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OB'sコラム

Ready,Betty,Go!

2007 / file05

入替戦

久野智昭
Kuno,Tomoaki

1996年、東京農業大学よりフロンターレの前身、富士通川崎に加入。本職のボランチに加え、サイドもこなすユーティリティープレーヤーとして9年の長きにわたりフロンターレを支える。2005年12月、惜しまれつつも引退。現在、フロンターレ強化部スカウト担当として人材発掘に邁進中。
1973年9月25日生まれ、静岡県出身。170cm、68kg。

2007年最終節、アジアチャンピオンの浦和レッズが横浜FCに0対1と完封負け。
この結果鹿島アントラーズが清水エスパルスを下し逆転優勝で幕を閉じました。まさに何が起こるかわからないのがサッカーだということを身にしみて感じた年でした。

2007年フロンターレは、ACL出場、ナビスコカップ準優勝とクラブとしてすばらしい経験をすることができました。
そんな中、J1から降格するチーム、J2から昇格するチーム、そして、「入れ替え戦」に臨むJ1・16位のサンフレチェ広島、J2・3位の京都パープルサンガがあります。

今回は、この「入れ替え戦」について書いて見ようと思います。

「入れ替え戦」と聞くとホーム&アウェイとすぐに思うかもしれませんが、1998年フロンターレがJFLを戦って、アビスパ福岡との「J1参入決定戦」に出場した時は、アウェイの一発勝負。この年(1998年11月19日)だけ「参入戦」と呼ばれ、一発勝負で行われました。

このときJFLを戦ってきた自分にとってアウェイの洗礼はあまり感じてこなかったのですが、この試合だけは異様な空気を感じました。アビスパ福岡のサポーターが黒いビニール袋を振りフロンターレを圧倒しようと雨の中、博多の森競技場を埋め尽くしたのです。

自分は、雨の中、博多の森競技場まで足を運んでくれたサポーター、メンバーに入れなかった選手のためにも必ず勝とうと強く思って戦ったゲームでした。結果は、2対1からロスタイムに追いつかれ、104分にフェルナンドのシュートがサイドネットに吸い込まれ延長Vゴール負け。この試合は「博多の森の悲劇」と言われるくらい壮絶な試合でした。この試合は自分にとってとても悔しく、忘れられない試合のひとつです。

「勝ちきれない試合」そして「Mind-1」の精神はこれまでの歴史を振り返ったときに、この試合から始まったように思えます。フロンターレの原点と言ってもおかしくないゲームでした。

この試合に出場した選手は一人もいませんが、クラブとしてこの経験を受け継ぎフロンターレを支えていけたらと思います。

 GK:浦上
 DF:川元・ペッサリ・中西
 MF:長橋・大塚・鬼木・久野・伊藤彰
 FW:トゥット・ヴァルディネイ
 SUB:境・小松崎・土居・桂・菅野

2007年12月07日 久野智昭

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