CLUB OFFICIAL 
TOP PARTNERS

ピックアッププレイヤー

2009/vol.15

〜MF20/養父雄仁選手〜

ピックアッププレイヤー:養父雄仁

 足が折れてもいい ひたすら走れ
 戻りたくない
 No.1
 すべてを見直す

1 養父雄仁は、7月18日の神戸戦(2-2で引き分け、等々力)で、左足首を捻挫した後、携帯電話のメールにこう綴り、そのまま保存フォルダにしまった。7月から書き始めた自分自身へのメッセージメールは、何度も修正され、そして書き足された。今では10件を超えている。「これは誰も見たことがないんですよ。そもそも、知っている人がいない。自分に言い聞かしている言葉だし、恥ずかし過ぎます」。今回、何度も交渉し、その一部を披露してくれた。クールに見られ、気持ちが伝わりにくい選手と思われがちだが、実際は違う。シャイな性格の裏で、熱い魂が煮えたぎっている。自分への檄文が3年目の本気を最も顕著に表していた。

「そのメールはガンバ大阪戦(7月1日・1-0で勝利、等々力)で点を取って、神戸戦で良くなかったじゃないですか。ケガをして。だから、もうケガを言い訳にはしたくない、という気持ちがあったんです。しかも、ここでダメになったら、また、試合から遠ざかるとも思ったんです。これは試合前に見るバージョンです。練習前に見るバージョンもあります」。

 スタジアムへ向かうチームバスの中、あるいは、麻生グラウンドの駐車場で、養父は携帯電話を取り出し、心に刻んできた。「呪文です」という儀式を始めたのは、6月20日の大分戦(2-0で勝利、等々力)で今季初先発し1アシスト、続く、同28日の山形戦(1-0で勝利、NDスタジアム)で2試合連続フル出場した後だった。「試合に出られるようになったからといって、たるむんじゃないと。あの苦しい時に戻るのかと。携帯だったら、いつでも見られるし、ここって時は書きます」。

「どん底だった」。戻りたくない日々、それは2年目の08年シーズンだった。新人だった1年目の07年、11月11日の浦和戦(1-1で引き分け、等々力)でプロ初ゴールを記録するなど、リーグ戦5試合に出場し、一躍、注目が集まった。「憲剛2世」と期待が高まる2年目だったが、出場は1年目を下回る4試合に終わった。08年6月28日の新潟戦(1-2で敗戦、東北電力)で、ウオーミングアップしようと、椅子から立ち上がった瞬間に、ぎっくり腰を患った。「サッカー人生で、最大といっていい失態でした」。それ以降、リーグ戦はベンチ入りすら出来なかった。

 追い打ちをかけるように、不幸は続いた。8月末、神奈川県伊勢原市の実家に帰る時だった。1年目に購入したフェアレディーZを走らせていると、集中豪雨に見舞われた。立体交差をくぐり、カーブを曲がると、道路は冠水していた。死角で見えず、気付いた時は遅かった。愛車は水没し、廃車。しかも、前日には、寮を出ようと、不動産会社に手付金を納めていたばかりだった。「心の肉離れです」。当時、自虐的なギャグで気丈に振る舞っていたが、オフには、親しい友人と神社にお払いにも行った。

2
3

1「去年は目標が何も無かったんです。ケガ(ぎっくり腰)して、1回、復帰したけど、また、やってしまって。もう、あきらめに近かったです。それで、練習とかも、ちゃんと出来ないから、周囲からすれば、ふてって見える。ただ、朝起きて、練習して、帰って、また朝起きて、試合の時に外されて、その1週間が続くだけでした」。シーズン終盤の紅白戦では、サイドバックをやらされるなど、自分を見失っていた。当時の高畠勉監督(現ヘッドコーチ)ら首脳陣に怒られ続けた日々だった。中学校時代からつけていたサッカーノートもほとんど開かなくなった。「書くことが無かったんです」。ぽっかりと、穴が開いたような2年目だった。

