KAWASAKI FRONTALE

安藤駿介 スペシャルストーリー
「運命を生きる」

Many Thanks, An-Chan! Many Thanks, An-Chan!

テキスト/隠岐 麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Oki Marina photo by Ohori Suguru (Official)

February 18th, 2025

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Final Start
Before Retirement

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2025シーズンをもって現役生活に終わりを告げ、2026シーズンはアシスタントGKコーチとしての新しいキャリアのスタートを切った。

今年、創立30周年を迎えるフロンターレで、安藤駿介は、「24/30」を知る。

引退して数ヵ月が経ち、改めて安藤にフロンターレでの日々を振り返ってもらった。

「僕自身のことより、僕が見てきたフロンターレのこと、僕が知っているクラブの歴史の一端を伝える場にしたい」

「フロンターレの安藤として生きる」ことが、幸せの価値観である安藤らしい希望だった。

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小学生の時に、サッカーを始める。小6に上がる時に、世田谷トレセンでGKのセレクションに受かった(本人提供)

2003~2005
アカデミー加入と同時にファンになる

 東京都世田谷区出身の安藤駿介が、フロンターレアカデミーに加入したのは2003年、中学1年のこと。

「中1の頃は、まだ155cmぐらいしかなく、ジャンプしてバーに届くかどうか。周りからもこのままだとGKとしてどうかと悩ませた時期もあったかもしれません。成長期が遅かったので、母は『いずれ来る成長期に備えてしっかりごはんを食べさせてください』と言われていたそうです。結果的には、成長期と食べる時期も重なって、中学を卒業する頃には180cmぐらいになっていました。中学3年で15cmぐらい伸びたんですけど、『おはよう』って起きてくると、背が伸びてたって母から言われました(笑)。中学時代は、ユース(U-18)に上がれるかどうかの選手だったし、目標はまだ漠然としていました」

 アカデミーに入ると同時に、安藤はフロンターレが好きになり、“ファン・サポーター”として応援するようにもなった。

 トップチームの選手たちに憧れた。

「僕が入った、2003年はターニングポイントだったと思うんです。

 攻撃的で観ていて面白かった。わずか勝点1が届かずJ1昇格ができず、後の歴史を語る上で大事な1年でもあり、ジュニーニョとケンゴさんというクラブにとって大きな存在となるふたりが加入した年でもありました。

 それから、クラブも少しずつ大きくなっていき、ジュニアユース(U-15)のメンバーが試合の手伝いをするようになり、コレオで使用する旗を試合後に回収したり、ハーフタイムにゴミを拾ったりしました。トップチームの試合に関われることが楽しかったし、うれしかった。

 悔しい想いをした2003年の翌2004年は圧倒的な強さでJ1昇格を決めました。J2優勝は確実な状況だったので、安心感はありましたけど、やっぱりうれしかった。J1でどれぐらい通用するのかワクワク感がありました。

 実際、2005年はJ1リーグである程度戦えていたし、鹿島に勝利した『K点超え』というプロモーションとか、当時はまだ子どもだったからプロモーションという概念が分かってなかったですけど、今になるとクラブスタッフが頑張ってたんだなと思います。1試合だけアウェイのヴェルディ戦にチケットを買って味スタまで観に行きました。それが、4対0から4対4に追いつかれた試合で、帰り道は、サポーターのひとりとして、本当に肩を落として帰りました。

 基本的にアカデミーの試合も週末にあって、なかなか観に行けないので、ワクワクして電車やバスに乗って等々力にも行きました。チケットをもらっていたので、2、3人で等々力に行くこともあったけど、ウォーミングアップでGKが練習するところから観たかったので、僕は相当熱量が高かったと思います」

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「川崎の太陽」ことジュニーニョ選手はゴールを量産、チーム躍進の原動力に
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2003年、中学1年だった安藤は、同じ年にトップチームに加入した中村憲剛のプレーを見続けた
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等々力の入場者数も徐々に上向いて行った
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勝点1差で昇格を逃した2003年の悔しさをバネに、翌年は関塚隆監督の下、圧倒的な強さを見せた
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ついにJ2優勝、2度目のJ1昇格を決めた
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J2で力をつけた選手たちを中心に、J1でどれだけ戦えるかチャレンジし、2005年はリーグ戦は8位に
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J1でも戦えると手応えを感じながら、選手もサポーターも心を熱くした2005年

