vol.03
田中 碧TANAKA Ao
「初出場初ゴールで、
人生が変わった」
2022年ワールドカップ・カタール大会で、“三笘の1mm”からの田中碧選手のゴールは、大きな話題となった。
「ワールドカップでゴールを決める」という目標を叶えた瞬間でもあった。
その時、2018年に「初出場、初ゴール」を決めた姿を思い出した人も多かっただろう。
スペシャルインタビュー第3回に登場してもらう田中碧選手は、2007年、セレクションを受けて小学3年生でフロンターレアカデミーに加入。
U-18までの10年間を過ごし、2017年にトップチームに昇格した。
目標を見据えながら、そこに辿り着くまでコツコツと努力を積み重ねてきた。
リーズ・ユナイテッドでプレーする田中碧選手に、フロンターレで過ごした時間を振り返ってもらった。
*本インタビューは2026年2月半ばに実施したものです
麻生グラウンドで選手たちと遊んでもらったジュニアの頃
フロンターレ30周年ということで、現在、武蔵小杉駅前などに“レジェンド”選手27名の写真がパネル展示されていて、田中碧選手の写真もあります。
田中 碧(以下、田中)僕ですか? 何でレジェンドなんですか(笑)
フロンターレ30周年と聞いて、どんな感じがしますか?
Jリーグ自体がまだ歴史が浅い中、フロンターレが30年を迎える中でタイトルも獲得して、これからさらに歴史を重ねていくことで、より伝統あるクラブになっていくと思います。世界各国を見ても、その国にはこのクラブがある、と言われるようなクラブが存在するので、フロンターレもこれから日本の中で伝統あるクラブだと言われるような道を歩んでいってほしいなと思います。
碧選手は、アカデミーに10年、トップチームに4年と数ヵ月いたので、30年のうち約半分を知っていることになりますね。
田中子どもの頃は、Jリーグのこともよくわかってなかったですけど、小さい頃からアカデミーにいたので、それなりに長いですよね。
10年過ごしたアカデミー時代に培った経験で、どんなことが今に繋がっていると感じますか?
田中サッカーはもちろんそうですが、やっぱり人間的な部分が大きいですね。何も知らずにフロンターレというクラブに入り、初めて大きな組織に入ったことで、いろんな人たちに支えられ助けられていることを学んだし、そういう人たちに感謝してサッカーをしなければいけないと感じることもできました。また、いろんな人たちと出会ったことで人間として成長できたし、人としてあるべき姿を学べた場所なのかなと思います。
以前に小学生の頃の話を聞いた時に、「練習に行きたくないなぁ」と思う日もありながら休まなかったし、ダノンカップで優勝したり、試合で勝つ喜びも知ったという話をされてました。
田中小さい頃は、自分のパフォーマンスがいいとか悪いとか考えてサッカーをしていなかったです。でも、チームが強かったので、やってて楽しかったし、勝負に勝つという成功体験を、あの頃、経験できたことは今思うと大きかったのかなと思います。
トップチームの試合を観たことは覚えていますか?
田中小3で入ってすぐに、チームみんなで試合を観に行く機会があって、それが僕が初めて等々力に行った試合だったので覚えています。僕は元々、Jリーグのことをよく知らなかったので、それが初めてのJリーグ観戦で、ゴール裏の2階で横一列にみんなで並んで観ました。清水エスパルス戦でした。
あとは2007年の(ヤマザキ)ナビスコカップ決勝のガンバ大阪戦は国立で観ました。あと、(三笘)薫さんもこのインタビューで言ってましたが、ACLのセパハン戦は、子どもだったのでACLの背景とかは知らなかったですけど、僕もすごく覚えてます。まだ改修前のメインスタンドのゴール横辺りが立って観られたので、そこでPK戦を観てました。
あの試合は、子どもたちの心にインパクトがあったんですね。
田中そもそもPK戦を観ることが生まれて初めてだったというのもあって、トーナメントだったし、けっこう記憶に残ってます。
子どもの頃、麻生グラウンドで谷口博之さん(碧選手が当時好きだった)や伊藤宏樹さんたちに遊んでもらったとか。
田中今と麻生グラウンドの作りが違っていて、選手たちが練習から上がってきた人工芝のところで、たまに僕たちが練習していたので、毎日ではないですけど、わーっと選手たちに群がってましたね(笑)。キックベースをしたり、サインを書いてもらったり、それこそサッカーを一緒にやって遊んでもらいました。
「このままじゃダメだ」心底感じて変わった中3のこと
アカデミーで成長していく過程で、中学3年の終わりから高校1年にかけて“転機”だったと言われてました。今振り返っても、改めてそう感じますか?
