親のように選手を育てる
「子は親の鏡」
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
この詩は、1954年に、家庭教育に生涯を捧げる教育家である、ドロシー・ロー・ノルトという人が書いたものです。すでにご存知の方もいると思います。
自分が選手を引退し、子どもたちの指導に携わって約9年。まだまだ未熟ではありますが、最終的に行き着くのは、サッカー選手である前に、1人の人間としての成長をサポートしていくことが大切なのではないかと思っています。なぜならば、家庭生活を送るのも、学校生活を送るのも、サッカーをするのも、結局はその子自身、同じ1人の人間であるからです。その子の考え方が、家庭、学校、サッカー、全てに表れます。プロになりたい、プロになって活躍したい、海外でプレーしたいと、その子自身が、本気で強く思わない限り、絶対に到達することはできません。コーチはあくまでサポートしかできない。その子自身が、自分から成長していけるような考え方を教えること、手本を示していくこと、やる気にさせることが大切だという気がしています。
これまで自分が指導に携わる機会が多かったのは中学生年代。小学生の時のようにはうまくいかないことが多くなってきます。でも、それは成長過程の上で仕方のないこと、変えることの出来ないこと。だから、その中でどうしていかなければいけないか、どのようにしていくことがいいのかを、考えて取り組んでいかなければいけない。
子どもは1人1人違う。そして、成長の速度も1人1人違う。大人も同じです。この地球上、誰1人として同じ人間はいないし、同じ速度で成長はしません。だから、他人と比べるのではなく、その子自身がどうなのかをしっかりと見極めることが大切です。あの子にはできるがこの子にはできない、というのではなく、あの子のできないことがこの子にはできる、という長所の発見と、その長所を伸ばしていくことが大事だと思っています。自信がついてくると、不思議と出来なかったことも出来るようになってくることが多々あります。そういう状態をできるだけつくっていきたい。そうはいっても波はありますから、そこは我慢と、サポートの仕方をこまめに変えていくことが求められると思います。
振り返って今までの自分はどうだったか。
誉めていたか。認めていたか。励ましていたか。広い心で接していたか。叱りつけてばかりいなかっただろうか…。
その子のためだと思い、これが正しいんだと思って言ったことややったことが、実はそうではなかったんじゃないか。もっと違う、もっといい言い方ややり方があったんじゃないかと反省することも多く、やはり自分はまだまだであって、もっともっと勉強していかなければいけないと強く感じています。私がコーチとして子どもたちを教える立場ではありましたが、実はそれ以上に、自分が子どもたちから教えられることの方が多かったように思います。
子どもたちが成長していくサポートをする上で、まずは、自分が1人の大人として成長していかなければいけない。そう考えながらやってきている中で出会ったのが、「子どもが育つ魔法の言葉」という本に書かれていた冒頭の詩です。子どもの部分を「選手」に、親の部分を「コーチ」に、家庭の部分を「チーム」と置きかえ、親のように厳しくもあり、だけど深い愛情を持って、あせることなくしっかりと、1人1人の選手の成長をサポートしていきたいと思っています。