2006~2008
トップチームに練習参加、クラブは右肩上がりに成長

 2006年にU-18に昇格した安藤は、3年生でアカデミーからは2人目となるGKとしてのトップ昇格が内定する。

「高1の夏に初めて2週間トップチームの練習に参加しました。当時は、吉原(慎也)さん、植草(裕樹)さん、リキ(杉山力裕)さん、ザワ(相澤貴志)さんの4人がいて、やっぱりプロってすごいなと実感したし、同時に、自分の中でプロになりたいと決意を固めた時でもありました。

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アカデミー時代、3年生でトップ昇格が内定
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麻生でのトップチームとの練習にも参加(本人提供)

 僕は当時、猪突猛進だったので、プロに行くと決めたら他の進路を考えていませんでした。夏の全国大会の宿舎で3年生の面談があって、監督から『安藤は、プロ希望でしょ? 大丈夫だから』と言われたのですが、仮契約をしたのが11月だったので母はその間、心配していたようです。僕自身は、大丈夫だと信じ切っていました」

 憧れだったトップチームが目標に変わっても、安藤はフロンターレに魅了され、“箱推し”していた。

「大人になってから、クラブによってはビッグマネーが動いたり大型補強や移籍で選手が度々入れ替わることもあると知りました。フロンターレは、主軸となる選手を生え抜きからしっかり育てる方針があって、僕が加入した2009年もアカデミー出身の僕と高卒ルーキーのノボリ(登里享平)、ヤジ(矢島卓郎)さんが清水エスパルスからの移籍加入、ザワさん(相澤貴志)さんがレンタルバックしたぐらいでした。

 僕が高校生の頃、ケンゴさんを筆頭に、フロンターレの主軸となる選手たちが揃って成長していく過程を観ることができ楽しかったです。J1リーグ2年目の2006年は、開幕戦で6対0、第2節は7対2で勝利。2試合で13得点ですからね。リーグ戦で2位になって翌2007年にACLにも初めて出たし、あの頃、3バックのチームで、あれだけ攻撃的だったのはすごいと思うし、本当に観ていて面白かったです。2007年は(ヤマザキ)ナビスコカップ決勝で負けて、現地には行けませんでしたけど、すごく悔しかったです」

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2006年には、クラブ創設10周年を記念してOBドリームマッチが開催された
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J1昇格2年目の2006年は得点力が爆発、最終的に2位を獲得し翌年のACLへの挑戦権を得る
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改装前の等々力入場ゲート壁面。歴代選手の銘板には安藤の名前も刻まれた
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2007年も快進撃がつづく
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ACLは決勝トーナメント進出が決定
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ACLでは、クラブとして海外での試合を初めて経験した
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ACLは準々決勝で、PK戦の末に敗退
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2007年、国立でのナビスコカップ決勝は、ガンバ大阪に0対1で敗戦

2009~2016
雨のデビュー戦。シルバーコレクター時代

 安藤は、2009年にトップチームに昇格。プロ生活をスタートさせた。

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新体制発表会見でプロとしての第1歩を踏み出す
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同い年の登里享平選手(現・セレッソ大阪)とは、同期加入で、長い時間を共にした
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ファン感謝デーでのファンサービス
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2009年当時の麻生グラウンド
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国立競技場の大舞台で開催されたカップ戦ではまたもや優勝を逃す
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2009年リーグ戦の最終節は大雨の日立台で、他会場の結果により2位で終了

 2010年には、広州アジア大会で7試合のうち6試合で出場し、日本チームの優勝に貢献。

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2010年広州アジア大会では日本チームの優勝に貢献

 フロンターレでの初出場は、2011年5月29日、J1第13節の大雨のガンバ大阪戦。

 中村憲剛の試合終了間際ラストプレーのFKが決まり、安藤の初出場は、語り継がれる等々力劇場での勝利となった。

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初出場!
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3.11東日本大震災の傷まだ癒えぬ当時、川崎も積極的な支援活動を行っていた
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雨が降りしきる中、初出場で白星を獲得
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 2012年、ロンドン五輪代表としてメンバー入りし、試合出場は叶わなかったが、安藤にとっては、プロ入りしてからの数年間のひとつの区切りになった大会でもあった。

