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[2003─2020 中村憲剛選手 引退]
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Columnsコラム

スペシャルインタビュー vol.01ジェシからケンゴへ

インタビュー&テキスト、現地撮影:藤原清美 Fujiwara Kiyomi

3年間でJ1通算56試合。その実績や、プレーによる貢献はもちろんのこと、“数字以上に、記憶に強く残る選手”というのが、サポーターにとってのジェシだ。誰に対しても真摯な姿勢で、笑顔を絶やさなかった彼は、今、故郷サンパウロで事業家として活躍しながら、家族と共に穏やかな暮らしを送っている。

そんなジェシに、川崎フロンターレでの思い出と、引退する中村憲剛について語ってもらった。(文中敬称略)

ジェシ

フロンターレとの出会い

ジェシがフロンターレに移籍した時、クラブは前年8連敗を喫するなど低迷し、ディフェンスの強化を必要としていました。

 一方、あなたは当時コリチーバのスターであり、ブラジル全国選手権1部で『今節のベストイレブン』にも選出されていた選手。クラブの期待は大きなものでした。

 そんな中、あなたが来日して初めてクラブハウスに行った時、印象的な出来事がありました。スタッフがあなたを紹介するために、自主トレをしている選手達に声をかけようとしたら、あなたはそれを制したそうですね。

「覚えているよ。あの時は邪魔したくなかったんだ。だから、中断させるのではなく、トレーニングが終わった後に、僕の方から挨拶に行きたいと頼んだ。

本当はもう、すごくワクワクしていたんだけど(笑)。日本人の選手達を見て、これから彼らと一緒に頑張るんだ、日本のビッグクラブである、フロンターレのシャツを着るんだという期待感が、さらに膨らんでいたから。」

ジェシ

ジェシは選手同士だけでなく、誰でもみんなに、同じように接する人でした。

「日本でも、ブラジルでも、どこでもそうしてきた。クラブに到着して、最初に顔を合わせる守衛に始まり、チームメイト、技術スタッフ、クラブ職員、首脳陣、サポーター、誰もがクラブにとって大事な存在だし、愛情と尊重に値するんだからね。」

チームメイト達にアドバイスをしたり、時には選手を集めてミーティングも開いていたそうですね。

「僕はコリチーバでキャプテンを務めていたし、経験も増していたから、ケンゴや他の経験豊富な選手達と一緒に、チームの団結を手助けしたかったんだ。

 もちろん、選手同士で話をするにも、ここぞという時や、その状況に適したやり方がある。僕はそれが分かる人間だと思うし、みんなは、そういう僕の姿勢を受け入れてくれた。

 会話をするのは大事なことだよ。例えば、僕はヘディングシュートが得意だから、どこで、どういうボールを受けるのが好きか、いつも話していた。そんな風にお互いを理解し合うことで、僕らは成長できたんだ。」

サポーターとの思い出

あなたはサポーターを大事にする人で、写真やサインなどに応じ始めると、いつまでも終わらなかったそうですね。

「2014年アジアチャンピオンズリーグ蔚山現代戦でのことを思い出すよ。(訳注:グループリーグ第6節in等々力競技場)。僕はケンゴのCKに合わせて、ヘッドでゴールを決めたんだ。重要な勝利だった上に、その日が僕の誕生日だったから、バースデーゴールという幸せも享受出来た。

 で、試合後のことだ。あれは夜の試合だったから、遅くならないよう、全員、すぐにバスに乗り込むように指示されたんだ。スムーズにバスに直行できるよう、警備員が数人ついてくれて、僕も急いで外に出た。

 でも、出てみると、大勢のサポーターが僕を呼んでいた。子供達もいた。ああ、彼らが力を与えてくれたんだ、と。だから…、どうしても素通りできず(笑)、立ち止まって、写真やサインに応じ始めた。そしたら、1時間ぐらい、もうあっという間で(笑)。

 やっとバスに乗り込んだら、みんなムーッとしていて(笑)。みんなはサポーターに応じるのを我慢したというのに、結局、僕だけのために待たされて(笑)。監督も怒っていたし、ケンゴも『ああもう、ジェシ!』って。

 でも、ああせずにはいられなかったんだ。あの日のことは僕の日本での3年間の中でも、心に刻まれたことのひとつだよ。」

ジェシ

サポーターとの特別な思い出はありますか?

「僕の妻が病気になった時のことだ。

 妻は手術のために帰国することになり、クラブが僕も一緒に行かせてくれたんだ。そして、日本に戻る航空券も準備されていたんだけど、妻の2つ目の手術が決まり、僕はその便をキャンセルしてしまった。

 そして、2度目の航空券が準備された時、医師に妻の状況の深刻さを告げられたんだ。それで…、正直言うと、サッカーをやめようとまで考えた。彼女の生きるための戦いを支えるために。

 そんなある日、彼女が携帯を手にして僕を呼んだ。そこには、フロンターレの試合の写真があって、サポーターがスタンドに横断幕を掲げていたんだ。『ジェシ、僕らはあなたを待っているよ!』『一緒に戦おう!』って。

 もうね、感動して、2人で泣いて。そして、妻が言ったんだ。

『あなたの使命は、まだ果たせていない。日本に帰って、サポーターのためにプレーするべきよ』って。

 サポーターが僕らを強くしてくれた。だから、日本の地に再び足を踏み出した時の気持ちを……、思い出すだけで、胸がいっぱいになるよ。

 1つ、誰にも言ったことのない話がある。フロンターレでの3年間を終えて帰国した後、実は、日本の他のクラブからオファーを受けたんだ。でも、僕には分かっていた。そこで気持ち良くプレーすることは出来ないだろう、と。フロンターレが、そしてサポーターが、僕にしてくれたことすべてを考えるとね。」

ジェシ

ジェシ 家族と 長男 カイキ / 次男 テオ / 妻 アンドレイア

中村憲剛引退に寄せて

一緒にプレーした3年間、ケンゴのことを、どんな風に見ていましたか?

