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2004 / file05

サッカーにおける天候・気候!

向島 建
Mukojima,Tatsuru

1966年1月9日静岡県生まれ。静岡学園高-国士館大-東芝を経て1992年清水エスパルス入団。1993年Jリーグオールスター戦出場。1997年川崎フロンターレへ移籍。以来2001年の引退まで要衝としてチームを支える。2002年から川崎フロンターレフロントスタッフ。2003年にはフットサル日本代表候補に選出。「SUKISUKI!フロンターレ(iTSCOM)」やサッカースクール・サッカー教室・講演・フットサル解説など川崎のサッカー伝道師として多方面で活躍中。

サッカーは様々な状況や条件の中で試合が行われる。必ずしも晴天でピッチコンディションがいいときだけでなく、雨や風や雪の中でも、あたりまえのように行われる過酷で厳しいスポーツでもある。
さすがに雷だけは落ちる可能性のあるときは様子が見られ、一時中断か中止か判断されるが、いろんな状況に応じて主審・マッチコミッショナー・実行委員が話し合って決定される。また、世界のあらゆるところで行われているサッカーは、様々な地理があり、南米のボリヴィアは6000m級の山々が14もあり高原の国として知られ、酸素も薄く一日の気温の差が常に10℃以上もある。そんな高地の国においてもW杯南米予選(ホーム&アウェー)などの大事な試合が行われる。
標高3000mのヴォリビアのLa Pas(ラ・パス)にあるホームスタジアムHernando Siles では対戦する他国選手たちは苦戦を強いられることでも有名で、ボールがよく飛びよく曲がると言われ、プロの選手でも90分走りきることは容易なことではない。滞在日時を2・3週間と長くして高山に慣れるか?そんなに長く取れないのが現状であり、ブラジル代表のように試合当日に現地入りし、なるべく滞在時間を短くすることで高山病にかからないように心がける。それでも試合終了後には意識がもうろうとする選手が出てくるため、急いでボリヴィアから出国することになる。
いずれにしても、そんな難しい状況の中で南米選手権やW杯南米予選などが行われている。

日本で行われた悪天候で有名な試合は、1987年12月13日(日)第8回TOYOTA CUP「FC ポルト(ポルトガル) vs ペニャロール(ウルグアイ)」で雪の中行われたものだ。
 当日、大学生だった私は雪の寒い中、東京国立競技場でFCポルト(8)マジェールの芸術的な決勝ゴールを見た。ラインはほとんど見えない状態で、黄色いボールがやけに雪の上で目立ち、しかもボールが1回パンクする事態もあったことで「こんな状態で試合ができるのか?ゴールが決まるのか?」と思った人も多かったと思うが、どんな悪条件の中でもあたりまえのように素晴らしい技術が発揮された。
 後にテレビやビデオでこの試合を目にし、決勝ゴールが決まったときの実況アナウンサーの「(8)マジェール!(8)マジェール!(8)マジェール!」の響きがとても印象的なTOYOTA CUP史上最も珍しい雪の中での世界一クラブ決定戦となった。

 私が清水エスパルスから川崎フロンターレに移籍してきた1997年、チームはまだJFL(日本サッカーリーグ)で、過酷な条件の中でも試合が行われていた。特に7月の夏場のアウェーでのヴァンフォーレ甲府戦では、昼間の15時に試合が組まれ、気温35度以上と非常に高く、選手たちの間では最も厳しい条件での試合になると恐れられていた。甲府の選手たちは普段からこの暑さの中でトレーニングを繰り返し、生活をしているため、他チームよりもはるかにこの環境に慣れ、試合でも地元としての利を生かし試合時間を設定し、戦ってくるのは当然のことだった。

 この年フロンターレはどこのチームよりも力があり勝利を重ねていったが、この猛暑の中では選手は思うように動けず、チームはまったく機能しなかった。普段からピッチ外での水分補給・食事(栄養)の摂取の仕方や宿泊先のホテルでの過ごし方(クーラーは極力弱くしたり)など、試合で力が出せるようコンディション調整には特に気を使っていたが、甲府戦を含めJFLを勝ち続けることの難しさを感じた。
 このような厳しい試合を乗り越えるだけの体力と精神的な強さも兼ね備えていなければ、Jリーグに昇格することは難しかった。引退した今、あの猛暑の中での試合を思い出すだけでもぞっとする!

