「シンはこんな人~幻のコメントver.」

最初にコメントをもらった後に、本編の“クロワッサンネタ(笑)”が生まれたため、差し替えることになりました(さすが、ネタの宝庫ノボリPです)。そんなわけで、幻となったコメントをせっかくなので紹介します。

player「シンは、プライベートでは柔軟。後輩の役回りもでき、先輩ともふざけられ、しゃべれるしいい立ち回りができる。今後フロンターレのムードメーカーに一番近い。あと、モンハン仲間にしてる。モンハンやけど、彼が一番モンスターみたいな存在です」byノボリ

あの頃の君へ〜長橋康弘さんより

は、常に一生懸命で、ひたむきに努力をしていました。私がコーチとして指導したのは、高1、高2の2年間ですが、頑張っていた姿や人間性に触れ、思い出がたくさんある選手です。

 初めて新を観たのは、フロンターレに入る前の小学4年生の時。5年生の大会に出ていた新は、その場にいた誰よりもずば抜けて足が速かったので、U-13に入った時に、「あの子だ」とすぐに気づいて驚きました。フロンターレは技術でサッカーをする選手が多い傾向がありますが、新は違った特徴を持っていました。U-18に彼が昇格してきた時、誰よりも速くて、泥臭いプレーもできたので、「こういう子に技術や戦術理解がついてきたら、ものすごい選手になるだろうな」と私自身すごく楽しみでした。

 新は、いつも向上心を持って、自主トレにも取り組んでいました。自分に足りないところを受け入れて、できない自分を許していなかったし、自分を追い込む努力ができました。アドバイスを素直に聞いて、一生懸命取り組んでいました。高1、高2の時期は、なかなか試合に出られない選手も多いですが、彼らに一番必要なことはあきらめずに頑張ることです。簡単なことではないですが、それを新は、普通にやっていました。

 おそらく彼は、フロンターレらしい技術を身につけなきゃいけないと必死だったのかもしれません。でも実際は、新はみんなにできないことで、チームに貢献してくれていました。フォワードの選手だったら、自分がゴールを取る時のためにパワーを貯めておきたいと考えてもいいはずなのに、彼は何度も全力で走って守備も頑張るのです。そういう献身的なプレーのおかげでゴールが生まれることもあったし、相手のセンターバックから攻撃が始まるタイミングで新がものすごい勢いで追いかけるので、GKにボールを戻すことになったり、新が走るから他の選手がフリーになったりする。体を張って、ボールを守ってくれる。一体、どれだけの人が助かったのかと思います。また、100mを1本2本走るのが速いということではなく、90分そのスピードを維持して走り続けられるスタミナがある。それも新の才能であり、武器です。こんなにチームに貢献しているのに、自分の良さに気づいていないのかなと感じることもあったので、「お前のスピードは、ものすごい武器だぞ」「新より速く走れる選手はいないし何回も行けるから、相手が先にバテてたな」など、褒める言葉をかけるようにしていました。

 自主練では、自分がこういうところが足りないからもっと頑張んなきゃという想いが話を聞かなくても伝わってくるので、なんとかしてあげたいなという気持ちにもさせられました。ドリブルやパス&コントロールなど基本的な技術練習もたくさんやりました。技術の練習は時間をかける必要があり、少しずつ上達していきます。課題としていたスピードを生かすための動き方についても、動き出しのタイミングなど戦術的な部分が最初は分からなくても、意識をすることで変わりますし、運動神経もよかったので、試合でも徐々にできるようになっていきました。確かに新は、1対1を外したり、ボールを失ったりすることもありました。それで迷惑をかけたくないという気持ちもあったのかもしれません。ボールを取られた時、彼がものすごい勢いで取り返そうと全力で挽回する姿を何度も見てきました。取られたら、取り返すというのは基本です。でも、その基本を誰もが実直にできているわけではありません。フォワードの選手なのに、守る方のゴールにまで走っていく姿も何度も見てきましたし、擦りむいて膝から血が滲むほど、頑張る姿も見てきました。彼は味方がボールを失った時でも、同じように追っていました。そういう優しい性格もあり、チームを助けたいという気持ちは人一倍持っていたと思います。

 新は、アカデミーの子たちの可能性を広げてくれました。明確な武器があった新は、自分の課題に向き合い時間をかけてやり続けてフロンターレに帰ってきてくれました。その過程で一緒に過ごしたからこそ、報告の電話をもらった時、心底嬉しかったです。“やれば、できる”という勇気を与えてくれました。また、大学時代も、新らしさが出ていたし、きっとまた時間をかけて練習をして、状況判断も試合のなかで身につけて、充実した4年間だったんだなと感じました。

 みんなから応援され、愛される選手です。そういう人間性があるから、新ならプロになれると私も信じることができました。これから先、もちろん本人はフォワードとして得点にこだわっていると思うし、そこは言われなくても磨いていくと思いますが、私は、新にしかできないこと、彼の守備は相手にとってはすごくプレッシャーがかかり、いやだと思うので、チームのためにあそこまで献身的にやれる新らしさは、この先もなくしてほしくないと思います。そして、いつの日か、日本代表に選ばれることも願っています。

