メイン

長橋康弘 アーカイブ

2007年03月10日

スタート

はじめに今まで自分を支えてくれたすべての人にありがとうと言いたい。まず引退してから今の仕事につくまでの話をしようと思います。

引退を決め、これからの自分に不安を感じ自分からサッカーをとったら何が残るのかを考え、答えのみつからない日々を過ごしていました。引退したらサッカーとは関係のない別の仕事をやりたい気持ちや、川崎にきてから一年に一度しか会えなかった家族との時間をつくりたい気持ちや、いろんな事を考えるなか、フロンターレから育成普及コーチの話を頂き、これまで悩んでいた気持ちが自然となくなっていきました。やはり10年いたこのチームが好きだし、何より自分はサッカーが大好きという事を改めて感じました。

こうして2月1日から仕事を始めていますが、ボールを追いかける子供たちを見て、この仕事につけて本当によかったという気持ちと、子供に伝える難しさを感じています。

新しい仕事についてから一ヶ月、肩の力がとれ、少しずつまわりが見えてきた状況で、今までに経験したことのない肩こりが、ようやく取れてきました。

そんな中、いよいよ開幕したJリーグ。選手だった頃を思い出しながら試合を見ていました。結果は、1-0のすばらしい勝利でした。前半の10分過ぎからフロンターレのリズムになり、21分に村上からのセンタリングをマギヌンがヘディングであわせ、先制点。その後も幾度となくチャンスを作っていたフロンターレのペースで、試合が終わりました。アントラーズは、パスの出し所がなく結局ディフェンスラインからフォワードへのロングボールが多く、攻撃の形を作れていませんでした。逆にフロンターレはケンゴを中心に相手を崩すパスまわしができていて、ゴールへ向かうプレーが数多く見られました。

今年も最高のスタートがきれて、選手達もまずは一安心だと思いますが、すぐにACLがあります。今年は他のチームより試合数が多く、そのため、いろいろな問題が出てくると思います。疲労やけが人、出場停止の選手が出てきたり、代表選手の抜けた穴など、全ての選手の力が必要になります。そのチャンスがいつきてもいいように、日頃の練習を大切にしてほしいと思います。

自分も今与えられた仕事を精一杯がんばろうと思うし、自分にしかできないものを見つけるために、いろいろな事に挑戦していこうと思う。

2007年05月10日

自分のテーマ

現役時代にいつも自分のテーマにしていた事は、サッカーを楽しむということです。

楽しんでいる時はどういう時か、どうしたら楽しめるかを常に考えてきました。サッカーを楽しく感じるときは、当たり前なことですが、やはりうまくいっている時です。思い通りのプレーができたりしているときは、自然とアイデアもいつもより多く出てきたりもします。
しかしそんな時ばかりではありません。うまくいかない時は、悪いイメージが先に出てきてしまい、ミスをこわがりプレーが小さくなってしまいます。このような状況では楽しめるはずがありません。

そんな時に大事になってくるのは自信を持つという事だと思います。たしかに自信を持ってプレーしている時は、一つ一つのプレーに迷いがないし、なによりサッカーを楽しんでいた気がします。ただ自信を手に入れる事は、自分は簡単な事ではありませんでした。練習で出来ない事は試合では出来ないし、出来たとしてもそれはたまたまです。運は実力ではないと思っていたので、まず練習で力をつけて、自信をもって試合に入れるように心がけていました。それでも満足できる試合は一試合もありませんでした。

