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[2003─2020 中村憲剛選手 引退]
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中村憲剛選手 
引退セレモニー 2020.12.21 Kengo Retirement Ceremony

イベント名:おフロの恋人! LOTTE presents 12/21「中村憲剛引退セレモニー&優勝報告会」

会場:川崎市営等々力陸上競技場

19:00〜21:00(開場17:30)司会進行:中西哲生、小森すみ恵

2020年12月21日月曜日。週末のアウェイ戦 J1最終節 vs柏レイソルの逆転劇の予熱も冷めやらない中、等々力陸上競技場にて「中村憲剛引退セレモニー&優勝報告会」が開催されました。

寒さも増してきた年の瀬、平日夕方からの開催にもかかわらず、セレモニーの観覧チケットは即日完売。

お集まりいただいた1万2,000人余りのサポーターの方々をはじめ、川崎市やケンゴ縁の方々による熱気の中、笑いあり、涙あり、そして歌ありと、最高のセレモニーを開催できたことはクラブ一同感謝の念に堪えません。

コロナ禍の下、チケットの販売枚数も制限せざるを得ず、参加が叶わなかった多くの方々には謹んでお詫びを申し上げます。

このページでは、引退セレモニー開催の模様を時系列に沿ってでご紹介します。改めてケンゴとの等々力最後の時間を追体験いただけましたら幸いです。

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川崎市ゆかりの皆さんからケンゴへ

川崎市 中原消防署の皆さん

 川崎市中原消防署の皆さんとは、ホームゲーム開催イベントでのはしご車体験や消火体験、選手を使った防災ポスターなど様々なコラボレーションを実施してきました。ケンゴも数回に渡りポスターに登場し、消防作業服を身に着けポーズをとったことも。

 そんな皆さんから、はしご車を使ったダイナミックなパフォーマンス。メインスタンドの3階まで達するような高さから感謝の垂れ幕を披露いただきました。

川崎市 中原警察署の皆さんと

 川崎市中原警察署の皆さんからは、ママチャリで逃走する「あの方」をパトカーや白バイで追走するミニドラマのプレゼント。追いかけられていたのは、14番のユニフォームをまといケンゴになりきった? 棋士の桐谷広人 七段です。「株主優待生活」でもおなじみの桐谷さんですが、2015年のホームゲーム開催時には、トークイベント「楽しい株主優待生活」講座や撮影会、トレードマークのママチャリで等々力のトラックを一周するハーフタイムイベントでもお世話になりました。

「とどろき水辺の楽校」 鈴木真知子さんから

 2008年から実施している多摩川の清掃活動を軸とした「多摩川エコラシコ」。元々FC東京との対戦を盛り上げるための合同企画「多摩川クラシコ」があり、そこから派生して始まりました。日頃お世話になっている多摩川の環境を未来に向けてより良くしていこうと、選手会が主催でクラブ・サポーター、市民の皆さんのご協力をいただき、10年以上にわたり継続してきました。

「水辺の楽校」は「多摩川エコラシコ」に全面協力いただいている全国規模の活動のひとつ。多摩川エリアでは「とどろき水辺の楽校」として、市民の方々に水辺の大切さと愉しみを伝えています。

ケンゴも在籍中は度々参加し、サポーター、そしてたくさんの子供たちと水辺の楽しいひと時を過ごさせていただきました。2020年は残念ながら「多摩川エコラシコ」の開催は叶いませんでしたが、今後とも大切な多摩川の環境を守る活動に関わり続ける所存です。

セレモニーではエコラシコ開催の様子を紹介しながら、「とどろき水辺の楽校」代表幹事の鈴木真知子さんから、ケンゴへの感謝と労いの言葉をいただきました。

川崎フロンターレ算数ドリル作成委員会の先生方から

「川崎フロンターレ算数ドリル」は2009年4月からはじまった学習教材づくりのプロジェクトです。初回は1校のみのスタートでしたが、好評を得て2010年からは川崎市内の全公立小学校の6年生の生徒さんたちに配布しています。川崎市にも教育的価値をお認めいただき2011年から制作予算の補助も受けながら今日まで継続してきました。