「僕がここブラジルでインタビューを受ける時、いつも、何のためらいもなく言うことがある。それは、僕の人生で一緒にプレーした中でも、ケンゴは最高の選手だということ。僕はブラジル全国選手権1部でも、長年プレーしたんだけどね。

 それに、素晴らしい人間なんだ。謙虚で親しみやすく、人を尊重し、誰に対しても同じように接する。

 思い出すのは、僕の1年目のプレシーズンでのこと。彼は僕と同じテーブルに座って、チームのキャプテンだと自己紹介してくれた。そして、僕もコリチーバでキャプテンを務めていたから、僕が感じていることを話したり、経験を伝えたり、何でも自由にやって欲しいと言ってくれたんだ。

 通訳のレオン(中山和也)が訳してくれたんだけど、ケンゴ自身も、知っているポルトガル語をミックスして、きさくに話しながら、僕がのびのびとやれるように配慮してくれた。

『ケンゴ、僕はここで優勝したいんだ。』『そうだな、優勝しよう。』『タイトルを獲ろう。』って2人で繰り返し言い合って、僕らがすごく似た考え方を持っていることも分かったよ。」

ジェシ

ジェシ

その彼が、今年で引退することを決めました。

「選手の人生というのは、遠征をし、合宿をし、長年の消耗が積み重なってくるもの。子供達の成長に寄り添えなかったり、そういうすべてが、引退を考える理由になることもある。

 でも、彼はとても幸せな選手だよ。長年プレーして、多くのタイトルを勝ち取った。夢見たことを、一つ一つ実現していった彼のことを考えると、本当に嬉しくなる。」

今のジェシは、どんな人生を送っていますか?

「僕は今、事業の分野で仕事をしているんだ。故郷サンパウロ州グァラチンゲッターで建設会社を経営したり、フィットネスジムも設立した。

 とても幸せだよ。家族のそばにいられるから。今、2歳になった次男もいて、その小さな息子を見ていると、とても温かい気持ちになる。

 もちろん、サッカーへの恋しさが消え去ることはないよ。それも幸せなことだ。懐かしく思えることがあって、恋しく思える人達がいる。それは、人が生きていくことの一部だから。」

ジェシ

ジェシ

ケンゴへ

「ケンゴには、選手を引退した後の道のりで、自分の心の声を聞きながら、歩んでいって欲しい。サッカーは彼の血の中に流れているものだから、サッカーの仕事と、家族との時間、両方を併せ持つことが出来れば、最高だよね。

 でも、もし心の声がサッカー以外の仕事を求めるならば、そこで選ぶ道で、幸せになって欲しい。彼はその幸せにふさわしい人間だから。

 僕は彼のサポーターでいる。これからもずっと、僕は彼が幸せであるためのサポーターだよ。」

ジェシ

サポーターへ

「僕や家族が力を必要とし、愛情を求めていた時に、それをサポーターのみんなが与えてくれたことを、絶対に忘れない。

 僕のために作ってくれた歌があるんだ。あれが、フロンターレでの僕の軌跡を支えてくれた。僕が日本を離れる時にも、幸せな気持ちで旅立てるように。空港にまで集まって歌ってくれたんだ。

 フロンターレのクラブとサポーターへの感謝を、息子達にも語り続けたい。長男はまだ小さかったけど、あちらで一緒にいたんだからね。孫ができたら、孫にも語る。ひ孫にも話してあげたい(笑)

 サポーターは、僕の心の奥に住み続けているよ。だから、特別な愛情を、1人1人に贈りたい。」

インタビュー:2020年11月28日、ブラジル・サンパウロ州 ジェシの自宅にて

ジェシ

Jeci’s Profile
ジェシ"JECI" Jecimauro Jose Borges dos Santos

2012年〜2014年まで川崎フロンターレに在籍。ポジションはDF。

在籍時は、強さ、高さ、そして経験に裏打ちされたクレバーなプレースタイルで最終ラインの砦となるセンターバックとして活躍。2014シーズン、ACLグループリーグ最終節vs蔚山現代では、決勝トーナメント進出につながるゴールを自身の誕生日に決めるというメモリアルなゲームも。

親しみやすいキャラクターと勝負に対する揺るぎないメンタリティは、チームメイトのみならずサポーターからも絶大な信頼を寄せられ、川崎フロンターレ20周年を記念して開催された2016年の「OBドリームマッチ」ではアウグストらと共に再来日した。

2014シーズンの川崎契約満了後はブラジルに帰国。アヴァイFC、グレミオとプレイを続けたが、2017年末以降は無所属となり、2018年4月には現役引退を発表した。

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