自分にとってサッカーを楽しむという事は、簡単なようで、とても難しいものでしたが、世界には見ている人まで楽しませてくれる選手がたくさんいます。そのような選手に共通していえる事は、自分にしかない武器を持っているという事です。ボールをまるで手で扱っているような技術を持っている選手や、敵を一瞬で置き去りにするスピードを持った選手、誰も予想のつかないアイデアを持っている選手、他にもいろいろな武器を持った選手がたくさんいますが、すごいと思うのは、その能力を持っている事はもちろん、それを試合で表現できる事です。当然まわりからの期待も凄いものだと思うし、想像のつかない様なプレッシャーの中でプレーしていると思いますが、この様な状況の中で自分の能力を出すには、相当な自信と勇気が必要だと思います。試合で自分を表現するには、サッカーの技術以外にも、自分をコントロールする強い気持ちも必要な能力だと思います。

自分は今、プロを目指す小学生たちを教えていますが、すばらしい技術を持った子がたくさんいるし、純粋にサッカーを楽しんでいます。しかし、これからいろいろな経験をしていく中で、責任などを感じながらプレーするようになり、ただサッカーを楽しむ事が難しく感じたりするかもしれません。そんな時のために、今から自分の武器を見つけて、誰にも負けないと思えるまで、その武器を磨き続けてほしいし、自分をコントロールする力も学んでほしいと思います。

プレッシャーに負けず、自分の武器が試合で通用したとき、今までに感じたことのない楽しさが、待っていると思います。

2007年07月10日

魅力のあるサッカー

最近のサッカーを見て感じることは、一つのミスが失点につながる緊迫感のある試合が多く、サッカーのレベルが上がっているという事です。

しかし、チームや個人の特徴が見えにくいのも事実です。対戦相手の良い所を消しあい、リスクの高いプレーは避け、勝負にこだわる試合が多いように思います。見ていて面白いかは、人それぞれだと思いますが、個人的には、特徴がぶつかりあう攻撃的なゲームが見ていて面白いと感じます。

自分は、プロに入ってから引退するまでに15人の監督に出会いました。
それぞれの監督にそれぞれの考え方があり、同じサッカーでもいろいろなやり方がある事を知りました。

その中で、自分が共感できたのは、相手の戦術に対応する、負けないサッカーよりも、自分達から点を奪いにいくような、勝ちにいくサッカーです。失点をしなければ負けることはないという考え方と、点を取らなければ勝てないという考え方では、プレーがまったく変わってきます。

もともと攻撃が好きな自分にとって、勝ちにいくサッカーはとても楽しく、充実していたのを覚えています。しかし、このサッカーの場合、リスクも伴います。チャンスと判断したら人数をかけて攻めるために、速攻で失点される場面が多く、危険と隣り合わせでした。とても勇気のいる戦術でしたが、プレーをしていてとても楽しく、「魅せる」事も意識したサッカーだったと思います。
≠ そしてなにより、監督に自分達の力を信じてもらえていたことを、とてもうれしく思いました。監督が選手の力を信用していなければ、この戦術は選ばなかったと思うし、結果が出ない時もこのやり方を貫いた監督に、強い意志と信頼を感じました。

やはり、プレーしている選手が楽しみ、魅力のあるサッカーで勝つ事が理想です。プロである以上、結果を出さなければなりませんが、そのために理想を捨ててはいけないと思うし、見ている人達が又見たいと思ってもらうのも、僕は大切な事だと思います。

2007年09月10日

挫折

僕のサッカー人生の中で最初の挫折は中学生時代にあります。

小学校1年生からサッカーを始め、その魅力にとりつかれた僕は暇さえあればボールを蹴っていました。その結果、6年生までは順調すぎるほどの時期を過ごす事ができました。その勢いで、中学校は地元の中学校を選ばずに、静岡の中では一番強いと噂されていた東海第一中学校を選びました。

お金がかかる事は聞いていたので、父親の機嫌を見計らい、勇気をふりしぼってお願いをしてみたところ、予想に反し「勝負してこい」の一言でした。希望に胸を膨らませ、当然一年生から試合に出られると思っていた僕に、恐ろしい現実が待っていました。当時、成長期をむかえていなかった僕は、クラスで2番目の小ささで、サッカー部に限っては、ほとんどの人が大男に見えました。
ドリブルすればとばされ、キックに至っては、3年生の半分位しか飛びません。さらに体が小さいなりの工夫がなかった僕のポジションは当然ボール拾いです。マラドーナに夢中だった僕の頭にはドリブルしかなく、パスやボールを持っていない時の動きなどまったく興味がありませんでした。当時の監督の目には、「とても頭の悪い選手だ」と映っていたに違いありません。