元々は当クラブのスタッフが、イングランドの強豪アーセナルFCを視察した際、現地の教科書にスター選手達が登場しているのを目にしたのが始まりです。こんな社会貢献の形があるのかと感銘を受けたスタッフは、川崎市でもぜひ実現したいと、先生方の多大なるご協力を得て、紆余曲折の末に完成させたのがこの算数ドリルでした。

ケンゴは幾度となく算数ドリルに登場し、生徒さん達の学習を間接的にサポートしながら、2014年には実践授業として、麻生区の柿生小学校にて生徒さん達と楽しく勉強させていただきました。

セレモニーでは算数ドリル作成委員会を代表して、 川崎市立有馬小学校 蟻生寛郎(ありう・ひろお)先生からケンゴへの感謝と労いの言葉をいただきました。

各界の著名人の方々からケンゴへ

塀内夏子(へいうち・なつこ)先生

『オフサイド』や『Jドリーム』などサッカーを題材とした数多くの作品で知られる川崎市宮前区出身のマンガ家。フロンターレとは、2003年にコラボのお願いを快諾いただき、以来、描き下ろしポスターやファン感用メインイラスト、ステッカーなど様々な形で強力なサポートをいただきました。

三田紀房(みた・のりふさ)先生

ドラマ化でも大人気を博した「ドラゴン桜」をはじめ、「クロカン」や「砂の栄冠」などスポーツを題材とした作品のみならず、多彩なテーマや切り口の作品を手掛けるマンガ家。フロンパークでのトークイベントに参加いただいたり、短編マンガ「インベスターF」も描き下ろしていただきました。また公式サイトでは、ケンゴとの「ピックアッププレイヤー」でスペシャル対談(2015)も実現。実はケンゴ、そもそも三田先生の作品の大ファン。対談であれこれと制作にまつわる話をうかがい、プロとしての着眼点など共感を覚えるお話もいただけて、大満足の様子でした。

ツジトモ先生

講談社のマンガ雑誌「週刊モーニング」にて好評連載中のサッカー・ストーリー「ジャイアントキリング(既刊57巻・2020年12月現在)」の作者。「ジャイアントキリング」Jリーグのチームを彷彿とさせるチームが登場し、クラブと選手の関係や、地域社会とのリレーションシップ構築なども描くなど、マンガファンのみならずサポーターにも人気の作品。フロンターレとは多摩川クラシコの際に記念グッズのイラストも描き下ろしていただきました。

また、「ジャイアントキリング」の連載500回が達成された際には、連載開始からの大ファンだったケンゴとツジトモ先生のスペシャル対談も実現しました。

高橋陽一(たかはし・よういち)先生

日本国内はもちろん、全世界で愛されているサッカーマンガの金字塔「キャプテン翼」の作者。ケンゴとは雑誌BRUTUSの「オトナのマンガ」特集(2009年 vol.663)にて対談。その際に先生描き下ろしのケンゴイラストが掲載され、そのイラストを用いて「ケンゴ応援Tシャツ」も制作させていただきました。

原泰久(はら・やすひさ)先生

週刊ヤングジャンプにて好評連載中の大人気マンガ「キングダム」の作者。コミックスは累計発行部数7,000万部を突破し、アニメ、実写映画とも大ヒットを記録しました。大のサッカーファンで、地元のサガン鳥栖(鳥栖フューチャーズ時代から)をはじめJリーグの応援も。

