モバイルフロンターレ

ピックアッププレイヤー

2009/vol.12

〜FW7/黒津 勝選手〜

ピックアッププレイヤー:黒津 勝

 こみ上げてくる感情を押さえることができなかったのだという。6月24日のアジアチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦。一発勝負、アウェー、相手は前年覇者のG大阪と三重苦の揃った大一番で、試合に決着をつけたのは背番号7、黒津勝だった。

「今でも決めた瞬間の興奮は覚えてます。普段は点を取ってもあんなに感情的になることはないんですけど…」

 後半40分、中村の鮮やかなスルーパスから左足トーキックで流し込んだ決勝点を決めた直後、サポーターの元へ駆け寄った。そしてユニホームのエンブレムにキス。「アジアの頂点へ行きましょう!」と絶叫した姿は、普段のクールなイメージとは対照的な気がした。

記憶

1 黒津勝という男は記憶に残るプレーをする。

 2002年8月25日。入団2年目に途中出場で実現したデビュー戦の大宮戦で決めたプロ初得点はファーストタッチからのドリブルだった。最近でも2007年7月15日のナビスコ杯準々決勝・甲府戦。延長後半8分に準決勝進出を決める決勝弾を速さを生かして左足でネットに突き刺した。アジア杯のためMF中村とGK川島が不在だったにもかかわらず、代表抜きのメンバーで総力戦でつかんだ1勝。ACL8強、ナビスコ杯準優勝など結果を残したにもかかわらず、関塚監督はその年のベストゲームに挙げたほどだった。さらにGKのボールを奪ってゴールを決めることを1年に2度なんて、なかなかできることではない。そして今年のアジアチャンピオンズリーグ・G大阪戦での決勝ゴール。中村が「クロツロケットでしょ」とスピードを計算し尽くしたスルーパスに絶妙なタイミングで抜け出した。

「憲剛さんが持ったら(相手DFの)裏へ行こうと思っていた。ファーストタッチが弱かったので持ち直して右で打とうと思ったけど、相手が来ているのが見えて…左に切り替えてトーキックにした。トーキックは、ジュニーニョがやっているのを見て去年から練習でやってたんです」

 スラリと伸びた背筋と長い足で走る姿は美しい。その黒津には大きな武器がある。中村に「ロケット」と言わしめるスピードだ。関塚監督は04年にフロンターレに来た時、黒津の速さを見て「ビックリした」のだという。父・光男さんは野球、母・恵美子さんはバレーボール、9歳上の兄・泰英さんはサッカーとスポーツ一家の次男。特にアタッカーだった母のママさんバレーはよく見に行って記憶が鮮明に残っている。小さいころから足が速く、小学校でも中学校でも高校でもリレーの選手。運動会ではアンカーを務め、前にいる選手を抜いて優勝したこともあった。飼っていた柴犬チャチャと競争してさすがに追い抜くことはできなかったが、鬼ごっこで負けたことはない。

「人が前にいると抜かしたくなる。負けるのが嫌いなので」

 自分の持って生まれたスピードをサッカーで自覚したのは意外に遅く、花咲徳栄高校での試合中の出来事だった。「いつだったか忘れたんですが、試合で長いパスが来た。自分はペナルティーエリアにいて後ろからボールが来た時に〝いけるかな?〟と思って走って、つま先でボールを触ったんです。そうしたら周りがざわついて…あれ?って」恐らく本人は届くと思って触ったボールは、見ている人にとっては驚くべきスピードがなければ追いつかないものだったのだろう。それをきっかけにスピードを大きく意識するようになった。「中学では自分で行けたから。高校の方がマークがキツくなるし、裏を取る動きをしないといけないと」。埼玉県の新人戦で2年生時に優勝するなどしていた黒津は、浦和東高校に通っていた同じ年のGK川島とともに2年生から埼玉県選抜でもプレーしていた。

