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 2003/vol.06

 7月30日、対サンフレッチェ広島戦で、伊藤宏樹はJ2リーグ通算100試合出場を達成した。この試合、残り10分を箕輪と宏樹の2バックにするという賭けに出て、結果的に終了間際に小林のゴールで同点に追いついた。
「あれは、ミノと宏樹だからこそできたシステム。復帰後、一番良かったんじゃないかと思う」と石崎監督は後日、語った。
「あの場面は、集中しましたね。数的優位では勝てないリスクもあったから必死でした。けっこうきつかったけど(笑)」
 2001年の加入以来、足掛け2年半での100試合到達は、驚くべき早さと言えるだろう。本人は、この記録をどんな思いで受け止めているのだろうか。
「感想ですか? とくにないですよ。あっという間ですもん、本当に」

 2001年3月10日は、宏樹のデビュー戦であり、再びJ2からの挑戦となったフロンターレ再スタートの日でもあった。背番号25をつけた宏樹は、箕輪、小島徹の間でリベロのポジションでプロ初舞台に立った。
「もちろん試合に出るつもりで来たんですけど、実際出られるとは思わなかったから開幕戦は、名前をコールされた時に緊張感が高まりました」と当時、インタビューに答えている。試合は3対1で勝利、楽しみにしていたプロとしてのキャリアが幕を開けた。
 この開幕戦から最終節のモンテディオ山形戦で警告累積により出場停止となるまで、宏樹は新加入ながら43試合、出続けた。
「1年目は安定してなかったと思います。一生懸命やってたけど、いま考えれば実力も足りなかったし下手だった。それに、プロになってすぐに試合に出てしまったから、満足してしまった部分もあると思うし、改めて考えるってことがなかったですね、あの頃は」
 昨シーズンは、1年目を上回る出場数を記録する。リーグ戦44試合フル出場を果たしたのだ。フロンターレは4位でシーズンを終えた。
「昨年は、もちろんJ1にあがれると思ってやってたけど、大事な試合で負けてるんですよね。なんで負けたかが分かっていれば、いまはないですよ。でも、チームとして勝負弱かったんだろうなぁ。負ければDFとしては点取られてるってことだし、負けた試合はだいたい2点は取られてましたからね」
 
 
 そして、2003年シーズンが幕を切った。フロンターレはそれまでのリアクションサッカーから、天皇杯でトライしていたプレッシングサッカーに形を変えていた。
「昨年と今年ではサッカー自体が違いますよね。昨年は、相手の特徴を消す感じだった。でも、今年は前からどんどん仕掛けていく。そうすると(人が)少しずつずれていくから、そのズレを早く察知して動かないといけない。難しいけど、やり甲斐はあります」
だが、4月13日、第6節対サガン鳥栖戦でアクシデントが起きた。前半28分、相手FWとの競り合いからファウルを受け左足を痛めてしまう。
「すごい痛かった。一回立って、できるかなと思ったけど、グラウンド入ったら足が曲がらなかった」
左膝内側側副靭帯損傷で、全治3ヵ月と診断された。
「ヒザの内側に(ヒザが)横にずれないように靭帯があるんですけど、それが伸びたんですね。はじめは固定してヒザの曲げ伸ばしだけさせるんですけど、だいたい1週間のところが宏樹は3週間ぐらいかかりました」(境宏雄トレーナー)
リハビリ期間中は「自分が出てたら、という気持ちで観たら焦ると思ったから客観的にフロンターレの試合を観ていた」という。出だしこそ時間がかかったが、動けるようになるとあっという間に回復していった。
「普通、動けるようになっても痛みが半年とか1年とか残る場合が多いんですけど、宏樹はとにかく痛みの引きが早かった。体力はどうにかなっても痛かったらボール蹴れませんからね」と境トレーナーがいうように、2ヵ月での試合復帰は、強靭なフィジカルをもつ選手であることを象徴している。そう、もって生まれた恵まれた身体が宏樹の武器なのである。
「あのケガはアクシデントによるものですけど、それ以外の肉離れとか筋肉のトラブルは一切ない。一般的には筋力が強くてバランスがいいと肉離れはしないと言われているんですけど、宏樹の場合はそうなのかなと思います。左右のバランスがいい。疲れを訴えてくる回数も圧倒的に少ないし、回復力があるんでしょうね」(境トレーナー)