 2002年9月7日、J1・2ndステージ第2節、忘れもしない「清水エスパルス vs ジェフ市原」の試合が行われた。この日、エスパルスのホームグランドである日本平スタジアムで、実況の寺西ゆういちさんと一緒に解説の仕事を行った。
 雨にもかかわらず1万3千人を超える観衆が19時からのキックオフを今か今かと待ちわびている。キックオフ15分前、両チーム選手たちがウォーミングアップも仕上げに入ろうとしている最中、突然スタジアムの照明が消えた。私は試合前にエスパルスも凄い演出をするんもんだなぁ!と思ったが、まったく演出でもなんでもなく雷による停電だった。エスパルスサポーターの応援が激しくて雷の音にさえも気づかせてくれなかった。私も寺西さんもオンエアーに入ろうとしていた矢先の出来事で驚き、試合開始時間も当然遅れることになった。私と寺西さんは、試合開始までの空いてしまった時間をつなげることに必死だったが、ウォーミングアップで一回身体を動かし汗をかいているだけにいつものようにいい準備をして、すぐに試合に入れない選手たちのことを考えると心配で仕方なかった。
 それでも試合開始から約10分遅れでキックオフし、早々の5分、エスパルスの三都主アレサンドロのゴールが決まった。ここまでは停電の影響など選手たちにはまったく見られない。そして前半35分にも突然の停電によりスタジアムは1回目よりも真っ暗になってしまった。この停電で選手たちは試合を行っていたことで、強い戦う気持ちが入っていたところに中断という事態がおき、精神的にも肉体的にも非常に大きな負担がかかった。結局20分間もの間中断し、雨が降ったり止んだりという天候、そして雷もが選手たちの試合を難しくしてしまった。たまたま解説という仕事中にあった珍しい印象に残る出来事だったが、そんな中でも選手は試合を続けなくてはいけない。

 先日、テレビでご覧になった人も多かったと思うが、2006FIFAW杯アジア地区1次予選「シンガポールvs日本」の試合がシンガポール(ジャランバサール)で行われた。FIFA世界ランキングでも108位、グループ3(日本・オマーン・インド・シンガポール)の中でも最も戦力的に劣るチーム相手に日本は辛勝だった。私も以前シンガポールに行って、SENBAWANG RANGERS FOOTBALL CLUBというチームで練習していたことがあったが、シンガポールは赤道直下で一年を通して高温多湿な気候、1回練習しただけで脱水症状になったこともあり、この気候に慣れるのには少し時間がかかった。サッカーをするには悪条件で、日本代表の主力である欧州組が直前合流だったことが、本来持っている力を出せなかったのも当然のことだ。試合で運動量が落ちることはわかっていたことで、見ていても日本を代表して戦っているという気持ちが伝わってこなかった。ユニホームが少し破れたくらいでピッチ外に出てくる選手もいたこともどうかと思う。監督のジーコも以前ブラジル代表の試合でユニホームを破られたことが何度かあったが、何も気にせずそのままプレーしていたし、ピッチ外にいる間、悪条件の中で他の10人はシンガポールの攻撃を必死でしのいでいたのだから・・・。

 選手は、とてもコンディションがよく身体が軽いときもあれば、逆に身体が疲れていて重いとき、ケガをしていて動きずらいとき、プレーが思うようにいかず精神的に悩んでいるときなど調子は様々だと思うが、プロである以上どんな状況であっても試合にできるだけいいコンディションをもっていくことが大切である。また、雨が降ろうが、風が吹こうが、雪が降ろうが積もろうが試合は行われるため、その状況に適した判断が求められ、その状況に適したプレーや戦術で戦う必要がある。ホームゲームなど自分たちがやりやすい状態ばかりで試合ができるわけではないし、アウェーのように慣れないスタジアムや環境で多くの相手サポーターの中でも行わなければいけないときもある。サッカーは予想できない様々な状況が訪れることがあるため、選手は判断力と適応能力が必要であると共に、とても強い精神力とタフな身体が求められる。悪条件やプレッシャーをはねのけ勝利するためには、チームワークが大切な要素になる。サッカーは1人ではない、それぞれが助け合うために11人も選手がいることを忘れてはいけない。

2004年04月16日 向島 建

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