自分のわがままで選んだ学校で、高いお金を払ってもらっている両親に、「駄目だった」ではすまないし、ボール拾いをしている事は口が裂けても言えません。この状態からなかなか抜け出せなかった僕の頭から500円サイズ程、髪が抜けてしまいました。当時は友達にからかわれる程度で、さほど気にしてはいませんでしたが、精神的にかなりつらかったのを覚えています。

ここからどうしても抜け出したかった僕は、まずドリブルを封印し、少ないタッチでプレーするように心掛けました。性格的にあまり積極的にアピールする方ではありませんでしたが、この時ばかりは声を出し、先頭に立って練習をしていました。このキャラチェン(キャラクターチェンジ)大作戦が見事に成功します。
僕の変化に気づいてくれた監督が、少しずつ試合で使ってくれるようになり、これがきっかけで体が小さくてもサッカーは出来るという自信が持てるようになりました。こうしてやっと脱出できた僕の頭からは自然と髪が生えていき、少しだけ自分がたくましくなったように感じました。同時にそれまでの長い間、体が小さいという事だけしか理由を見つけられなかった自分に腹が立ちました。

大事な事は、今の自分を知り、どうしたらいいのかを考え、勇気を持って行動してみる。決してあきらめない事だと思います。僕自身、これから待ち受けているたくさんの「かべ」にぶつかった時、またこの時の事を思い出すと思う。

2007年11月10日

僕が感じる世界との違い

TVでよく見る世界のスーパープレー。
あのようなプレーは失敗を恐れていては出きません。

僕自身、練習でなかなか成功しないプレーがたまに試合で成功したり、一瞬のひらめきでやったことのないようなプレーが出てきた時、全身に鳥肌が立つような幸せを感じます。
若い頃に何度かありましたが、年を重ねるたびにそのプレーは減っていきました。だんだんと確実なプレーを選んでしまうようになり、いつのまにか、チャレンジするプレーより、手堅いプレーを選ぶようになってしまいました。

引退してまだ一年も経ちませんが、失敗を恐れず、チャレンジするプレーを数多くできたらどんなサッカー人生だったのかと、ふと考える時があります。
このような経験から世界で活躍する選手との違いを僕なりに考えてみました。

世界の選手を見て感じる事は、やはりチャレンジするプレーが多いという事です。それは決して自分勝手ではなく、チームのために判断したプレーです。難しいプレーほど成功する確率は低くなりますが、それがチームのためなら迷うことなくプレーしています。
この判断こそが世界との違いだと僕は感じます。良いアイデアがあっても、それをやってみなければ良いプレーは生まれません。これは選手だけの問題ではなく、指導の仕方にも原因があると思います。

指導者が失敗した事ばかりを選手に言い過ぎたり、プレーの制限を多くしてしまえば、チャレンジするプレーはもちろん、発想まで奪ってしまう可能性があります。このような事から今教えている子供達には、まずチャレンジしたプレーに対し、それがミスであってもなるべく誉めるようにしています。それと得意なプレーはどんどんやってほしいと言っています。失敗したプレーばかりを反省するのではなく、成功したプレーが、何故成功したのかをもっと考えてほしいと思っています。

僕は以前ある指導者から、良い選手とはミスの少ない選手だと聞きました。確かに僕もそう思いますが、選手によっては、ミスをしないために確率の高いプレーばかりを選び、自分のアイデアを出せず、気付いた時には決まった事しか出来ない選手になってしまう可能性があります。それぞれの選手が感じている責任や、チームの戦術の中でも、ミスを恐れず自分の判断でプレー出来る事もとても大切な事です。

