メイン

森一哉 アーカイブ

2008年02月01日

親のように選手を育てる

「子は親の鏡」

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

 この詩は、1954年に、家庭教育に生涯を捧げる教育家である、ドロシー・ロー・ノルトという人が書いたものです。すでにご存知の方もいると思います。

 自分が選手を引退し、子どもたちの指導に携わって約9年。まだまだ未熟ではありますが、最終的に行き着くのは、サッカー選手である前に、1人の人間としての成長をサポートしていくことが大切なのではないかと思っています。なぜならば、家庭生活を送るのも、学校生活を送るのも、サッカーをするのも、結局はその子自身、同じ1人の人間であるからです。その子の考え方が、家庭、学校、サッカー、全てに表れます。プロになりたい、プロになって活躍したい、海外でプレーしたいと、その子自身が、本気で強く思わない限り、絶対に到達することはできません。コーチはあくまでサポートしかできない。その子自身が、自分から成長していけるような考え方を教えること、手本を示していくこと、やる気にさせることが大切だという気がしています。

 これまで自分が指導に携わる機会が多かったのは中学生年代。小学生の時のようにはうまくいかないことが多くなってきます。でも、それは成長過程の上で仕方のないこと、変えることの出来ないこと。だから、その中でどうしていかなければいけないか、どのようにしていくことがいいのかを、考えて取り組んでいかなければいけない。

 子どもは1人1人違う。そして、成長の速度も1人1人違う。大人も同じです。この地球上、誰1人として同じ人間はいないし、同じ速度で成長はしません。だから、他人と比べるのではなく、その子自身がどうなのかをしっかりと見極めることが大切です。あの子にはできるがこの子にはできない、というのではなく、あの子のできないことがこの子にはできる、という長所の発見と、その長所を伸ばしていくことが大事だと思っています。自信がついてくると、不思議と出来なかったことも出来るようになってくることが多々あります。そういう状態をできるだけつくっていきたい。そうはいっても波はありますから、そこは我慢と、サポートの仕方をこまめに変えていくことが求められると思います。

 振り返って今までの自分はどうだったか。
 誉めていたか。認めていたか。励ましていたか。広い心で接していたか。叱りつけてばかりいなかっただろうか…。
その子のためだと思い、これが正しいんだと思って言ったことややったことが、実はそうではなかったんじゃないか。もっと違う、もっといい言い方ややり方があったんじゃないかと反省することも多く、やはり自分はまだまだであって、もっともっと勉強していかなければいけないと強く感じています。私がコーチとして子どもたちを教える立場ではありましたが、実はそれ以上に、自分が子どもたちから教えられることの方が多かったように思います。

 子どもたちが成長していくサポートをする上で、まずは、自分が1人の大人として成長していかなければいけない。そう考えながらやってきている中で出会ったのが、「子どもが育つ魔法の言葉」という本に書かれていた冒頭の詩です。子どもの部分を「選手」に、親の部分を「コーチ」に、家庭の部分を「チーム」と置きかえ、親のように厳しくもあり、だけど深い愛情を持って、あせることなくしっかりと、1人1人の選手の成長をサポートしていきたいと思っています。

2008年04月01日

ものの見方や考え方を変えること

30歳を過ぎてから、ようやく気付いたことがあります。
それは、ものの見方や考え方を変えることによって、人間としての幅が広がったり力量が上がったり、今までであれば怒っていたようなことが怒らずにすんだり、これまで行き詰まっていたことが好転していったり、というふうにいろんな事が良くなっていくということに気付きました。これに気付いた時、これまでの自分は、なんとたくさんの人に迷惑をかけていたのだろうと深く反省したし、このことにもっと早く気付くことができていれば、現状がまた違ったものになっていただろうと感じています。
1つの例を出して、書いてみたいと思います。

指導の現場において、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」という言葉を耳にします。自分も以前はこの言葉を使っていました。でも、それは本当にそうなのでしょうか?選手だけの責任なのでしょうか?