田中思いますね。中学時代のそれまでの僕は、それなりにできるけど一番うまい選手じゃなかったし、自分たちの学年の中で一番うまい選手をめざしながら、まだ手が届かないなという選手だったと思います。
それが中学3年の終わり頃にU-18の練習に初めて参加して、「このままじゃダメかも。ヤバいな」と心の底から思いました。まったく手も足も出なかったことで、その時に初めて自分に危機感が芽生えました。そもそもひとつ上の学年と一緒にサッカーをするという経験をそれまでほとんどしてなかったこともあって、U-18の練習に参加したことは、大きなキッカケになる出来事でした。
そのことで自分の行動は変わっていきましたか?
田中変わったと思います。それこそ高校生になってから公園でよくひとりで黙々と練習してました。
どんな練習をしていたんですか?
田中ひたすら壁当てしてました。たまには薫さんと1対1の練習もしていたかなぁ。でも、高校時代は、基本はひとりで練習していました。
選手として成長する大きなキッカケになったんですね。
田中その後U-18で高校1年生の頃から試合に出させてもらった経験も大きかったです。そういう運も巡り合わせもあって、すごく成長できた期間になりました。
U-18の頃、何度もトップチームの練習参加をして、「おそらく20回ぐらい、自分が一番練習参加回数が多いんじゃないか」と言われてました。
田中確かに、一番練習参加してたと思います(笑)。
どんなことを感じていたんですか?
田中もちろんレベルが高いなと感じていました。これは、プロに入る前も入ってからもそうなんですけど、U-18の頃、練習試合でトップチームに呼ばれたら「やってやろう」と思いながらも、一方で内心「マジで行きたくない」と思っていました。
確かに、そう言われていた記憶があります。
田中今はそういう感情にはならないんですけどね。高校1年生でU-18の試合に上級生と一緒に出始めた頃もいろんな緊張があった。試合には、もちろん出たい。でも、出たくないし、怖い。プロに入った頃も、練習の時からそういう気持ちがあったし、日本代表に入った頃もそうでした。緊張するし、怖い。でも、それがなくなった頃にすごく成長しているなと感じられるんです。だから今は、そういう気持ちが生まれた時には、「あぁ、またこの感じだな」とすごくワクワクするんですけど、当時は、本当にひたすら行きたくなかったですね(笑)。
その緊張感や怖さを経て、自分が成長するタイプの人間なんだと理解できたら、捉え方が変わったんですね。
田中そうですね。今でも、たまにそのモードがくるんですけど、「どうせ時間が解決するし、いずれ乗り越えるんだろうな。そしたら成長するんだろうな」と思えるから、当時のそういう経験は自分の中では大きかったですね。
ちょうど二十歳ぐらいの時に、そういう話を聞いたことがあります。「すごい緊張してイヤだな」と言いながらも、口には出さないけど、内心は先輩たちに誰にも負けたくないという野心のようなものもあって、その両面あるのが田中碧選手らしいところだなと感じたことを覚えています。
田中二十歳の頃から、僕は同じことを言ってましたか(笑)。
でも、そういうところが自分にあると知ったことで、今はそれがワクワクする気持ちに早く変換できるようになったんですね。
田中そうですね。もちろん戦う舞台が大きくなったり、見られる人数が増えれば緊張感は大きくなりますけど、そうはいっても、なんとかなるでしょうっていう感じがあります。
人生が変わった初出場、初ゴール
碧選手は、2017年にアカデミーからトップ昇格し、2年目の2018年9月15日コンサドーレ札幌戦でJ1リーグ初出場、初ゴールを決めます。プロ入り後すぐにケガからのリハビリ期間もありましたが、一番遅くまで練習していたり筋トレをして体作りをしたり、コツコツ積み重ねた時間がありました。今振り返ると、あの頃の自分をどう感じますか?