2017年のJ1リーグ初優勝の際には、今や伝説となった等々力での泣きシーンに感動した原先生から、描き下ろし色紙がケンゴも贈られました。

俳優 小林顕作(こばやし・けんさく)さん

NHK Eテレ幼児向け番組「みいつけた!」の人気キャラクター「オフロスキー」を演じたのが俳優の小林顕作さん。2012年、川崎フロンターレと川崎浴場組合連合会(市内62銭湯)がコラボした利用促進キャンペーン「いっしょにおフロんた~れ」とのコラボ企画「イクフロ」で、ケンゴは「オフロンスキー」となりPR担当として活躍しました。

当時4歳の息子と2歳の娘のパパになっていたケンゴは「オフロスキーは僕の家族にも大人気で、僕自身も大好きなキャラクター。オフロンスキーとして活動する限りは皆さんにたくさん銭湯へ足を運んでもらい、浴育推進もできるよう頑張ります!」と語っています。

宇宙飛行士 大西卓哉(おおにし・たくや)さん

JAXA所属宇宙飛行士・大西卓哉さんは、2016年7月~10月、ISS第48次/第49次長期滞在クルーのフライトエンジニアとしてISS(国際宇宙ステーション)に約113日間滞在しました。

フロンターレとは、2016年、クラブ創立20周年の目玉として発表された一大宇宙プロモーション「宇宙強大」企画の一環で、人気マンガ「宇宙兄弟」とJAXA、大西さんとのコラボが実現。8/16(火)の夕方から等々力競技場を貸し切り、ISS滞在中の大西さんと、地球側(川崎市)のケンゴと小学校の生徒さんらの生交信を敢行するという前代未聞の企画に登場いただきました。

ケンゴをはじめ選手達の代表は宇宙服姿を披露。翌2017年にはISS滞在中の大西さんによる宇宙越しの始球式や、公式サイトの「ピックアッププレイヤー」にて2回に渡って大西さんとの対談を公開するなど、宇宙の超大なパワーをしっかりいただきました。

恩師からケンゴへ

中央大学サッカー部監督 佐藤 健さん

現在、ケンゴの母校・中央大学学友会サッカー部監督の佐藤健さん。ケンゴの在籍当時はコーチを務め、プロ選手への道を諦めきれなかったケンゴの意向を受け、川崎フロンターレに推薦しました。

佐藤さんとの出会いが無ければ、川崎フロンターレへの加入はおろかJリーガーにもなっていなかったかもしれません。

セレモニーでは、まさか、ここまでのキャリアを築く選手になるとは想像できなかったと振り返り、「これからの憲剛の人生が楽しみでしょうがない。また憲剛がグラウンドで、ベンチで立ってる姿を、皆さんと期待しながら応援したい」と語っていただきました。

陸前高田の皆さんからケンゴへ

2011年の東日本大震災。復興支援活動として川崎フロンターレが初めて陸前高田市で開催したサッカー教室に、当時参加していた菅野朔太郎さんと酒井宏輔さん。当時は小学生でしたが、10年余りで立派に成長した姿を見せてくれました。

 復興支援活動を続けてゆく中で、フロンターレが現地で活動をする際には必ず駆けつけてくれた2人。

 菅野朔太郎さんは大学進学時に上京後、なんとフロンターレのグッズショップ「アズーロ・ネロ」でアルバイトを開始。酒井宏輔さんも、はるばる等々力まで何度も応援に来てくれました。

 そして「陸前高田フロンターレ サポーターず」会長を務める、陸前高田市立高田小学校の濱口智(はまぐち・さとし)先生。震災時に津波で教材が流されてしまったため、濱口先生は繋がりのある川崎市の先生に相談をもちかけ、フロンターレ算数ドリルを寄贈するきっかけとなりました。