 6月22日、予定より1ヵ月早い第19節対水戸ホーリーホック戦で宏樹は復帰を果たした。前日は、少し緊張したというが、「サッカーで緊張することは、ほとんどない」というだけに、試合に入ればいつもの精神状態に戻っていた。わずか10日前、「足がまだでない。体力というより感覚が戻っていない」と話していたが、実際に復帰してみてどう感じただろうか?
「水戸戦は、やっぱりしんどかったですね。全然プレーに余裕がなかった。初めてのケガだったし、ぶつかるのが少し恐かった。でも、それは見せないようにしました。そんなことを出したら、やられますから」
 余裕のあるプレー──。DFとして宏樹が心がけていることだ。それは、「例えば、1対1でピンチの時でも、余裕をもって対処したい」という答えにも表れている。実際、瞬発力を活かして、ピンチを凌ぐ場面は度々見られる。ただ、フィジカルの強さとスピードが生む余裕のあるプレーに、さらに「考えるプレー」が加われば、さらなる向上が望まれる。そこに伸びしろが隠されているのではないだろうか。
 
  「この2年半で、スキルは向上したと思うか?」と宏樹に問うと、「それは感じない。ただ、意識の面では変わったと思います」という。だが、積んできた経験は確実にスキルの向上を生んでいるはずである。その辺を、加入当時から宏樹を知る高畠コーチに話を聞いた。
「スキルという意味では、宏樹は、バッと体が動いて『おおっ』って思わせるプレーを最初からできてた。ただ、戦術がなかった。そこで石さんの指導を受けて、個人の戦術、グループの戦術、チームの戦術を少しずつ覚えていったということです」

 宏樹に石崎監督の就任当初を思い返してもらった。
「石さんには練習中からよく怒られましたね。いまでも集中が少しでも切れてたら、必ず言われます。もちろん、自分ではそんなつもりないんですけどね。とくに最初の頃は、めっちゃ言われましたねぇ。変な言い方ですけど、高校とか大学までは厳しい環境じゃなかったし、友だちと楽しくサッカーやってる部分もあった。流されてたところもあったと思うんですよ」
 本人は、そう語るが、高校3年ではインターハイ出場、選手権県大会決勝進出、大学時代は4年で関西大学リーグ初優勝と、実績は残してきた。大学4年間、試合に出続けたうえに関西選抜にも選ばれている。
「そこそこ強かった、という感じなんですよ。常に。細かく指導を受けたり怒られることもなかった。だから、石さんに会って変わったところはあると思います」
麻生グラウンドでは、DF陣だけを集めて石崎監督がヘディングや競り合いの練習をしていることがよくある。
「宏樹! もっと体が伸びるじゃろ」

 もっと高く──。石崎監督は、宏樹の潜在能力を引き出そうとしているのだろう。
「頭の中でサッカーができるように」とは高畠コーチの言葉である。体が動くままにサッカーをしてきた宏樹は、少しずつ「考えるプレー」を体に染み込ませていった。たとえ一瞬の判断が遅れても追いついてしまうほどのスピードを持つ彼に、その「一瞬」がなくなった時、めざす“余裕のあるプレー”が完成するのではないだろうか。
 さらに、高畠コーチが言葉を続けた。
「能力を持て余している、とも言えるかもしれない。きれいなプレーを好む選手だけど、勝つためには泥臭いプレーも必要。いまのプレーが良かったのか、悪かったならどう対処すれば良かったかということを、ひとつひとつ考えさせて、だんだん自分で判断や説明がつくようになってきた。“意識”がさらに高まっていけば、能力から言えば代表にも近いと思うんやけどね」
 エジソンコーチは「上をめざすなら、もっと声を出せる選手になることが絶対に必要」とエールを送る。 いまは、目の前の試合に勝つことだけを考えたい、という。あっという間の100試合で、そのなかの1戦を強烈に記憶していることはない、という。伊藤宏樹のなかで感情が剥き出しになるような経験は、まだこの先に残されているのである。
「僕が入ったときにJ2にチームが落ちたんですけど、いま思うと、もし、J1のままやったら試合に出られなかったでしょうね。いまはJ1に上がりたいという気持ちが強いです。そこがスタートだと思ってます」


2001年、立命館大学より川崎フロンターレに加入。初年度から不動のDFとして出場し、今季はリーグ戦100試合出場を達成している。1978年7月27日生まれ、愛媛県出身。183cm、74kg。

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