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  • ピックアッププレイヤー 2017-vol.05 / 阿部浩之選手

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理想=究極

MF8/阿部浩之選手

テキスト/麻生 広郷 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Aso, Hirosato photo by Ohori,Suguru (Official)

 新たな決意を胸に、川崎フロンターレの一員となった阿部浩之。シーズン開幕当初は前チームとのスタイルの違いに若干戸惑いを見せていたが、試合を重ねるごとに本領を発揮。攻撃陣の一角として重要なピースとなった。新天地で自分の生かし方、周りの生かし方をつかんだ万能アタッカーが目指す理想形とは。

 阿部浩之という選手を語る上で外せないキーワード、それはテクニックとハードワークだろう。個人スキルの高さに加え、攻守に渡り90分間走りきることができる。彼がサッカー関係者から高い評価を受けるのは、現代サッカーにおいて必要不可欠な要素を兼ね備えているからこそ。その根拠は彼が通ってきた道、そして追い求める道が示してくれている。

「4つ上の兄ちゃんがサッカーをやってて、自分も幼稚園の年中ぐらいから家の前でボールを蹴って遊ぶようになった、っていうのは親から聞きました。おかんもおとんもサッカー知らんかったし、やっぱり兄ちゃんの影響が大きかったんかなぁ」

 関西出身の選手が多くいるチーム内でも、こてこての関西弁が印象に残る。奈良県北葛城郡に生まれた阿部が本格的にサッカーをはじめたのは、友達に誘われて入った地元のサッカークラブ、エントラーダSCだった。エントラーダではインステップ、インサイド、アウトサイド、もも、頭で毎日学年×10回のリフティングを行ってから練習に入った。本格的に基礎技術を学んだのが県内でも指折りのクラブだったのは、阿部にとってラッキーなサッカー人生のスタートだった。

「地元のチームやのに奈良ではけっこう強くて、全国大会に出て試合をしたりしていました。そこで自分も高いレベルでサッカーをやりたいなって思うようになったんですよね」

 中学に上がると県内でトップクラスのクラブ、高田FC(現ディアブロッサ高田FC)に進んだ。1学年40人という大所帯だった高田FCでは、とにかく個人技に特化した練習に取り組んだ。

「2年の終わりまでドリブルの練習以外しないんですよ。ひたすら個人技。たぶん静学(静岡学園)みたいな感じですね。だから試合をやったら団子サッカーみたいにになって、1人対11人でパス出すなって感じ。別に自分のことはうまいと思わないですけど、とっさに出るボールタッチとかは小中でやってたことが出てるんかなと思いますね。めちゃめちゃ技術練習をやらしてもらえたから」

   

MF8/阿部浩之選手

 そんな阿部が次に選んだのは、創部したばかりの大阪桐蔭高等学校サッカー部だった。大阪桐蔭といえば野球部のイメージが強いが、2005年の創部以降インターハイや高校選手権に出場。すでに10名のプロサッカー選手を輩出しており、かつてフロンターレに所属していた高須英暢(2010年~引退)や田中淳一(2012年~現FC岐阜)は阿部の後輩にあたる。

「他の選択肢もあったんですけど、高田のとき自分の学年では出られても上のカテゴリーには出られなかったんですよ。それやったら意味ないなって考えて、一期生として桐蔭サッカー部に入りました。部員が全員1年生だからずっと試合に出られるわけで、対戦相手が3年生だと体つきが全然違うじゃないですか。だからでかい相手にも負けへんようなやり方をいろいろ考えるようになりましたね。1年のときから大阪ベスト16に入れたし、部活サッカーの縦社会みたいなものは味わってない反面、最初から試合経験を詰めたのがめちゃめちゃでかかったです」

 中学3年になった頃には、阿部自身のなかでパサーとしてのプレースタイルが固まってきた。もともと中盤の選手で攻撃的なポジションからボランチでプレーしていたが、たくさんボールに触ってリズムを作りながらクロスやコンビネーションでゴールを演出するという阿部の特徴が磨かれた。

「技術面もすごくやりましたけど、フィジカルもけっこうやりました。大阪と奈良の県境にある生駒山に練習場があって、普通の人だったら絶対走れへんようなきつい坂を走って上がるんですよ。タイム設定ありで週2、3回。そこで走る力とメンタルを鍛えられました。鬼の部活でしたね」

