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  • ピックアッププレイヤー 2016-vol.11 / 長谷川 竜也選手

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SEASON 2016 / 
vol.11

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Hasegawa,Tatsuya

"完璧"を追い求めて。

MF16/長谷川竜也

テキスト/竹中 玲央奈 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Takenaka,Reona photo by Ohori,Suguru (Official)

 昨年、2015年の秋ごろだっただろうか。午前は全体練習を、午後はその直近の試合に出ていないメンバーで行われた2部練習の日があった。そのとき、息子のスクールの様子を覗くついでとしてグラウンドの様子を眺めていた中村憲剛が、練習を行っているメンバーのある1人ついて、言及した。

「すごく良い。あいつは来年、やってくれると思う」

 そして、もう1人。別メニューで調整をしていた大島僚太がグラウンドからクラブハウスへ向かう坂を登っているとき、その目線は常にグラウンドに向けられていた。彼の顔は少しも進行方向に向かなかったのだが、それは、まるで何かに見とれているようであった。

 フロンターレが誇る2人の司令塔が視線を送っていたのは、後にチームメイトになる長谷川竜也である。6対6のミニゲームで見事なシュートを次々とネットに叩き込むその姿は、コートの中で光り輝いていた。

 坂を登り切った大島に彼のプレーぶりを聞いてみたのだが、返答は一言。
「見ての通りじゃないですか」

 練習生としてチームに参加していた長谷川のインパクトは、それぐらい、強烈なものであった。

MF16/長谷川竜也

 幼稚園の年中くらいのときはかけっこでびりを走っていて。それでケラケラ笑っているような、そんな子だったみたいです」今では信じられないが、幼少期の長谷川竜也は運動が全くできなかったという。だが、年長のときに始めたサッカーが彼を虜にした。
「生まれも育ちも沼津なんですけど、その沼津内で幼稚園を転校することになりました。そこで友達を作るためにやっていたチャイルドサッカーを始めたんですけど、そこで初めてサッカーをに触れ合って『楽しい』と言っていたみたいです。実際に楽しかった記憶しかないですね。それで、小学校に上がる時も自然とサッカーをやりました」

 小学校に上がり、長谷川は地元の少年団である門池SSSに加入。チーム自体はそこまで強豪ではなく「県大会も行ったことがない」ほど。ただ、土日に活動をするその少年団以外にも、火曜日には静岡県の市ごとに存在する選抜少年団へ参加し、月、水、木には清水エスパルスのスクールに通っていたと言う。平日もサッカー漬けの日々を送っていた中、彼にとっての大きな出会いがここにあった。
「サッカーにのめり込んでからエスパルスのスクールに入ったんですけど、そこで今泉幸広さんというコーチに出会いました。その方が、“サッカーをもっとうまくなりたい”と自分が思うきっかけをくれた人。一緒にプレーしていても、本当に上手いんですよ!それで、この人に教わりたいなと思ったんです。沼津にもスクールはあったんですけど、今泉さんが清水でやっているということもあって、一緒にやりたくて、通っていました。清水まで行っていたんです」

 長谷川は今でも、常に「サッカーがうまくなりたい」と思っている。プロとしての人生をスタートする場所にフロンターレを選んだのは、この思いを叶える最適な場所だと感じたのが1つの理由だと言うが、当時のこの出会いが、今の長谷川竜也を形成する1つのきっかけになったと言えるだろう。当時から変わらない“サッカーが好きで、だからこそもっともっとうまくなりたい”というこの強い思いが、彼を支え動かす1つの原動力となっている。

 多くの場でサッカーに触れる日々を過ごしていくに比例してめきめきと力を付けて行った長谷川は、早くして自身が周囲より抜きんでた存在であることを自覚する。

「スクールでも、周りよりも自分のほうがうまいという感覚はありました。こいつにかなわない、という奴はいたかな…。ただ、“こいつには絶対に負けないように”という思いはありましたけどね。チームでも4年生の時から2個上の試合に出ていましたし、自分が1番うまくならなければダメだなという考えはありましたね。“1番になりたい“と思ってやっていました」
 6年生になった時にはナショナルトレセンにも選出され、地域でそれなりに名の知られた存在になった長谷川は、彼に目をつけていた名門である静岡学園に入学する。ここでも「自分が引っ張っていこうという気持ちは強かった」と自身がチームの中心になるという強い責任と自覚を持ち、プレーを続けた。そして、ここでの6年間が彼の技術を向上させ、ドリブラー・長谷川竜也として地位を確立させることになる。

「もともとドリブルとかは小学校の時から好きでしたけど、静学に行ったのが大きかったですね。“観客を驚かせろ“ “普通にプレーをしていてもしょうがない”ということを常に言われてきましたし、静学はプレーのアイディアをすごく重んじていました。消極的なプレーよりはアイディアを持って、相手が驚くようなことをやれと」

