者発表で、エウシーニョの華麗なゴールシーンが映し出された映像は、この時のもの。サイドバックとして3ゴールを決めたエウシーニョは、契約を延長することができた。

 そして、2014年、エウシーニョは異国の地・日本からのオファーが来たことを知る。
 話がきてから、日本という国、そして川崎フロンターレに興味を持って、自分でインターネットで調べ始めた。エウシーニョの気持ちは、そんなに揺れなかった。

「国外でプレーしたい気持ちもすごくあったし、その中の選択肢として日本も入っていたので迷いはなかったです。海外からのオファーというのは、その国の遠さ、状況、様々な要素を考えなければいけないと思いますが、日本と聞いて、知っている選手はみんな『いい国だよ』と教えてくれましたし、いろんなことを考えて、ああでもない、こうでもないと考えてもしょうがない。自分のことを欲しいと思ってくれた川崎フロンターレが新しい扉を自分に開いてくれたのだから、飛び込もうと思いました」

 そう言って、またはにかんだ笑顔をみせれくれた。

 こうして、2015年川崎フロンターレにエウシーニョがやってきた。
 多くのブラジル人選手がそうであるように、当然最初は戸惑いもあったという。
「見る物、すべてが違いました。海外に初めて来たし、家族はすぐに来日できなかったのでひとりでした。練習、グラウンド、やることすべてがまったく今までとは違いました。でも、みんなが優しく受け入れてくれたおかげで、日本の生活に少しずつ慣れることができました。今は、家族がそばにいてくれるので、安心して、幸せに生活しています」

 エウシーニョが、結婚をしたのは、まだ彼が18歳の頃のこと。これまでの経歴から分かるように、当時のエウシーニョは、まだ定期的なサラリーを得るだけの収入はなかった。だが、学生時代に学校で出会った現在の奥様と18歳の頃からともに暮らし始めたため、当時は、奥様のサポートや経済的な支えもあり、二人三脚で夢を追いかけてきた。エウシーニョにとって、一番大切な、かけがえのない存在なのだ。

「奥さんは、僕のすべてです。ふたりの子どももいますし、自分の支えとなってもらい、本当に助けてもらいました。子どもにとっても、彼女はそういう存在だと思います。今はおかげさまで、ちゃんとした生活ができるようになりましたが、彼女はそういう暮らしに値する人間だと思っています」

 家族というエネルギー源も加わり、エウシーニョの日本でのチャレンジは加速した。
 最初の印象は、サッカーが早く、ゲーム展開も次から次へとスピーディーで、ブラジルサッカーとは違うな、というものだった。ただ、リズムを掴むのは早かったし、すぐにフィットして開幕からスタメンに名前を連ねることとなった。チームをサポートし、ゴールをし、アシストをする。結果を出すために全力を出したい、そんな気持ちでプレーを続けてきた。

「自分としても、早くフィットできたことはうれしいと思います。強い気持ちと覚悟を持ってフロンターレに来たつもりですし、最初は難しいと分かっていたので、落ち込むこともありませんでした。いい練習もできたし、たくさんの方がサポートしてくれましたし、監督からもいいチャンスをもらうことができました。もちろん改善しなければいけないところはたくさんありますが、それは日々改善して、チームの力になりたいです」

 エウシーニョは、来日してすぐの取材で、「8ゴール」というのを最初の目標に掲げていた。ブラジル時代に年間6ゴールを決めたことはあったが、8ゴールというのはそれを上回る数字だ。根拠はなかったが、その時、頭に浮かんで気づいたら答えていた。そして、苦しい時にゴールを決めるエウシーニョの姿がある。気づけば、目標としていた8ゴール以上、ゴールを決めてくれている。

 今、エウシーニョはチームメイトと日々、努力をして、ひとつずつ目の前の試合に勝ち、悲願のタイトルに向かって歩んでいきたいと語る。

「フロンターレの選手たちは、とても能力が高いです。ケンゴ、ヨシト、ケンユウも若いけど、すばらしい。これを言い始めたらみんなの特徴をあげることになるし、みんないい選手だと思っています。でも」

 といって、笑顔で続けた。
「僕は、リョウタは特筆すべき選手だと思っているんです。チームの核になる選手になると思うし、ゲームを読む力やポジショニングの良さ、ミスの少ない選手だと思います。ゲームを読む力はすばらしいものをもっているし、ヨーロッパでもプレーできる能力があると思います。もっと成長して日本を代表する選手になっていくはず」

 と、少々意外にも、大島僚太に関する話は勢いが止まらなかった。それには理由があった。

「僕はおとなしいタイプですけど、リョウタもそうですよね。だから誰かが例えばミスをしたときに、それを責めたりすることなく、自分がやるべきカバーリングをする。それは僕も同じで、ミスがあったら、要求をするよりも先に自分がボールを奪い返すためにやるべきことをやりたい。リョウタはすばらしい能力を持っているのはもちろんですが、自分のやるべきことを一生懸命やる。そういうプレーだけではなく、性格、人柄の面でも人としてすばらしいと思うんです」

 おそらく、普段はおとなしい性格だが、サッカーに向き合いひたむきにプレーする部分が自分とシンクロして重なる部分があったのだろう。

 縁の下の力持ちというか、やるべきことを積み重ねていくことの大切さ。そうした気持ちが、エウシーニョはチームが勝つために必要だと感じているようだった。
「フロンターレは、ずっとタイトルが獲れていないと聞いていますし、その道に進んでいるのだと思います。ひとりひとりの選手がみんなをサポートすることが大事だと僕は思います。何かひとつのことを誰かがしたからチームは勝つわけではなく、みんながチームのためにやることで勝利は得られる。フロンターレは能力が高い選手が多いので、1試合ずつ大事に戦えば、いつかその結果にたどり着くと思います。たくさんのサポーターに常に後押ししてもらい、本当に感謝していますし、たくさんのサポーターでスタジアムをいっぱいにしてもらい、本当にうれしく思います」

 十人十色。ひとりひとり性格も違えば、プレースタイルも違う。
 だが、縁の下の力持ちの様な“HERO”がいてもいい。
 町の人たちが彼を誇りに思うように。
 エウシーニョにそっくりの愛息が、「顔だけじゃなく、全部お父さんみたいになりたい」と願うように。
 控えめなHEROは、今日もフロンターレの勝利のために、ひたむきに走り続ける。

マッチデー

   

profile
[えうしーにょ]

アメリカ・ミネイロ(ブラジル)より期限付き移籍にて加入したDF。ブラジルでは右サイドを主戦場とし、ドリブル突破とパスワークを組み合わせながら崩しをかけるプレーを得意とする。サイドに開いてクロスというだけではなく中央に切れ込みながらスルーパスも出せるプレースタイルは、フロンターレのサッカーにうってつけだ。

1989年11月30日/ブラジル、
ロンドニア州生まれ
ニックネーム:エウシーニョ

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