 一方で、クラブも右肩上がりに成長を続けながらもシルバーコレクターと呼ばれ、なおかつ、優勝争いからは一歩離れる時期も経験しながら、クラブとしては耐えながらも、選手たちは成長曲線を上げていく時期を迎えていた。

「ノボリと僕が加入した2009年は、本当にタイトルが獲れると思っていましたが、リーグ戦、カップ戦ともに2位でした。当時のチームの雰囲気は、練習からバチバチやっていたし、なおかつ、ハツラツした感じでした。今の選手たちの方が上手さはあると思いますけど、若い選手も多くて、中堅、ベテランとバランスがよかったと思います。

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2010年、FIFAワールドカップ(南アフリカ)に、クラブから4選手が参加
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2011シーズン末には、J1昇格から躍進を支えたジュニーニョ選手が退団

 僕自身は、ルーキーイヤーは正直試合に出られると思っていなかったですし、まずは身体作りを念頭にトレーニングしていました。GKコーチ・イッカの練習がハードだったので、揉まれてタフになったと思います。当時、(川島)永嗣さんが正GKで、落ち着き、しなやかさが優れていて、(日本)代表クラスになると、こんなにすごいんだと思いました。

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ルーキー時代から指導してもらったイッカ(ルイス・エンリケ・デ・アンドラーデ)GKコーチ

 2010年にワールドカップ・南アフリカ大会があり、その後、クラブとして初めて海外移籍をする選手たちが出ました。その後は苦しい時期も経て、2012年シーズン途中で風間(八宏)さんが監督に就任。そこから初優勝の2017年までは時間がかかりましたけど、その期間は、方向性が定まり、ブレずにやり続けて耐えたから今につながっていると思います。

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『止めて、蹴る』など技術的なこと、風間さんのサッカー観に触れられたことは、僕個人としても大きな経験になりました。それを知れたことで少しは自分もうまくなった実感があるし、今も大事にしています。

 振り返ってみると、僕が加入した頃は右肩上がりに成長した時期、その後の厳しい時期、再度そこから上がっていった時期、それぞれ違うフェーズだったし、初優勝までの数年間は土台を作りながら緩やかに上がって行き、ボールを握って圧倒するサッカーなど、立ち返る場所ができた。だから、強くなったのだと思います。

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約10年、寄り添って指導してもらった菊池新吉GKコーチ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ GKコーチ)

 GKの選手としては、2012年から約10年(菊池)新吉さんに指導してもらいましたが、イッカに基礎体力などの土台を作ってもらい、新吉さんに理論や技術を含めて、選手一人ひとりの成長を考えて接してもらいました。試合に出ていない今の時期にやることが大事だからやっておこうと言い続けてもらい、トレーニングをしてもらったおかげで、長く選手を続けられたと思います」

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積み上がる「2位」は壁のように立ちはだかっていた

2017~2024
初優勝。そして、7つのタイトル

 2017年に初優勝し、川崎市内をパレードした際に、自分がアカデミーの頃に通った道を、たくさんの人が埋め尽くしている景色を見られて感慨深いと安藤は話していた。

「初優勝から何度もタイトルを獲りましたが、やっぱりターニングポイントは2017年の初優勝。鹿島が勝てば優勝が決まる状況のなかで、最後に僕たちが優勝できたのは、運命のように感じます。これも後づけではありますが、もしも、2007~2009年の頃に何かひとつでも獲れていたら、また歴史は変わっていたかもしれないし、悔しい想いをしてきたフロンターレにとって、あの頃何度も2位や準優勝で悔しい想いをした経験は無駄ではなかったと思えた初優勝でした。

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最終節に勝利し、得失点差で鹿島を上回り、初タイトルを掴んだ

