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  • ピックアッププレイヤー 2018-vol.04 / GK31 / ポープ ウィリアム選手

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ポープ ウィリアム選手

何度も、何度でも。

テキスト/いしかわ ごう 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Ishikawam Go photo by Ohori,Suguru (Official)

 明治安田生命J1リーグ第2節・湘南ベルマーレ戦。

 ポープ ウィリアムは、2017年度に川崎フロンターレに加入して初めてとなるメンバー入りを果たしていた。

 試合開始45分前から始まるウォーミングアップ。ゴールキーパー陣は、フィールドプレイヤーよりも先にピッチに出て行う。

・・・すげぇな。
昨年公式戦でベンチ入りすることがなかったポープにとって、初めて体験する等々力競技場の光景は圧巻だった。ピッチに足を踏み込み、Gゾーンに陣取っているサポーターにゆっくりと向かって行く間、高ぶる気持ちを抑えきれなかった。

「すごい景色だ・・・と思いながら、まわりを見渡していました。実際の雰囲気って、ピッチに立ってみないとわからないじゃないですか。アップのときからワクワクしてましたね」

 隣にいた新井章太に「めっちゃいいっすね・・・」と興奮したまま話しかけると、「めっちゃ、いいだろう?」と誇らしげに返された。この何気ないやりとりは、新井自身もよく覚えている。

「覚えてますね。『この雰囲気で毎回試合をやりたいだろ?』、『試合に出たいよな?』とか、そういう話をしながら、アップに向かいました。自分が試合に出て、ポープがサブで・・・理想というか良い感じだなと。なんか嬉しかった」(新井章太)

 実は両者は、東京ヴェルディ時代からの顔なじみでもある。新井が新人としてヴェルディに所属していた時期、当時ユースだったポープは3年間トップチームの練習に参加していた。GKとして駆け出しの時期を過ごした関係なのだ。

 数年前まではJ2リーグで出場機会のなかった二人が、JリーグチャンピオンチームのJリーグ・ホーム開幕戦で、ゴールマウスを守る準備をしている。守護神チョン・ソンリョンの負傷により巡ってきたという事情ではあったが、これはこれで一つの物語だったのかもしれない。ポープは自分を試合モードにしつつ、ベンチから戦況を見つめた。

「新吉さん(菊池新吉GKコーチ)からは『サブだけど、出るつもりで準備するように』と言われていたので、出るつもりで臨んでいました。もし出ていたら・・・・どうだったんですかね。あまり緊張はしない方だし、出番があったら試合は楽しめていたと思います。ベンチからは、ただ勝ってくれと願っていましたね。自分のチームが負けるのは嫌だし、純粋に勝ってほしいと思っていました。フロンターレは、そう思えるチームなんです」

 試合は小林悠のヘディングゴールで後半に先制したが、その後にコーナーキックから失点。スコアは1-1のままで、タイムアップのホイッスルが鳴った。ポープ自身はベンチで90分を過ごしたが、それでも得るものも大きかったと振り返る。

「試合に向けた準備のところですね。試合に出る人たちの過ごし方を見れた。ああいう雰囲気の中で、自分のパフォーマンスを出せている選手の雰囲気・・・ユウくん(小林悠)、ケンゴさん(中村憲剛)、ショウゴさん(谷口彰悟)とか本当にすごいな。そこに向けて、自分ももっとやらないといけないと思いました。そして等々力は想像していたよりも、すごかった。すごく奮い立たされるような感じがあって、このピッチに立ちたいと思いましたね」

 そのためには、どうすればいいのか。

 答えは、実にシンプルだった。

「1日1日、少しでも埋めていくしかないですよね。練習がモノを言うと思っています」

GK31 / ポープ ウィリアム選手

 1994年、アメリカ人の父と日本人の母の元、東京都日野市に生まれた。

 幼少時代の記憶を尋ねると、「貧乏でしたね・・・ド貧乏です(笑)」とあっけらかんと笑い、自らの家庭環境を話してくれた。

「幼稚園のときに両親が離婚して、母子家庭だったんですけど、母親は英会話教室をやっていました。親父は借金を残したままいなくなったので、最初はやめる予定だったんですけど、母が続けると言ってやっていました。『・・・母ちゃん、大丈夫か?』と思ってましたけど、家に帰ったら、毎日ちゃんとご飯もあった。本当に母親はすごいと思います」