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プロになる

1 小学生の時に始まったJリーグを見て「絶対にそこ(Jリーグ)に行きたいと思っていた」とJリーガーになることを夢見ていた。茨城・総和北中でエースだった黒津の存在を教え子の教員から知らされたのが当時、花咲徳栄高校サッカー部の金子利雄監督(現・総監督)だった。「左利きで速くて面白い選手がいる」。プレーを直接見にいった金子監督は「あのスピード、ワンタッチでのボールの置きどころとかを見て可能性を感じた」と即座に特待生で迎えることを伝えた。茨城県内の高校からも誘いを受けていたが「絶対にプロにするから」と口説いたという。「トップスピードに入るのに時間がかからない。動き出しも速い。得点も取っていましたからね」。高校3年間でチームが最も強かったのは2年生の時。だが最初は上下関係が影響して1メートル80台のもう1人の3年生FWにボールが渡っていた。だが黒津の動き出しの速さがチームメートに認められ、次第にボールが黒津に集まるようになりゴールを量産した。

 黒津はチームでの県大会や埼玉県選抜での全国大会などプロのスカウトが集まりそうな大会全てが自分の将来につながるアピールの場だと思っていた。「とにかく点を取ることしか考えていなかった。雨の中、グラウンドがグチャグチャになってもシュート練習していました」。

 練習が終わると、金子監督の指導のもとで「プロに必要な技術」を居残りで特訓。金子監督は「勝は入った時に競り合いが嫌いでね…ゴール前で競り勝つ練習とかやっていました。やれと言ったら絶対にやる。コツコツとひたむきさがありました」と振り返る。スピードという才能に頼るだけでなく努力も重ねた少年に、ついにJリーグのクラブから誘いが来た。

 高校時代の黒津に注目していたのは4クラブ。大宮、FC東京、浦和、そして川崎F。「自分の能力を発揮できる、何か学べるものがあるんじゃないか」と01年、わずか1年でJ2に降格した川崎Fに入団した。1年目は右足小指骨折でリハビリに時間を費やしたが、2年目のプロ初デビュー戦で初ゴール。3年目には中村憲剛が入団してきた。「僕が入った時からクロはムチャクチャ速かった。僕がボランチになったら、僕がボールをコントロールたら準備して(DFラインの)裏を狙って走ってくれとずっと言っていた。あうんの呼吸というか、信頼関係があると思う。能力は本当に代表クラスですよ」と話すように、チームメートの誰もが黒津の能力を評価していた。

 スピードは文句なしにチームで1、2位を争う。06年W杯ドイツ大会でジーコジャパンのスタッフだった里内フィジカルコーチは「スピードはインターナショナルクラス。ジーコジャパンでの20メートル走は坪井、宮本、(佐藤)寿人が速かったけど、多分クロの方が速いな」という。さらに瞬発力だけでなく、ジャンプ力にも優れ「クロはスプリントだけやなく、垂直跳びもすごい。筋力の弾力性という点でスプリントとジャンプ力は相関関係があるんや」と高い身体能力が備わっていることが分かる。ところが、実際の試合出場といえば、入団以降、先発したのは出場試合のうちの3分の1に満たない。記憶に残るゴールを決めても、先発を勝ち取るには至っていないのが現実だった。ジュニーニョ、鄭大世、レナチーニョ、矢島…J屈指のFW層の厚さを持つフロンターレで今季の先発は一度もなかった。(8月19日現在)

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心の葛藤

1 その苦しいシーズンを過ごしていた6月から7月にかけて黒津のサッカー人生を揺るがす出来事が起こる。出場機会の少ない黒津に対し、複数のクラブからオファーが来たのだ。抜群のスピードを持つ黒津は、特にオシム前日本代表監督時代に日本代表入りした07年以降、各クラブから注目される人気選手になった。今季は出場すら少ないのだから、決定力不足を抱えるクラブがノドから手が出るほど欲しいと思うのは当然のことだ。

「始めから出られない。なおかつ今季は途中からも出られない。どこに行ってもそういう競争はあるけど、このチームは層が厚いし…」

 今オフにも移籍の話はあったが、その時はACL出場という高いモチベーションが迷いを消した。だが、時間の経過とともに自分の置かれた立場に苦しみ「移籍」の2文字が現実味を帯びていた。

 実はG大阪戦前に「移籍する」と周囲に漏らしていたという噂があった。ところがG大阪戦で途中出場し見事な決勝ゴールを決めるというドラマを演出。

「ACLに懸けている分、前半は1―2で負けていて、出られなかったら、負けたら〝行こうかな〟と思っていた。嫁さんも最後になるかもしれないからと、わざわざ試合を見に来ていたんです」