「今年の初め、もう1回、自分を見つめ直そうと思った。1年目、試合に出て、インターネットとか新聞とかに、ちょこっと名前がでるじゃないですか。何となくやっていたら、出来るかなという中途半端な感じだったのかもしれない。でも、2年目は、ずっと出られず、このままじゃ、終わってしまうと追いつめられた。大学の時だったら、ずーっとサッカーが出来る訳じゃないですか。でも、今は出来なくなるという危機感がある。考え方を変えなきゃだめだと。練習も流さずやろうと」。

 失った時間は、しかし、大きく、今シーズンも順風満帆とはいかなかった。3月11日、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)開幕戦、天津戦(1-0で勝利、等々力)でベンチ入りを逃し、中断前最後の試合となった5月24日、25回目の誕生日に行われたFC東京戦(3-2で勝利、味スタ)もメンバー入りはならなかった。その間、公式戦は18試合で、出場はなく、メンバー入りは4試合にとどまった。「親に何もかも打ち明けよう。フロンターレでは試合に出られないのかもしれない」。心が折れそうになり、北海道七飯町キャンプ(5月30日?6月5日)直前のオフを利用して、実家へと車を走らせると、転機が待っていた。

「母親はいつも、『頑張れ』とか言って、叱咤激励するんですけど、その時は違ったんです。楽しくサッカーやってちょうだいと言われたんです。『えっ』と思った」。

 母の優子さんは、常々、厳しく息子に接していた。「私は、雄仁が試合に出たとしても、褒めたことはないんです。あれが悪かったとか、もっと、しっかりしなさいとか、あえて、本人が嫌がる言い方をするんです。私生活でも、見られる立場なんだから、仕事と思って、気を配りなさいと。それは、雄仁が持っている力を発揮していないと思っているからなんでしょうけどね」。

 養父がフェアレディーZを水没させ、実家で落ち込んでいる時も、「1年目に、少ししか試合に出ていないのに、身分不相応な車を買ったと思っていたから、『バチが当たったんだ』というような事を言った気がします」と、慰めることはせず、あえて、ムチを打った時もあった。だが、今年5月、昨年はサッカーの話をしたがらなかった息子が、堰を切ったように本音をぶつけてきた。「去年は本当に耐えている感じだったです。一生懸命、練習やれば、監督の目にもとまるから、と言ってきたけど、雄仁は細かい事を気にする子供だから、悪い方に出ているのかなと心配になりました。だから、サッカーを楽しみなさいと言ったんです」。

02
02

 養父は大学3年の時から、サッカーの醍醐味を味わっていなかった。国士舘大学の3年、4年の時は監督の起用法が合わなかった。フロンターレに入団してからも、試合に出続けたことはない。「俺は、いいところを見せるのが親孝行だと思っていたんです。だから、頑張らなきゃ、という気持ちが強かったのに、母親からサッカーしている姿が見られたらいい、と言われているように感じたんです。楽しんで、サッカーしている姿を応援しているし、だから、そんなガチガチにならず、リラックスしてプレーしている姿を見せられたらいい、と思えるようになりました。何か、肩の荷が下りたというか」。直後の北海道七飯町キャンプ、仲のいい後輩、吉田勇樹は養父の変化を見逃さなかった。「生き生きしている感じだった。みんなに盛り上げられていたし、楽しそうだった。キャンプの養父と言われていたしね」。本人は「養父もいるんだよ、と印象づけたかった。実際、そんな事ぐらいしか、思っていなかった」と、自然体でキャンプに入れたことを明かした。

 「めちゃめちゃ親に感謝しているんです。まず、サッカーをここまで続けさせてもらった。裕福な家じゃなかったのに、大学にも行かせてもらいましたしね」。特待生だったため、学費は高額だったわけではないが、「寮費だ何だかんだで、結構かかっていた。しかも、サッカーやっていたから、バイトもやったことないので、仕送りもしてもらっていた」と振り返る。「俺が試合に出られない時とか、愚痴を言うと、親からすれば、『何だ、こいつ』と思うはずなのに、不機嫌なそぶりも見せなかった。逆に、父親や母親からサッカーの話題を振ってくるんですよ。心配かけたと思うし、本当に世話になった。だからこそ、いいところを見せたいんです」。