確かに、なかなか出来るようにならないという選手にも責任はあるかもしれませんが、性格に違いがあるように、考え方に違いがあるように、指導力に違いがあるように、出来るようになるまでにかかる時間にも違いがあるという、1人1人違うということを指導者が理解することができれば、それは決して選手だけの責任ではないということがわかります。個々に応じて、1人1人をしっかりみて指導しようと思っていながらも、実際は自分の価値観で全てをひとくくりにし、それに達していなければダメだと、決めつけた見方をしてしまっていることが多々あります。

「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」という現象の原因をどう捉えるか。実は、この捉え方の違いが、いい指導者になれるかどうかの分かれ目になっていくような気がしています。
「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」という原因として、見方を変えれば、指導者の説明の仕方が悪いために、選手が理解できない。だから、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」のかもしれません。その場合は、明らかに指導者の責任です。

もう1つは、指導者の説明の仕方は良い、選手に理解力もある、でも出来るようにならないということもあります。その場合における原因としては、たとえば今その選手は思うようなプレーが出来ていない。当然精神状態としては良くない。選手は、どうすればいいプレーができるようになるのか、もがき苦しむ中でいろんなことを考え、試行錯誤しながら悩んでいる。なのに、そんな状態の時に、たとえ客観的にみても100点満点の正しい内容のアドバイスだったとしても、聞く側である選手がそういう精神状態であれば、伝えたとしても伝わりきらない。だから、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」のかもしれません。

また、同様に指導者の説明の仕方も良く、選手に理解力があったとしても、その二者の間に信頼関係が構築されていなければ、いくら伝えたとしても、選手はそれを受け入れることはないでしょう。「この人の言うことなんか聞くもんか」。表向きはいい返事をしていたとしても、心でそう思われていたのでは、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」のではないでしょうか。相手の立場に立って考えてみることで、いろんなことが見えてきます。

こういうふうに見方や考え方を変えることによって、もっと自分の説明の仕方を工夫しないといけないな、もっと説明するタイミングを考えないといけないな、説明よりもまずは信頼関係を築いていかないといけないな、などと自分をレベルアップさせていくことができる要素が隠れていることがわかります。コーチとして選手を教えるという立場でありながらも、逆に選手から教わっているというのは、こういうことだと思います。
相手を変えようと一方的な見方ではなく、ものの見方や考え方を変えるという、自分から変わって相手を理解しようという、そういうアンテナを高く広くし、その中でレベルアップさせてもらえる要素を見逃さずにキャッチし、そこからどうすべきかを考えて実行していくという課程が、いい指導者になっていくためには必要だと思います。

このことだけに限らず、普段の生活の中には、いろんなことがあります。この例における、指導者と選手という関係だけでなく、指導者同士、選手同士、先輩後輩、仕事関係者、夫婦間、親子間など、ものの見方や考え方を変えれば、怒らずにすむこと、物事が好転していくことがたくさんあるはずです。
決して相手だけの責任ではない。自分の方にも責任はないか。こういったことを深く考えていくことが、自分という1人の人間の人間力を引き上げていくことにもつながっていくと思います。
これは、サッカーというスポーツにも応用できます。自分はこうしたいんだ、チームとしてこういうサッカーをするんだということだけにとらわれるのではなく、相手という立場に置き換えて見方を変えることによって、こうすれば相手はやりにくくなるし嫌がるな、こうすれば自分やチームがやりやすくなるな、といったことが見えてくることがあります。サッカーはシンプルでありながら、でも実は奥が深いものだなと、最近また考えるようになりました。それにより、自分はまだまだ知らないことが多いということにも気付くことができました。
サッカーについても、コーチング法についても、もっともっといろんな事を学んでいきたいと思っています。

2008年06月10日

時間の使い方

「時間がないから…」
この言葉を、無意識に使っていませんか?

忙しいのはみんな同じ。本当に忙しい時も実際にはあるでしょう。
でも振り返ってみて、本当の所はどうでしょうか?

