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FRONTALE DIARYフロンターレ日記

9/21 (水) 2011

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陸前高田訪問

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広報部

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先日の山形戦の試合終了後。
選手たちは山形市内のホテルで食事をとってから、仙台市内のホテルまで移動しました。我々スタッフも車で後を追うように仙台のホテルまで移動。翌日の陸前高田市の訪問のために少しでも近づいておくためです。

実は、遠征メンバーである18名以外に、この試合のメンバー外の選手たちもこの日のためにスタジアム入りしていたので、翌日仙台から、早朝にバス2台に分乗し、陸前高田市へ向かいました。


川崎フロンターレでは、「Mind-1ニッポン」を合言葉に、2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災の被害に対し、被災地への復興支援活動を皆さんと共に行ってきました。

最初から、この活動が一過性でなく、被災地の復興の目処が経つまで継続性を持って行うことが重要と考え、中長期的な支援計画「Mind-1ニッポン プロジェクト」を立ち上げ、クラブ、そしてクラブに携わる全ての皆様と力を合わせて継続的に支援活動を実施してきました。

その一環として、4月に「川崎フロンターレ算数ドリル(上巻)」を作成した際に、東日本大震災の被災地の1つである岩手県陸前高田市の公立小学校9校の6年生の皆さんへ寄付させていただきました。

今回は、陸前高田市への継続的な支援のため、新たに完成したばかりの「川崎フロンターレ算数ドリル(下巻)」を再度寄付するため現地を訪問することにしました。あわせて、陸前高田市立高田小学校にて川崎フロンターレ選手会主催による「陸前高田市小学生対象サッカー教室」を開催することとなりました。

最近では、川崎市内の駅前で募金活動をしていても、ほとんど相手にされることがなくなってきました。
確実に関心が薄れてきていると感じています。ただ、報道される量は減ってきていますが、まだまだ間違いなく支援を必要としている皆さんがいるはず。選手・スタッフ全員で現地の様子を目に焼き付けてこようと思ったのがきっかけでした。
今回は選手会の総意で、選手全員で行こうと決まりましたが、選手が言う、スタッフが言うかは関係なく、皆さんには、クラブとして実施する様々な動きに、本当に多大なるサポートをいただき、常に継続して共に行動してくれることに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

チームが苦しい状況のなかでしたが、このタイミングだから、やっぱり現地に行くのはやめておきますなどという軽い気持ちの事業ではありません。実際に被災された方々にフロンターレとしてできることがあるとすれば、できる限りやれることをやらないといけない。選手たちも、自分たちでサッカー教室の内容を企画してやりたいと強く希望した結果、育成・普及部のコーチ陣は1人も呼ばず、サッカー教室自体の仕切り、当日のメニューまで選手だけで考え、しっかり準備をしていました。


当日、10時30分に小学校へ到着した選手たちを待っていたのは、待ち切れなかったのかすでに校庭を走り回って汗だくになった子どもたち。楽しみにしてくれていたのでしょう。バスから出た選手たちに向かって走ってきてくれた姿を見て、とても嬉しく感じました。

11時にグラウンドに待ちきれない子どもたち、そして、選手・スタッフが集合します。子ども達も選手・スタッフも、今日のためにプーマジャパン株式会社様が作ってくれたTシャツを着用。
「神奈川県の川崎市からやってきました川崎フロンターレです!こんにちはー!」と選手会長であるヨコの挨拶からはじまった開会式。
随分と控室では選手たちからイジられていたので、心配しましたが、さすがチーム一の知性派。「あっ、段取り間違えちゃいました」と、ネタなのかそれすら仕込みなのかはわかりませんでしたが、子どもたちの笑いも誘ったところで「じゃあ、プロサッカー選手のテクニックを見せましょう!タサよろしくー」とタサに無茶ぶり。

リフティングでいきなりボールを落とすというドキッとするスタートから一転。タサがいくつかの技を披露。子どもたちもお世辞込みか「おー!」と言ってくれるなか、選手たちからは「もっと技出せー」「もっとすごいのできるぞー」と冷やかしの声が。その後は、「プロサッカー選手のキック力を見てもらいましょう!ユウダイお願い!」という同じく無茶ぶりされたユウダイも、自慢のキックを見せるべきところでベコッと大きな音を立てて「空気が入ってないやん」との言い訳も痛いくらいのミスキック。結果的に、ヨコの無茶ぶりに対して、タサとユウダイのバタバタぶりが子どもたち・お父さん・お母さんの笑いを誘い、とてもいい感じでスタートできました。


年代ごとに3つのグループに分かれて始まったサッカー教室。
ヨコ、リキ、ユウダイの選手会執行部がそれぞれグループを仕切り、年齢に合わせた練習メニューを勧めて行きます。最初は緊張していた子どもたちも徐々に選手たちに打ち解けていきます。
こういうことを始めると決まって本気になるフロンターレの選手達。いつの間にか汗をダラダラ流しながら、完全に本気モード。暑い日差しの中、見ているこちらが心配になるくらい時間を忘れて選手と子どもたちはグラウンドを所狭しと走り回っていました。

その頃、サッカー教室に参加していないケガ人組は、お昼ご飯の用意。エバラ食品工業株式会社様が食材と食器を提供してくれました。それを、等々力のスタジアムでもお馴染みのキッチンカーの株式会社アットエフ様が調理をしてくれました。メニューは、焼肉2種類に野菜炒め、そしてご飯。それを一つの器に乗せるのが選手たちのお仕事。子どもたちがお腹をすかせてやってくるのを待ちます。