 移籍するのか、しないのか…複雑な気持ちを抱えたまま出たピッチで残した大きな結果は、後に自らの運命に決着をつけることになった。スタンドでは夫の「最後」を覚悟して見に来た友紀夫人が涙を流してゴールを喜びながら夫にこう言ったという。

「どうするの?」

 決勝弾の後に出たフロンターレに対する愛情パフォーマンスに偽りはなかった。ドラマチックな結末に当然、周囲はチームに残るストーリーを想像する。もちろん黒津自身もそうだった。一度決断した移籍への気持ちが残留という言葉でグラグラ揺れた。

「迷ってました。これで決めていいのかと。あの時に得点したからって、スタメンを取れるかは分からない。でも後悔したくないし、冷静に考えようと思って」

 代理人、家族、いろいろな人に相談した。移籍についていいことを言う人もいれば、悪いことを言う人もいる。だが、最後にチームに残る決断をした。理由は、やはりACLだった。

「世界とやれるACLは貴重なもの。それにみんなが出られるわけじゃない。チャンスなんだと。前回の負け方が悔しかったので、もう1回って…」

 自らの左足でつかんだ準々決勝へのチャンスに挑戦したいという思いが強かった。

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記録への挑戦

09 今季は戦術的理由から左の攻撃的MF、さらに左サイドバックという位置でもプレー。だがスピードを高く評価する関塚監督には狙いがあった。

「今はクロにも厳しいマークがつく。止められた時に何ができるのか。ウイングやDFをやらせてみれば、どういう動きをしたらDFが嫌がるか分かる。前(FW)でやっていても、同じ動きになってしまうから」

 控えという殻を破ってもらうため、いろいろなポジションを与えることで自分の良さの再認識とプレーの幅を広げて欲しいと考えていた。「ガンバ戦のあのゴールが彼の持ち味。あの速さには惚れ惚れする。スピードが生きるようなプレーをしてもらいたい」とその期待は大きい。

 黒津家のテレビでは1日中、サッカーの中継が流れている。Jリーグから海外まで幅広く「家ではテレビを付けっぱなし。呆れられてます。プレースタイルとかも見るし、試合の雰囲気とか、プレッシャーのかけ方とか…」と熱心だ。元タカラジェンヌの友紀夫人はサッカーに詳しいわけではないが「動き出し遅くない?」「パス出した後に止まっている」と指摘は鋭い。「素人意見だから、逆に参考になるのかも。本当に支えてもらっている」と昨年12月に結婚してさらに責任感も強くなった。

 名古屋とのACL準々決勝は9月。07年の準々決勝セパハン戦ではホームとアウェーで1得点もできずPK戦の末で敗れた試合で黒津は出番がなかった。その悔しさがACLへの執着となって表れていると言っていい。「あのセパハン戦は出たらやるしかないと思っていたけど、勝っていない状況で出られないのは悔しかった。やっぱりスタメンで出たい。出られるチームでやった方がいいという意見もあるけど、このチームで出てナンボでしょ。試合に出たら気持ちがいいし、その先には代表も見えてくる」と今は強い意思がみなぎっている。

 チームメートは黒津のキャラクターについて、こう言う。「コメントは意外?にしっかりしているけど、ポヤーンとしてる」(中村)「天然なりにも最近はしっかりしてきた気がする」(伊藤)「怒ったのを見たことがない」(川島)とどうも天然キャラを確立しているようだが、自己分析では「そんなことはない」と否定する。その証拠に、移籍問題に踏ん切りをつけた今は自信を持って言えることがある。

「ストライカーは得点を取らないといけない。得点を取っていなくて評価される人なんていない。僕は記憶だけじゃなく、記録にも残りたい」

 フロンターレの黒津勝は、記録に残る男になる。

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[くろつ・まさる]

瞬発力を生かした裏のスペースへの飛び出しを得意とする、ゴール感覚にすぐれたレフティー。昨シーズンはサイドに張りウィング的な役割もこなした。高校卒業からチームひと筋9シーズン目。179cm/70kg > 詳細プロフィール

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