 高校を卒業し、そのままプロになりたいという思いもあった。だがプロのクラブでの練習参加を経験し、まだ自分には足りないもだらけというのを痛感したという。

「『あ、これは全然あかんわ。まだ無理や』って思ったんです。もしプロに行ったとしても、すぐクビになるだけやって。ほんで高卒でプロに行くのは諦めて、大学に行くことを決めました。単純な技術だけならある程度はいけるなってのはあったんですけど、その技術を使うための判断スピードや体の強さが全然足りてなかったです」

 阿部は高校を卒業し、当時の監督だった加茂周氏に誘われて関西学院大学に進んだ。大学時代は1年生からレギュラーで出場。中盤に加えてひとつ前のシャドーストライカーやウイング的なポジションでもプレーし、4年生の後期にはFWに入り関西1部リーグ得点王を獲得。もともとシュートは得意だったが、一番前のポジションで得点を重ねることにより、チャンスメイクだけではなく点も取れるアタッカーへと成長した。

「大学2年のときからプロの練習に行かせてもらって自分のなかで自信がついたというか、高校のときとは違う感覚でやれるようになりましたね。ただ、大学を踏んでプロになるということは即戦力じゃないと取っもらえへんから、入ってどれだけすぐに使ってもらえるかということに目標を置いてました」

 大学時代のある日のこと。ヴィッセル神戸に練習参加をしたときに、練習試合のメンバーに大久保嘉人(現FC東京)がいた。そこでトップクラスの選手のプレーを目の当たりにして、阿部のなかで何かが変わったという。

「公式戦で退場したか何かでヨシトさんが練習試合に出てて、他の選手と明らかに動きが違ってたんですよ。ヨシトさんって何でもできるじゃないですか。フロンターレでは点を決める役割でしたけど神戸の頃は1人で全部やってて、ディフェンスにしても迫力があってめちゃめちゃすごかった。これが本物なんや、これがトップやねんなって。そこでまた意識が変わったっていうか。自分もこの体、このサイズでどれだけ強く速くなれるかって考えるようになりました」

 G大阪でプロのキャリアをスタートさせてからの阿部の活躍は記憶に新しい。阿部が加入した当時のG大阪はJ2降格を経験したものの、1年でJ1に復帰。それだけではなくJ1復帰1年目の2014年はリーグ戦、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)、天皇杯の国内三冠タイトルを制覇している。一時代を築いたメンバーの一員として、阿部は大きくステップアップした。

「大卒の選手で、ましてやガンバで試合に出してもらえたのは大きかったです。スペシャルな部分を持った人たちの集まりのなかでもまれながら食い込んでいくのは大変でしたけど、盗めることもいっぱいありました。いいプレーをしたらチャンスをもらえましたし。2013年から長谷川健太監督になって、監督が求めることも理解できるようになって自分のなかで余裕が出てきました」

 ひとつ聞いてみたいことがあった。国内タイトルを総なめしたG大阪のばりばりの主力選手だった阿部がフロンターレへの移籍を決断したのには、どんな理由があったのだろうと。プロに入って5年がたちちょうど契約が切れるタイミングだったが、そのまま契約を延長してもおそらくプロとして一線級の活躍を続けられただろう。質問をぶつけてみると「うーん、これは難しいな…」とひとつ間を置き、話しはじめた。

「いろんなクラブに行ってチャレンジしたかったんです。ひとつのクラブで現役生活を終えるのってすごいことやけど、移籍することでいろんな人に出会えるじゃないですか。環境が変わることでサッカー選手としてはもちろん、いろんな人と出会えて人間としての幅も広げられる。もちろんガンバは好きなクラブで、すごく感謝してます。大阪も居心地がよくて好きですし。でも、サッカー選手としてチャレンジしたい、ひと皮むけたいという思いがありました。もしガンバでタイトルを獲ってなかったとしたら、きっと出ることはなかったと思うんですよね」

 そのままG大阪でプレーすれば、いいシーズンが続くのはわかっていた。ただ、タイトル制覇というひとつの目標を達成し、サッカー選手として脂が乗り切った時期に入り次に何を目指すのか──。

 阿部が選んだのは、チャンスを目の前に手繰り寄せながらJ1でまだタイトルを獲ったことがない川崎フロンターレだった。

「結局のところ、タイトルを獲らないと僕は嫌なんですよ。でもガンバから移籍となると、優勝を狙えるクラブはそう多くはないですよね。そんなときに可能性のあるクラブのフロンターレから話をもらったんです。もし守りの人生なら安定を求めて残りましたけど、そこはもうチャレンジですよね」