このような考え方がはたして正しいのか、正直僕には分かりませんが、選手達には、指導者に作られた選手ではなく、自分が目指す選手になってほしいと思っています。それが幸せなサッカー人生につながると僕は信じています。

2008年02月20日

自分を知る

今年もよろしくお願いします。
ご存知の方もたくさんおられるかと思いますが、正直、文章を書くのはとても苦手です。しかし、これを読んで少しでも何かを感じてもらえればうれしく思います。

今回は「自分を知る」というテーマにしてみました。

これは自分を成長させるためにとても大切になってきます。どの世界にも共通すると思いますが、今の自分は何が出来て、何が出来ないのか。この様な事は誰もが考えていると思う。しかし、自分を知っている人と、知らない人では、あきらかに差が出る気がします。この「自分を知る」という事を、去年の経験から書いてみようと思います。

引退してから一年、いろいろな変化がありました。特に変わったのが、人との出会いです。選手だった頃はサッカー関係者としかあまり接する機会がありませんでしたが、去年は、違う世界で生きてきた人達と、たくさん出会う事ができました。

そこで感じた事は、人にはいろいろな考え方、感じ方、生き方がある事を改めて知りました。想像を絶するような経験をしてきた人や、僕より年上なのに夢に向かってアルバイトをしながら頑張っている人、何も苦労する事なく成功を手にしたという人、家庭を築き家族のために戦っている人。
全ての人達に魅力があり、自分にないものを持っていました。また、周りの人達が自分をどのように見ていたのかという事もたくさん聞きました。これはとても面白い話でした。自分は周りの人達にこんな風に見えているだろうと、ある程度、想像はしていましたが、人は思っている以上に自分を見ているし、知っています。さらにビックリしたのは自分でも気付かなかった事を知っている人もいました。

これまでの自分は、周りの人達や自分を、狭い世界でしか見ていませんでした。しかし、世界を少し広げるだけで、自分がどのような人間か見えてきた気がしています。「自分を知る」という事は自分だけではわからない事がたくさんあります。いろいろな人に出会い、いろいろな話を聞き、いろいろな世界を見る。そして周りから見える自分を知る。これが自分を成長させるためにとても大切な事だと思います。

「自分を知る」それは「人を知る」事でもあると感じています。

2008年04月20日

後悔先に立たず

2月28日(木)、僕は川崎市立金程小学校の6年生の子供達に、「夢」について話をしに行きました。

夢をつかむには、いろいろな挫折がある。僕自身そこであきらめていたら、きっとサッカー選手にはなれなかったと、自分の経験を元に話をしてきました。そして話の最後に親父がよく言っていた「人の心の痛みをわかる人間になりましょう」という言葉を残し、小学校を後にしました。

子供達の前でこのような話をしたのは初めての事だったので、うまく伝わったか不安は残りましたが、初めてのわりには、上手くいったという手ごたえと、数日前からの緊張から解放されたせいもあり、午後からのジュニアの練習をすがすがしい気持ちで臨む事ができました。

練習も終わり、帰って一杯やろうかと思っていた時、兄から電話がきました。
話の内容は、「親父が倒れた。検査の結果、がんの可能性がある」というものでした。それを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になり、涙が止まりませんでした。この事実を受け入れる事ができず、いろいろな事を考えてしまいましたが、気持ちが少し落ち着いたところで、親父に電話をしてみました。「なんだ、光(兄)から聞いたのか」と、どうやら僕には知らせるなと言っていたらしく、少しがっかりした様な声でした。
しかし、自分の体がそのような状態にもかかわらず、しきりに僕の体を心配していました。そして電話の最後に、「心配してくれる気持ちは分かるけど、仕事は仕事だ。私情をはさむな」と、親父らしい言葉で、心が折れそうな僕を一喝してくれました。