 運命的なものもありましたが、生え抜きの選手たちに加えて、ソンリョンさん、アキくん(家長昭博)、阿部ちゃん(阿部浩之)などタイトルを知る人たちの加入もありました。彼らは、オラオラするタイプの人たちではないし(笑)、うまくフロンターレにマッチしてくれたと思います。2017年は、悠さん(小林悠)がチームに残り、得点王を獲ったことも印象深かったし、僕自身は、GKとしてソンリョンの存在はやっぱり大きかったですね。

 いくつものタイトルを獲りましたが、2020年はベストイレブンに9人選ばれ、優秀選手に13人。その数字通りに、練習ではサブ組が圧倒する日もあったし、バチバチのポジション争いがあり、参考にできるのかと思うぐらいに例外的に強かったように思います。当時いた選手たちが、海外を中心に抜け、チームが新しくなったからこそ、今のやり方で頑張らないといけないし、上をめざしたいです」

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中村憲剛選手の引退となった2020年、リーグ戦優勝に加え、明けた2021年元日には悲願の天皇杯優勝を成し遂げた
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2023年天皇杯優勝。高桑大二朗GKコーチ(当時)は、「アンちゃんは、後輩にアドバイスをしっかりできるし、シュートストップに優れています」と話していた。フィールドプレイヤーとしてベンチ入りした浦和戦では、安藤に「こんな時だからこそ、みんなで声をかけて頑張ろう」と声掛けした

2025
9年ぶりの出場。そして、引退

 2025年2月18日、ACLEリーグステージ第8節セントラルコースト・マリナーズ戦で、安藤は9年(3,191日)ぶりにホーム等々力で出場した。

 そして、結果的には、この試合が現役最後の出場となった。

 安藤自身が、心掛けてきた「フロンターレで試合に出るため、日々のトレーニングがあること。そして、何があるかわからないから、常に健康な状態で準備をしている」ことが現実に活きた日でもあった。

「心がけてきたことが役に立ち、実ったのがACLでの9年ぶりの試合出場でした。自分がいい状態でスタンバイしていて、連戦だったこともあったし、アクシデントもあったなかで、僕が出るチャンスを掴んだ。その時に、もし自分が体調不良だったりケガをしていたら掴めなかった。いろんな意味で運がよかったとしか思えませんが、9年ぶりの出場で、勝利できた。あの時、元々決まっていたフランスの大手通信社の取材が、たまたま翌日に入っていて、その試合出場の話をすることもできました。残念ながら試合に出たシーズンで引退するという区切りにはなりましたけど、僕は運がよかったんだなという捉え方をしています」

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最後の出場、2025年2月18日 ACLEリーグステージ第8節セントラルコースト・マリナーズ戦

 安藤が等々力で試合に出場し、その姿を観て、応援できて救われた気持ちになった人もいただろうし、心に響いた人も多かっただろう。それは、本人にも周囲にとっても選手生命の灯のようにも感じられた。

「そうですね。それは、やっぱりめちゃくちゃ大きかったです。何気ない1試合だったけど、僕にとってはすごく大きな1試合でした。僕のことを見続けてきてくれた方たちの気持ちも感じたし、囲み取材でたくさんのメディアの方が話を聞いてくれました。取材を受けて帰りが遅くなったのですが、等々力のミックスゾーンから外に出る時に、スタッフが花道を作ってくれて。若い事業部のスタッフもそこにけっこういてくれたんですよね。

 やってきてよかったなと思えましたし、プレーに関しても、長い間かけてできるようになったことはひとつ、ふたつだったりもします。でも、やっぱり感情のコントロールに関しては、GKとしても、人間としても一番大事だと思っているし、もしかしたらそれは僕の武器なのかもしれない。武器になった。そう思えるような長い年月を過ごしてきたのかなと思います。

 人間って喜怒哀楽がある。でも、それを表していい場面もあるし、いけない場面もあると思うんです。例えば、若い選手たちを見ていて、今そういう態度を取るんだ、とか、それを今言っちゃうんだ、と思うこともありますから。メンバー発表があった後でも、何があるかわからないから準備をしておこう。そう思ってずっとやってきました」

GK仲間

 長いプロサッカー生活の中で、安藤は、一度だけ環境を変える決断をし、湘南ベルマーレで1年間過ごした。そのことも貴重な経験となったし、長い現役生活の間、たくさんのGKとフロンターレで切磋琢磨する時間を過ごしてきた。

