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2004/vol.09
月25日は僕にとって特別な日でした。J2リーグ通算100試合出場という記念すべき試合に、うれしいことがいくつも重なったからです。5歳になる長女のナタリアから試合前に花束を贈られたこと、1歳半になる次女のベアトリスを抱いて入場ができたこと、そして、家族が観ている前でゴールを決められたこと…。ゴールを決めたときは、気持ちが高揚しました。本当に、本当にうれしかったのです。
100試合──。決して早かったとは思いません。むしろ、長い年月を重ねてきたんだなぁとしみじみ実感しました。そんな僕のサッカー人生を少しでも伝えられたら、と思います。
は11人兄弟の末っ子です。ブラジルのサンパウロ州サンジョゼ・ドス・カンポス市で生まれ育ちました。いつも兄たちとサッカーをして遊んだ記憶があります。
いまでも鮮明に覚えている大切な記憶があります。僕が7歳になったある日、フットサルのクラブに自転車で行こうとしている兄に声をかけました。断られるとわかっていましたが、いつものように「僕も行きたい」と頼んだのです。すると、兄は振り返って「いいよ」と言って連れていってくれたのです。忘れられない思い出です。
この日から13歳まで、僕はフットサルに、のめりこみました。フットサルの経験は、いまに活きていると思います。ボールの運び方やトラップの仕方で、僕がフットサル経験者だと納得する人も多いようです。
さて、13歳になった僕は、地元のクラブ、サンジョゼに入りました。このクラブには20歳まで在籍したのですが、プロ契約をしたのは17歳のときです。驚かれるかもしれませんが、プロ入り前はボランチの選手でした。というより、フォワードとしてプレーをしたこと自体、日本が初めてだったのですが…。まぁ、それは後で詳しくお話するとしましょう。ボランチとして16歳までプレーした後、右サイドのウィングバックをやりました。そこで、アウグストのようにサイドから攻めあがってゴールをけっこう決めていたので、プロ契約した後は、より攻撃的な中盤の選手としてプレーするようになりました。
僕が来日するキッカケとなった出来事をお教えしましょうか。2列目でプレーするようになり数年が経ち、1997年、僕はグアラニ・デ・ベネシオアイレスの選手としてリオグランデドスール州サッカー選手権で28ゴールを決めて得点王になりました。そうです、これが初めての得点王です。
の日は、ホームゲームで2対1で負け、ガックリして帰ろうとしていました。すると声を掛けられたのです。本田技研の方でした。ちょうどブラジルにフォワードを探しに来ていて、僕が出た試合を何試合か観てくれていたのです。ジーコやアルシンドが活躍するJリーグがある日本に行くのは夢でしたから、すぐ返事をしました。妻、フラビアも喜んで賛成してくれました。
1997年7月15日、僕は初めて日本の土を踏みました。最初は、やはり大変でした。フォワードとしてプレーするのは初めてでしたし、日本のサッカーに慣れなくてはいけません。もちろん、日本文化や生活にも戸惑いがありました。こんなことを懐かしく思い出します。来日してすぐ合宿があったのですが、僕は1週間、パスタしか食べませんでした。すると見かねた監督に「努力して慣れようとしなさい」と言われ、それから箸を使うことにトライしたのです。
当時の本田技研にはブラジル人選手数人と通訳もいましたし、とくに在日期間が長いドゥグラスには、家も近くなにかと助けてもらいました。浜松はブラジル人が多いこともあって徐々に日本での生活も楽しくなっていきました。フロンターレともJFLで何度も対戦したのですから、いま思えば縁を感じます。とくに、1997年、雨の西が丘で対戦した試合は印象深く覚えています。
1999年のシーズン終了とともに僕はブラジルに帰国しました。この年はJFLで22ゴール決めて日本で初めての得点王となりましたが、本田技研がJリーグ加盟をめざさない方向に転換していたこともあり、帰国を決めたのです。でも、日本は大好きでしたから、次に来るときは必ずJリーグでプレーをしたいと心に決めていました。
び来日のチャンスが来たのは2002年です。新潟からオファーがあり、ブラジルでの契約を途中で終えすぐに来日を決心しました。そして、新潟で昇格をめざす日々を送ることになったのです。