1日は24時間。これは、みんな平等に持っている時間。
何が差となるかといえば、時間の使い方だと思います。

私が最近意識しているのは、時間がないのであれば、「時間を作る」ということです。24時間以上は作れないので、24時間の中で「時間を作る」ということです。
人によって違いはあると思いますが、複数のことを同時に出来る人もいれば、出来ない人もいる。私は器用ではないので後者です。だからこそ、自分にとっては、「時間を作る」ことが必要なのです。

では、どういうふうに時間を作っているかというと、早く寝て、早く起きることによって時間を作り出しています。睡眠時間は以前とは変わりません。これは、時間を作るというよりも、どちらかというと、「時間の価値を上げる」といった方が正確かもしれません。

朝5〜6時の間に起きる。車もまだあまり走っていない時間。鳥の鳴き声が自然に耳に入ってくる時間。空は透き通り、ものすごく気持ちがいい。眠気は吹き飛び、すがすがしく、集中力も高まる。夜の2時間と朝の2時間、同じ2時間でも全然違う。24時間しかないのに、それ以上に増えた感覚がある。
これにより、仕事の効率が急激に上がりました。

朝早く起きて、今日の仕事の優先順位を考えて、やるべき事をやるようにしています。
現在の自分の仕事を逆算して考えてみました。
自分の仕事の中で一番大事なのは、夕方から始まるU-13のトレーニング。そこに、自分ができる最大限のものを発揮しなければいけない。そのためには、できる限りの良い準備をする必要がある。準備とは、自チームのゲーム分析(個人・チーム)、そこから導き出されるトレーニングテーマの検討、それによって行った前回のトレーニングの反省と修正、そして今日のトレーニングメニューの作成、必要な勉強(国内外のプロの試合鑑賞や指導に関する本を読む事など)、その他の事務処理 など。

いっぱいあって大変だと思うかもしれませんが、自分にとっては大変だとは思っていません。なぜならば、子供というのは、指導者の言う事をよく聞くので、自分が言った事がたとえ間違っていたとしても受け入れてしまう。大人なら、自分の意見を言ってきたり、言われた事をやらなかったりという行動をとることはあっても、子供の場合、そうすることはほとんどない。言われた通りやろうとする。つまり、子供だからこそ間違った事ができないし、絶対に手を抜いてはいけない。自分のレベルを高めなければ、子供は成長しないし間違った方向に進んでしまう。私自身がこれでいいということは、絶対にない。だからこそやらなきゃいけないと思えるし、少しずつでも成長している姿が見られると、とてもうれしく、だからまた頑張ろうと思えるのであまり大変だとは思っていません。

前夜に準備したものではなく、朝早くから準備したものであるので、十分な時間を使って夕方のトレーニングに向けてそれらがうまくつながっていく。とても、充実しているという実感があります。トレーニングがうまくいく時もあれば、当然うまくいかない時もある。だけど、私なりに練りに練ったものだから、成果や課題も感じやすい。こうしたからうまくいった、こうしなかったからうまくいかなかったという、結果の原因をさかのぼることが明確になりました。

この方法が絶対にいい結果につながるかといえばそうとも限らない。でも、このプロセスが自分にとっては絶対に欠かす事のできない大切な時間だと思っているし、それらが全て選手に反映されていくと思えばやりがいもある。

もう1つ、自分は複数のことを同時にこなすことが出来ない(苦手)、という事を分かっているので、メリハリをつけて行うということも意識しています。
例えば、家庭に仕事を持ち込まないこと。家にいるときは、育児もしっかり行う。これにより、家庭円満になるし(笑)、自分自身もしっかりと責任を果たせているという充実感もあります。以前は家庭に仕事を持ち込んでしまって、結局は、家での仕事と育児のどちらも中途半端になっていました。

学生であれば、学校もサッカーも、そしてテストが定期的にあってとても大変だと思います。でも、ちょっとした時間の使い方を工夫して、時間を作って、時間の価値を上げる事は可能だと思います。
行き帰りの電車やバスの過ごし方で時間を作る、毎日の授業を大切にして時間の価値を上げる…。いきなり多くは無理でも、ちょっとずつ意識を変え、時間を作って価値を上げていく努力をして積み重ねていけば、ものすごく大きな違いになってくると思います。テスト勉強もまとめると大変ですが、日々の取り組みがテスト勉強になっていくように過ごしていけば、その負担も軽くなると思います。

サッカーにおいても勉強においても、決して好きな事だけができるわけではありません。好き嫌いはあっても、何事も全力で取り組む、というその姿勢は、必ずプレーにも現れると思います。

