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SEASON 2014 / 
vol.18

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プロモーションスタッフ/伊藤宏樹

あの涙を笑顔に変えるために

プロモーションスタッフ/伊藤宏樹

テキスト/いしかわごう 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Ishikawa,Go photo by Ohori,Suguru (Official)

2013年12月7日、Jリーグ第34節。伊藤宏樹は等々力陸上競技場での現役ラストゲームを迎えていた。
あの試合後の涙から一年。彼はスパイクを脱ぎ、今年から集客プロモーション部のスタッフとして新たな道を歩み始めている。
そんな激動の1年の胸中を、いま明かす。

 試合当日の朝になっても、特別な感情は湧いてこなかった。

いつものように家族に「行ってきます」と伝え、自家用車に乗り込んでチームの集合場所に向かう。そしてみんなで昼食を取った後、チームバスに乗りこむ。伊藤が座る定位置は前から4列目のシートだった。右側に自分が座ると、左側に中村憲剛が腰をかけているのもいつものことだ。伊藤にとって、これまでのホームゲームと何ら変わらない行動だった。

 2013年12月7日、Jリーグ第34節・横浜F・マリノス戦。伊藤宏樹は等々力陸上競技場での現役ラストゲームを迎えていた。

 チームバスに10分ほど揺られ到着したスタジアム周辺は、いつにない熱気に満ちていた。横浜F・マリノスが優勝をかけて乗り込んできており、川崎フロンターレもACL出場権獲得の可能性が残っている。フロンターレサポーターによるバス待ちも、いつも以上に熱烈だ。引退を発表していた伊藤にはバス待ちのサポーターからたくさんのゲーフラが掲げられ、バスから下りる瞬間には、「ヒ・ロ・キ!イトウ・ヒロキ!」のチャントが力強くコールされた。グッと高まっていく気持ちを押さえつつ、仮設中の長い通路を歩いてロッカールームにたどり着いた。

 入り口から数えて3番目が伊藤の愛用しているロッカーだった。背番号順ではなく、空いている場所を使うのがこのチームのしきたりで、13年前に入団した年に空いていたのがその位置だったのである。気づいたら13年間、ずっと使っている慣れ親しんだ場所がそこになっていた。着替えをすまし、リラックスした状態でウォーミングアップが始まるまでの時間を過ごす。
 
 試合開始40分前。
アップのためにピッチに出て行くと、今まで聞いたことのないほどの大声援が湧き起こった。満員のスタジアムはこれまで何度も経験している。だがこの日の両クラブのサポーターが作り出すスタジアムの雰囲気は、これまでとも少し違っていた。自分に対する大きな弾幕もあり、力がみなぎって来た。

 ケガで戦列を離れていた伊藤にとって、久しぶりのベンチ入りでもあった。チームメートの前では「こんないいシチュエーションを作ってくれてありがとう」と冗談で話したが、本当にそんな舞台が整っていた。もっとも、この試合で出番があるかどうはわからない。普通だったら、ケガ明けのディフェンダーをこれだけ大事な試合で投入する機会があるとは考えにくい。しかし風間監督ならば、きっと自分を使ってくれるはず。不思議と、そう信じていた。ベンチに入れてくれた監督の配慮にただただ感謝していた。

 ウォーミングアップは、いつものように中村憲剛と組んで行った。実はこのとき、中村の目にはうっすらと涙が浮かんでいたという。

「アップの2人組は、ずっと宏樹さんと一緒に組んでいたから、いろいろと思い出してしまった。あぁ、この人とボールを蹴るのはこれで終わりかと思うと、じわっときて視界がぼやけてしまったんですよ。もちろん、すぐに切り替えましたけどね」

 中村の気持ちの切り替えは、勝利へと向けられていた。今日のプレーは、すべて伊藤宏樹のために捧げようと彼は誓っていたのである。

「絶対に笑って終わる!・・・それは、あの人が引退すると電話してきたときから決めていました。ここで負けて、宏樹さんの等々力の最後の試合を、相手の胴上げで終わらせるわけにはいかなかった」

