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2006 / file02

ヤマザキナビスコカップ!

向島 建
Mukojima,Tatsuru

1966年1月9日静岡県生まれ。静岡学園高-国士館大-東芝を経て1992年清水エスパルス入団。1993年Jリーグオールスター戦出場。1997年川崎フロンターレへ移籍。以来2001年の引退まで要衝としてチームを支える。2002年から川崎フロンターレフロントスタッフ。2003年にはフットサル日本代表候補に選出。「SUKISUKI!フロンターレ(iTSCOM)」やサッカースクール・サッカー教室・講演・フットサル解説など川崎のサッカー伝道師として多方面で活躍中。

J1 リーグと並行して行われるもう一つの大会、ヤマザキナビスコカップが開幕した。
ヤマザキナビスコカップは1993年Jリーグ開幕の前哨戦ともいえるもので、1992年からJリーグ参加クラブの全10チームで始まり、サッカー界にとって新しい時代の幕開けとなる記念すべき大会だ。

全てがプロの集団で逃げ道はない世界に飛び込んでいった私にとって、この大会は、プレーヤーとしてこれから生き残っていけるか試される場でもあり、重要な初舞台であった。新しく誕生した清水エスパルス初の公式戦で、チームのほとんどが静岡県出身者で固められていたため、応援してくれる熱い地元サポーターが多く、エスパルスはどんな試合をするのか注目が集まったが、そこは実力者が多く攻撃サッカーは見ている人たちを楽しませた。

当時、人気と実力を兼ね備えたヴェルディ川崎(東京V1969)が常にエスパルスの前に立ちはだかることになる。1992年決勝では、好ゲームを展開したもののヴェルディの壁は厚く、私たちは彼らの前では引き立て役を演じることとなってしまった。

彼らを倒さなければエスパルスは優勝できない時代が始まった。翌年の1993年同大会決勝も再びヴェルディに敗れ準優勝、その頃からエスパルスはシルバーコレクターと呼ばれるようになった。そして1996年同大会決勝、3度目の正直でついに王者ヴェルディを破り念願の初優勝を果たすことができた。エスパルス初、勿論私にとっても初のクラブタイトルだった。

私はこのヤマザキナビスコカップでは、エスパルスで優勝1回、準優勝2回、フロンターレでも2000年に準優勝に輝いたことがあり、とても縁のある思い出深い大会だ。

2005年ヤマザキナビスコカップ開幕戦は「東京V1969 vs 川崎フロンターレ」フロンターレが前半4点リードするものの後半東京Vも4点を返し、開幕戦から予想を反する凄い試合を繰り広げた。

あれからずいぶん年月は経ったが、相変わらず東京Vは私のいるチームにとって楽には勝たせてくれないチームだ!
リーグ戦とは違った雰囲気が味わえ、最後まで目が離せない大会がヤマザキナビスコカップであり、リーグ戦同様ピッチに立つ選手たちに注目してほしい。

2006年03月29日 向島 建

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