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2013年には湘南ベルマーレへ1年間期限付き移籍

 そのなかで、自分自身とも照らし合わせて参考になった選手がいるという。

「ザワさん(相澤貴志)のことは、すごく見本にしていました。丹ちゃん(丹野研太)もザワさんと似ていました。あのふたりは、すごく出番をたくさんもらえたGKではなかったかもしれませんが、いざ出番が来た時に、力をきちんと発揮する。そして、そのために常日頃から準備をして、ブレずに取り組んでいました。常に同じ温度感で同じようにやり続けていました。出番が来て、しっかり結果を出しても、ファーストと呼ばれる選手が戻ってきたら、その選手が再びピッチに立つことは現実として多いですけど、それは能力の話であって。でも、僕が尊敬している選手たちは、その能力の違いに対して敵対心のようなものを持つのではなく、自分自身がやるべきことをやって自分の力で勝負をしていました。ルーティンをしっかりやり、出番で力を発揮する姿は、僕も僕のやり方でやり続ければいいんだと思わせてもらいました。僕自身も若い頃は背伸びをしてしまうこともありましたけど、ここ数年は自分ができないことをやろうとするようなアプローチはしていませんでした」

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新人時代から、手本にしていた相澤貴志選手(現・福島ユナイテッドFC GKコーチ)
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「準備をする姿」が多くのチームメイトに影響を与えていた丹野研太選手(現・セレッソ大阪ヤンマーレディース GKコーチ)

 また、2016年からは、チョン ソンリョンという圧倒的な守護神がフロンターレには存在した。

「10年間、ずっとソンさんに挑み続けたのは僕だけ。まぁ、一回も勝てなかったですけど。ソンさんは、技術レベルとかGKとしての格が違いました。(セレモニーで)ショウタ(新井章太)くんが『ソンリョン、強すぎたな』って言ってたコメントに表れてますよね(笑)。それぐらいソンさんという壁は大きかったですけど、一緒にやることで、いろんなものを吸収し、いろんな考えを知れたことは、自分にインプットして、これからのGKにも伝えていきたいと思います」

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川崎の守護神 チョン ソンリョン(現・福島ユナイテッドFC)
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2019シーズンのカップ戦で初の優勝をもたらした新井章太選手(現・ヴィッセル神戸)

引退セレモニー

 2025年シーズンを持って引退をすることになり、ホーム最終戦では、車屋紳太郎とともに引退セレモニーが行われた。

 安藤らしいスピーチだったが、とくに印象に残った言葉がある。

“普段の生活のなかで落ち込んでしまう時は、等々力にきて選手たちからパワーをもらってください。

選手たちは必ず皆さんのことを大事にしてくれます。

でも、そんな選手たちも人間ですので、元気がない時やうまくいかない時期も必ずあると思います。

そんな時は、皆さんが元気を与えてください。

等々力に来て、声援を送ってあげてください。”

「長い間在籍していたとはいえ、紳太郎のように試合に出て力を示していた選手ではなかったので、あれだけ盛大にやってもらえて感謝しています。それに、ノボリが来たことは知らなかったのでびっくりしました。唯一の同期で、お互い高卒から長い間フロンターレでずっと一緒で、選手会長もノボリから引き継ぎましたから。

 本当に終わるんだなと不思議な気持ちでした。

 でも、2026年の今は、違うステージにいるので、選手に戻りたいとはまったく思いません。

 たまたま2025年で選手としての契約が終わることになり、クラブからも新しい道を示してもらったことで、1日考えて引退を決断し、次に進もうと切り替えました。もちろん、告げられた当日はビックリして感情も揺れたし、自分の口からそのことを発せられないぐらいに重かったです。まだ認め切れていない自分もいました。でも、家に帰り妻に伝えて、車で実家に向かって報告をし、『自分の運命』だとその時、伝えたと思います。次の日には、決心していました。悩んだり、選択肢が多いと、いい答えが出せない自分の性格もわかっているし、直観的に運命を信じてやった方が何事もうまくいくと思うタイプなんです。

