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ピックアッププレイヤー

2013/vol.01

ピックアッププレイヤー:MF14/中村憲剛

フロンターレの主軸として、そして日本代表の一員として安定感あるプレーを見せた中村憲剛。
2012年はサッカーに対する充実感を得た一方で、結果を出すことの焦燥感にかられた1年となった。
シーズンを終えたばかり中村憲剛に、現在の気持ち、そして2013年にかける思いを聞いた。


01憲剛自身が再生することができた1年

「サッカーの中身に関しては充実感があった。ひさしぶりにサッカーをやってるなって感じだった。これって何年かぶりの感覚だよ。風間(八宏)さんにしても、これだけ自分のことを信頼してくれる人はいないわけで、個人的にもやりがいも感じた。だけど、それがチームの結果に結びつかなかった」

 2012年12月15日天皇杯4回戦、大宮アルディージャ戦。
 川崎フロンターレは前半3得点を挙げながら後半に4失点を喫し、まさかの大逆転負けを喫した。厚みのある攻撃を繰り出し相手DFを翻弄しながら得点を挙げる一方で、相手の流れになったときにその勢いを食い止められないという、よくも悪くも今シーズンのフロンターレを象徴する試合だった。

 この敗戦により2012年のシーズンが終了。試合後、中村憲剛は怒りと悔しさが入り混じった表情をあらわにしながら、無言で早々と選手バスに乗り込んだ。

 その数日後。「プロとして情けないし、恥ずかしい。『最後はすごくよくなってきた』って話して終わりたかったのに、あの結果でそんなことも言えなくなった」と憲剛は話しはじめた。3-0で前半を折り返した時点で、チームとして割り切った戦い方を徹底する選択肢もあったかもしれない。しかし試合を落ち着かせるような選手がベンチに控えていなかったこともあり、結果的にその穴が大きく響いてしまった。

「怪我人が出ていたし、90分戦うためのチーム力が足りていなかった。この間の大宮戦が顕著な試合でしょう。前半で3点リードしたけど、メンバー構成上、守備的な戦い方を選択するのは難しかったし、前半の戦い方をベースにするしか勝ち方はなかったと思う」

 時期的なこともあり、チームの話題となるとどうしても口が重くなってしまう。だが、憲剛は大宮戦の前半の戦い方に希望の光を見出していた。

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「最初からミスはあったけど、崩し方に関してはあれが理想。ゴールも練習どおりの形だったし、前半で4点5点入ってもおかしくない試合だった。あのサッカーを90分できればおのずと上にいけるはず。

 もちろんチームとしての戦い方に甘さはあった。でも後半に関しては人(選手)で変えられる問題だし、戦い方(戦術)でも解消できる部分はあると思う。むしろ問題なのはメンタルの部分。1点返されたとき、2点目を取られたときに、自分を含めて流れを変えられなかったことに危機感を持たなきゃいけない。3点差をつけても守りに入らないのはチームとして潔いといえば潔いけど、いいところと悪いところがあんなにもはっきり出るかっていうぐらいの試合だった」

 憲剛個人のパフォーマンスで見ると、2012年はここ数年でも非常に安定したプレーを続けた。

 日本代表に呼ばれながらリーグ戦の全試合に出場しただけではなく、ボールタッチ数が明らかに回数が増え、アシスト数も大きく伸ばした。怪我で足を地面につけるだけでも痛みが走る時期もあったが、風間監督は憲剛を信頼してスタメンで使い続けた。2012年は、チームにおける自分の存在意義を改めて見出したシーズンだった。

「全部が全部よかったわけじゃないけど、2011年に比べたら格段の差がある。あの頃は『俺、このチームにいらないんじゃないか』って考えたぐらいだから。そういう意味では、再生することができた1年だったと思う」

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新しい方向性を模索していくなかで

 そもそもフロンターレの2012年は手探り状態からのスタートだった。

 チームはここ数年、監督が1年ごとに代わっており、新しい方向性を模索している最中だ。憲剛も2011年のシーズンを終えたシーズンオフに相馬監督(当時)と膝を詰めて何時間も話し合い、思いの丈をぶつけた。

 チーム全体としても2011年の反省をふまえ、戦術面での修正も行った。だが、蓋を開けてみれば思い描くような結果を得られず、チームとして全員が同じ方向に向くことができなかった。「一度やろうとしたことが変わってしまうと、もうもとに戻すことはできない。監督ってすごく難しい仕事だと思う」と、シーズン序盤の頃を振り返る。

 憲剛にしても、練習グラウンドやスタンドから見ていると、日本代表で大舞台を経験し自信をつけて帰ってくるたびに、代表とクラブとのギャップに苛立ちを感じているようだった。