 その後、「サポーターず」の会長として陸前高田市内のフロンターレのポスター掲示やタペストリーの装飾、サッカー教室などの現地開催にご協力いただいています。

お三方からは、現地での活動や高田スマイルフェスなどを通したケンゴの献身的な活動に、感謝の言葉をいただきました。

陸前高田市の菅野朔太郎さん
陸前高田市の酒井宏輔さん
陸前高田市立高田小学校の濱口智(はまぐち・さとし)先生

陸前高田からは戸羽 太市長からもケンゴへのビデオメッセージをいただきました。

戸羽 太 岩手県陸前高田市市長のメッセージをYouTubeで見る

また、濱口先生からはセレモニーで伝えきれなかったフロンターレとケンゴへの想いを、お手紙でいただきましたのでここにご紹介します。

「震災当時のことを思い出しながら登壇したら、その段階で様々なことを思い出してしまい、感情が込み上げてきて、しどろもどろになってしまいました。言いたかったことの何分の1しか言えなかったです。


そこで、ここに言いたかったことを書き込んで行きたいと思いますので、よかったらお付き合いください。」

「2011年3月11日、あのことが起こってしまいました。息子が通っていた小学校では、サッカースポ少のコーチの人が亡くなり、子どもたちが全校で7名も亡くなりました。僕たちは、打ちひしがれていました。

 そんな時、僕の知り合いの川崎の坂田和子先生が、川崎フロンターレに声をかけていただき、すぐにフロンターレが応じてくださいました。僕は、その時はサッカーの生の試合なんて、高校生の時神戸にペレやソクラテスのいたニューヨークコスモスの試合を観戦して以来観ていないほど何も知りませんでした。

 なんとフロンターレは、選手のみなさんが揃って被災地に来てくださるというのを聞いてびっくりしました。

 当時は、津波の被害のせいで陸前高田は断水しており、お風呂に入ることもままならない状況でした。そんな時、週に一度程度近所の人たちを乗せてバスで、近くの小学校に来ていた自衛隊が設営したお風呂に、連れて行ったもらうことがありました。後ろの席に座った近所のサッカー少年に、フロンターレが来てくれるかもしれないことを伝えると、「えっ! 中村憲剛もくるの?」と激しく反応してことを覚えています。実は、その時初めて「中村憲剛選手」というすごい選手がいるのだと知りました。

 そして、本当に選手のみなさんが揃って来てくださった時、当時役員をしていた学童保育の部屋を選手控え室にしてもらい、僕がネットにアップしてあった動画などを見せながら被災当時のことを選手のみなさんに伝えた時、一番反応してくれたのが、ジュニーニョ選手であり、憲剛選手でした。

 その時のドキュメンタリー番組で、僕の娘の親友が亡くなった建物の廃墟の前に憲剛選手が立って「なんとかしなくちゃね。」という意味のことを言っていたのを印象深く覚えています。

 その時子どもたちに渡していただいた算数ドリルに憲剛選手のサインが入っていて、スタッフの天野さんが「これを子どもたちが持って来たら、無料で試合観戦してもらいますよ。」と言っておられました。

 後から知ったのですが、憲剛選手はそのサインを無理を押して800枚も書いてくれたそうです。本当に頭が下がります。

 その日から、陸前高田と川崎フロンターレは、どんどん関係を深めていきました。

 川崎修学旅行、陸前高田市と川崎フロンターレの相互協定陸前高田市で初めて行われたベガルタ仙台とのプロのサッカーの試合を中心としたスマイルフェス。

 いろんな素晴らしい行事のたびにスタッフの天野さんは「ケンゴがやるって言ってくれた。」「ケンゴが率先してやろうと言ってくれた。」と、選手のみなさんとフロンターレのスタッフのみなさんととサポーターのみなさんの三者が支援に動いてくださったのですが、憲剛選手がその先頭にいつもおられたのを心より感謝しています。

 今回のセレモニー開催のことを告げられ、このスピーチを依頼されたことを上司に相談しました。

上司は、「川崎に行って、ぜひ陸前高田の教師や子どもたちの代表として、ぜひお礼を言って来て。」と言われました。同僚からも、「今までどこの世界にあんなに高田のために尽くしてくれた人たちがいると思います? ぜひ、お礼を言って来てください。」と、師走の忙しい中にもかかわらず、励まされました。それほど、陸前高田の人たちにフロンターレのことが浸透しているんだ。それも憲剛選手のおかげです。その同僚はまた、その支援がずっと続いていることを心から感謝していると言っていました。