 1年1年やり切ってきましたし、いつ終わったとしても、ある意味、心の準備はしてきましたから。

 フロンターレに中学生で入って、クラブが大きくなる過程にいられて、現役最後までいることができたのも運命。

 僕はこれまで運命に逆らわずに生きてきたからこそ、いろんな巡り合わせで今の僕がいるのだと思います」

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「GKは、試合にはひとりしか出られない。それでもアンちゃんみたいにチャンスが巡ってきた時に、ちゃんと仕事ができるのは、プロとしてGKみんなが、しっかり日々やってるからこそ」と石野智顕GKコーチ
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幸せの価値観

 フロンターレのファンだった安藤にとって、等々力で一生懸命応援していたアカデミー時代のあの頃、今の未来が想像できただろうか。

「まさかプロになれると思っていなかったし、こんな人生になるとは想像もしていませんでした。

 僕は背も低かったし、失点も多かったし、なんであんなに小さいGKがフロンターレに受かったのだろうと思っていた人もいたと思います。学生時代、世代別の代表とも無縁だったし、エリートでもない。僕は自分のことを凡人だと思っていました。

 だから本当に、アカデミーのセレクションで僕を取ってくれたフロンターレには感謝しています。プロに行くには努力や運が必要で、誰と巡り合うか、タイミングもあります。もし仮に僕がプロに昇格するタイミングで、トップチームのGK枠が埋まっていたら、上がれなかったわけですから。それは自分に力があったからという要素ではない部分もあるし、その頃のクラブの方針でGKを育てようというタイミングもきっと重なったのだと思います。そういう巡り合わせや運が僕は人一倍あったし、良すぎるぐらいだと思います。

 プロに入ってからも、アジア大会の監督を関塚(隆)さんがしていて、GKコーチのイッカに『GKを探している』と連絡が来て、僕を招集することになった。それがキッカケとなり、ロンドン五輪のメンバーにまでつながったわけですからね。

 振り返ったら、ここまであっという間でした。

 僕のプロサッカー人生は、試合にたくさん出たわけではありません。でも、濃かったし、すごくいいクラブにいられた。すごく楽しいチームに長い間いられたんだなとしみじみと感じられました。こういう世界にいると、望んだようにいくことなんてなかなかないことです。

 僕は、自分のことを理解してくれる人たちがたくさんいる環境で楽しく仕事をすることが幸せでした。もちろん、居場所を変えながら新しい環境に飛び込んでいく人たちのことは本当に尊敬するし、自分には考えられない精神力があるなと思います。僕は、長くお世話になったクラブに対して、何か恩返しもしたいと思っていたし、ここで頑張りたいと思ってやってきました。

 シュート練習で、入ったとシューターが思ったシュートを止めることも楽しかったし、それを悔しがる表情を見ることが好きでした。僕のキャラ的に、煽ってこられることもよくあったので(笑)、その煽りに負けずに止めた時の“煽り返し”とか、本当に楽しかった。それで悔しそうな表情が笑顔に変わったり、そういう明るい雰囲気で仕事ができる環境が大好きでした。

 シンプルに、フロンターレにいることが楽しかったし、幸せでした」

Messages for
An-chan

2025年、安藤が引退発表をしたタイミングで、
選手たちからメッセージを贈ってもらった。

from ヤスト
MF14 / 脇坂泰斗選手

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「僕がU-18の17、18歳頃、トップチームの練習参加をした時に、アンちゃんが気を遣ってよく飲み物を自販機で買ってくれました。あの頃、アンちゃんから下の代は、アカデミーから直接トップ昇格したのは、僕の1個下の(板倉)滉や三好(康児)の代まで6年程空いていたので、もしかしたらアンちゃんからすると、同じアカデミー出身として『頑張れ』っていう気持ちを持ってくれていたのかもしれません。飲み物を買ってくれたり、駅まで送ってくれたことは、してもらった側は覚えているので、僕もその後、アカデミーの(宮代)大聖が練習に来ていた時に、同じことをしました。そういうことを受け継いでいくことは今後も続いたらいいなと思います。