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 ピッチで体感するレベルが高くなっていくぶん、当然チームメイトへの要求も高くなっていく。技術レベルの高い選手を基準に置いたサッカーを目指す風間監督が就任したことにより、その中心にいる憲剛の存在がより際立つようになったが、それだけでは常勝チームにはなれない。むしろ憲剛の周りにいる選手たちのパフォーマンスが浮沈のカギを握っているのではないだろうか。憲剛が黒子に徹することができるようなグループになったときこそ、本当の意味で選手の力量、チームのベクトルが揃うときなのかもしれない。

「風間さんが指向するサッカーは、俺が漠然と考えていたサッカーに近かった。だからすんなりはまったんじゃないかな。自分たちでボールを持って崩し続けるスタイルって、サッカー選手としては理想の形だから」

 2012年の開幕前のキャンプの頃とシーズン終盤とでは、はた目から見てもまったく違うチームになっていた。主力メンバーが入れ替わったのはもちろんだが、練習の際のボール回しをするエリアの狭さとパススピードの違いを見れば一目瞭然だ。練習時間にしても短時間で集中したトレーニングを行うようになり、ブレイクは水分補給時のみですぐ次のメニューに移る。フィールドプレーヤーの足が止まっている時間はほとんどない。風間監督が就任して以降、見た目以上にハードなトレーニングが黙々と続けられていった。

01行き着く先は気持ちをこめて戦えるかどうか

 その一方で、シーズン途中に田坂祐介がドイツのクラブに移籍。柴崎晃誠も期限付き移籍でチームを離れた。独自路線をいくチームは、客観的に見れば非常に面白い存在だろう。だが、実際にプレーする選手はそれぞれがサッカーに対する考えを持っており、1年1年に自分のサッカー人生をかけている。チームのスタイルに合わない、もしくは合わせられないのであれば、プレーの場を他所に求める選択肢も入ってくるだろう。それは変化の過程においては当然の流れであり、ときに痛みを伴うこともある。

「新しいサッカーを受け入れるのが早い選手ほど、新しいチームにうまくはまったと思う。まず後ろの選手が変わった。井川(祐輔)やユウスケ(田中裕介)、サネ(實藤友紀)あたりは明らかに変わったと思う。もちろん個々の考え方が柔軟だったのもあるだろうけど、DFは基本的に前からしかプレッシャーがこないから、意識さえ変わればつなぐことに対してチャレンジしやすいポジションだと思う。後ろの選手は(ロングボールを)蹴ろうと思えばいつでも蹴れるわけだから。だからディフェンスの選手が最初に風間さんのサッカーに反応して変わりはじめたのは、ある意味必然だったのかもしれない。でも中盤から前の選手はそれだけじゃダメ。全方位からプレッシャーをかけられるなかで、ときとしてリスクのあるパスを出さなきゃいけないし、さらに言うとどんなパスもミスなく正確につながなきゃいけない」

 チームが急激な方向転換をするなかで、選手たちの意識も少しずつ変わっていった。風間監督の就任が発表されたのがゴールデンウィーク前の4月23日。あれから8ヶ月足らずの天皇杯大宮戦が、2012年のラストゲームとなった。前半45分で3得点、後半45分で4失点。いい意味でも悪い意味でも最後に強烈なインパクトを残しただけに頭に残ってしまうが、シーズン序盤で監督交代という大きな出来事があり、そこからがらりとスタイルを変え、中断期間なし、さらに怪我人が続出したシーズンを乗り切ったことに関しては前向きにとらえてもいいだろう。

「もちろん文句を言いたい人もいると思う。そこは言い訳しない。だけど、いろいろなことが隠れてしまっているのも確か。厳しいシーズンという意味では、2011年の方がよっぽどきつかった。2012年は風間さんが監督になった第8節の広島戦から連戦続きのスケジュールで、風間さんが試合で選手を見極めながらチームの土台を浸透させていった。言ってみれば公式戦でチームを一から作っていったようなもの。それでも最終的にはリーグ戦で勝ち越して8位。途中で監督が代わった他のチームが軒並み残留争いをしているなかで、うちもどれだけ危機的な状況だったかはわかってほしい」

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 チームとして新しくどんなサッカーを目指すのか。2012年はそのヴィジョンに一本芯が入ったシーズンだった。風間監督は新しいフロンターレ、Jリーグにないスタイルのチームを作り上げようとしている。憲剛も今シーズンを通して、選手の意識が明らかに変わってきたことを認めている。だが、厳しい口調でこう続けた。

「ユウスケなんかは当然なんだけど、サネやユウ(小林悠)、クス(楠神順平)、ノボリ(登里享平)やリョウタ(大島僚太)なんかは、チームを引っ張る意識を持ってやってほしい。しっかりやっている選手はやっているけど、それが11人じゃ足りない。走れる選手、戦える選手が最低でも15人以上いなきゃ、上を狙えるチームにはなれないと思う。技術はあって当然で大事なことだけど、最終的に行き着くところは、気持ちを込めてチームのために戦っているかということ。フロンターレのエンブレムをつけてプレーする重みを感じているのかという話だよ。俺らが何とかしなきゃという気持ちをもっと持ってもらいたい」