 試合が始まった。序盤から激しいぶつかり合いとなり、ベンチから冷静に戦況を見つめていた。0-0のままゲームは進み、後半も一進一退の攻防だったが、54分にレナトのゴールで川崎フロンターレが先制に成功する。自陣でボールを奪ってから足元を経由した鋭いカウンター攻撃で、その起点になったのは中村憲剛の力強いボール奪取だった。

 優勝の為に勝たなければならない横浜F・マリノスは怒濤の猛反撃を見せるが、フロンターレも必死のディフェンスで応戦。気持ちのぶつかり合いのまま時計の針は進んでいく。そして1-0のまま残り5分を切ると、ついに風間監督から呼ばれた。84分、得点を決めたレナトに代わって伊藤宏樹はタッチラインをまたいだ。その瞬間のスタジアムの様子を、中村憲剛はこう証言する。

「あれで、絶対に失点しないという雰囲気に等々力がなったと思う。ウチはなりふり構わず5バックにしたし、負けるものかという気持ちもあった。だから、なんとしても守り切る。絶対に死守でしたね」

 相手は屈強なセンターバックである栗原勇蔵を前線にあげるパワープレーを敢行していたが、最終ラインに入った伊藤宏樹はその空中戦をジェシとともに丹念に弾き返していく。川崎山脈の異名は伊達ではない。ピンチは多かったが、やられないと思っており、そこは冷静だったという。GKの西部洋平も再三のファインセーブでシュートをかき出す。5分にも及んだロスタイムのラストプレーは、相手のコーナーキックだった。それをしのいで登里享平が高くクリアすると、西村雄一主審がタイムアップを告げる笛を鳴り響かせた。

「終わった」

 次の瞬間、真っ先に抱きついていて来た中村憲剛の目には涙が浮かんでいたが、「なんでやねん」と思うほどに冷静だった。他会場の結果が入り、オーロラビジョンで大久保嘉人の得点王と逆転でのACL出場権獲得が伝えられるとフロンターレサポーターの喜びは爆発した。ただ試合後にチームメートとともに行う喜びの儀式が終わり、ピッチからスタンドへの挨拶に向かって歩いている途中、「等々力、最後だな。もうここに立つことはないんだ」と思うと、急にさびしくなり、気づいたら涙が溢れ出していた。

 しばらくして顔を上げると、風間宏矢が自分以上に号泣していた。福森晃斗や山越享太郎ら、日頃、喜怒哀楽を表に出さない若手も泣いていた。スタジアムのオーロラビジョンで自分のプロ生活を振り返る特別メッセージVTRが流れると、伊藤はフードを頭から被ったままうつむくことしかできなかった。試合後、あれだけの笑顔で溢れていた等々力競技場は、いつしか涙に包まれていた。

 あの最終節を中村はこう回想する。
「チープな言い方かもしれないけど、宏樹さんは等々力の神様に愛されていたと思っている。あのとき、スタジアムはマリノスが優勝するよりも宏樹さんの最後を飾るほうを選んだんじゃないかな。あの日に関して言えば、あれ以上無い終わり方だったと思う」

 こうして伊藤宏樹は等々力のピッチに別れを告げた。
セレモニー終了後は、サポーターとの触れ合いの場が設けられ、ユニフォーム姿で立ったまま2時間以上、一人一人と握手と会話を交わした。そして最後の公式戦となった天皇杯・サガン鳥栖戦を終えて、13年間の現役生活の幕を閉じた。

公式戦通算出場試合数は496試合。すべて、川崎フロンターレで積み上げた数字だった。

MF19/森谷賢太郎選手

 年が明けた2014年。
伊藤はクラブに残る形で指導者を目指しながら、自分のやりたい道を模索するつもりだったという。実際、1月の新体制発表の場では育成普及部のスクールコーチとして活動することがアナウンスされている。ただ、本人はまだ悩んでいた。