サッカー教室が終わると、今まで使っていたボールをプーマジャパン株式会社様から子どもたち全員にプレゼントしてもらいました。

記念撮影を終えたグループごとに移動して、昼食になります。ケガ人組が待つキッチンカーへ腹ペコの子どもたちと選手・スタッフが向かいます。
ちょっと大き過ぎるかなと心配するくらいのご飯の上に焼肉と野菜炒めが乗った器を手に持ち、みんなで集まってのお昼ごはん。子どもたちは、グループで一緒にサッカーをした選手・スタッフと一緒に食べました。
見学に来ていた地元高校生たちやお父さん・お母さん・スタッフ全員で食べたご飯はおいしかったー


お昼の後は、いよいよ算数ドリルの贈呈式。
下巻の表紙にもなっているイナから子どもたちに手渡しされると… 一瞬の沈黙のあと代表の子どもが「ハッピーバースデー」と歌い始めます。すると子どもたち全員でこの日誕生日を迎えたイナに向けて大合唱。

歌い終わるとパンパンパーンと大量のクラッカー、そして大きな大きなケーキまで用意してくれていました。
これにはイナもとても嬉しそうな表情。イナにとっては、みんなにお祝いしてもらって、忘れられない誕生日になったのではないでしょうか。
でしたが… 次の瞬間。とんでもないことがイナに待っているとは…
どこからともなく聞こえてきたのは子どもたちの「イナ選手、顔にケーキ付けて―」の声。するとこういうタイミングを決して逃さないユウダイが「えー、イナさんが― ケーキに顔付けるってー えー、それまずくない。ホントにやっちゃうのー。えー本当に?」とイナが逃げ出せない状況を作ります。
ユウダイ、後でイナにどっかに連れて行かれるぞと心配しましたが、場の雰囲気は完全にユウダイのものに。
「オーーーーーー」と子どもたち掛け声のなか、「オーイ!」という合図でイナの顔はケーキの中に。衝撃の展開となりましたが、子どもたちは大喜び。大喝采のなか、贈呈式は終了しました。
その後、何と「イナが顔を付けたケーキ」というよくわからない付加価値が付いたケーキは、信じられないスピードで子どもたちに全部食べられちゃいました。


昼食とドリルの贈呈式を終え、あっという間に高田小学校を離れる時間になってしまいました。
閉会式では、高田FCの子どもたちから選手たちにプレゼントをいただきました。
こちらは、株式会社ドール様からバナナ一房ずつ、エバラ食品工業株式会社からエバラ詰め合わせが子どもたち全員にプレゼントされました。さらに選手会から陸前高田市全9小学校に全選手サイン入りフラッグを贈呈。

最後にキャプテンの井川からの挨拶、全員で写真撮影をして終了しました。
この活動には、サポーター有志、プロジェクトつながるのみなさんも協力してくれました。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。


さて、下に2枚の写真があります。

今回窓口になってくれた濱口先生にいただいた画像です。
パッと見て… ここがどこかわかりますか。そう、ここはこの日、子どもたちと選手がサッカー教室を行った、ご飯を食べた学校前のグラウンドです。

まさに想像を絶する状況です。それから6カ月が経ちました。まだ、多くの震災、そして津波の傷跡が残っています。その中で行われたサッカー教室。選手たちと笑顔で元気よくサッカーをして、お昼ごはんを食べていた子どもたち。私たちにできることが少しでもあれば、これからも継続して行っていかないといけないと強く思いました。
高田小学校を後にした選手を乗せたバスは、陸前高田市の現状を知るべく、濱口先生と高田FC会長の戸羽さんの案内のもと2台のバスに乗り込み、市街地を視察しました。

陸前高田市に乗り込んだ時点でその被害の大きさに驚いていた選手たちですが、濱口先生や戸羽さんから震災当時の状況を聞かされ、選手たちは被害の大きさを知りました。民家はすべて流され瓦礫は撤去されていましたが、ホテルや高校、市役所といった地元の方々の思い出の地は無残な状態でまだ残されています。現場に降りてみると残っている建物のなかには瓦礫がそのままの状態で放置されており、フロアのなかに車の残骸が残っている建物もありました。

海沿いの建物は3階、4階まで壊されており、そんなところにまで津波が押し寄せたのは正直、信じられませんでした。選手たちは松本先生や戸羽さんの説明を聞きながら神妙な面持ちで建物を見上げていました。「いま被災地の現状はどんどん報道されなくなっているからわからないことが多かったけど、実際に現場を見て、まだまだやらなきゃいけないことがあるんだなと改めて感じる」(ケンゴ)「もう本当に言葉が出ない」(イガ)。「半年たってこの状況ということは、震災当時は相当ひどかったということ。被害がすごすぎて逆に実感がわかなかった」(クス)。

選手それぞれがいろいろな思いを抱いたようです。選手たちは亡くなられた方々に向けて手を合わせ、最後は津波被害に耐えて1本だけ残った「奇跡の一本松」を訪れ、改めて想いを強くし、陸前田高田を後にしました。


今回、選手・スタッフが陸前高田市を訪れた際、川崎市の場所や街自体を知らない子ども達が多くいました。そこで、川崎という街を陸前高田市の子ども達に知ってもらうため、川崎フロンターレのホームゲームをきっかけとして川崎へ招待しようと計画しました。

行程として、10月15日の初日が川崎市の協力による川崎観光と黒川青少年野外活動センターの宿泊及び交流会、2日目である16日は、引き続き川崎観光とフロンターレホームゲーム観戦をする「川崎修学旅行」として、川崎を満喫していただく予定です。

この事業は、川崎市、クラブ、サポーターの合同事業として実施し、短い時間ですが、「川崎フロンターレ」を思いっきり満喫してほしいと思っています。

フロンターレのサポーターの皆さんなら、間違いなく大丈夫だと安心しきっていますが、当日は盛大にお迎えしてくださいね!

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