 初の移籍。関東に住むのも初。プロでの実績は十分だが、阿部にとってはゼロからのスタート。取り巻く環境は大きく変わった。

「がらりと変わりすぎましたよね。でも移籍したらそれは当然のことやし、自分自身それを求めてたから当たり前と思ってました。ただ、やっぱり最初は難しいですよね。チームの雰囲気に慣れるのはまったく問題なかったですけど、サッカーの部分が一番難しかったです」

 当然ながらフロンターレとG大阪では、動き出すタイミング、パスが出てくるタイミングが違う。さらにチームとして目指すスタイルや、選手のサッカーに対する考え方も大きく違っていた。阿部がスタメンを張っていた頃のG大阪は守るときはがっちり守りながら、勝負どころでテンポアップして前線の個のタレントを生かした攻撃につなげるイメージがある。阿部はチームの縁の下の力持ちとしてピッチを上下動しながら、攻守のリンクマンとして機能していた印象が強い。

「ガンバではそれで点が取れたし、内容がどうであれ勝てるからオッケーって割り切れたんです。大変でしたけどやりがいがありましたし、充実感がありました。でも、フロンターレはボール持ってなんぼじゃないですか。正直、最初の頃はビルドアップに関しては、そこ無理してつなぐ必要あるんかなって思ったときもあります。その考え方を合わすんが苦労したところですね。でも、みんなうまいしサポートもしてくれるから、相手のマークを外せたときはチャンスになるっていうのが最近わかってきました。やっと慣れてきたって感じですかね。頭の考え方と体が合ってきたのかなと思います」

 開幕前のキャンプでの練習試合では、阿部がチームとして機能しているかといえばそういいきれない部分もあった。相手にサイドから崩しを狙われたときに持ち味の運動量を生かしてサイドバックの選手の近くまで戻って守備をしたが、チームメイトからはそこは戻らなくてもいいんじゃないかと声をかけられる場面もあった。また攻撃では味方との距離感が合わず、相手ゴール前で崩しにかかるタイミングでコンビネーションの輪に入れていない場面が多かった。でも阿部本人としてはそれが正解だと感じて動いているわけで、前チームで身についた感覚だった。当時、本人に話を聞いても、攻守のバランス、重心の置き方に苦労していたようで、その表情はいまいち冴えなかった。

「頭でわかってるけど動かないんですよ、体が。あ、いまって思っても体が動かへんから相手に取られちゃったりして。逆に考えてるうちはあかんなって、自然に反応できるようにならんと無理やなって思ってました。僕も難しいですけど、周りも難しかったと思いますよ」

 だが、その問題は時間が解決してくれた。膝の故障で3月半ばから約1ヶ月チームを離れた時期があったが、戻ってきてからスムーズにチームのテンポに入れるようになった印象がある。4月21日の清水戦(リーグ第8節 △川崎2-2清水)ではフロンターレでの公式戦初ゴールを記録。目に見える結果が出て、少しずつ感覚をつかみはじめていた。

「怪我するちょっと前ぐらいから何となくわかってきたんですけど、怪我してチームを外から見ていろいろ思うこともあったし、冷静にというか、客観的に見られた部分があったんですよね。やっぱり考えすぎてたんかなって。合わせよう、合わせようと思いすぎてたんかなって」

 もともと能力の高さは折り紙つきの選手。一度タイミングが合えば、すべてがうまく回っていく。5月5日の新潟戦(リーグ第10節 ○川崎3-0新潟)の得点を皮切りに、ACLも含めて公式戦4試合連続ゴール。自然とボールが回ってきて、阿部にチャンスが巡ってくるようになった。チームが勝てない時期はもやもやした気持ちを抱えながらのプレーだったが、白星が先行するようになってからは阿部自身もどこか吹っ切れたように見えた。

「やっぱり一番は信頼関係かなって思いますね。点が取れるようになってみんなから信頼してもらえるようになって、パスがどんどん出てくるようになりました。もともと本能でやるタイプなので、それが徐々に出せてきたのも大きいです。周りが合わせてくれてるのもありますけど、お互いこうすればいいんだっていうのがわかるようになってきたんかなって思いますね」

