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 2003/vol.04

「もうマラドーナがすべて。どっちの足からグラウンドに入るとか、スパイクはもちろんプーマ。“マラドーナ結び”っていう一個飛ばしで紐結ぶのも全部真似してた」
 お小遣いで『サッカーマガジン』を買い、ビデオで繰り返しプレーを観る。スパイクに至るまで細かくチェックして、気分はすっかりマラドーナ。長橋康弘は、まさに“サッカー小僧”を地でいく小学生だった。

  サッカーを始めたのは小学校1年生の時。静岡県富士市というサッカーが盛んな土地柄もあり、友だちに続いて富士第二小学校サッカースポーツ少年団に入る。
「学校から帰る時に、友だちがサッカーをやっているのを観て楽しそうだなと思って。もう、すぐにハマりました」
 運動神経もよく、走ればいつも一番。元来の器用さも手伝って、リフティングやパスなどの基本練習をすぐにクリアーしていった。あっという間にたくさんのことを吸収し、6年生に混ざって小さくてすばしっこい3年生が試合に出場するようになっていた。
「もしかしたら、小学生の時がピークだったのかもしれない。『とめられるまでドリブルしろ』という感じで個人技を教えてくれたり、ミニゲームをたくさんやった。ひとりでドリブルで抜いていって、キーパーも抜いてラインにボールをちょんって置いたこともある。ビブスも10番じゃなきゃイヤって感じだったし、今考えると生意気ですよね(笑)。マラドーナが大好きだったから、ボールもったら離さなかった。楽しかったなぁ」と、まるで宝箱をあけた子どものように、実に楽しそうに当時のことを振り返る。
「ただ、俺の場合は、ほんとに真似をしてただけ。もし、“考える”ことをしていたら、もっとうまくなれただろうなぁ」
 具体的に聞いてみた。
「例えば、メキシコ大会でマラドーナが、逆サイドをついてから狙ったサイドにドリブルで入っていくプレーを観る。そうしたら、あえて同じ位置でボールもらって同じコースでドリブルをしていくわけ。向かってくる相手が同じように来るわけないんだから、バカだよね(笑)。マラドーナは多分、重心の置き方で抜きにかかるタイミングも違うし、フェイントしない。もうホントにうまいし、天才! 俺は、ただ同じことをやりたかった。研究だけはすごくしたから同じような抜き方はできたけど、なぜ抜けたかっていう理由はまったく違う。俺の場合は、小学生相手だったからだし、ただ単に足が速かっただけ。だから『どうして抜けるのか』っていうことまで考えて理解してやっていたら、サッカーってもっとうまくなれると思う」
 中学は私立の強豪、東海大一中に進んだ。キャプテンを務めた選抜で一緒にプレーした同じく富士市出身の川口能活も進学した。一学年上には伊藤優津樹、一学年下には佐藤由紀彦がいる。ちなみに伊藤優津樹とは、それ以来、高校、清水エスパルス、現在の川崎フロンターレとチームメイトである。東海一中は長橋が2年の時に全国優勝、3年ではベスト8の成績を残す。だが、2年の時は、メンバー入りを果たせずにいた。
 
「自分としてはドリブルが得意だったし、実際、何人も抜けてたんだけど、監督には体が小さい選手は飛ばされるからドリブルをするなって言われて…。今思えば、ドリブルしなければ良かったんだし、言い訳だけどね。いい経験だったけど、使ってもらえなかったのは辛かった。ただ、似合わないことに練習では一番アピールしていたかもしれない(笑)」
 小学生の時からプロ志向があったという。当時はまだJリーグがなかったからその思いは、『サッカーマガジン』で観た「ブラジルでサッカーがしたい」というものだった。静岡北高校には2学年上にブラジル人選手が在籍していた。結局、実現はしなかったが、長橋が入学する年にさらにブラジル人が入る可能性があったことが進学の決め手になった。
高校に入ると、再び「サッカーが楽しくてしょうがない」時期がやってきた。3年の時は、キャプテン。トップ下でのびのびプレーすることができた。
「監督が、自分の哲学に当てはめる感じじゃなくて、この能力はここで活きるっていう持ってるものをみてくれたから嬉しかった。選手権とかは無縁だったけど、みんな身体能力があって、速かったし、テクニシャン揃いだったから、サッカーしてて、すっごい楽しかった」
 