 憲剛選手今まで本当にありがとうございました。そして、これからも陸前高田の子どもたちのことを宜しくお願いします。」

川崎フロンターレOBからケンゴへ

関塚 隆 元監督(2004〜2009年)

2004シーズンに監督に就任。J1への昇格を希求しながら今一歩及ばなかったフロンターレを、マインドと技術両面から磨き直し昇格へと導きました。ケンゴをボランチにコンバートしたのも関塚さんのアイデア。ケンゴをチームの中核選手へとアップデートし、後の飛躍へとつながる礎となりました。

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OB選手代表3名によるスピーチ

川崎フロンターレOB選手を代表して、岡山一成さん(市民クラブVONDS市原監督)、鄭 大世選手(2020シーズンはアルビレックス新潟在籍)、大久保嘉人選手(2020シーズンは東京ヴェルディ在籍)の三方からスピーチを頂きました。

登壇OB選手(敬称略、順不同)浦上壮史、久野智昭、⻑橋康弘、佐原秀樹、⻤⽊達、寺田周平、今野章、箕輪義信、相澤貴志、吉原慎也、伊藤宏樹、玉置晴一、⿊津勝、岡山一成、飛弾暁、⻄山貴永、森勇介、植草裕樹、鄭大世、久⽊野聡、⽊村祐志、大橋正博、養父雄仁、田坂祐介、吉田勇樹、⽮島卓郎、小宮山尊信、楠神順平、⻄部洋平、山越享太郎、大久保嘉人、新井章太、安柄俊、狩野健太、馬渡和彰

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中村憲剛選手登壇〜川崎市民栄誉賞授与

洗足学園音楽大学 森タケルさん(トランペット)によるケンゴチャント演奏

照明が落とされたスタジアム。ケンゴチャントを演奏するトランペットの音色がスタジアムに響き渡り、いよいよケンゴの登壇です。皆さんが灯したライトで等々力は一気にセレモニーのムードへ。

福田紀彦 川崎市長・川崎フロンターレ後援会会長

福田紀彦川崎市長からケンゴへ、長年の活躍と功績に対する賛辞をいただき、川崎市民栄誉賞が授与されました。またケンゴへの記念品として特製シャーレが贈られました。

福田紀彦川崎市長のメッセージをYouTubeで見る

全選手登壇〜優勝報告会

全選手登壇
優勝シャーレを手に登壇する谷口彰悟キャプテン

福田市長よりクラブへ「川崎市スポーツ特別賞」が贈呈

鬼木 達監督からごあいさつ

鬼木監督は2020シーズンを振り返りつつ、異例となったシーズンを戦い抜いた選手達へ謝意を伝えました。

谷口彰悟選手(2020シーズンキャプテン)からごあいさつ

新型コロナウイルスの影響で難しいシーズンを振り返りつつ、まだ残っている天皇杯について、改めてサポーターの皆さんへタイトル獲得への意気込みを語りました。

小林 悠選手からケンゴへ

2010年の入団時から常にケンゴのプレーを肌で感じながら練磨してきた小林悠選手。時折嗚咽を交えながらケンゴへ最大限の感謝の気持ちを伝えました。

from Yu

「(小林選手の入団時)最初は本当になかなか話す機会もなかったですが、ゴールを決めることで認めてくれて、親しくさせてもらいました。移動の新幹線もいつも隣で。通路側が憲剛さん、窓側が僕で。

 いつも移動中に対戦相手や試合の映像を見ている憲剛さんに『そんなの見て楽しいんですか?』と聞いて。

 でも、憲剛さんは『俺が考える仕事はやるから、お前はゴール決めることだけ考えてろ』と言ってくれたやり取りが印象的で。

 そんな苦楽を共にした憲剛さんと2017年に初めて優勝した時、多分僕のサッカー人生の中で今後もあれを超える感動はないと思います。一緒に抱き合って喜び合えたこと、本当に嬉しかったです。