午前中の小学校で、「これからいろいろな挫折があるかもしれないけど、負けないでください」と話をしてきたその日に、まさかこのような事がおこるとは思いませんでした。

4月15日(火)現在、親父は病院の方で、がんと闘っています。
そして僕はというと、親孝行を後回しにしてきた事に、後悔をとおりこして、自分を恨んでいます。しかし、僕が下を向いて生活する事を親父は望んでいません。こういう時だからこそ前を向き、笑顔で生活しています。

これを読んでくださっているみなさん。事がおきてからでは遅い事がたくさんあります。この先後悔しないためにも、今できる事を・・・。

2008年07月01日

僕が観たいサッカー

僕が観たいサッカー。それはどこのチームにも真似できない、観ている人達をドキドキさせるような魅力のあるサッカーだ。世界のクラブチームではバルセロナのようなチームがあるが、僕はこの日本で、しかも高校生にドキドキさせられてしまった。それは3、4年前の、全国高校サッカー選手権大会での事。僕はそのチームの魅力的なサッカーに、たちまち釘づけになってしまった。結局そのチームはそのスタイルを貫き、優勝する事となったが、僕はこのチームが表現するサッカーなら、お金を払ってでも観たいと感じた。

僕が高校時代、とてもよく似たチームに出逢った事がある。それは僕と同じ静岡のライバルチームだったが、ひそかに僕はそのチームのファンだった。スタメン半分以上が県選抜の強豪チーム相手に、ゲームを支配し、個人技で圧倒していた。そして選手達がプレーを楽しみ、自信に満ち溢れ、輝いていた。僕はこの両チームに同じものを感じる。それはプロ顔負けのテクニックを武器に、「個人の力」を重視したサッカーだ。特にドリブルにはこだわりを感じる。チャンスとみればドリブルで仕掛け、2、3人に囲まれても、慌てずにボールを運ぶ事が出来る。だからといってパスをしないわけではない。面白い事にこの両チーム、ボールを繋ぐのが本当に上手い。そんな彼らのプレーは、まるで必死に取りにくる相手を、楽しんでいるようにさえ見えた。僕はこのような感覚でプレーをしている選手達にドキドキしたのだと思う。そしてこの両チーム最大の共通点は、自分達のサッカースタイルに絶対の自信を持っている事だ。彼らが表現するサッカーを観ていると、「これが俺達のサッカーだ。君達にできるかい?」と云われているような気がしてくる。僕は自分のサッカー観は間違いではなかったという自信を、この両チームからもらう事ができた。

僕にとってのサッカーは勝つ事だけが全てではない。「表現する」「魅了する」「楽しむ」事もなくてはならないものだ。そのためにも他をよせつけないテクニックが必要不可欠になる。しかし、このサッカーを現実にするのはそう簡単な事ではない。あまりにも技術に特化しているため、当然批判も多いだろうし、敵も多くつくるだろう。しかしこのようなサッカーが実際にできる事を、高校生が証明してくれている。
僕が観たいサッカー。それはどこにも負けないテクニックを武器に、そのチームにしかできないサッカーを表現する。そして想像もできないプレーで観ている人々を魅了し、選手達が心の底からサッカーを楽しんでいる。

僕はいつの日か、このようなサッカーを選手達と目指したいと思っている。

2008年09月02日

世界をめざせ

U-10のコーチについて一年半。選手たちの成長の早さに、とにかく驚かされる近頃だが、当初からとても気になっている事がある。それは10歳にして早くも組織的なサッカーをしているチームがあまりにも多いという事だ。

各ポジションでの役割を意識し、プレーエリアを考え、フォーメーションを守り、組織で攻め、組織で守る。ビックリしたのは、対戦相手によって戦い方を変えてくるチームまである。しかし、そんな選手たちに目標とする選手を聞いてみると、C・ロナウド、メッシ、ロナウジーニョ、カカ……。何か変だ。