田中うーん、別にあの頃の自分は、試合に出られなくても悔しいとかもなかったんですよ。チームメイトがものすごかったので、僕はあんまり負けず嫌いじゃないので、ちゃんと物事を見て、この人たちに勝ててないから出られないと思っていたんです。
今は試合に出られない状況がきたら悔しいと思いますけど、その時はまったくそう思ってなくて、練習するしかないと感じていました。もちろん同い年の選手が他のチームで試合に出ていたりしたら、すごいなぁとか悔しいなぁとか思いますけどね。でも…、もし、あのまま(プロ)2年目も試合に出てなかったら、また人生も変わっていたのかなとは思います。
当時から1~2年はかかる、と自分で想定してコツコツ練習していましたよね。
田中そうです。だから、苦しいとかはなかったですね。
若い頃から自分を客観視してましたか?
田中そうですね。とはいえ、運でなんとかなってきちゃったところもあるのかな。だって、初めて試合に出て点を取るってなかなかないですよね。もし、あのデビュー戦で点を取ってなかったら、その後も普通に流れていたと思うんですけど、点を取ったことで自分の中でも自信になりました。それは、フロンターレで活躍できる、とかではなくて、人生のひとつの成功体験として、若かったから「ただただ、うれしい」っていう大きな感情が自分にパワーをくれて、そこから練習でも自分の中ではどんどん変わっていったところもありました。そのシーズンの最後に2試合ぐらい出させてもらいましたし。
FC東京戦(2018年11月24日J1リーグ第33節)でスタメンに抜擢されて出ましたね。
田中そうです。それで、またひとつ大きく変わったのかなと思います。
2019年以降は、それまでとまた違う形で試合に出ながら成長していきました。あの数年間は、どんなものでしたか?
田中それこそ初めて試合に出られる経験と、逆に人生で初めて試合に出られない経験もしました。1年目の時とは違って、試合に出ていた中でスタメンではなくなるという経験も初めてしたし、いろんな初めての経験が多かったんですね。試合に出ればもちろんいろんな刺激や成長も感じられたし、いい時も悪い時もある。若いから許されるという時期ではなくなり、試合に出たことで、普通のサッカー選手として見られるようになり、当然悪ければ出られなくなるという経験もして、しんどかった部分は多かったですね。2019年、2020年は、試合に出たり、出られなくなったりして、そういう中でしんどかったかな。
2020年はアンカーとインサイドハーフのポジションを経験しました。出場機会が減った後の広島戦(2020年9月13日J1第16節)で2ゴールを決めました。
田中そうでしたね。
あの頃、こちらが見えている以上に本人は苦しい時間もあったんですね。
田中ありましたね。もちろん試合に出てもいたし、世代別の代表もあったし、いろんな刺激もあって、すごく成長させてもらった部分もありながら、そういう初めて味わう感情もあったから、しんどかった部分もそれなりにあったのかなと思います。
何色にもなれた、あの頃
幼い頃から憧れでもあった中村憲剛さんはもちろん、大島僚太選手、守田英正選手、森谷賢太郎選手、下田北斗選手を始め、ボランチだけ見ても、他の選手たちに負けたくないし、何でもできるようになりたいし、盗むんだと二十歳の頃に言われていたこともありました。当時麻生グラウンドで、そういう選手たちと一緒に練習していたことは自分の中に残っていますか?
田中残ってますね。僕も若かったので、何色でもなかったから、何色にでもなれた感覚があります。今は年を重ねたことで、そうはならないというか難しいし、こういう感じになるんだなと。でも、若い時にあれだけいいお手本が周りにいたのはすごくよかったし、だからチームも強かったのかなと思います。僕以外の選手もそう感じていただろうし、練習含めてレベルが高かったなと思います。
公式戦の95試合10ゴールの中で、印象に残っているものはありますか?