 
 高校卒業後、清水エスパルスに加入。1997年に川崎フロンターレに移籍した。長橋は、プロ入り以来、それまでの司令塔から右サイドでプレーをするようになった。振り返ると、自由な発想で長所を伸ばしてくれた静岡北高の高橋監督とエスパルスでの1年目、「サイドをやってみろ」と新たなポジションを見出してくれた大木武氏(現清水エスパルス監督)の影響が大きかったと語る。
 サイドの選手には、正確なセンタリングがまず求められるが、キックの精度は「蹴れば蹴るほどうまくなるもの」だと感じているという。ボールタッチは「1ミリの差異」で微妙に変わり、ボールが当たる位置と立ち足がピタッと決まる瞬間、鋭いボールが右足から繰り出される。
「あいつがボールをもつと落ち着くんですよ。コントロールが優れていて、ピタッととまる感じ。それに、慌てないんですよね」(向島建)
  試合中は、右サイドでボールをもつと、ドリブルで中に仕掛けていく場面がよく観られる。
「相手がいるとすると、一番向こうにとってイヤなのはトップスピードで真正面につっかけられることだと思う。正面に行けば、向こうはどっち側に仕掛けられるかわかんないからね。で、だいたいは、こっちが縦に行くだろうなって読んだ動きをするから、そしたら中へ入っていく」
 こうした変化は、フロンターレに移籍してから観られるプレーだと向島はいう。
「エスパルスの時は、例えば、途中から長橋が出ると、とにかくスピードがあってドリブルで抜けていける。だから、右にボールを集めたし、縦に勝負させるような状況を作ってました。でも、フロンターレに来て右サイドが警戒されるようになると、縦にばかり勝負するのは難しい。逆に、中へ仕掛けていくことで、点が取れるプレーヤーにもなったし幅が広がった」(向島)
 ただ、セオリー通りにやるならば、縦にドリブルしていくことは大事だと長橋は考えている。
「縦に抜いてセンタリングするほうが、中に入って上げるよりも向こうのDFにとっては視界に入りづらいからね。だから、基本的には縦に行こうとは思ってるんですよ。でも、相手が縦を切ってる場合が多いから、抜くタイミングとしては中に入っていくことが多くなるのかも。それに、(中に入っていけば)ゴールが見えるしスルーパスも狙えるから」
 その辺りに長橋のサッカー観を知るうえでのヒントがありそうだ。
 ジダン、カントナ、中村俊輔。アイデアをプレーに活かせる選手が大好きなのだという。
「魅せられる人が好き。ジダンなんてトラップで観衆が沸くでしょう。ファーストタッチが本当にうまい」
 長橋も試合中、アイデアがふっと沸く瞬間がある。
「例えば、サイドチェンジでボールが来た時、キーパーが前に出てたらアウトでドライブかけてシュートしようかな、とか。アウグストが右サイドにボール蹴った瞬間、(アウグストが)前に走ってたら、ダイレクトでまた返そうかな、とかね。こういうプレーってうまくいったらスーパープレーだけど、10回やって10回できたら、それこそマラドーナよりもすごい。だから、浮かんでも、いざ実践するのは難しいんですよね。そういうことを考えてる自分は好きだけど…、やれない自分は好きじゃないです」
 サイドの選手として、描いている理想のイメージが長橋にはある。もしかしたら、それは観てる人が思う“ヤス”のイメージとは違うかもしれない。
「例えば、スピードスターの選手と中村俊輔みたいにテクニックがある選手のどちらがサイドをやったら恐いかって言ったら、俊輔のほうが(相手にとって)イヤだと思う。もちろん、縦にドリブルしてセンタリングっていうのは、サイドやってる以上やるのは当然のことだと思ってる。ただ、理想だけを言えば、『あ、この人はトップ下でもできるだろうな』って思われるような選手でありたいし、そうなりたい」
 
 サイドの選手で好きなのは「三浦淳宏」といえば、よりイメージが沸くだろうか。「起点」にもなれる右サイド。そう評価されるようになりたいと、長橋は願っている。

──「才能と努力」については、どう考えてますか?
「俺は、努力は才能には勝てないと思う。絶対」
「絶対」に力を込める。
「もちろん、努力は必要だし練習はしなきゃうまくならない。でも、努力だけでは才能には叶わない、と思う。自分は、才能がある方にいたいし、自分ではそうありたいと思ってます」

94年、清水エスパルスに加入。97年に期限付き移籍で川崎フロンターレへ、翌年完全移籍。
1975年8月2日生まれ、静岡県出身。172cm、70kg。

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