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OB'sコラム

球蹴り〜玉置晴一〜

2007 / file01

自分で巧くなる

玉置晴一
Tamaoki,Seiichi

愛媛・今治工高を卒業後、川崎フロンターレに加入。 精度の高いパスを繰り出すレフティーも、故障に泣き、わずか3年で惜しまれつつ現役引退。 2005年にスクール担当コーチとして待望のフロンターレ復帰。 現在、U-12コーチとして、持ち前の明るさを武器に子供たちを引っ張り、未来のフロンターレ戦士の育成に邁進する。 1982年4月26日生まれ、愛媛県今治市出身。

今回から、このOB’sコラムに参加させていただく事になりました。
そうそうたるメンバーが書いているこのコラムに、一応!OBということで参加することになり、かなり緊張していますが宜しくお願いします。

まず初めに、2001年に入団してから2003年までの3年間、等々力のピッチに立つことはありませんでしたが本当に多くの人に支えられ、サッカーはもちろん人間として成長できたことで今の自分があると思っていますし、その時の感謝の気持ちは今でも忘れません。本当に有難うございました。

フロンターレを引退してからは、約2年間様々な場所で指導の勉強をしていましたが、僕が現役時代もトップのコーチをしていた高畠さん(ツトさんと呼んでいますが)から「うちでコーチやらへんか?」の一声があり、スクールコーチとしてフロンターレに戻ってくることができました。現在は、昨年立ち上げた、フロンターレの下部組織にあたる『川崎フロンターレU-12』の3・4年生を担当しています。

コーチを始めてから最初に思ったことは、「最近の子は本当に巧い」でした。小学生でそんなことできるの!?など、驚かされっぱなしの毎日でした。また、サッカーが大好きで一生懸命巧くなろうと頑張っている姿や、純粋にサッカーを楽しんでいる子供たちを見てものすごく感動しました。そんな子供たちを何とか上手にしてあげたいなと日々考えています。
僕が現在考える指導は、『自分で巧くなる』です。当たり前のことですが、すごく重要なことだと僕は考えています。監督やコーチが言ったことだけをやっていれば巧くなるかと言えばそうではないと思います。自分から練習に積極的に取り組み、自分で考え、自分で答えを見つけたときに、成長につながったり、喜びや楽しさが湧き出てくるものだと思います。また、プロという世界でも監督・コーチがすべてを教えてくれる訳ではありませんし、自分で理解しそれぞれの監督が持つ戦術に順応できる選手が長く現役を続けられる一つの要因だと思います。その点からみても指導者は、子供自身が考えて成長できる環境を創って、悩んでいる子がいればアドバイスをする。そういったサポート役であるべきだと思っています。これから僕が指導した子供たちが、トップチームで活躍できるようになった時に、その選手の頭の中に少しでもぼくの名前が残っていれば幸いです。

ただ、僕たち指導者が子供たちに携わっている時間は、多くて1日4時間程度です。良い選手を育てるには残りの20時間がとても大切です。スクールや等々力でも多くのお父さんやお母さんを見かけますが、子供への接し方などどうですか?何でも“やらせて”いませんか?それでは、子供自身が“考える”ことができなくなってしまうと思います。子供に失敗は付物です。その失敗から考えることで、成功へと変化しますし、成長につながります。時にはうまくいかないこともあると思いますが、そこが成長のポイントです!最初から答えを与えるのではなく、上手く答えに導いてあげてください。こういったグラウンド以外での良い習慣も、良い選手を育てる大きな要因の一つだと思います。是非!お父さん、お母さんも子供たちの“良いサポーター”となって、子供たちの成長を見守っていきましょう!

将来、この下部組織の中から多くの子供たちが、等々力のピッチで躍動している姿を夢見ながら、日々努力していきたいと思います。

2007年04月01日 玉置晴一

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