田中試合は全部記憶に残ってるから、これっていうのは難しいんですけど、やっぱり初出場が一番記憶に残っています。結局、あれがなかったら、また人生が変わっていたのかなと思います。
碧選手は、2017年の初タイトルからいろんな立場でタイトルを経験してますよね。タイトルは、自分の中にどんな風に残っていますか?
田中それで言うと、2017年の初優勝は、みんながめちゃくちゃ喜んでいるのを見て、自分もうれしかったけど、うれしくないんですよ。試合に出てないから(笑)。例えて言うなら、WBCを観てるみたいな感覚で、「日本が優勝したな」という感じです。
だから、2017年、2018年と優勝して、2020年に優勝した時には試合に出ていたから嬉しかったんですけど、2017年の爆発的な喜びを間近で見ていたから、「喜び、薄くない?」みたいな感じでした(笑)。あの当時は、タイトルを獲ることが当たり前というか、獲っても、また次だっていうのがあったから、そんなに喜ぶぞ、という感じではなかったかもしれないですね。2019年のルヴァンカップの時も。ルヴァンは決勝のみしか、あの年出ていないんですよね。今思うと、優勝することってすごいことなので、もっと喜んでおけばよかったなって思います。
成長できるかはメンタル次第
ところで、碧選手が思う、“フロンターレらしさ”って何ですか?
田中フロンターレらしいところ…。温かいところ。だけど、ちゃんと厳しいところ。そこはクラブのよさだと思います。組織としてもそうだし、町も含めて、ただ厳しいだけだったり、温かいというか少し緩いという面だけの場合もあると思うんです。それが、いいとか悪いということじゃなくて。でも、フロンターレは、いい意味で温かくて、でもちゃんと厳しさもあって、それを伝えてくれる指導者もいる。だからこそ、組織に存在する上で学べることがたくさんあるんだと思います。
では、アカデミーの後輩たちにメッセージをお願いします。在籍当時、アカデミーから昇格した自分が活躍することで見本になりたいとも言われていましたね。
田中僕が言うようなことは…、だって今の選手たちはしっかり強いじゃないですか。
選手たちにとっても憧れですし、スタッフの皆さんも喜ばれると思います。
田中僕が今ここまで来て一番強く感じていることがあります。小さい頃はとくに、技術とかフィジカルを鍛えれば活躍できるだろうと思っている人が多いかもしれません。でも、結局メンタルだということです。そこがあれば、逆に技術がなかったとしても、今プロになれなかったとしても、大学に行ってからプロになれるだろうし、もちろんプロになることは簡単じゃないし、選ばれないとなれるものではないし、うまいからなれるわけでもない。だけど、自分が本気でめざしたいと思った時に、壁とか不安、現実が突きつけられる中で、歯を食いしばってやれるかどうかはメンタルだと思うので、それを身につけてほしいし、学んでほしいと思います。
仮にプロサッカー選手になれなかったとしても、いずれ年を重ねた時に、あの時こうすればよかったなと感じると思うんです。だから、いかに早く気づいて若い時にぶつかる壁に対して歯を食いしばって逃げずに戦えるか。そこをアカデミーで教えてもらえるだろうし、学べるだろうと思います。だからこそ、試合に今出られていなかったり、技術が足りなかったり身長が低かったとしても、大学を経由したり、もしくはフロンターレではないところかもしれないけどプロの道が開けて、いずれ日本代表にもなれる可能性もあると思います。でも、そのメンタルがないと、どこにいっても通用しないと僕は思っているので、メンタルは一番大事かなと思います。
ありがとうございます。では、最後にフロンターレのファン、サポーターの皆さんにメッセージをお願いします。
田中僕もフロンターレを一緒に応援する側で、もちろん応援しています。だから、皆さんへのメッセージは、「頑張ってください!」かな。優勝が続いたり、いい時期を知っている方からすると、いろんな変化がある中で、もしかしたら物足りない気持ちになることもあるかもしれないし、この先ずっといい結果が出続ける時期ばかりではないかもしれません。でも、僕はとにかくフロンターレには、ずっとJ1にいてほしいです!