長橋康弘U-18監督「あの頃の君へ」初登場

player長橋康弘U-18監督は、ご存じの方も多いと思いますが、フロンターレ創設時から活躍したOB選手。その後、アカデミーの指導者として17年目となり、現在は、U-18を率いています。

そんな“ヤスさん”が、今回「あの頃の君へ」に初登場。アカデミー時代にはシンと一緒に自主練をやっていたそうで、ひたむきに頑張っていた姿を思い出して、「シンに会いたくなった」と、とても懐かしそうでした。ちなみに、ファン感での熱唱や、U-18プレミアリーグの告知で披露していた美声によるナレーションを聞いて、「シン、まだまだ才能があるんだな」と笑顔を見せていましたよ。

現役時代
現役時代
左から、鬼木達 現トップチーム監督、浦上壮史 現U-18 GKコーチ、そしてヤスさん

サッカー選手になりたい!

フロンターレ選手たちも、かつてはプロを夢見たサッカー少年でした。そんな彼らにプロを目指していた日々について語ってもらう連載。山田選手に振り返ってもらいました。

どもの頃は、とにかく毎日外で遊びまわっていました。両親は、自由にやりたいことをやらせてくれたように思います。兄とは、そんなに深い話をする感じではなかったですが、いい距離感で、高校時代には、公園でふたりでサッカーをしたこともありました。兄の影響で幼稚園からサッカーを始めて、最初のクラブはけっこう厳しかったし、周りが年上だったので、そこまでのめり込んでいなかったですが、同い年のなかでやるようになり、足が速かったので、自分でゴールを決められるようになりサッカーが楽しくなりました。遊ぶ時にも、友だちみんながゲームをしたいのに僕だけサッカーしようと言うので、「またサッカーかよ」と言われていましたが、最近会ったら、「サッカー、サッカーってうるさかったな。だからプロになれたんだね」と地元の友だちに言われました。

 小学校まではクラブの中で自分が実力的にも一番上にいましたが、フロンターレアカデミーに入り、周りが上手くて、自分は技術的に実力が足りていなかったので、とにかく頑張ることで、チームに貢献しようと思うようになりました。ただ、そういうなかでも自分に強みがあることはコーチングスタッフや先輩が認めてくれて見失わないようにしてくれていたので、変わらずに持ち続けることができました。でも、学校の同級生からは、フロンターレに行っているだけですごいという目で見られることがあっても、実際の自分は試合に出られていない。そういうギャップに、自分が不甲斐なく感じることもありました。

 高校生になり、ボールフィーリングは、ヤスさん(長橋康弘)との自主トレでも教えてもらうことが多かったので、オフだった月曜日には公園で練習していました。すぐにうまくはならなかったけど、ちょっとずつ成長していったと思います。ただ自分では、“頑張っていた”という感覚ではなかったです。上手くなった方がサッカーが楽しいし、周りのみんながうまかったので、自分はやれていないという感じが強く、“行かないとダメだよな”と思っていました。それに、自分には特徴があり能力は高いと思っていたので、それを自分が生かせていないのはもったいないな、そういうところもできるようになれば、もっと自分はやれると思っていたからやり続けました。

 プロ選手に具体的になりたいと思ったのは高校生の時です。U-18からプロに行く人がいて身近に存在を知り、フロンターレの選手たちを見て、「かっこいいな」と思いました。プロとしてやっているのはすごいなと感じましたし、フォワードの(大久保)嘉人さんや(小林)悠さんが大事な時にゴールを決める姿を見て、自分もこういう存在になりたいな、と憧れて見ていました。 

 自分から子どもたちにアドバイスができるような、えらそうなことは言えません。ただ、こうしてフロンターレに戻ってこられたことは、もちろん運や周りの人たちのおかげだと思いますが、続けることは得意だったのかなと思います。たとえ、気分が乗らない日があっても、練習やトレーニングは習慣化していたので、グラウンドや公園にとりあえず行く。続けることはできていたのかなと思います。

 中学、高校、大学と、どの時代もずっとやり続けてきたことで、最後にはある程度の成功体験は得られました。大学時代は、フロンターレがどんどん強くなっていくなかで、やらないといけない、やらないと戻れないと思っていました。そういう目標があったから、やり続けられたのかなと思います。それはプロになった今でも同じかもしれません。練習をして、自主練をすることで、たとえうまくいかないことはあるにしても、それはそれで成長は感じられる。だから(メンタルが)そんなに落ちるということはないです。やれることはやってきたし、これからもそうしていきます。

山田 新選手プロへのあゆみ

2000年5月30日生まれ、神奈川県横浜市出身。4歳上の兄の影響で幼稚園でサッカーを始める。小学6年の時にフロンターレU-13のセレクションを受けて合格。U-15では中学3年の時に13ゴールを決め、U-18では高校3年の時に宮代大聖と2トップを組み14ゴールを決めてチームに貢献。桐蔭横浜大学では、2年から大学選抜に選ばれ、4年生最後のインカレで大学史上初の日本一となり、決勝ゴールを決めてMVPに選出。J1含め複数クラブからのオファーがあったなか、2023年川崎フロンターレに帰還。

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