CLUB OFFICIAL 
TOP PARTNERS

FRONTALE DIARYフロンターレ日記

5/15 (水) 2019

カテゴリー:

川崎新田ボクシングジムと共に歩んだ3ヶ月

text by

集客プロモG

カテゴリー:

2019年5月13日。6年前に掴めなかった世界の頂きを追い求め、黒田選手は後楽園ホールのリングに立ちました。チケットはほぼ完売。我々スタッフも幾度に渡って後楽園ホールに足を運んでいますが、この日ばかりは明らかに後楽園はいつもと違う雰囲気に包まれています。
対戦相手は南アフリカ。ホールに駆けつけているほとんどの人が黒田選手を応援しています。誰もが皆、「川崎初の世界チャンピオン」「令和初の日本人世界チャンピオン」が誕生する事に期待と高揚感を抱き会場に足を運んでいたことでしょう。私自身も強く強くそれを願う一人でした。

しかしながら結果は…世界の壁は高かった。あと一歩の所まで、世界の頂きに近づいたものの、その一歩の前に立ちはだかる王者という壁が、最後の最後で黒田選手の前に立ちはだかりました。

この日記は、世界の頂きを掴みかけた13日(月)世界戦の翌日14日(火)に執筆したものです。

遡ること3ヶ月。川崎新田ボクシングジムの創設者であり、現在もジムの会長を務める新田会長から、黒田選手の世界戦の件を正式にお伺いしたのが2019年2月6日のことです。当時相談を受けた際、この段階ではまだ黒田選手の世界戦の日付は最終確定していませんでした。
もちろん急に始まった話ではなく、2018年の最後の防衛戦を戦った後から、世界戦の実施を模索し、新田会長は世界を勝ち取るための舞台を整えることに奔走していました。現に私は川崎新田ジムのマネージャーから年明け前に世界戦の可能性を聞いており、ひそかに年末に行われた南アフリカチャンピオンの試合結果を追いかけていました。
新田会長との打ち合わせを重ね、クラブで応援することが決まったのが2月中旬。このあたりから幾度に渡って向ヶ丘遊園にあるジムに足を運び、世界戦に向けた準備を行ってきました。

「どうしたらこの世界戦がより魅力的なものになるか」「多くの人に知ってもらえるか」「多くの人に後楽園に足を運んでいただけるか」すべては、黒田選手の勝利のために、そして川崎から世界チャンピオンを生むために新田会長と川崎新田ジムのマネージャーとは幾度に渡って頭を悩ませました。
川崎新田ジムのマネージャーさんは、ジムのお母さんのような存在でボクサーみんなに親しまれており、我々スタッフもジム外の人間であるにも関わらず、いつもいつも好意にしてくれる優しい方です。
準備をするにあたって非常に難しい点が、世界戦の日付が決まってから当日まであまりスケジュールに余裕が無いということでした。今回も日程が確定してから試合までは3ヶ月を切っていました。川崎新田ジムは主催になるので、スポンサーの獲得や席割り、チケット準備、後楽園ホールとの打ち合わせ、広報活動などを並行して進めなければいけません。
これは2行に収めた程簡単なことではありません。3ヶ月に渡って川崎新田ジムのマネージャーとずっとお付き合いをしていたので痛いほどわかります。この3ヶ月間とてつもなく忙しい日々を送っていたと思います。しかし、一つのジムがボクシングの世界戦を主催・運営するということはおそらくそういうことなのです。

世界戦実施に向けて、正直難しい部分もたくさんありました。やはり重要なのは広報活動です。いかに多くの方に注目していただくか。スポーツの試合をする上でこれはとても重要な事です。多くの方が知ってくださっているものの、まだまだ黒田選手を知らない方もたくさんいらっしゃったり。ボクシングというものにあまりご縁が無かったりと。
だからこそ、私自身多くの人に知ってほしいがために、表敬訪問にメディアに入っていただいたり、4/5セレッソ大阪戦に等々力陸上競技場にご来場いただいたりと、出来る範囲での周知活動を新田会長と協力しながら進めていました。
ありがたいことに初めて知ってくださった方も、もちろんいらっしゃって、そんな方々からも「頑張ってほしいね!」などの温かいお言葉を頂いたりもしました。様々な場所でフロンターレのサポーターの方々から、黒田選手を応援するお声が度々届き、担当者として感謝しかありませんでした。

4月末のGW前は、ほぼ毎日のように川崎新田ジムの方と電話し、細かい制作物の確認や納品物の相談など、マネージャーの方とはお互いそれぞれの領域を超えて日々助け合いながら世界戦に向けた準備進めていました。
約一週間前、5月8日に行われたテレビ神奈川の生中継の最終リハーサルにも出席。出席者は、川崎新田ボクシングジム、JBC(日本ボクシングコミッション)、後楽園ホール、テレビ神奈川、そしてフロンターレです。
前座の試合がすべて判定勝ちで進んだ場合のパターンや、KOなどが出てスムーズに進んだ場合のパターンなど、中継に関わるタイムスケジュールは細かく決められていて、入念な打ち合わせが行われました。