「クラブに関わる仕事をしてみたかったんです。でもわからないことも多かったので、なかなか自分から強くは言えなかったですね」

 そんな折、思わぬ転機が訪れる。
新体制発表が行われた数日後、フットボールサミットという雑誌で天野春果部長を交えたクラブスタッフとの座談会で集客プロモーション部の話題になった際に、ひょんなことから、プロモーションの仕事をしてみてはどうかという展開になったのである。最初は「自分には無理ですよ」と否定していたが、伊藤には新しい仕事に挑戦してみたい気持ちもあった。その数日後、指導者ではなく、クラブの社員として働く決断を固めた。すでに育成普及部のスクールコーチとして始動する予定も組まれていたが、向島建育成部長に電話でその旨を相談した。そして事業部で働きたいという希望を庄子春男GMにクラブハウスでぶつけた。「中途半端な気持ちではできないぞ」、「やっぱり現場が良いです、というのもナシだぞ」と言われながらも、自分の意志の強さを伝えると了承を得ることができた。武田社長との面談でも「頑張れよ」と声をかけてもらい、こうして1月29日、川崎フロンターレ集客プロモーション部・伊藤宏樹が正式に発表された。プロとしてフロンターレで13年間プレーした男は、指導者の卵から一転、35歳の新入社員となった。

 毎朝、仕事場である事務所に向かう通勤手段は、車ではなく電車になった。右も左もわからないどころか、上も下もわからないような状態でスタートしたサラリーマン生活。2月1日、全体会として年間の活動スケジュールを確認するミーティングに参加したが全然ついていけなかった。ただわからないことだらけだったがゆえに、毎日が新鮮だったという。彼の座右の銘である「謙虚な姿勢と感謝の気持ち」はスパイクを脱いでも健在で、仕事でわからないことはなんでも聞いて貪欲に吸収した。周囲のスタッフからの評判も上々で、「宏樹は自分から仕事を探すし、元選手というおごりも全然ない」と異口同音の証言をよく耳にしたものである。天野部長も「宏樹は大丈夫だよ。わからないことをわからないとちゃんと言えるから」と、その姿勢に太鼓判を押していた。

 そもそもの話だが、川崎フロンターレの集客プロモーション部とは何をする部署なのか。ここで少しだけ説明をしておこう。よく営業部や広報部だと思われているが、実際には違う部署である。このプロモ部の名物部長である天野春果によれば、プロモーション部の仕事とは「川崎フロンターレを介して川崎市民及びフロンターレサポーターのとびっきりの笑顔を作ること」。現在、プロモ部員は伊藤を入れて6人。アルバイトを入れても10人に満たない。仕事内容は多岐に渡り、伊藤の言葉を借りれば、「フロンターレでみんなを幸せにするために何でもやります」とのことだ。

 例えば、フロンターレを知ってもらうための企画とその広報戦略。地域のイベントに協力を求められたら積極的に顔を出して宣伝し、あるいは自分たちから企画書を持ち込んでいくこともある。そこから営業案件につながることもあるので、営業部の要素もある。長年チームのキャプテンをやっていた経歴から、伊藤個人のもとには市の講演や学校の講義の依頼が来ることもある。そうした活動を通じてクラブを認知してもらえるので積極的に応じている。この取材で現役時代は使用していなかったというスケジュール帳を見せてもらったのだが、中身は予定で埋まりほぼ真っ黒だった。「白紙だと申し訳ない気がするので」と自分から仕事を入れている。

 多岐にわたる仕事の中でも、メインとなるのは、やはりホームゲームに開催されるイベントの企画運営だろう。内容が決まったら広報グループと相談しながら、宣伝展開を考えていく。どんなに面白い企画を立てても、宣伝に工夫がなければ伝わらず、後の祭りになってしまうからだ。事前宣伝の工夫も企画の大事な一部なのである。

 ホームゲームが近づくと、地元メディアの応援番組の出演やSNSでの告知や、スタジアム周辺の最寄り駅に立って早朝から告知チラシ配布の活動にも余念がない。選手時代からメディア出演はこなしていたが、駅前でのチラシ配りとなると勝手が違う。いまではすっかり慣れたが、最初は少しだけ抵抗があったという。