 エンターテイメント性を追求したサッカーをするために、とにかくボールを触り、技術を高める。練習は「ボールフィーリングを磨くためにひたすらリフティングとドリブル。あとは対人リフティングパスとかをやりました。ちゃんとしたパス練習とかは高校にならないとやらないですね。高校になるとそれなりにポゼッションをやって、守備のところでも切り替えをやったりしますけど、守備で決まり事がなにかあるというよりは“切り替えを速くする”とか“1対1で負けない“とか、そういった単純なことをやりました」

 同じ静岡学園高校の大先輩である狩野健太はフロンターレに加入して間もない2月に「高校のころに戻ったような感じがする」と語っていたが、長谷川のこの話を聞けば、それも納得できる。止める、蹴る、の基礎を徹底的に突き詰め、ボールを主体的に持ち、扱うことで見るものに驚きを与えるというフロンターレの考えと、静岡学園で学ぶものに近似性はとても高い。10番を背負う大島僚太含め、このチームを経てフロンターレに来る選手たちがすぐに馴染むことができるのもこういう理由なのだろう。

 高校時代は全国大会の出場にも多く恵まれ、インターハイ、高円宮杯、選手権と全てでベスト8以上の成績を残し、試合にも出ていた長谷川の知名度は全国区へ広がっていく。決定的だったのは彼が高校2年次に出た選手権。1つ上に大島僚太やツエーゲン金沢の星野有亮らを擁した当時のチームの中、1つ下の世代ながら試合に出ていた長谷川竜也が見せた華麗なボールタッチと独特なリズムから繰り出されるドリブルは見るものの目を釘付けにした。
「高校時代から試合に出ていて“うまいな”と思いながら見ていました。一緒にプレーをしていてもめっちゃ良かったですし、観客を常に湧かせていましたよ」トップ下の長谷川が躍動する姿を1列後ろから眺めていた大島僚太はこう振り返る。

 そして、高校3年次にはプロクラブからのスカウトからも声をかけられるようになり、この時期から彼は“プロ入り”という夢を現実的に考えるようになった。その後、セレッソ大阪から練習参加の声がかかり、彼自身も高卒でプロ入りという道筋を立て始めたのだが、話はまとまらず。結果的に大学へ進学することになったのだが、プロ入りを目指していたため「スポーツ推薦の大学をほとんど断っていた」。
ただし、1つの大学が彼の返答を待ち続けていた。それが、順天堂大学である。

 サッカー選手としてのベースを培ってきた静岡学園とは異なるサッカーをする順天堂大学に少々、面食らったと苦笑いをしながら長谷川は振り返ったが、結果としてこの選択は正しかったように思える。フロンターレに所属する小宮山尊信も指導してきた吉村雅史前監督は前からのプレッシングを重視するサッカーを講じていたが、長谷川はそこに身をおくことで、”闘える技巧派“という代名詞を手にすることになった。
吉村前監督は「あんなに前から守備をできる10番はなかなかいない」と長谷川を賞賛しており、Jクラブのスカウトも「上手いだけじゃなくて、あれだけ前から追ってくれるのはすごく良い」と彼の献身性に目を奪われていた。

 このように大学に入ってから、前線で走り、闘うという側面が際立ったというのはあるが、実はこれも急に備わったものではない。

「県の選抜かなんかだと思うんだよな。それぞれの地域から集まった選手の選考会の中の試合だったと思うんだけど、息子も居たから見に行った。そこで『あいついいじゃん、小さいけど巧いじゃん』と言っていたんだよ、1人の選手を。そしたら選抜にも入っていったみたいで。けっこう面白いな、と感じたのは覚えている。その当時から身体は小さくて、そこからもあまり大きくはなっていないのだけど、スピードがあるのと、ボールを持ったときの懐が深いから、けっこう面白い。あとはやっぱり一番大事なことは何かというと、”闘う”ことが出来るんだよね」

 これは、小学生時代の長谷川を偶然見た風間監督の証言である。巧さを評価するのはもちろんのこと、評価を与えているのはピッチ内で闘志を見せるその姿勢だった。

 大島僚太は長谷川のパーソナリティについて聞かれた際、二つ返事で「すごく、負けず嫌いですよ」と応えた。当の本人は 「負けるのが嫌なんです。特に昔はどんなことでも負けるのが嫌で、誰にでも。すぐにカッとなってしまうというか、ずっとムキになる感じでした。守備をする、奪いに行くというのも、負けるのが嫌だしやられたくないから、というのが大きいんです」こう自覚する。