田中碧の成長曲線
取材が終わって、スタッフも含めて少し話をする中で、ふと「僕、僚太さんとまたサッカーがしたい」と田中碧が言った。「大島僚太は、どんな選手ですか?」と聞くと、「うまい。ボランチの選手じゃないです。トップ下とかウイングの選手がボランチをやっている感じがします」と続けた。
それで、大島僚太の記憶に残る田中碧の姿を聞いてみたくなった。
「碧の一番最初の記憶は、居残り組の練習でボールに乗ってしまいケガをしてしまったことですけど、リハビリ期間も無駄にせず身体作りに取り組んでいました。元々アカデミー出身で技術はしっかりしていたけど、鍛えて太くなっていったのと、あとは何事にも全力で100%で取り組んでいる印象が強いですね。“元気な子が入ってきたな”という印象が最初はあったけど、真面目でたくさんサッカーを観ているんだろうなと思ったし、練習からひたむきにやっていたので、徐々に自信をつけていく感じはしていました。碧は、自分のアイディアや考えがあるなかで、初出場、初ゴールも含めて、とにかく思い切りのいい人だなぁという印象が強いですね」
加入してから自主練習などで時間を共にしていた吉田勇樹コーチは、こんな風に話していた。
「碧は努力の虫だし、継続する才能があって、みるみる身体ができてきて、それと同時にプレーもよくなっていった印象があります。筋トレの成果もあって、明らかにパワーもついたことで、入った頃には想像もできなかった思い切りのいいミドルシュートなど、確実にプレーも変わっていったと思います。根本がサッカー小僧だし、やらされているのではなく、居残り練習もこちらから声をかけるまでずっとやっていました。薫が入ってきてからも、1対1を『もう、あがれよ~』と言われるまでやってました。だから、初出場、初ゴールを決めた時は、そういう選手のところにボールがこぼれてくるんだなって心底感じましたね。それまで練習のゲームでも碧がゴールを決めるのを見たことがなかったのに、公式戦の初舞台で決めちゃった。そういう選手がワールドカップでゴールを決めたということも、何かを持っているというより、そういう舞台に立つまで自分自身が努力して掴んだものだったのだろうと思います」
クラブハウスからの帰り時間が遅く、取材などが入ると、なかなか姿を現さないため、スタッフが「帰ってしまったのではないか」と心配して見に行くと、まだ筋トレ中だったということもよくあったという。
幼い頃の天真爛漫な笑顔でサッカーを楽しむ姿。
自分に課した目標に向かってコツコツと努力する姿。
ぐんと伸びていった成長曲線が田中碧の足跡だと言えるだろう。
profile
田中 碧
たなか・あお
1998年9月10日、神奈川県川崎市出身。
幼稚園で園内のクラブでサッカーを始め、小学生からさぎぬまSCに所属し、セレクションを受けて小学3年生でフロンターレU-10に加入。
U-15、U-18ではキャプテンを務めた。
2017年元日、トップ昇格が内定していた高校3年生の時、準優勝に終わった天皇杯決勝をサポーターとともに現地で応援している。
2017年にトップチームに昇格し、2018年9月15日J1第26節コンサドーレ札幌戦で途中出場しJ1リーグ初出場、
アディショナルタイム(90分+1分)に初ゴールを決め、チームは7対0で勝利、「あんたが大賞」にも選ばれインパクトを与えた。
2019年から背番号を「25」に変更、試合出場を重ね、クラブ初のベストヤングプレーヤー賞を受賞。
2020年にはベストイレブンにも初選出。
2021年6月にフォルトゥナ・デュッセルドルフに期限付き移籍で加入。
2022年開催のワールドカップ・カタール大会に出場し、スペイン代表戦での“三笘の1ミリ”からの田中碧の決勝ゴールは話題を呼んだ。
イングランド・プレミアリーグに所属するリーズ・ユナイテッドでプレーをする。