「やっぱり恥ずかしかったですよ。それに自分も電車で通っているからわかりますけど、朝に急いでいるときはなかなかチラシを受け取らないですよね。配っている人も、どこか怪しいですし(笑)。でもフロンターレのユニフォーム着て配ったら、振り向いてくれたり、もらってくれる人がいる。ありがたいし、認知されているんだなぁとうれしくなります。たまにサポーターがいるとホッとする。ポスター貼りも行きますが、協力してくれる地域はたくさんあるけど、まだまだなんだな。でも川崎ってすごく人が多いし、まだまだポテンシャルはあると思ってます」

ヒロキー  そして伊藤宏樹といえば、ホームゲームの開催日に「ヒロキー」なるキャラクターに扮してフロンパークで活躍している姿でおなじみだ。いまやすっかり定着したが、きっかけは「ウォーリーを探せ!」のパロディにした企画「ヒロキーを探せ!」から始まっている。

「今年はACLの関係で平日ナイターが多かったので、平日には大きなプロモーション企画ができないから自由にやっていいよと天野部長から言われたんです。最初は子どもとサッカー対決をしようと思っていたのですが、それだけだと面白くないので隠れんぼしようということになりました。こだわったのは企画のネーミングですね。そこで無理矢理ですけど、ヒロキーにしました。でも、それが意外と子どもたちにウケました」

 ヒロキーを探せ!は、スタジアム内外のどこかにいる伊藤宏樹が変装したヒロキーを発見するという参加型のアトラクションだ。発見すれば非売品のヒロキーグッズがプレゼントされ、子どもから大人まで楽しめるアトラクションとして、従来のキッズランドとは違う面白さがあると好評を博した。「ヒロキーを探せ!」は第2弾も開催され、その後は「ヒロキーをすくえ!」、「ヒロキーを祝え!」と企画は形を変えてシリーズ化された。ときに鉄格子に半裸にチェーンを巻いて閉じ込められていたり、誕生日のお祝い小麦粉と水風船をぶつけられたりと、企画がエスカレートしていく一方なのはやや心配だが、これがどこまで突き抜けていくのか。サポーターも密かに楽しみにしているようである。

 伊藤自身、選手時代からサポーターと接する機会の多かった選手だが、こうした企画を通じてサポーターと触れ合ってみると違った発見も多い。

「フロンターレはファミリー層が多いとは聞いていたけど、どういう人が来ているか、選手時代はそこまでわかっていなかった。プロ選手はサポーターに支えられているというけれど、実際にそれがどういう人たちなのか。それを知りたかったので、毎回すごく勉強になっていますね」

 天野部長も、加入当初は伊藤がここまでやってくれるとは思ってなかったという。サポーターからは「天野さん、ヒロキを働かせ過ぎなんじゃないの?」、「もっとヒロキにやさしくしてあげて」との声も届くそうだが、天野部長はこの企画にはほぼノータッチだ。伊藤が自ら楽しんで企画し、他のプロモ部員と実行しているので、温かい目で見守っているそうである。

 もっとも、ヒロキーのように表に出る仕事は、全体のほんの一部。実際には、そのほとんどが裏方として費やされている。例えば、ホームゲームの準備。試合前日の朝から集合して、スタジアムに搬入する荷物を車で何往復もして運ぶ。前日は一日中ステージ設営を行い、試合当日も早朝から集まってみなで準備を行う。設営で装飾が必要となれば、自分で大工を施す。ステージ設営の準備や搬入作業に試合前日からこんなに時間をかけて準備していたとは、選手時代は思いもよらなかったという。試合前のイベントを終えて試合が始まると、今度は試合中にその片付けを行わなくてはいけない。そのため、「ホームの試合はほとんど観れてません」と笑う。

「サポーターの方はいつも試合を観ていると思っているでしょうね。『最近、フロンターレはどうですか?』と聞かれても、試合を観ていないですから(笑)。もちろん観たいなと思いますけど、もう慣れました。仕事ですから」