 自他共に認める、負けることを極端に嫌うこの性格が、プレーヤーとしての彼を大きく成長させたことは間違いない。
そしてもう1つ、彼が持つ”勝利への欲求“を強くした要因がある。それが、決して大きくはないその身長だ。

「僕の中では”小さい”ということで今まで悔しい思いをしてきた、というのが大きいんです。小学校の時は、小さくても出来るということで重宝されていたのもあったんですけど、逆を言うと小さいからダメだというのもありました。それで高校になっても、身体の強い選手にはやっぱり、勝てなかった。だからこそドリブルを磨いてやろうと思ったんです。競り合いでふっとばされるほど悔しい物ものはないし、そのたびにもっと強くなりたいと思う。簡単に倒れないことを考えたり、倒れたら次は倒れないように頑張ろうと言うのは言い聞かせてやってきました」

 サッカーを続けてくる中で、身長ゆえに悔しい思いを多くしてきた。だが、それをバネにして長谷川は前進をし続けきた。そして、彼は夢であったプロへの門を叩く。
向島建スカウトは静岡学園の後輩ということもあり長らく長谷川には目をつけており、早々にオファーを出した。尊敬する先輩である大島僚太の存在、そして前述した通りサッカー選手としての資質を高める場がこのチームだと感じたことから、長谷川はフロンターレ入りを決断する。

 そして、3月23日のナビスコカップ、グループリーグ第1節の横浜FM戦にて、先発メンバーの一員として長谷川はプロデビューを果たした。サポーターへのお披露目となったこの試合、序盤から持ち前の攻撃センスを要所要所で発揮するだけでなく、ボールを失えばすぐに負けん気の強さを身体の動きへ変換し、相手のボールを奪い取る。攻守に渡って走り続ける彼の姿に心を打たれたサポーターも多く、デビュー戦としては上々だったと言って差し支えない。
しかし、試合後の長谷川の表情は険しかった。

「期待も試しも込めてやってこいというメッセージだったと思うので。その中で自分らしくミスを恐れずやれたのは合格だなと思います」と彼は述べていたものの、83分に迎えた決定機のヘディングを外し、チームを勝利に導けなかった悔しさが、何にも勝っていた。
「次こそは絶対に決めてやるという強い気持ちを持って、チャンスを貰ったら貪欲にやっていく」こう、力強く宣言をしたのも印象深い。ただ、翌2節の直後に負傷離脱。復帰してから再びナビスコ杯に2度の出場を果たしたものの、リーグ戦のピッチには未だに立っていない。そして、前半戦がもう、終わろうとしている。そこに対して強い焦りと悔しさも感じている。

「自分は完璧主義者なんです。1番ということにすごくこだわっている。走ることやサッカーをやって1番になったときの気持ちよさというのは替えがたいので。うまいし、戦えるし、速いという、身長以外は全部兼ね揃えている選手になりたいとも思っています。足が速くなるために大学のときに努力をしたし、身体も弱いと言われていたので強くなるためにトレーニングをした。でも、ここでは、まだ頭のレベルがまだJのトップレベルではない。色々な情報を仕入れないといけないし、色々なことを頭で吸収して、プレーで表現しなければいけない」

 課されていること、身に付けなければいけないことがまだ、今の彼には多い。そして、考えすぎる故に頭の中で整理ができなくなってきたことから、長谷川は目標を紙に書いて明示することにした。

 その近い目標は、“Jリーグに出場すること”。ただ、それは直近であって最終的なものではない。

「将来的にはチームの中心選手でありたい。そのチームを象徴する、このチームはあいつだ、という選手になりたいんです。日本代表もそうだけど、Jリーグを代表する選手にもなりたいと思っているので。フロンターレだったら憲剛さん、みたいに、チームを代表する選手になって、日本を代表する選手に。“Jリーグ”と言ったら自分の顔が浮かぶくらいの選手に」
壮大な目標であり、すぐに叶えられるものではないかもしれない。ただ、冒頭にも述べたように、チームの中心選手から大きな期待をかけられているのは事実。そして、彼の持つ不屈の精神とこれまで歩んできた道を考えれば、この目標も不可能なものではないはずだ。

マッチデー

   

profile
[はせがわ・たつや]

順天堂大学から加入したドリブラー。静岡学園高校時代は1年先輩の大島僚太とともにプレー。大学時代は相手を翻弄する多彩なテクニックだけではなく、体力面の強化にも取り組み大きく成長を遂げた。昨年のユニバーシアードでは10番を背負いプレー。ハイレベルな技術と戦う姿勢を融合させた頼もしいプレースタイルを武器に、プロの世界にチャレンジする。

1994年3月7日、静岡県
沼津市生まれ
ニックネーム:タツヤ

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