2008年08月10日

ボーイズマッチ

私は現在、U-13の監督をしています。
先月7月21日(祝)に、J1第18節のAWAY浦和レッズ戦において、その前座で、U-13同士のボーイズマッチが行われました。この一戦を通し、私は経験することの重要性を再認識する事になりました。

選手たちには、すでに5月頃に、このボーイズマッチの事は伝えてありました。初めて伝えたその日、歓声があがり、モチベーションが一気に高まり、目が輝いたのを覚えています。試合当日まで、選手たちの頭の中に常にあり続けたわけではないと思いますが、この日が近づくにつれ、試合の事をイメージすることにより、小さな気持ちの高ぶりは何度かあったと思います。

いざ当日、埼玉スタジアムの巨大さ、また、開門3時間以上も前から並ぶ、たくさんのフロンターレとレッズのサポーターの姿を実際に目の当たりにし、これまでの楽しみという気持ちに加え、不安と、よーしやってやるぞという、さまざまな感情が交錯する表情が見てとれました。
浦和レッズの運営の方に誘導され、スタジアムの中に入っていき、スーツを着たたくさんのスタッフの方とすれ違いながら、控え室までの廊下を歩いていきました。控え室の窓からは、たくさんの座席が目に入ってくる事で、これから本当に始まるんだ、という緊張感が高まってくるのが分かります。「いいねー!」「よっしゃー!」「うわー、どうしよう」など、いろんな声が聞こえてきます。普段通りの選手、ちょっと落ち着かない選手、早くボールを触りたがっている選手、動きが止まってしまっている選手など、いろんな姿がそこにはありました。

ウォーミングアップは、フロンターレのトップチームがこれから実際に使うウォーミングアップルームで、2チームの選手たちが共有する形で行いました。室内なので声がひびくため、互いの選手たちが、声の大きさをはりあっていました。声を積極的に出す事で、声とともに緊張感が吐き出されていくように、いつもの選手たちに戻っていきました。私としては、とにかくこの一戦を楽しんでほしかったので、少し安心した瞬間でした。
ウォーミングアップが終わり、ピッチ手前の階段下で入場を待ちます。見上げればすぐそこにピッチ。このあと実際にプロの選手たちが試合をするピッチがそこにはあり、選手たちの緊張感もさらに高まってきます。実は、ここまでで、何回もトイレに行っている選手もいます。また行くの?という選手もいて、やっぱり緊張しているんだと、いつもの練習試合とは違うんだなと思いました。

さあ入場です。階段を上がるとテレビカメラで撮影してくれていて、オーロラビジョンには、笑顔の選手たちが写っています。整列し、メインスタンドとバックスタンドに挨拶をし、審判団と、浦和レッズの選手たちに握手をしていきます。

そしていよいよ試合開始。ここから先は、実際に見られていた方はご存知だと思いますが、レッズペースで試合が進んでいきます。ピンチもたくさんありましたが、最後の最後で体を張って防ぐシーンや、シュートミスに助けられるシーンも多くありました。そんな中、サイドを突破されて決定的なピンチを防いだ所から、左サイドから中央、中央から右サイド、右サイドから中央と、5本のパスをつないで、相手ゴール前に迫り、シュートを決め、先制点をあげることが出来ました。非常にいい形だったと思います。しかし、その後も、レッズペースで試合が進んでいきます。なかなか自分たちのサッカーをさせてくれません。後半、ちょっとしたミスから失点してしまい、同点に追いつかれてしまいましたが、選手たちは集中を切らすことなく、最後まで良くがんばっていたと思います。
良いプレーには歓声があがり、拍手もしてくれる。しかし、イージーなミスや、ここぞという所でミスがあると、ため息がもれる。ピッチを囲む360度の観客席から、1プレーごとにいろんな反応が起こる。それは、プロの試合と何ら変わらない。