 サッカーとの出会いは、幼稚園だ。

 一つ年上の幼馴染に誘われて、八王子にある大和田サッカークラブに入った。当時から体格が良く、わんぱくな少年だったが、新しい環境に飛び込むのは苦手なタイプで、最初はサッカーに行きたくないと駄々をこねて泣きわめいた。

 だが母親に「ポケモンパンを買ってあげるから」となだめられて通い出すと、あっという間にサッカーが楽しくなった。のめり込んでいくうちにメキメキと技術も上達し、その外見も相まってか、ポープ ウィリアムというサッカーのうまい少年がいる噂は、周囲にも知れ渡っていたという。

 しかし小学4年生の夏、足首を骨折してしまう。

 怪我でサッカーボールを取り上げられたポープ少年は、エアコンの効いた部屋で、毎日のようにアイスを食べて過ごしていた。そして気づいたら、体重が8キロも増加。復帰しても体重過多から、思うようなプレーができなくなっていた。

 八王子では冬になると新春フットサル大会が開催される。それまではフィールドプレイヤーだったが、動けないことでゴールキーパーとしての出場を打診された。これが後の転機にもなったのだが、世の中、何がきっかけになるかわからないものである。

「ポープってすごいやつがいるって、わりと有名だったんですよ。でも動けない・・・どうする? となって、とりあえずGKやれと。そしてその大会で、めっちゃ活躍したんです」

 その八王子の新春フットサル大会で大活躍したGKポープは、優秀選手に選出された。ちなみに大会最優秀選手は中島翔哉(ポルティモネンセSC)で、中島がヴェルディジュニアに入る前に出場した最後の大会でもあった。そしてポープは、ここからGKの道へと進んでいく。

 小5の年末、母親の実家である仙台に帰省していたときのことだ。

 そのときに八王子から仙台に引っ越していた友達に会いに行くと、すっかりベガルタ仙台のサポーターになっていた友人に誘われるまま、仙台の練習を見学しに行くことになった。当時のベガルタ仙台の監督は、ヴェルディのOBとしても有名な都並敏史だった。ゴールキーパーの練習を真後ろから熱心に見学していると、藤川孝幸GKコーチから「キミ、GKやってるの?」と、ふいに声をかけられた。

「はい、たまに」

 そんな会話をかわしていると、「この後、ちょっと練習に来てよ」と藤川GKコーチに言われたのだ。驚きながらも指定された時間にグラウンドヘ行くと、GKの基礎練習の指導を受けた。

 見どころがあったのだろう。その場でベガルタのスクールに勧誘されたという。「実家は東京なんです」と明かすと、東京にいる知り合いのコーチに連絡を入れておく旨を伝えられた。するとある日、Jリーグの東京ヴェルディの育成組織のコーチから自宅に連絡が来たのである。

 電話の声の主は、菊池新吉と名乗った。

・・・そう、現在の川崎フロンターレの菊池新吉GKコーチである。

 当時、ヴェルディで育成に携わっていた菊池は、ジュニアから女子まで様々なゴールキーパーの人材の発掘に当たっていた。そこで連絡を受けてコンタクトを取ることにしたというわけだ。当時の経緯について尋ねてみると、菊池GKコーチは少し懐かしそうに回想する。

「連絡をくれたのは、確か都並さんだったと思います。こういうところにいるらしいよと連絡をもらって。ヴェルディのスタッフに聞いたら、そこのチームの指導者は知り合いだと言うので、確認してもらいました。そこで小学校のチームに行って試合を見に行ってみたら、面白いなと」

 とはいえ、当時のポープはまだ小学高学年である。ゴールキーパーというポジションは、技術面はともかく、将来の伸びしろをサイズに左右されることも少なくない。将来性を見極めるポイントは、どこなのだろうか。

「決め手は、試合を見に来ていたお母さんの身長が大きかったことですね。170cmちょっとぐらいあったのかな。早いうちに彼を入れてみてはどうかとヴェルディに相談しました」

 将来的な身長の伸びを予測する上で、両親の身長を判断材料にするというのはGKスカウトにとってはセオリーなのだろう。特に母親の身長が子どもの成長に影響しているというのは、よく聞く話でもある。ただその後、ラモス瑠偉がトップチームの監督に就任した影響で、菊池は育成部門を離れてGKコーチとして入閣している。菊池とポープの二人が師弟関係になるのは、十年以上後になってからだ。