 G大阪ではどちらかといえばチャンスをお膳立てする役回りが多かったが、フロンターレでは前線で起用されることも多く、流動的なポジションを取りつつフィニッシュに持ち込む役割も求められている。前チームで確立された献身的なプレー、そして新チームで確立されつつある勝負を決めるプレー。どちらも彼の持ち味だが、阿部自身も去年までとはまた違った充実感があるという。

「点を取り続けながらガンバでのプレーができるっていうのが、僕の理想というか究極です。まだ成長段階ではありますけど。もしそれができたら最強ですよ。点取れるわ、ディフェンスできるわ、何でもできるわってなったら、どんな監督にも使ってもらえるでしょうし。だから何でもできる選手になりたいですよ。そのための移籍でもあったわけやし」

 チームとしても怪我人を多く抱えるなかでACLを含めたハードスケジュールを強いられたが、苦しい時期を乗り越えながら力をつけてきている。夏場に向けて再びタフなスケジュールに入っていくが、阿部をはじめとする新戦力や若い選手たちがチームにいい刺激を与えてくれそうだ。

「僕のなかでは鹿島やガンバ、あとは若い選手が多くなったけど柏とか、したたかなチームやなって思いますよ。何もいわんでもわかってるみたいな空気が全体に伝わってるんですよね。みんながきっちり自分の仕事をして、なおかつ隣の選手をカバーするぐらいの余裕があるんで。そういうしたたかさが出てくれば、もっとよくなると思います。フロンターレは若い選手が多いし、将来的にはめちゃめちゃ面白いと思いますよ」

 ベテランから若手まで揃ったチームのなかで、自分の存在を確固たるものにしたい。攻撃のときはボールを預ければ何とかしてくれる。守備のときには後ろの選手の負担を軽くしてくれる。使い勝手のいい、何でもできる選手になりたい。年齢的にもプロのキャリアとしても、いい時期に入ってきた。阿部自身も次のステップに向かっている。

「目指すところはもちろんチームのタイトルです。とりあえず何でもいいからひとつ獲りたいですよね。最初から全部狙うとかは僕、嫌いなんで。結局はひとつ獲らないと次にいけないんですよ。ガンバで三冠を獲った年、カップ戦で勝てたから勢いに乗ってリーグ戦も獲ろうってなったし、獲れたから次の天皇杯もって流れだったんで。シーズン中盤から後半にかけてJリーグの連勝が重なったらカップ戦も調子がいいって流れがあるので、そうなったときにどこかでひとつ獲りたいですよね」

 何でもいいからひとつタイトルを獲る。ひとつ獲らなければ次にいけない。非常に重みのある言葉だった。過去にフロンターレに所属していた選手たちからも聞いたその言葉が、頭のなかに蘇ってきた。実際に優勝を経験した選手がいうのだから間違いない。その目標が現実になったとき何かが変わり、新しい道が開けるのだろう。

「ほんまそうやと思います。獲ったら絶対変わります。自信になるし、勝ったときの喜びがすごかったんですよ。とくに僕はカップ戦が初タイトルやったんですけど、0-2から逆転っていう劇的な展開やったんでもうやばかったです。あの喜びを一度味わうと、また優勝したいわって思いがずっと続くんですよ。カップ戦って表彰のときメインスタンドに上がるじゃないですか。あそこからの景色がめちゃめちゃいいんです。逆に下から見るのって一番悔しいじゃないですか。それぐらいなら一発目で負けた方がいいぐらいの気持ちになる。僕もファイナルで負けたこともあるから、すごくよくわかります。それをフロンターレはいっぱい味わってるわけやから、余計に勝ったときの喜びがでかいと思うんです。だからまずひとつ。一番上に立ちたいです」

フロンターレのユニフォームを着て表彰台に立つ──。

 その光景をイメージしながら、阿部はプロサッカー選手としての究極を追い求め続ける。

profile
[あべ・ひろゆき]

G大阪から完全移籍で加入した攻撃的MF。足下の技術とシュート力、ドリブル突破が持ち味のアタッカーだが、ハードワークできるオールマイティーな選手でもある。プロデビュー以来コンスタントに出場を続け、攻守をつなぐリンクマンとしてG大阪のタイトル獲得に貢献。さらなる成長を求めてフロンターレにやって来た。新天地でも光り輝くことができるか。

1989年7月5日
奈良県北葛城郡生まれ
ニックネーム:あべちゃん

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