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 2004/vol.01

──現役時代は、フォワードとしてプレーされていましたが、どんなタイプのプレーヤーだったのでしょうか。
関塚 前でがむしゃらに動いてましたね。得点に絡むところには、必ず入っていく。体が大きいほうではないので、点で合わせるタイプでした。
 
──俺が決める、という。
関塚 「試合を決めてやる」っていう気持ちはすごく強くもっていましたね。
 
──キャプテン経験は。
関塚 大学時代と、本田技研でキャプテンをやっていました。
 
──当時は、まだJリーグができる前でしたが、サッカーをずっと続けていこうという気持ちはもっていましたか?
関塚 実家が自営業をやっている関係で、公認会計士についても考えていました。兄が継ぐので、それを手伝おうと大学進学のとき商学部を考えていたんです。でも、高校を卒業する頃になり、もっとサッカーをやりたいと思って、早稲田大学の教育学部体育学科に入って、その辺から方向性が変わっていきましたね。ただ、あの頃はプロリーグはなかったので、いずれ仕事をしなければいけないと考えて本田技研を選びました。
 
──指導者を考え始めたのは、いつ頃ですか?
関塚 本田技研で4年目に腰を手術しているんです。それで1年間リハビリにかかって、その頃ですね。ただ、ケガで現役を終わりたくないと思ってましたから、リハビリは必死にしました。
 
──現役引退後は、早稲田大学の監督に就任されました。
関塚 2年間やりました。そのときに、幸せなことに結果を残せたんで指導者のおもしろさにつながったというのはあります。
 
──1年目に大学選手権で優勝されて。
関塚 2年目は、決勝で負けたんですけどね。
 

 

 

──その後、アントラーズのコーチになり長い年月で培ってきたものがあると思います。
関塚 まずは、宮本征勝さん(故人)との出会いですね。早稲田大学サッカー部のときに監督として宮本さんに出会って本田技研にも宮本さんを慕って入り、アントラーズでもお世話になりましたから。アントラーズに入った経緯は、日本にプロリーグができて、ジーコをはじめ世界を知っている人間から、じかに学べるとともに日本でプロチームを作っていきたいという気持ちからでした。それで、本田技研を退職してアントラーズに入りました。
 
──早稲田大学の監督時代は、本田技研の社員だったんですか?
関塚 そうです。派遣でやらせてもらいました。午前中は勤務して午後から大学に、という生活でした。
 
──アントラーズは常勝軍団と言われて久しいですが、勝者のメンタリティーについては、どのようにお考えですか?
関塚 ジーコはじめ、プロというのは試合をやるだけじゃなく勝ってはじめてプロの仕事なんだ、という考えを植えつけられました。それは、1日でできるわけじゃなく日々積み重ねてカラーが生まれてくる歴史でもあります。そのハードルを越えるためになにをしなければいけないかというと、細かいことの積み重ねなんですよね。ですから、クラブ全体が考えて作っていくことが大事だと思います。
 
──優勝するときは、勝ち癖がついていると思うのですが、優勝という結果が出るときと出ないときの違いは。
関塚 ケガ人が出ないことや、出場停止の選手に代わって出た選手が活躍したり、そういう巡り合わせや流れができているときは強いんです。それには11人のレギュラーだけが頑張っていてもだめ。選手全員、いつ自分にチャンスがくるかわからないわけだし、逆にコーチングスタッフも常に全体を見ていることが大事ですね。
 
──全員がモチベーションを保つために必要なこと、またそのために心がけてきたことはありますか?
関塚 一番大切なことは、チーム全員が“For the Team”の意識をもつことです。また、選手全員へのアプローチやサポートというのは、監督だけではできないこと。僕はいままでコーチとしてその部分を、やってきたわけですね。監督というのは、目の前にあるひとつひとつの試合でいいパフォーマンスをし、いい結果を出すことが求められますから、そのことに集中しなければいけないわけです。
 
──そこが監督とコーチの仕事の違いですか?
関塚 ええ。自分で決断して、それがどう結果になるかを求められるのが監督ですから。
 
──いままでと仕事が変わる意味では、ご自分を変えていこうという意識はありますか?
関塚 変えていこうというより、いままでの経験を活かしてやっていきたいですね。そのうえで、ひとつひとつのことに対して判断をして決断し、それを言葉にして伝えていきたいと思っています。
 