2002年の新潟は、第43節対セレッソ戦で3対0で敗れ昇格が絶たれました。あと一歩のところでした。でも、大事な試合を落としたり、その一歩がチームとして足りなかったのです。この年、僕がゴールをした試合は負けないという「不敗神話」がありました。昇格は絶たれてしまいましたが、最終節で得点王を決める19ゴール目を決めチームは勝利でシーズンを終えました。
2003年の新潟は、よくまとまったチームでした。最後は、みんな必死でした。第43節の対福岡戦、1対1で残り時間はわずか、このまま引き分ければ新潟の昇格は決まるところでした。でも、逆転ゴールを許し負けてしまったのです。みんな激しく落ち込みました。でも、終わったわけじゃなかった。僕は、このままじゃいけない、と思いました。最終節のホームで勝てば、4万人のサポーターを前に自力で昇格が決まるのですから。切り替えて次の試合に全力で集中しなければ、と。
翌日、リカバリーを終え僕は上野や秋葉と食事に行きました。そこで気合いを入れるためにみんなで坊主になろう、という話が出たのです。電話をしてチームメイトを呼び寄せ、その場で頭を刈りました。試合前には、さらに数本のラインを刈り込みました。気合を入れるには十分のことでした。
このとき、僕はブラジルでの、ある出来事を思い出していました。1995年、エスポルチーボ・デ・ベントゴンサルベスでのことです。同じように優勝を賭けた試合を前にした練習中に、選手同士が激しくぶつかってしまったのです。ふたりとも頭を切るケガをし、そのために頭を刈りました。それならば、と僕たちは坊主にしたのです。全員でしました。そして、優勝を勝ち取ったのです。もうひとつ、思い出したことがあります。前年、セレッソに敗れた試合をテレビで観たとき、泣いていたサポーターの姿です。絶対に同じ思いをさせてはいけない、と心に誓いました。
自信はありました。そして、新潟が昇格と優勝を決めたのです。プロ選手ですから移籍は覚悟しています。チームを離れる現実は受け入れなければならないことです。昨年の暮れ、新潟を離れる日、駅まで来てくれた選手やたくさんのサポーターを見て驚きました。とても、心打たれる出来事でした。僕は涙が出るほど本当にうれしく思いました。
僕はいま、川崎フロンターレで再びJ1昇格をめざす日々を送っています。監督に与えられた仕事を100パーセント全うしチームの目標であるJ1昇格、J2優勝に貢献することが、僕の最大の仕事です。自分に点を取るチャンスがあればもちろん落ち着いて狙います。でも、自分以外にフリーの選手がいてパスを選択したほうが最良であるならば、無理にシュートをうつのではなく、パスを選択したい。それが僕の考え方です。経験を積んできたことで僕自身、もちろん変わった部分はありますが、根本的な考え方は若い頃から変わりません。チームが勝つことが一番大切なのです。
今年のフロンターレは、我那覇が前線に張って、ジュニーニョと僕が自由に動きまわる3トップの形ですが、どんどんコンビネーションもよくなってきています。下がり目でプレーをすることは得意とするところですから、自分を活かすことができていると思います。ジュニーニョのゴール数を気にやんだりすることもありません。何度も言っていますが、僕がフロンターレに来たのは、自分が点を取るためではなく、チームが勝つためなのですから。
いま、一番強く心に願っていることは、自分の仕事をしっかりやり、フロンターレがJ1昇格とJ2優勝を果たすことです。一番大切なことは、全員が勝ちたい気持ちを強くもっていること。実際、フロンターレはみんなが同じ方向を向いてここまで戦ってきました。強く、いいチームです。
ポーターの皆さん、もう少しです。昇格と優勝にもうすぐ手が届こうとしています。昨年、新潟のサポーターが味わったようにフロンターレのサポーターに昇格する喜びを味あわせてあげたい。そのために僕はピッチで全力を尽くすだけです。絶対に、応援にきてほしい。そう僕は願っています。
こうして改めて振り返ってみましたが、僕は、5年以上の歳月を日本で過ごしてきました。これからも出来る限り長く大好きな日本でサッカーを続けたいと思っています。
僕のサッカー人生にまつわる話は、この辺で終わりにします。
それでは、また。
等々力で会いましょう。
2004年、アルビレックス新潟よりフロンターレに加入した。
献身的なプレーでチームに貢献する2年連続J2リーグ得点王。
1974年2月25日生まれ、ブラジル出身。176cm、67kg。
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