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 2003/vol.02

ブラジル北東部最大の州、バイーア。
珊瑚礁が広がる美しい海があり、ミサンガの本場と言われるバイーア州の州都、サルバドール市でジュニーニョは産声をあげた。
 7人兄弟の下から2番目、元気いっぱいのジュニーニョ少年が、地元の強豪バイーアのクラブに入りサッカーを始めたのは10歳の時。プロを目指したのは、グアラニやインテルナシオナル、バイーアなどで活躍した長兄(ゼ・カルロス)の影響が大きかったという。
 家族全員がサポーターだったという地元バイーアで、ひたすらサッカーをする日々を送っていたジュニーニョに転機がおとずれる。95年、ジュニオールに所属していた17歳の彼に、視線を送る人物がいた。

トップチームの監督、オタシリオだ。横浜フリューゲルスの監督を務めていた、あのオタシリオである。すぐにトップチームに呼ばれることになった。
 だが、1シーズン目は、プロの洗礼を受けたという。
「ベテランの選手が多かったし、入ったばかりの頃はついていくのが大変だった。監督やまわりの選手たちにフォローしてもらったことを思い出すね」
しかし、2年目にもなると慣れ、攻撃的MFとして試合にも出場。U-20ブラジル代表にも召集された。その後は、ゴイヤス、ジョアンECといった2部のチームへの期限付き移籍をし、慣れ親しんだバイーアを離れ、そしてパルメイラスに移籍する。
 

 
 2002年シーズンが終わり、フロンターレは新チームを形成すべく外国籍選手を探していた。シーズンオフにスタッフがブラジルに渡り、目にとまったのがジュニーニョだった。2部降格を賭けてフラメンゴ対パルメイラスの直接対決にジュニーニョはパルメイラスの一員として出場。攻撃的MFの左にジーニョ、そして右からスピードを活かしたジュニーニョが攻撃を仕掛ける布陣だった。この「スピード」こそ、日本のサッカーで活きる武器となった。
 ジュニーニョがフロンターレの一員になる日まで、そう時間はかからなかった。
 「話を聞いて、すぐにOKしました。日本のことや日本のサッカーのことはあまりよく知らなかったけど、戸惑いはなかった」
 ジュニーニョの判断は正しかった。ブラジルのサッカーにくらべ、日本のサッカーはスピードが圧倒的に速い。その特長が自分に合っていると、フロンターレに合流後、すぐに感じたという。
 フロンターレの攻撃はジュニーニョ、我那覇、今野の3人で担っている部分が大きい。
ふたりは、ジュニーニョをどう見ているだろうか?
「(ボールを受けたときの)一瞬のターンが、とにかく速い。ジュニーニョのドリブルを活かすという意味では、(ドリブルで)上がった後ろからサイドにまわってフォローする形を取るようにしてますね」(今野)
 「緩急の変化がすごい。シュートの数も多いし、相手にとっては脅威だと思う。もっとお互いの距離を縮めて、お互いにサポートできるようにしたい」(我那覇)
 第19節終了時点で11得点は、得点ランキング2位。我那覇が言うように、ジュニーニョのシュート数は郡を抜いており、それは得点ランキング1位(14得点)のマルクス(新潟)が64、3位(8得点)の高橋(広島)が27であるのに対し、104という他を大きく引き離した数が何よりの証拠だ。だが、確かにペナルティーエリア外からのシュートも目立ち、0対4で負けた新潟戦のように、マークが厳しく数人に囲まれる状況では突破することが困難になる。
 「自分が相手の監督なら確実にジュニーニョをマークする。もっと周りをうまく使うようにと言っている」と石崎監督は話す。今後の課題である。それでも、「あんなに囲まれても抜けちゃうのがすごい」と長橋が言うように、相手チームにとってフロンターレの10番が恐い存在であることは間違いないだろう。
 ジュニーニョが考える、フロンターレのベストゲームは第12節のサンフレッチェ広島戦だという。0対0で迎えた後半13分、ドリブルで我那覇が持ち込み、ゴール前につめていたジュニーニョが左足で落ち着いて決め、それが決勝点となった。我那覇がDFを粘って引きつけて、ジュニーニョがフィニッシュを決める、という今シーズン何度も決まった「型」による得点だった。
 一番、悔しかった試合は? と問うと、しばらく黙った後、ゆっくり答えた。
「等々力でやった横浜戦。PKを外してしまったことが、一番悔しかった…」
 

 これまで多くのブラジル人選手が、日本に渡ってきた。「郷に入れば、郷に従え」というが、その国の文化や言葉を知ろうとする気持ちは大事なことである。ジュニーニョも、すぐに日本を知ろうと努力を始めた。バルデスとアウグストは、良き手本となった。
 「ふたりには、お世話になっているし、いろいろ教えてもらっている。素晴らしい人間で尊敬しています。せっかく来たのだから、言葉を覚えないともったいない。お箸を使って、焼肉を食べるのも好きですね(笑)」
 4月に次男、チアゴくんが誕生したばかりということもあり現在ブラジルにいる家族は、ジュニーニョにとって心の支えだという。試合前に静かに集中を高める時には、必ず家族を思い浮かべる。家でインターネットをやる時間がくつろげるという穏やかな生活を好むジュニーニョにとって、家でメールや電話で家族とコミュニケーションを取ることが何よりの安らぎだ。

最後に、夢はあるか? と聞いてみた。
 「夢は……、ないです。先のことを考えるより目の前の1試合を大事にしたい。もちろん、サッカーは大好きでやっている。でも、自分にとっては、いい結果を出してそれによって家族を養ったり生活をすることが一番大事なことです」
 

パルメイラスから期限付き移籍で、今季フロンターレに加入。トップスピードに乗ったドリブル突破が最大の魅力である。1977年9月15日生まれ。173cm、64kg。

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