──昨年、フロンターレの監督就任の要請があったときは、どのように思われましたか?
関塚 自分のなかでは、2〜3年前からタイミングはそろそろかなと思ってはいました。ただ、そのなかでも魅力があるチームでやりたいという思いがあり、昨年、フロンターレから要請をいただき、それからクラブ側と何度か話し合いをしていきました。
 
──魅力あるチームと言われましたが、昨年のフロンターレの印象が強いですか?
関塚 そうですね。ひとりひとりのパフォーマンスが高かったですからね。
 
──選手たちの印象は、いかがですか?
関塚 ひじょうにまじめで、しっかり目標をもって毎日トレーニングに取り組んでくれていると思っています。
 

 
──「メンタル面の向上のために、選手同士で高めあってほしい」と言われていましたが、選手たちに求めることは。
関塚 好きなサッカーで仕事ができているわけだから、楽しさは絶対もってほしいし、勝てばなおさら楽しさにつながる。自分が上を目指すためにも、高い要求を周りにしてもらいたいなと思いますね。その辺は、ブラジル人とつきあってきて、彼らはトレーニングではバーッと言い合っても、終わればケロっとしてるんですよ。仕事のなかで自分が求めるものは要求して離れたら友だちなんだよ、という関係にチーム全体がなっていくことが大事だと思うんです。
 
──J2は引いてくるチームが多いですが、どのようなサッカーを考えていますか?
関塚 引いてくるか、攻めてくるかは別にして、やはり自分たちがイニシアチブをとっていれば対応できるわけですから、自分たちのストロングポイントをしっかり作って、フロンターレのサッカーはこうだ、と言えるようにしたい。ただ、ずっとそれをやっていたら、結果が出ないときもあると思うので、その辺はうまくやりたいですね。ダイナミックなサッカーを展開していきたいと思います。
 
──理想のサッカーを追うだけでなく、まずは選手を見極めたい、と言われてましたが。
関塚 そうですね。ただ、攻撃にいくときはいっていいと思うんです。それを味方の選手がカバーする。中途半端なサッカーはしてほしくないと思うし、その辺のダイナミックさは出してほしい。ゴール前で迫力のあるサッカーをしたいなと思っています。
 
──昇格という大きい目標がありますが、監督自身が必要だと思っていることは。 
関塚 細かいところから勝負にこだわること、自分が決めたことをやり通すことです。また、トレーニングから100パーセント集中してやっていくことがすごく大事だし、それが結果につながると信じています。あとは、一人ひとりがチームを信じて、味方を信じて、チームの団結力がもてれば、結果はおのずと転がりこんでくると思います。
 
──さて、ご家族は川崎に。
関塚 今年、早々に引っ越しました。
 
──お子さんは。
関塚 長女が小学4年、長男が小学1年で、こちらの学校に通っています。
 
──サッカーを離れてご家族で過ごされるときは、“よきパパ”で。
関塚 いやあ、“パパ”じゃなくて“お父さん”ですけどね(笑)。子どもが小さいので、家族といる時間は大事にしたいですけどね。もう少ししたら、友だちとワーッて遊びにいっちゃうでしょうから(笑)。
 
──記者発表にはたくさんのファンの方が足を運んでくれましたが、いかがでしたか?
関塚 監督としての記者発表は初めてで、ましてや(ファンの方を前にした)ああいう形だったので緊張しました(笑)。
 
──では、最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
関塚 ファンの皆さんが期待しているのはJ1昇格。それに向けて自分のできること、しなきゃいけないことをしっかり整理してキャンプから一人ひとり1年間、戦える体を作り、J1昇格に向け1試合1試合、戦えるチームづくりをしていきます。開幕からぜひスタジアムに足を運んでいただきたいと思います。よろしくお願いします!

八千代高校、早稲田大学を経て、84年〜91年まで本田技研にてフォワードとして活躍。現役引退後は、早稲田大学監督を2年間、以後、鹿島アントラーズのヘッドコーチとして8年間、途中、95年には清水エスパルスのコーチを1年間務めた。今季より、川崎フロンターレの監督に就任。
1960年10月26日生まれ、千葉県出身。

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