「すぐに僕はトップチームに行ったので、直接する指導する機会はありませんでした。ヴェルディは同じグラウンドでやるので、たまに見る機会があったぐらいですね。そういう流れがあったので、ずっと気にはしていましたよ。実際に、指導をしたのはフロンターレに来てからが初めてですね」

 ヴェルディからの勧誘は受けたが、ジュニア時代は平日の練習に参加するだけで、週末は地元の少年団でプレーして大会に出ていた。セレクションを経て入ったのは、中学になってからである。ヴェルディのジュニアユースでは、ブラジル帰りの沖田政夫GKコーチからゴールキーパーとしての基礎練習を徹底的に反復させられた。

「少年団だと、GKの基礎練習を指導してくれるのも友達のお父さんだったりするんですよ。素人が見よう見まねでやっているようなものですからね。ヴェルディでは沖田さんの元で、ひたすら鍛えられました。基礎を身につけて、ちゃんと飛ぶ。それをずっとやっていたおかげで、随分とうまくなりました。ただジュニアからやっている選手に比べると、自分はまだまだ下手でしたが」

 下手を自覚していたため、中学卒業後はユースに上がれるとは思っていなかった。それだけに昇格できる旨を伝えられたときは驚いた。ただ勉強が苦手だったので、受験した高校はことごとく落ち、結局、通信高校に入ることになった。

 高校に入ると、トップチームのGKが一人怪我したため、とりあえずトップの練習に来いと言われた。人数合わせではあるが、春からヴェルディのトップチームに練習参加することになったのである。高一にして、プロの環境で揉まれることになったのだ。

「自分でもやれるんじゃないか」

 若さゆえの根拠のない自信はあった。だが、そんな自信は初日から完膚なきまでに打ち砕かれる。初めて体験するプロのシュートにまるで反応できず、しまいには「そんなのも取れないのかよ?」と、先輩たちから冷笑を浴びた。

「あまりにもレベルが違い過ぎる」

 そんなショックから三日間練習を休んでしまったこともある。心配したコーチから電話がかかってきたので、「きついです」と正直に吐露したが、「もったいないぞ。チャンスだから」と言われて、気力を振り絞って再び練習に行く。しかしシュート練習やミニゲームではいつもコテンパンにされた。

 3部練習を続けた3年間を経て、2013年には無事にトップチームに昇格した。

 プロの扉を開き、2年目の2014年には、第29節FC岐阜戦でデビューを果たしている。レギュラークラスにケガ人が続出したことで巡ってきたデビュー戦だったが、ポープ本人からすると、「やっとチャンスが来たか」と待ちわびた一戦だった。しかし結果は、0-3というスコアの完敗。本人の中でも苦い記憶として刻まれている。

「自分の力を見せつけてやるぐらいの気持ちで入ったんです。でも、スコンスコンとやられました。最初の失点が、微妙な形であっさり失点。その1失点目でダメージを受けて、シュート5本ぐらいで3失点したのかな。結局、何もできなかった・・・うん、ただそれだけですね。GKって運があるかどうかってのもあるんですけど、俺は持ってないなと。何より、積み重ねたものがなさすぎました」

 このデビュー戦以降、再び出番が巡ってくることはなかった。

 翌年の2015年も公式戦出場がないのだが、この時期のポープは自分を評価されないことに納得がいかず、それを発言や振る舞いとして表に出して過ごしてしまっていたという。当然、周囲から信頼を得ることは出来ない。さらに不満を出す。まさに悪循環だった。

 にもかかわらず、そういう行動で損をしているということにも自分で気づけていなかった。あるとき、ベテランGK柴崎貴広を前に、「こんな練習じゃダメですよ」、「自分の評価が納得できない」など愚痴ると、大先輩からこう諭された。

「シバくんに『俺らの職業は自分じゃなくて、他人が評価するものだ。いくら自分が優れていると言っても、評価するのは他人であって自分ではない』って言われたんです。でも、その意味を、ちゃんとわかっていなかった。上辺だけで、本質を見抜いていなかったから。

 たぶんサッカーに対する自分の取り組みは間違いなかったんです。でも発言がもったいなかった。パーソナルな部分で損をしていたし、馬鹿丸出しだなと。なんで自分が使われなかったのか・・・今なら、よくわかります。俺のことをヴェルディの人に聞いたら『あいつはダメだな』って、いまだに言うと思います。そのぐらい自分に非があった。ようやくシバくんの言っていた意味がわかって、去年ぐらいにご飯へ行った時に伝えると、『やっと気づいたか』と言われましたね(笑)」