11日(土)の夜に川崎新田ジムのマネージャーの方から連絡があり、翌日の清水戦の激励の電話を頂きました。私が試合をするわけでもないのに親切に「明日頑張ってね!」と声をかけてくれます。
僕も「明日絶対勝って、月曜日黒田選手良いバトンを繋ぎますんで!」と返答。川崎新田ジムの皆さんはいつもいつもフロンターレの試合結果を追いかけては、頻繁に連絡をくださいます。

迎えた5月13日の夜。我々は15:30から会場入りし、中継リハーサルなどにも参加し、入念な準備をしていました。刻一刻と試合が進み、気が付けばメインイベントの黒田選手の試合が始まっていました。

正直非常に悔しかったです。「悔しくない」なんて言ったら嘘になります。黒田選手本人が「勝つ以外のイメージは無い」そう以前から言っていましたが、我々も全く一緒でした。「歴史的な瞬間が生まれる」そう信じて疑うことなく当日を迎えていました。だからこそ本当に悔しいです。おそらく我々だけじゃなく、会場に駆けつけていた多くの方がそう思ったと思います。
ただ、その計り知れない悔しい気持ちの10倍くらい黒田選手を含めたジムの皆さんに感謝をしています。この約3ヶ月、ジムの皆さんと共に歩ませてもらい、一緒に夢を追いかけさせてもらい、共に感動を作り上げてくれました。多くのサポーターに感動を与えてくれました。
黒田選手は、両目の付近を相手のパンチで裂傷しており多量に出血している中で最後まで攻め続けました。片目の視界はほとんど無かった可能性もあります。それでも最後までチャンピオン相手に戦い続けました。黒田選手の執念というか、覚悟みたいなものに、何か言葉では言い表せないものを感じた人もたくさんいたはずです。
そして、それらの感動を作り出したのは黒田選手だけではありません。会場には若手のボクサーや後輩なども駆けつけ、懸命に世界戦の運営にあたっていました。中には高校生でお手伝いをしている人もいました。会長やマネージャーなど、この世界戦を支えた人々がたくさんいます。この裏方スタッフもまた、黒田選手と一緒に戦い人々の感動を生んだ人々でしょう。
ほぼすべての片づけが終わり、試合終了から1時間近く経過した後、ようやく試合を終えた黒田選手が、川崎新田ボクシングジムのスタッフしかいなくなった後楽園ホールのエントランスに出てきました。右目は大きく腫れて全く目が空いてない状態で、1時間が経過したその時でも左目裂傷からの出血は止まっていませんでした。
私ともう一人のクラブスタッフはたまたまその現場に居合わせており、その時、大勢の川崎新田ジムの皆さんに注目される中、黒田選手が皆さんに挨拶し始めました。「こんなに素晴らしい場所で素晴らしい世界戦が戦えたのも皆さんのおかげです。」開口一番に出てきたのはその言葉でした。血を流しながらも暗い表情を一切見せずに、ジムの仲間に感謝の言葉を語っていました。
おそらく本人は尋常じゃないくらい悔しいはずです。「申し訳ない」という劣等感もあったかもしれません。それでも黒田選手は、何よりも先に周りの皆さんへの感謝の意を述べていて、黒田選手の思いの強さとジムのみんなの思いの強さにまた感動を覚えました。

試合から一夜明けた今日、私はジムを訪れましたが、IBF世界フライ級タイトルマッチという一大イベントを終えた翌日も、ジムは通常通り稼働していました。居合わせたジムの皆さんに挨拶し、マネージャーと昨日の話や雑談を交えて数十分。私自身、若干不安な気持ちでありながらも勢いでお邪魔した所はありましたが、ジムの皆さんは既に前を向いて歩き始めていました。
私自身この3ヶ月間、川崎新田ボクシングジムと共に歩むことができて心から良かったと思っています。最後から2番目には悔しい思いをしました。その心からの悔しい思いも3ヶ月間が作り上げた感情なのだと思います。
だからこそ、1番最後は感謝の気持ちで締めくくっています。

共に歩んでくださった皆さん、応援してくださった皆さん本当にありがとうございました。
もちろん、これで終わりではありません! これからも共に歩み続けていきましょう!
皆さん、お疲れさまでした!

  • ツイッター
  • フェイスブック

関連する日記

share with friends!
Tweet
FB Shere

2022-05

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最新の日記

過去の日記

カテゴリー

PAGE TOP

サイトマップ