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OB'sコラム

ヤス、翔ける

2007 / file04

挫折

長橋康弘
Nagahashi,Yasuhiro

東海大一中、静岡北高校、清水エスパルスと歩み、1997年、当時JFLに所属していた川崎フロンターレに加入。川崎フロンターレに所属して10年。ドリブル突破が魅力のクラブの歴史に残る右サイドの職人。現在、フロンターレ育成普及コーチとして子供たちの未来を背負う。
1975年8月2日生まれ、静岡県富士市出身。

僕のサッカー人生の中で最初の挫折は中学生時代にあります。

小学校1年生からサッカーを始め、その魅力にとりつかれた僕は暇さえあればボールを蹴っていました。その結果、6年生までは順調すぎるほどの時期を過ごす事ができました。その勢いで、中学校は地元の中学校を選ばずに、静岡の中では一番強いと噂されていた東海第一中学校を選びました。

お金がかかる事は聞いていたので、父親の機嫌を見計らい、勇気をふりしぼってお願いをしてみたところ、予想に反し「勝負してこい」の一言でした。希望に胸を膨らませ、当然一年生から試合に出られると思っていた僕に、恐ろしい現実が待っていました。当時、成長期をむかえていなかった僕は、クラスで2番目の小ささで、サッカー部に限っては、ほとんどの人が大男に見えました。
ドリブルすればとばされ、キックに至っては、3年生の半分位しか飛びません。さらに体が小さいなりの工夫がなかった僕のポジションは当然ボール拾いです。マラドーナに夢中だった僕の頭にはドリブルしかなく、パスやボールを持っていない時の動きなどまったく興味がありませんでした。当時の監督の目には、「とても頭の悪い選手だ」と映っていたに違いありません。

自分のわがままで選んだ学校で、高いお金を払ってもらっている両親に、「駄目だった」ではすまないし、ボール拾いをしている事は口が裂けても言えません。この状態からなかなか抜け出せなかった僕の頭から500円サイズ程、髪が抜けてしまいました。当時は友達にからかわれる程度で、さほど気にしてはいませんでしたが、精神的にかなりつらかったのを覚えています。

ここからどうしても抜け出したかった僕は、まずドリブルを封印し、少ないタッチでプレーするように心掛けました。性格的にあまり積極的にアピールする方ではありませんでしたが、この時ばかりは声を出し、先頭に立って練習をしていました。このキャラチェン(キャラクターチェンジ)大作戦が見事に成功します。
僕の変化に気づいてくれた監督が、少しずつ試合で使ってくれるようになり、これがきっかけで体が小さくてもサッカーは出来るという自信が持てるようになりました。こうしてやっと脱出できた僕の頭からは自然と髪が生えていき、少しだけ自分がたくましくなったように感じました。同時にそれまでの長い間、体が小さいという事だけしか理由を見つけられなかった自分に腹が立ちました。

大事な事は、今の自分を知り、どうしたらいいのかを考え、勇気を持って行動してみる。決してあきらめない事だと思います。僕自身、これから待ち受けているたくさんの「かべ」にぶつかった時、またこの時の事を思い出すと思う。

2007年09月10日 長橋康弘

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