 若さゆえの振る舞いだったとはいえ、周囲からの評価とのギャップは、大きくなるばかりだった。上層部からも問題視され、ついにシーズン中にもかかわらず、指揮官から「お前とは、一緒に戦えない」と宣告された。

 心は折れ、サッカーをやめようかとも思ったが、やはり諦め切れず、踏みとどまった。結局、2015年の終盤は、トップチームの練習参加も認められず、女子チームのベレーザの練習に混じって体を動かして過ごしている。

 再び這い上がろうと誓い、2016年にはFC岐阜に移籍した。

心機一転で頑張ることを決意した。初めての一人暮らしで、練習場が転々とする環境ではあったが、それでもサッカーに真剣に打ち込み、充実していた。

 リーグ戦4試合、天皇杯1試合に出場。

 選手としても、得るものが大きかった一年となった。クラブからも一定の評価をしてもらっていた。翌年の契約に関する打診は受けていて、本人も延長するつもりだった。しかし、J1の川崎フロンターレから突然、オファーがきた。高いレベルの環境を臨むポープにとっては、願ってもない話だった。

「J1だったら、4番手でもいいから入りたいと思っていました。そこでフロンターレから話が来た。12月の半ばぐらいですね。やれるかどうかは自分次第だと思っていたので、絶対にいくぞと。すぐに決断しました」

「こんにちは。東京ヴェルディから来ましたポープ ウィリアムです。自分はポテンシャル、ポテンシャルと言われてきて、そのポテンシャルがようやく開花してきたなと自分でも思っています。そこは少し自信があるので、今年戦っていけるように他のキーパー陣とバチバチやりながら、やっていきたいと思います。応援よろしくお願いします」

 昨年の新体制発表の場で、ポープ ウィリアムはそんな挨拶をしている。

 J2での出場キャリアもあり、J1でもそれなりに通用する感触もあった。キャンプ初日のトレーニングを終えても、自分は通用するんじゃないかと思っていた。しかし、シュート練習をしていると、次第にJリーグ随一とも言える攻撃陣の技術の高さに舌を巻いた。

「衝撃でしたね。本当にうめえなと。シュートのタイミングもそうだし、駆け引きもしてくる。こっちはうかつに動けないし、飛び込むと(シュートを)浮かされる。待ったら待ったでやられるし、動いても撃たれる。岐阜からフロンターレに来て、レベルの差がありすぎた。そこに慣れることに時間がかかりましたね」

 そこからは、ガムシャラに練習に励んだ。練習で手応えのある日があれば、そうじゃない日もあり、日によって気分の浮き沈みもあった。高いレベルに悩みながらも、自分に軸をぶらさず、トレーニングに励み続けた。

 GKの場合、試合に出れるのは一人だけである。競い合いはあるが、GK間には明確とも言える序列があり、ポープはGK陣の中では4番手だった。

 チームにはチョン ソンリョンというワールドクラスの絶対的な守護神がいる。かつて同じチームでプレーしていた新井章太や、ロンドン五輪など年代別代表で国際大会を経験している生え抜き・安藤駿介もいる。たとえ練習で絶好調な日があったからといって、4番手のGKがいきなり先発に抜擢されるような出来事は決して起こらない。そんな関係性の中で、自分を研鑽していく作業に向き合っていくのが宿命だ。

 ベンチにも入れる気がしなかったが、尊敬できる先輩ばかりだった環境はありがたかった。GKの悩みはGKにしか共有できないところもあるが、フロンターレの先輩たちとは、その悩みも話せる関係だったからだ。

「仲がいいですね。月に1回あるかないかですけど、GKだけでご飯もよく行きます。自分が一番若いので、ソンリョンにはいろんな話を聞きます。W杯やオリンピックの話なんてなかなか聞けないですけど、そこについて惜しみなく話してくれる。ショウタくんも安藤くんも、全員がみんなをリスペクトしている」

 

 フロンターレのGKチームは、グループとしての結束も強いという。例えば新井は、選手4人と金通訳が作る雰囲気をこんな風に証言する。

「みんながみんな勝ってやろうとは思っているけど、良いプレーをしたら、『ナイス!」と言うし、普通にゴハンに行って、『いまのチームはどうだ?』という話もする。金ちゃんもああいうキャラだし・・・うん、金ちゃんがいい味出してますね(笑)。なかなかないと思いますよ、この感じのGKチームは」