自分の知らないたくさんの人たちからの反応。1万人は入っていなかったと思いますが、普段、こんなにたくさんの人たちに自分のプレーを見られることはないし、いつもと変わらない自分のプレーに対し、スタジアム全体に響くような反応をされることもない。そこには明らかに、いつもとは違う空気がありました。純粋に、そのプレーが評価される。これからプロの試合を見ようとスタジアムに来ているたくさんの方が見ている中で、そこでは、子供だからすごいとか、子供だからしょうがないという目でプレーを見ているのではなく、子供でもいいプレーはいいプレーで反応があり、良くないプレーは良くないプレーで反応があり、1つ1つのプレーの楽しさと厳しさがそこにはありました。
ピッチを引き上げてくる選手たちの表情はさまざまです。笑った顔、悔しそうな顔、緊張感から開放され安堵した表情など、選手たちなりにいろいろ感じたようです。

試合が終わってから、試合の間ずっと応援してくれていたたくさんのサポーターの皆さんの所へ挨拶に行きました。「フロンターレ!!! フロンターレ!!!」と、ものすごく大きな声でエールを送っていただき、また、大きな拍手をいただき、勇気をもらいました。J1という厳しい舞台で戦っているトップの選手たちが常に、サポーターの皆さんに対してものすごく感謝しているという気持ちがすごくよく分かりました。ピッチから引き上げてきた時に、納得のいくプレーができずに浮かない顔をしていた選手であっても、この時ばかりは全員が顔を見合わせ、非常にいい笑顔になっていました。自分もいつかはこういう舞台で戦いたい、と思ったに違いありません。
こういった経験は、非常に大切だなと思いました。どれだけ日頃から言い続けたとしても、やはり、1度の経験には勝てません。Jリーグの前座で試合ができるという機会をつくっていただいた、浦和レッズの関係者の方々に、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。本当に、どうもありがとうございました。

また、もう1つ、この場をお借りして告知しておきたいことがあります。
9月20日(土) J1第25節 FC東京 戦が、HOME等々力で行われるのですが、その前座で、川崎フロンターレU-13とFC東京深川U-13のボーイズマッチが、17:10ころのキックオフで行われます。これについても、本当にありがたいことで、コーチとして、ものすごく感謝しています。
この試合において、浦和レッズ戦の時よりも、一段とたくましく成長した選手たちのプレーを、是非見に来ていただきたいと思っています。たくさんの人に見られ、応援され、いいプレーには歓声が上がり、拍手がおこり、逆に良くないプレーにはため息がもれる。こういった経験が、間違いなく選手たちを成長させてくれます。いいプレーが出来れば自信になり、いいプレーが出来なければ明日からまたしっかりがんばろうと思って取り組んでいける。今、U-13の選手たちは、浦和レッズ戦で感じた事を、実際に練習で生かすことが出来ていると思います。成長しています。時間がある人は、いや、時間を作って、是非9月20日(土)の17:10キックオフに間に合うように、等々力に足を運んでいただきたいと思います。また、U-13だけでなく、他のカテゴリーの試合にも、是非足を運んでいただきたいと思います。未来のトップチーム戦士を目指す選手たちにとって、非常に良い刺激になると思います。

2008年10月20日

多摩川‘コ’ラシコ

先月9月20日(土)、FC東京との伝統の多摩川クラシコの前座で、U-13チーム同士の、多摩川‘コ’ラシコが行われました。
前回のコラムで、浦和レッズU-13とのボーイズマッチについて書かせていただきました。あれから2か月。選手たちがどのように変わったか、成長できているのかどうか、私自身非常に楽しみにしていました。

今回の多摩川‘コ’ラシコは、トップチームの多摩川クラシコと並行する形で何日も前から大々的に告知され、プロモーションムービーも作成され、それらを身近に触れられる中で、選手たちのモチベーションは非常に高くなっていました。チームスタッフや関係者の方々にはとても感謝しています。

HOME等々力はやはり安心感があるのか、試合当日は、いつもと変わらない選手たちがいました。前回のボーイズマッチの経験が生きているということもあると思います。
試合前のミーティングでは、いつもと同じように戦おういうことを再確認しました。そして、こういう舞台で試合ができるという、感謝の気持ちを持って戦おうという話をしました。感謝の気持ちとは、言葉としてお礼を言うことだけでない。プレーで見せること。それは、いいプレーをしなければいけないということではなく、一生懸命、全力で、最後まで戦い抜く姿を、自分に関わってくれている全ての人に見せること、感じてもらうこと。感謝の気持ちを持って、ベンチにいる選手やスタッフみんなが一丸となって、最後まで戦おうという話をしました。
ウォーミングアップから、テンションが高くなっていました。よく声も出て、みんないい表情をしていました。これならやってくれるだろうという雰囲気がありました。勝つか負けるかはわかりませんが、いつも通りの力を発揮できるだろう、楽しんでプレーできるだろうという雰囲気がありました。

