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FRONTALE DIARYフロンターレ日記

9/ 1 (火) 2020

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思い出の地・富士通スタでのプロレス実施!

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富士通スタジアム川崎

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富士通スタジアム川崎では初となるプロレスイベント、ニコプロpresents「KING OF HardHit初代王者決定トーナメント1回戦&プロレスラー佐藤光留デビュー20周年記念大会」と「プロレストレーニング教室」を開催いたしました!!
前身の川崎球場時代からプロレスに縁が有り、1950年代には力道山が複数回の興行を行い観衆を熱狂させ、1990年代には大仁田厚さん率いるFMWが電流爆破デスマッチを7回開催しています。
川崎球場の歴代最多観客動員記録はそのFMWの1995年5月5日「川崎球場大会(大仁田厚メモリアル引退ツアー)」で記録した5万8,250人! 川崎球場の最多動員記録はプロ野球ではなく、プロレスなのです。90年代以前の著名なプロレスラーは殆ど川崎で試合をしていると言っても言い過ぎでは無い、プロレスの聖地とも呼べる場所でした。そして今回の興行にはその大仁田厚さんの参戦が決定!

試合当日は30度を超える猛暑の中、始まった試合はどの試合も「暑く」「熱い」試合となりました。
そんな中でも、今イベントの主催者代表である佐藤光留さんの試合は白熱した展開となり
お互いが攻め合う、観ている人も盛り上がる、そんな内容の試合となりました。

そして、皆さんお待ちかねの大仁田厚さんの登場!!
大仁田さんは昨年6月3日にバイク事故で急逝した故青木さんの1周忌への追悼、佐藤さんの20周年を祝う意を込めて、出場を決め、試合前にはリング上に花を手向けていました。
通常より5倍の火薬量が使用され、爆破バットを数回し、最後は川村さんに爆破バットをフルスイング決め、9分24秒、体固めで勝利を飾りました。

試合後、大仁田さんは「佐藤選手の20周年と、青木選手へのはなむけができたことを感謝します。オレの聖地である元川崎球場。その跡地で試合できたことを感謝します。オレの故郷の長崎では、亡くなった人に対して、翌年花火を上げるんです。(青木選手に)花火を上げられて良かった。最初にスタジアムで爆破をやったのが川崎球場ですから。ここに5万人集めたんだなって。今日は佐藤選手、青木選手を応援するする人たちが集まったと思います。2人に心から感謝します」と語った。

私たちにとって、念願が叶い、川崎球場には野球の歴史もあれば、90年代の大仁田さんの歴史もあるんです。その大仁田さんがここで試合をしてくれて、歴史に1本筋が通ったと思います。

今後も機会があれば、プロレスイベントを実施させていただきたいと思っておりますので、プロレスファンの皆さん、今後も楽しみにしていただければと思います!!
当日の様子は富士通スタジアム川崎Twitterで発信しておりますので、合わせてご確認ください!!

暑い中、ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
熱中症、体調不良の方も出ず、無事に終えることができました。

また、機会がありましたら、是非富士通スタジアム川崎にお越しください!!
富士通スタジアム川崎公式

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