 憲剛さんがいなかったら今の僕は絶対にいないと断言できるくらい、僕にとって憲剛さんの存在は大きかったです。他の選手たちも、サポーターも、憲剛さんのパスで、憲剛さんのプレーで、助けられた人だったり、前向きになれた人だったり、僕みたいに運命を変えるくらいの影響を与えてもらった人もたくさんいたと思います。それくらい、僕にとって憲剛さんの存在は大きかったです。本当に感謝しかないです。

 幸せなことに、そんな憲剛さんと戦える天皇杯という大会がまだ残っているので、最後は良い形で送り出せるように、チーム一丸となって頑張っていきましょう。

 あと、最後に、リュウゴくん、ケイナちゃん、リイナちゃん、君たちのお父さんは本当にカッコ良くて、皆から愛される最高のお父さんだと思います。引退する最後の試合の日、家に帰ってきたら、抱きしめて、『お父さん、お疲れ様でした』と言ってあげてください。

本当に長い現役生活お疲れ様でした。本当にありがとうございました」

入団時からケンゴを撮り続けた大堀カメラマンと記念写真
優勝おめでとう、応援ありがとう!

家族から

長男 リュウゴくんから、父 ケンゴへの手紙

その巧みな文章と、一番のヒーローであるお父さんへ向けられてきたその眼差しに、会場が温かな空気に包まれました。

from Ryugo

「僕は今シーズンで引退すると言われたとき、夢なのか現実なのか分からないぐらい驚きました。そして勝手にまだ先だと思っていたので、自然と涙がボロボロ出てきました。でも時間が経つにつれて、お父さんの気持ちが分かりました。それがベストなタイミングなら残りの2カ月間を全力でサポートし、応援しようと思いました。そして、しっかりと目に焼き付けようと感じました。

 中村憲剛選手の18年間のサッカー人生は出来過ぎでした。優勝もしてMVPも獲って、ギネス世界記録(最高齢でMVP受賞)も獲って憧れる存在でした。2008年(9月25日)に僕が生まれたけど、その2日後の柏戦のFK。毎年自分の誕生日の日、『この2日後の柏戦でFKを決めたね』と。まだ0歳だったので覚えていないけど、ゆりかごをしてくれる写真を見て毎年嬉しかったです。

 成長していくとともにお父さんがサッカー選手だと分かり、自分もサッカーが好きになりました。その時点で既に憧れていたと思います。2016年の天皇杯、2017年のルヴァンカップ、もっと言えばその前にも準優勝でシルバーコレクターとばかり言われていたけど、2017年のJリーグで逆転優勝したのでフロンターレの歴史が動いたなと思いました。その優勝は今までの準優勝の悔しさがあってこそだなと思いました。

 前十字を切った時も前向きにリハビリをしていたよね。自分は高熱を出すほどショックだったけど、お父さんだけは違った。その頑張っている姿に僕はすごい人なんだなーと毎日感じていました。コロナウイルスでクラブにも入れない、トレーナーさんにも診てもらえない。何度も苦境に立たされたけど、復帰に向けてのリハビリをする姿を見て、全身全霊でサポートしようと思いました。サポートするのも決してつらくなかったです。復帰戦が近づくにつれて楽しみで仕方がありませんでした。そして復帰戦。301日ぶりの試合にゴールというのは一生の宝物になったと思います。

 サポーターにとっての中村憲剛選手は愛される存在であって、どんなときも前に立って引っ張ってくれる誇らしい存在でした。そして、プレーで見ている人を楽しませ、重宝される選手だったと思います。ここにいる人もここに来られなかった人も川崎フロンターレの歴史を背負って来た人だなと感じていると思うし、その歴史を変えた1人だなと感じていると思います。