小学生のうちから、チームは組織的で、選手は機械的に動き、サッカーを頭で勉強している印象を受ける。しかし、それはこの先いくらだってできる。今やらなくてはいけないのは、ボールを、そしてサッカーを体全体で感じ、感覚をみがく事だ。こうした感覚は、組織や戦術で選手をしばってしまえば、身につかないものだと思う。

僕はここにこだわる理由がある。それは世界との差を、やはり個の力だと感じるからだ。だから子供たちには、世界で活躍する選手たちのように、ボールを持ったら、こわさを感じさせる選手になってもらいたい。そのためにもまず、ボールを持ったら、ゴールを目指し、局面を個の力で打開する事に、今はこだわってほしい。こうして育っていった選手たちが、個の力を組織でおぎなうサッカーから、個の力で組織をより強いものにしたサッカーに変えてくれる事を、期待している。

サッカーは作戦版の上で監督がやるのではなく、選手がグランドの上でやるものだという事を、つねに頭に入れながら、これからも選手と向き合っていこうと思う。

2008年11月10日

遊び心

サッカーの醍醐味とも言えるゴールの瞬間。
ここに至るまでには、さまざまな駆け引きがある。この駆け引きもまた見所のひとつだが、世界と比べると日本はまだまだ物足りない気がする。

ブラジルの選手や指導者がよく口にする「マリーシア」という言葉がある。
これは日本の「ずる賢さ」にあたる言葉らしく、日本人はどうもここが足りないようだ。ようするに駆け引きが足りないという意味だと感じているが、これにはいろいろな原因が考えられる。
その国の文化、環境、教育、歴史、生活習慣など、サッカーだけでは解決できない問題なのかもしれない。これは聞いた話だが、おつりを確認せず財布にしまうのは、日本人だけらしい。
つまり彼らは普段から駆け引きの中で生活をしている事が想像できる。しかし、だからといって無視するわけにはいかない。なぜなら勝負を左右する重要な要素の一つだし、そこにはサッカーの楽しさがたくさんつまっているからだ。
実際、敵を狙い通りにだませた瞬間は、最高の気分にさせてくれる。とても性格の悪い人間に思われてしまうだろうが…事実だ。

やはり駆け引きに勝つには、敵をだまさなければならない。左に蹴ると見せかけ、右に蹴ったり、走ると見せかけ、止まったり、パスと見せかけ、ドリブルをするなど、あらゆる場面で、たくさんのだまし合いがある。それがサッカーだ。

では、駆け引きが上手い選手とは、どのような選手なのか?今までに出会った選手を振り返ると、ある共通点が見えてくる。それは「遊び心」だ。この「遊び心」がある選手には、おもしろい発想(アイデア)をたくさん持っている選手が圧倒的に多い。そして一生懸命プレーする中にも、どこかに必ずゆとり(余裕)を持っている。日本では、常に100%全力で、真面目にプレーする事が、どこか素晴らしいとされているが、それだけでは敵をだませないし、駆け引きには勝てない。

こうした考え方は、良くも悪くも日本人の特徴なのかもしれない。サッカーが上達するためには、多くの苦しみに耐え、限界まで追い込まなければならないなど、どこか楽しんではいけないようなところがある。しかし、プロで活躍する多くの選手は、サッカーを心の底から楽しんできた奴らばかりだ。そして本当の意味で「楽しむ」事の難しさや、大切さを知っている。

サッカー選手を目指すみんなへ。
夢を叶えるためには、たくさんの困難がある。しかし、決して楽しむ事を忘れてはいけない。そしてサッカーにかける熱いハートと、ちょっとした「遊び心」が必要だ。

About 長橋康弘

ブログ「OB'sコラム」のカテゴリ「長橋康弘」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリは相馬直樹です。

次のカテゴリは鬼木達です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34