 2022年にアウェイ浦和戦でアンちゃんとハヤ(早坂)がGKながらフィールドプレイヤーのユニフォームでベンチメンバーに入ったことがありました。ロッカールームには、GKユニフォームとフィールドの白いユニフォームが並べてあって、アンちゃんのキャラも手伝って、みんなでさすがにイジって和んだけど(笑)、試合前のアップ中には不慣れなクリア練習をするなど大変だったと思うし、プロ意識をみせてもらいました。あの時は、連戦で、フィールドプレイヤーの人数もなかなか揃わず、出ていた選手たちも本当に大変だったし、そういう中で自分にできることを常に考えてベンチから声を出して僕たちを鼓舞してくれたり、どんなことでもチームの力になるんだというアンちゃんの姿を見て、頑張ろうという思いにもさせられました。

 2025年は、ACLEグループステージでアンちゃんが試合に出て、僕は初めて一緒に試合に出ることができて、その試合で勝てたこともうれしかったです。

 アンちゃんには僕がU-18の頃から気にかけてもらい、大学を経由してプロ1年目の頃もいろんなことを教えてもらいました。その後、自分の立場が副キャプテン、キャプテンと変わっていく中でも、『自分らしくやって』とか『お前がもっと活躍しないとチームが乗ってこないぞ』とかポイントで声をかけてくれました。一緒に長くやってきたから、『のびのびプレーしている方がいいよ』と伝えてくれたこともあったし、ずっと変わらず“脇坂泰斗”という5歳年下の後輩として接してくれていたことがありがたかったです。

 アンちゃんとは、日々の“絡み”はずっとしてきたし、そういう何気ない日常のやりとりが濃かったなと思います。フロンターレにずっといるべき人だと思うし、フロンターレ愛や後輩想いなところを活かして、フロンターレをより高いところに連れていけるような存在になれると思っています。だから、変わらず頑張ってほしいなと思います」

from ルイ
GK1 / 山口瑠伊選手

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「アンちゃんと最初に出会った次の日ぐらいに、周りの人たちがアンちゃんのことをイジっていて、それを真顔で受け止めているアンちゃんを見て、そのやりとりがよくわからなかった僕は、質問をしたことを覚えています。『アンちゃんが他の人をイジるから、周りがアンちゃんをイジり返すみたいな感じですか?』って。そしたら、GKのみんなから『逆だよ。みんながアンちゃんをイジってアンちゃんが突っ込むんだよ』と。それを聞いてもなかなかイジれないことを個人的に残念に思っていたのですが、だんだんアンちゃんと距離が近くなって、愛を持って今ではアンちゃんをイジることができるようになって、それだけ関係性ができたことも嬉しかったです。

 アンチャンは、基礎がしっかりしていて、キャッチング技術が優れているGKです。あと、GKチームで最初にやるエクササイズが、アンちゃんだけしっかり順番を覚えていてミスをしない。他のメンバーは、よく間違えていたものです(笑)。

 アンちゃんは、セカンドキャリアの道に進み、今後もいろんな出来事に遭遇すると思うけれど、アンちゃんらしく進んでほしいです。

 2025年のホーム最終戦、アップの時にソンさん、アンちゃんと3人でピッチに出た時、ひとつになっている感じがして、ふたりに守られているような感覚がありました。アンちゃんも、きっといろんな思いを持って、その瞬間ピッチにいたんじゃないかなと思います。僕にとって、アンちゃん、ソンさんと1年半一緒にでき、たくさんの影響を受けました。その経験は忘れられないと思うし、自分の軸となる部分の一部になっています。だから、今後、苦しい時期が絶対来ると思いますが、その時には、ふたりのことを思い出すことで、乗り越えらえると思います。僕にとって一生の出会いであり宝物です」

from ユウ
FW11 / 小林 悠選手

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「僕が2010年にフロンターレに加入した時、その前年に高卒でノボリと一緒に入ったU-18出身の安藤がいました。当時は今とはキャラが違って、ちょっと尖っていたし、イジってもうまく返せないタイプだったので、その頃から考えると、ずいぶん丸くなったし、精神的にも大人になったなぁと思います。ロンドン五輪代表にも選ばれて、自信を持ってやっている印象はありました。