 夏の時期に選手全員が行う庄子GMとの面談では、「フロンターレでやりたいです」とポープは率直な希望を伝えている。

 夏まではJ1のトップレベルでやっていく難しさも感じていた。ヴェルディに戻って試合に出て自信をつけたいという気持ちもあった。しかし、ここで試合に出るために全力で努力することが、今後の自分の大きな糧になるとも考え直した。試合に出れないGKの苦しみはGKにしかわからないところもあるのだろう。あるとき、新井はこんな助言をポープに伝えたという。

「試合に出たいから移籍したいとか、そういう考えは捨てて、まずここで完璧になってから出て行けと言ったんですよ。ソンリョンが来てからの3年間、自分もマジで試合に出たかった。でもソンリョンと一緒にやっていたからこそ学べることがあった。そうじゃなかったら、今頃違うチームに行っていたかもしれないし、そこでまた2番手だったかもしれない。だったら、ここで自信をつけて出て行ったほうがいい。そういう話もポープにはしましたね」

 Jリーグの優勝を争うチームの環境に身を置き、とにかく自分を磨き続けた。昨年、チームは悲願の初優勝を劇的な形で達成した。チームの一員として過ごしたポープが感じていたのは、試合に出ていない選手達の普段の振る舞いだった。

「みんな、やることをやっているんですよね。試合に出ていなくても、淡々と努力しているし、本当に真面目。誰一人として投げやりにならないんですよね。イガさん(井川祐輔)もそうだし、ケンタくん(狩野健太)もコンディションを落とさないように、ちゃんと時間を計って走っていたりして、自分はそういう人たちの振る舞いを間近で見ていました。ケンタくんは、『自分も若いときは、それ(試合に出れない)でプレーがぶれたときもある。そういうことのないようにやらないとダメだし、自分はそこで後悔している』と話してくれたんです。あれは大きかったですね。あれだけキャリアのある人が言ってくれたので、自分もそうならないようにやるべきだなと」

 チーム在籍2年目を迎えたが、練習で精進する日々は変わらない。

 チョン ソンリョンと新井章太の壁は相変わらず厚く、自分が置かれている立場と実力もよくわかっている。ただ一歩一歩ではあるが、着実に前に進んでいる実感もある。GKとしての成長も、菊池新吉コーチはしっかりと評価している。

「去年来たときよりは、クロスボールの安定感は格段に良くなりました。身体を作るとか、そういうことも継続してやっていると思います。下半身だけではなく、体幹も強くなってきたところがクロスボールの安定感につながってきている。キックの質や精度はもともと良かったですから、あとはシュートストップの部分。最大の仕事はゴールを守ること。そういう一番見えやすい部分を伸ばしてほしい。まだまだ全体的にはレベルアップが必要ですが、年齢的にもまだまだ伸びしろがある。来たときに比べたら、7割ぐらいは整理されてきたと思います」

 完全移籍でフロンターレの一員となった2018年は、もう動き出している。

 ホーム開幕戦で体験した等々力の雰囲気は最高だったが、タッチラインの向こう側にはいくことができなかった。そこに向かって全身全霊をかけてサッカーに向き合っている日々だが、試合に出ていない以上、ピッチで自分をまだ証明できていないという思いも、強く秘めている。

「『お前はすごいよ』、『ポテンシャルはすごい』と言われていても、試合には出ていないですから。試合に出てないということは、ポープはまだ変わっていないと周りからは思われていると思います。もうプロ6年目ですよ。マジで今までもったいなかったと思うし、この年齢で後悔してますから。そういう反骨心は見せていきたい。やるしかないですね」

 ポテンシャルを期待されたまま、その能力を発揮できずに消えていった選手など、ゴマンといるだろう。不遇な時期があり、自分の振る舞いを後悔し、心が折れたときもあった。しかし、彼は何度でも這い上がってきた。

 フロンターレのゴールマウスを守るため。

 その日のために、ポープ ウィリアムは今日も麻生グラウンドでトレーニングに励み続けている。

profile
[ぽーぷ・うぃりあむ]

アメリカ人の父と日本人の母を持つスケールの大きなGK。昨年は期限付き移籍での加入だったが、その伸びしろを認められ今シーズン完全移籍。高い身体能力、長い手足を生かしたプレースタイルでゴールを死守する。

1994年10月21日、東京都日野市生まれ
ニックネーム:ボブ

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