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OB'sコラム

Soma's Eye

2007 / file06

臥薪嘗胆

相馬直樹
Soma,Naoki

清水東高、早稲田大学を経て1994年、鹿島アントラーズに加入。その後、2002年、東京ヴェルディ1969、2003年鹿島アントラーズを経て、2004年、川崎フロンターレに加入。豊富な経験値でJ1リーグ昇格を支え、2005年12月引退。現在、川崎フロンターレ・クラブアシストパートナー。
国際Aマッチ通算59試合4得点。1971年7月19日生まれ、静岡県出身。175cm、72kg。

11月3日、国立競技場。傾きかけた陽の光の差し込むピッチで、スタンドで、流した涙を忘れてはいけない…。

2007年Jリーグナビスコカップ決勝は、スタンドでもちろんフロンターレを応援しながら観戦していました。ですが、これを読んでいる皆さんもご承知のように、0-1でガンバ大阪に破れ、2000年に続いて2度目の準優勝ということになりました。

選手たちもクラブスタッフも、そしてサポーターも熱い気持ちでこの決勝に臨んでいました。ACL、リーグ戦とタイトルの可能性を失ってしまった中で、なんとしても初タイトルを川崎に、等々力に、持ち帰りたかったと思います。ですが、その強い気持ちがほんの少し裏目に出てしまっていたのかなと、スタンドで見る私の目には映っていました。

やはり決勝という舞台の持つ特別な雰囲気なのでしょうか。どこかいつものフロンターレらしくないな、と感じていた人は決して僕だけではなかったのではないでしょうか。もちろん、序盤の猛攻の中で1点でも取れていれば、まったく違った展開になっていたでしょうし、その1点がいつものフロンターレらしさを引き出してくれていたことでしょう。ですが、これが一発勝負の怖さであり、決勝戦の怖さでもあるのです。

僕も現役時代、多くのタイトルを獲らせてもらいました。プロとしては8つの勲章を獲得しました。ですが、決勝まで行きながら敗れ去ってしまったことも、もちろんありました。1997年Jリーグチャンピオンシップ、1999年ナビスコカップ、2003年ナビスコカップと、いずれも決勝という舞台で敗れてしまっています。特に1999年のときは、ロスタイムまでリードしておきながら、柏レイソルDF渡辺毅に劇的な同点弾を決められ、PKにまでもつれ込んだ末、敗れてしまいました。勝利が掌から零れ落ちるとは、まさにこのことです。このゲームのことは今でも強く印象に残っているゲームでもあります。それこそ優勝したときと同じぐらい、いやそれ以上に強い思い入れがあるゲームとなったわけです。

きっとこの前の決勝での敗戦は、選手たちの心に強く残ることでしょう。もちろんサポーターの心にも。ですが、この悔しさを忘れないということが、一番大事なのです。「臥薪嘗胆」という言葉をご存知ですか?中国の故事から生まれた言葉ですが、敗れた悔しさを、薪の上で寝て痛い思いをしたり、苦い肝を嘗めることで忘れないようにしたという故事から、敵を討とうとして苦労し、努力することや、目的を達するため苦労を重ねることを意味しています。
「臥薪嘗胆」
今のフロンターレに関わる全ての人びとにとって、決して忘れてはならない言葉だと思うのです。

僕が2004年1月にフロンターレのクラブハウスに入ったとき、ミーティングルームに張ってあった、この「臥薪嘗胆」の張り紙に釘付けとされました。「Mind1」という言葉を生み出した2003年の「勝点1の悔しさ」を忘れないという意味で、武田社長がシーズンインの挨拶に贈ってくれた言葉でした。

でもこの言葉は僕にとって初めてではありませんでした。実は高校選手権を夢見ていた清水東高時代、この言葉は僕と常に一緒にあった言葉でした。選手権もインターハイも県予選決勝、それも延長まで行って敗れる(それもいつも清水商業に)という悔しさを、何度も味わっていたのです。そうしたこともあって、僕のサッカー部の合言葉は「臥薪嘗胆」でした。まあできすぎた話ですが、3年最後の選手権では県予選を突破して出場したのですから、この「悔しさの持続」のエネルギーは身を持って体験したことでもありました。そうしたこともあってこの言葉は、僕の心にスーッと染み入ってきたのです。

そう考えてみると2004年は、チーム全体、サポーターも含めたクラブ全体がこの「悔しさの持続」を成し遂げたからこそ、ぶっちぎりでのJ2優勝、そしてJ1復帰があったのだと思います。僕自身は2003年の悔しさを経験していなかったのですが、選手たち、そしてサポーターから「決して同じ轍を踏まない」という強い思いを感じていたのを覚えています。

もう、ナビスコ決勝は終わりました。決してその結果を取り替えることはできません。次に進んでいくしかないのです。この「臥薪嘗胆=悔しさの持続」をどれだけできるかにかかっているのだと思います。あの傾いた陽の差す国立のピッチから表彰式を見る悔しさを、決して忘れてはなりません。
その思いを具現化すべく、フロンターレは素晴らしいリスタートを切りました。直後の水曜に行われたセレッソ大阪との天皇杯4回戦は3−0の圧勝でした。選手たちは、あの悔しさを晴らす場を、心底求めている証だと思います。

「2007年11月3日を忘れない」
再度、決勝の舞台に立ち、あの表彰台の上で優勝カップを掲げる日が来るまで…。

2007年11月20日 相馬直樹

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