 選手の皆さんにとってもたくさんのアドバイスをもらったり、常にお手本のようだった“フロンターレのお父さん”のような存在が今年で引退するのはショックだったと思うし、自分もとてもショックだったけど、やっぱり物事は終わりがいつか来るから美しくおめでたいことだと感じていました。

 でも、やっぱり寂しいです。どんな時も前に立って引っ張ってくれて僕たちを楽しませてくれたこと、色々とあったけど、諦めずに頑張ったことで優勝もできて、僕たちが憧れる存在になってくれたことには感謝という気持ちしか頭にありません。悲しいときも悔しいときも共に乗り越えてきた仲間、家族として『ありがとう』と伝えたいです。引退、おめでとう。そして、ありがとう」

花束贈呈

長女ケイナちゃん、次女リイナちゃん、奥さまの加奈子さんから。

常田真太郎(スキマスイッチ) × SHISHAMO

ケンゴに魅せられたアーティストからの贈り物

 常田真太郎さん(スキマスイッチ)とSHISHAMOの皆さんがついに登壇。それぞれケンゴとのお宝エピソードが披露され、会場の空気がさらに温まりオリジナル楽曲紹介へ進みます。衝撃の製作依頼から、作詞作曲にあたってケンゴとの緻密なエピソード確認など貴重な裏話もいただきました。

 スタジアムが暗転し、ケンゴの歩みにぴったりと寄り添うように流れだす『天才の種』のピアノと透明感溢れるSHISHAMO宮崎さんのボーカル。オーロラではケンゴの18年にわたる芳醇な時が、動画や写真でしっとりと綴られていきます。

 やがては2017シーズンの最高のクライマックス、それからの三年間でクラブが積み上げた記録の数々。

 ケンゴがプレイヤーとして大きな成長を遂げた物語が、美しいメロディーと共にしっかりと記憶に刻まれた瞬間でした。

『天才の種』各音楽配信サイトにて好評配信中 楽曲を各配信サイトで聞く

中村憲剛選手からみんなへ

「ずっとこの日が来ないことを考えていて、でもいまこのVTRを見て、あ、オレ引退するんだと思いました。発表もして会見もして、でも自分の中では他人事のような気持ちだったんじゃないかといま分かりました」

「今日はたくさんの人が集まってくれて、みんながありがとうと言ってくれましたが、ありがとうを言いたいのは僕の方です」

「いまいる選手たちやクラブのみんな、スタッフ、サポーター、スポンサーのみなさんでこれまで以上に愛されるクラブになっていってほしいと心から望んでいます」

「フロンターレに入りたい子どもたちへ。僕は高校生のときも小さくていまでも華奢だけど、40歳までプレーできました。体の小ささはハンデではないということです。中高生で悩んでいる人もいると思うけれど、僕のキャリアがそうではないと言っています。自らフタをしてほしくないし、指導者の方も小さいだけで使わない、足が遅いだけで使わないという目線で見ないでほしいと心から思っています」

「ハンデはチャンスだと思ってください。そして環境やチームメートに文句を言うのではなく、自分にベクトルを向けてください。一日一日頑張れば、道は開けます。そして周りが助けてくれます。悩んでいる子どもたちも、また明日から新しい気持ちでボールを蹴ってほしいと思います」

「川崎フロンターレに入れてよかった。みんなに会えてよかった。頼もしい後輩に任せて、僕は次のステージに進みたいと思います」

「これが選手として最後に話す言葉になりました。この景色は一生忘れません。本当に、本当に感謝しています。フロンターレ最高です! ありがとうございました!」

川崎市の子ども達からケンゴへ

川崎市の子ども達を代表し、川崎市立下作延小学校の生徒さんたちから手作りのシャーレをいただきました。

チームメイトによる胴上げ

Finale

特製神輿で等々力のトラックを周回。フロンティアーズの選手の皆さんとテセも担ぎ手に。
2013年に引退した盟友・伊藤宏樹と

「フロンターレ最高です! ありがとうございました!」

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