 感謝の気持ちを伝えようとすればするほど、肩に力が入り、空回りしたプロ生活だった。母の一言をきっかけに、堂々巡りを繰り返し、もがき苦しんでいた日々にさよならを告げることができた。サッカーを楽しむ。原点を思い出すだけでなく、自身を叱咤するメールも書き始めた。ヴィトールジュニオールの負傷離脱も少しは影響しているが、中断が明けた6月20日の大分戦から、負傷以外でメンバーを外れたのは、8月19日の磐田戦(1?2で敗戦、ヤマハ)ぐらいで、その際、後輩の久木野聡、杉山力裕と約束した「メンバーに入らなかったら丸刈りにする」を実行している。その頃、世界陸上を見て、男子100メートル走の世界記録保持者ボルトの言葉にも刺激を受けた。「WBCとか世界陸上とか一流の人がインタビューを受けているのを見るのが好きなんです。才能あるのに、感謝の気持ちを忘れず、楽しんで走りたいとか、言うじゃないですか。俺は結果ばかり気にしていた」。

name

1「能力を出し切っていない」。関塚隆監督をはじめ、フロンターレの関係者が養父を語る時、必ず出てくる言葉である。宮崎県綾町キャンプ(1月26日?2月6日)で実施された30メートル走の測定値は3秒83。ジュニーニョは参加しなかったが、伊藤宏樹と並び、チームで最も速かった。谷口博之がトップだった持久力テストも5番目。関塚監督は「1月のキャンプの時点で、今シーズンはある程度やってもらわないといけないという気持ちにさせてくれた。自分が思っている以上に、能力は高いけど、それをいかに意識するか。こんなもんだ、と思っている。代表レベルのパワーはあると思う。トレーニングを見ていても、気持ちの安定感が大事なのかなと。その意味では、今年はタフになっている。1回、左足首を負傷してから、球際の強さがなくなった。だから、100%の体に戻せと、ハツラツとプレー出来るようになってくれと、言っている」と期待しており、万全なら計算できる戦力になったことを明かす。

 自分へのメールにも表れているが、養父自身は、周囲の評価に反して、謙虚になっていった。「冷静に考えたら、自分1人で抜けるわけじゃないし、誰かが走ってくれないと、パスも出せない。そういう事を考えるようになったのは、中断明け、試合に出始めてからですね。以前に比べ、周りをうまく使えるようになってきたのかなと思う。でも、今年、俺は何が変わったんだろう。ツトさんとか、今野さんとか、エジソンとかに怒られるのは、みんな要求が高く、俺は、その要求に達していないんです。でも、去年だったら、そんな話もなかなか聞いていなかったけど、今は、もう一人の自分が見ているというか、聞こうと思っているんです」。昨年は閉じたままだったサッカーノートも毎日つけ始めた。「練習場に着いて、車を降りる時に見るんです。昨日、思っていたことを確認し、今日、こういう事を意識して練習しようと。自分だけでなく、例えば、ツトさんが言っていたとか、なるべく書くようにしています」。テーマを決め、日進月歩していくことを心がけている。

 厳しさ、と、楽しむ心。養父は、回り道をしながらも、この2つを手に入れた。1年目と2年目があったからこそ、その大切さは、身に染みて分かっている。浮かれることも、落ち込むことも、もういらない。「波を無くしたい。試合中の波、1週間の波、シーズンの波。その波を小さくしたい」。最も意識している課題は安定感。そのためにも、運動量が重要と考えている。「やっぱり、試合で走らないといけないと思う」。左足首を負傷しているにも関わらず、練習後に走ろうとして、スタッフから怒られたこともあった。「試合に出たい」。その気持ちは、行動に表れ、漠然と思っていたこれまでとは比べものにならないほど大きく、そして本物になった。もう、うつむいてはいられない。

 優子さんは願っている。「大学の2年生の時まで、雄仁の試合を見るのが楽しかった。でも、それからは、楽しんで見たことがない。今日は、ちゃんとやってくれるかなとか、ハラハラして、心配で仕方ない。心から楽しんで見られるようになりたい」。養父はこう答えるだろう。もう少し、待っていて下さいと。

profile
[やぶ・ゆうじ]

独特のリズムと柔らかいボールタッチで攻撃陣を操るMF。トップ下でもボランチでもプレーすることができ、創造性あふれるプレーでチームにアクセントをつける。173cm/65kg 
> 詳細プロフィール

PAGE TOP

サイトマップ