実はこの多摩川‘コ’ラシコの約1か月前、U-13のある大会で、今回対戦するFC東京深川と試合をする機会がありました。結果は、1-5の惨敗。良い所がほとんどなく負けてしまいました。自分たちのサッカーを、全くといっていいほどやらせてもらえませんでした。これまで自分たちがやってきたことが、まだまだだったんだなということを感じさせられた試合でした。この経験があったからこそ、多摩川‘コ’ラシコまでの1ヶ月間でどうすべきなのかということが明確になったのは事実です。そのやるべきこととは、これまで取り組んできたことの質をさらに高めること、そのために徹底して取り組むこと。選手たちも自覚して、その後のトレーニングに取り組むことができていたと思います。

試合は、立ち上がり続けて2失点。ロングシュートとコーナーキックであっという間に0-2にされてしまいました。私を含め、選手たちも1か月前の1-5の惨敗が頭をよぎったことと思います。しかし、まだ負けたわけではない。ピッチに立っている選手たちは、よく耐え、そしてチャンスも作りながら、前半をよく戦ってくれ、0-2で折り返すことができました。
私の指導の仕方ということもあるのかもしれませんが、このチームの特徴として、ゲームの立ち上がりが良くなく、でも、あきらめずに戦い抜く強い気持ちを持っているので、後半に追いついたり逆転したりすることができるという力があり、これまでも何試合かありました。
ハーフタイムでは、少し落ち込んで帰ってきている選手たち、そして、これから試合に出ようとするベンチにいた選手たちに、まずは、自信を取り戻させることが先決でした。「自分たちはやれる、そして、これまでも追いつき逆転した経験がある。0-2で負けているけど、得点するチャンスも何度かあった。今は負けているけど、試合に負けたわけではない。あと18分ある。ベンチにいる選手たちも、ピッチでプレーしている選手たちと一緒に、一丸となって戦おう。」そういった主旨の話をして送り出しました。
後半も、立ち上がりは押されるものの、徐々に自分たちのサッカーを表現できる時間帯が増えてきました。たくさんのサポーターの皆さんに応援していただき、選手たちの力になったことは間違いありません。そして、サッカー番組でも一瞬映像を流していただけるほどのスーパーボレーシュートで1-2とすることができ、その後も攻撃の手を緩めず、相手のクリアボールに素早く反応し、みんなの気持ちを乗せてゴールへ流し込み、2-2の同点とすることができました。試合終了の笛がなるまで、逆転することを目指して戦いましたが、2-2のまま試合終了となり、今回の多摩川‘コ’ラシコは、同点で終わりました。
追いつくことができたのは、選手たちの頑張りもありますが、最後まで応援し続けてくれた、サポーターの皆さんのおかげだと思います。2ゴールともHOME側のゴールです。選手たちにとって、非常に心強かったことと思います。私自身もすごく嬉しかった。すべてに感動しました。久々に、鳥肌が立つという経験をしました。
こういった舞台を用意してくれたチームスタッフと関係者の方々、最後まで応援し続けてくれたサポーターや選手の家族のみなさん、試合をコントロールしてくれた審判団や、白熱した試合をすることができた対戦相手のFC東京深川の選手やスタッフのみなさんに、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。本当に、どうもありがとうございました。私自身も、お礼という言葉だけでなく、今後も一生懸命、全力で取り組んで、感謝の気持ちを表したいと思います。

選手たちは、この経験を生かし、現在も成長し続けています。みんないつも一生懸命、全力で取り組んでいて、本当に素晴らしいです。

次に等々力のピッチで試合をするのは、トップチームで———。
選手たちには、夢を持ち続けて今後も取り組んでいってほしいと思いますし、私自身も最大限のサポートをしていきたいと思っています。

About 森一哉

ブログ「OB'sコラム」のカテゴリ「森一哉」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリは大場健史です。

次のカテゴリは玉置晴一です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34