 若い頃に安藤のデビュー戦で一緒に出たり、湘南に1年在籍した時に対戦したイメージはあるけど、ACLEで9年ぶりに出た試合に僕は出ていなくて、なかなか一緒に試合に出られなかったので、もっと出たかったなと思います。でも、シュート練習にはよくつきあってもらいました。

 安藤と言えば、やっぱりサッカー面だけじゃなく、フロンターレが好きで、フロンターレを良くしようとしている姿が一番浮かびます。人によっては行事参加などが面倒くさいと感じて口にすることもあるなかで、選手会のことなどを率先して楽しんでやるタイプでした。そういうところは見習わなきゃいけないなと感じていました。

 引退セレモニーで、『落ち込んだら等々力で選手たちからパワーをもらってください。選手たちも人間なので、元気がない時やうまくいかない時は、皆さんが元気を与えて、等々力で声援を送ってください』と話したスピーチは、すごくいい言葉で、とても沁みました。

 安藤は、たくさん試合に出ていたわけじゃないけど、だからこそ気づけたこともたくさんあっただろうし、リキ(杉山力裕)がVTRで言っていたように、メンバー外でスタンドから試合を観ている時、悔しいはずなのに、味方が点を取ったらガッツポーズして喜べる。自分だけじゃなく、チームが勝つことを考えて行動していたと思います。

 

 これからもフロンターレに関わっていくだろうし、現役の時からフロンターレをよくしようと思っていた気持ちは引退してからも変わらないと思う。安藤みたいな選手はこれからなかなか出てこないと思うし、フロンターレがみんなに愛されるクラブになるように、またこれからも一緒にやっていければなと思います」

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〈エピローグ〉

 本当は、改修されて生まれ変わった等々力になるまでフロンターレの現役選手でいることが安藤の最大の夢であり目標だった。

「それは間違いなくそうでした。おそらく予定通りだったら40歳の頃で、ケンゴさんも40歳で引退していたし、GKは長くやる選手もいますし、身体は大丈夫だろうと自分では思っていたので、近しい人にはそういう話をしていました。でも、そういうことを口にしたら、道がなくなるというのが僕らしいのかな(笑)」

 そう話す目の前の安藤は、スタッフの黒いジャージに身を包み、すでに新しいキャリアのスタートを歩み始めている。

「今はアシスタントGKコーチという立場をいただいたので、まずはコーチの気持ちを知ることも大事だし、その立場で自分が何ができるか、考えて行動して、自分なりに選手と接している段階です。まずは、与えられた立場としてできることに集中しています」

 選手会長として長く役割を全うしたこともあり、選手時代からクラブの様々な部署のスタッフと関わる場面があったり、クラブに関するあらゆることに興味関心もあるだろう。この先、どういうキャリアを歩んでいくのか、今はまだ未知数なところもあるだろうが、与えられた場所で全力を尽くすことには変わりないだろう。

 インタビューの最後になると、フロンターレの未来も含めて、クラブとして大事にしたいことにも言及していたのも安藤らしかった。

「最近は、少しファンサービスの機会が少なくはなっているので、自分たちがやってきたから続けてほしいと言うつもりではないですけど、プロスポーツの興行は、人が来てくれないと成立しないし、スポンサーもファン・サポーターがスタジアムに来て影響力があるから応援してもらえるという面もあると思うので、そこは大事にしたい部分かなと思います。

 やっぱり選手からサインをもらったり、ハイタッチをするのは、サポーターからするとうれしいと思うんですよ。選手ってそういう存在だと思うし、恥ずかしいかもしれないけど、サインを書く時に、ひとことでも会話があったり、目を見て話すだけで、来てよかったなと思ってもらえると思うんですよね。

 フロンターレは、地域密着などクラブや選手たちサイドからも積極的にやってきた背景があるので、これからも選手会やクラブからいろいろ提案もして、地域を巻き込んでいけるのが理想なのかなと思います。そういうなかでサポーターの方たちとも一緒にやることで、距離が近くなっていったところもあるので、歴史的な背景やベースを理解した上で、これからもみんなで考えながらやっていければいいんじゃないかなと思います」

 自分という存在を通して、クラブを知ってもらいたい──。

 安藤駿介という存在もまた、フロンターレの歴史に刻まれていくのだろう。

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