 チームを牽引する立場だからこそ、ときにはチームメイトに厳しい言葉を投げかける。だがそれは仲間を鼓舞するだけではなく、責任感を持ち自分自身を奮い立たせるためのメッセージなのかもしれない。

プレーの充実感をチームの結果につなげるために

01 そして2013年。憲剛にとってフロンターレでの11年目のシーズンがやってくる。風間監督の言う「自分の利益とチームの利益を一致させること」、つまり自分がプレーする充実感をチームの結果につなげたい。その思いが憲剛をまたピッチに向かわせることになりそうだ。

「個人的にもっとうまくなれるんじゃないかって思ってる。チームとしては2012年の終わり方が終わり方だっただけに危機感はある。ただ、チームの課題がこれ以上ないぐらい明確になったのも確か。チーム編成がまだどうなるかわからないし、そう簡単なことではないけれど、全員で努力して課題をクリアして自分たちの質を伸ばすことができれば、もっと上に行くことができると思う。だから、いまは楽しみしかない。風間さんがきてから8ヶ月で意識や足下の技術もだいぶ変わってきた。チームの土台の部分はできてきたから、戦える選手たちが揃えばもっとやれると思ってる」

 フロンターレで力をつけて大きくなった憲剛だからこそ、クラブへの愛着は人一番強い。移籍制度が変わり選手が移籍しやすくなった昨今、昔のようにひとつのチームでプロ生活を終える選手は少なくなった。海外への道もオープンになり、欧州のクラブで日本人がプレーするのが珍しくなくなったいま、チーム愛という言葉はもう古臭いのかもしれない。憲剛にしてもあと5歳若ければ、海外のクラブでプレーするチャンスもあっただろう。だが長くチームにとどまりチームのためにプレーを続けたからこそ、中村憲剛という選手が作られたのは紛れもない事実だ。

「もちろん時代の流れもあるし、選手としては選択肢が増えているのはいいことだと思う。でも、これはどのチームもそうだろうけど、選手のクラブに対する忠誠心や意識が薄くなっていく時代になるんじゃないかな。だけど、忘れちゃいけないものもある。最後は結局、自分の気持ちはどうなんだってこと。このチームで何かを成し遂げたい、タイトルを獲りたい、代表に行きたいっていう選手がどれだけいるかだと思う。フロンターレの一員である以上、麻生グラウンドや等々力でどれだけでかくなれるか。その勝負でしょって言いたい。ネクストフロンターレを考えると、まぁ心配ですよ(苦笑)」

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 黒津勝が2012年のシーズンをもって契約満了となり、J2優勝を果たした2004年を知る所属選手は中村憲剛と伊藤宏樹だけになった。中堅どころの選手も移籍し、気づけば憲剛の下の生え抜きの選手は7つ下の杉山力裕や小林悠の年代になる。その現状に寂しさを感じているからこそ、憲剛はクラブが育て上げた選手が中心になってチームを盛り上げていくことを願っている。いまや憲剛はフロンターレを象徴するような存在で、衰えるどころか現在進行形で進歩を続けている選手だ。だが、いつまでも重い看板を背負わせてプレーさせるわけにもいかない。チームの中心としての自負や責任感があるからこそ、心のどこかで安心してバトンを託すことができる選手の台頭を待ちわびているのかもしれない。

「もしそうなったらなったで、ちょっと寂しいけどね。でも、若い選手が『結局、憲剛さんがやっちゃうんでしょ』みたいな雰囲気になっているんだとしたら、それもまた寂しいことだよ。みんなが頑張っているのは見てるし、認めてる。少し引いたスタンスで若い選手にのびのびやらせて、全員でレベルアップするのが理想なのかなって考える時期もあった。でもそれじゃあ結局、俺自身も伸びなかった。だから、みんなの頑張り以上に俺はやるし、負ける気はさらさらない。むしろ追いつき追い越せぐらいの気持ちを肌で感じさせてほしい。ぎりぎりのところでの競争がないとお互いの力を引き出し合えないから」

そして最後に、力強い口調でこう言った。

「そうなればフロンターレはもっと強くなれる」

 チームメイトを叱咤激励しながらさらなる高いレベルを求め、つねに前を向いて成長を続けていく。その強い気持ちさえ失われなければ、憲剛はもっと大きな存在になれるだろう。チームの先頭を走り続ける背番号14に追いつくような選手が現れるのは、まだしばらく先のことになりそうだ。

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[なかむら・けんご]

長短のパスを駆使してチームのリズムを作り上げる国内屈指のゲームメーカー。天性のパスセンスやポジショニングの良さは彼ならではのもの。プロ入り11年目を迎えるが、プレーの若々しさが衰えることはない。 1980年10月31日/東京都小平市生まれ、175cm/66kg > 選手プロフィール

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