 片付けをしている最中に大きな歓声がわき起こり、「えっ、どっち?どっち?」とスタッフと盛り上がることもしばしば。ハーフタイムにスカパー!中継の次回告知に出演するときは、一瞬だけ現場を抜けるが、後半はまた片付け作業に追われる。片付けが済めば、奇跡的に途中から観戦できることもあるが、実際に試合を見る時間はほとんどないという。勝てば万歳三唱をする子どもたちのアテンドを行い、試合が終われば選手バス前でのサイン対応のサポートをしている。それが終われば、再び残っているのが片付け作業だ。片付けは深夜にまで及ぶことも珍しくないが、それでもやりがいを感じているという。今の目標を聞くと、開口一番に「毎試合毎試合、来てくれたみんなを笑顔にすること」と答えてくれた。

「みんなサッカーを楽しみにして来ているし、イベントも楽しみにしてくれている。毎回同じ人が来るわけじゃなくて、そのイベントによって来る人が変わる。風鈴市や落語だったら年配の人、電車だったら鉄道ファン・・・そういう人たちをうまく取り込んで、笑顔にしていきたいですね。企画が成功かどうかは、みんなの顔を見ていたらわかりますから」

 激動の年だった今年、クラブの中に入って働き始めて感じたこと、学んだことはあまりに多い。

「選手時代は、スタッフがここまで真剣にやっているとは想像もしてなかったです。選手として長くやって来ていたから、『自分たちがフロンターレを作って来た』という自負もあったんです。でもクラブの方たちは、もっと大きな目でチームを見て動かしている。よく考えたら、僕よりも長くクラブにいる人が多いんですから、当然ですよね。プロモーション部なら天野部長がそうですし、各部署にもそれぞれいる。武田社長や庄子GMもそうですよね。だからフロンターレはクラブとしての幹がしっかりしているのだと思います」

 盟友の中村憲剛にも話も聞いてみたいと思った。引退し、クラブの中の人として働く今年の伊藤宏樹についてどう感じていたのか。彼は茶目っ気たっぷりに、こう話してくれた。

「そっちにいったか、ですね。ただスクールのコーチをやるよりも向いていると思ったし、伊藤宏樹をフルに使うにはその仕事のほうがいいんじゃないですかね。自分にはできないし、なによりフロンターレが心底好きじゃないとできないでしょう。宏樹の次は憲剛でしょ、みたいに言われるけど、自分はたぶん宏樹さんとは違う畑にいきます(笑)」

 ピッチに目を向けると、伊藤が去った今シーズンもクラブは悲願のタイトル獲得はならなかった。さまざまな要因があったとはいえ、シーズン終盤になってからチームの低迷が響いた結果とも言えた。特に中心選手である中村憲剛は左足首に負傷を抱えたままのプレーを余儀なくされ、それがチーム全体のパフォーマンスにも影響した。だからというわけではないだろうが、伊藤の話題を聞いている時、中村はふと「宏樹さんがいなくなったのは、大きかったですよ」とも、漏らしている。

「宏樹さんがいなくてもチームはまわるだろうと思っていたし、いま、どうしても必要だとは思わないんですよ。実際、いなくてもやれていたわけだし、それは今も変わらないんです。でも自分のプレーができなくて爆発したときに、フォローしてくれる人がいなくなったのはあります。今までだったら自分が好き勝手やっても、宏樹さんが後ろから『お前、アホか』、『チームのためにちゃんとやれ!』と叱ってくれた。もちろん、そこで自分も言い返していたけど、一瞬はハッとなるわけじゃない?そういう意味では、いるだけでよかったから」

 中村の言葉は止まらない。

「自分や嘉人(大久保嘉人)には、まわりも言えないから。嘉人が暴走したら、自分が止められるんだけど。例えば10月の新潟戦とか仙台戦は、自分が暴走していたと思っている。自分の足が限界で、自分のプレーにイライラしていて、チームもうまくいかなくて、それが顔に出ていた。そうなると、どうしてもチームの空気も悪くなる。嫁さんからも『宏樹さん、いないんだから』とよく言われたし。今年の最初は『宏樹からの卒業』と言っていたけど、それを自分で考えるようになった一年だったと思う」

 チームの誰かが去り、誰かが入って来る。毎年そうやって新陳代謝を起こしていくのがチームであり、それはどんな国やクラブも決して避けられないサイクルでもある。伊藤がいなくなって過ごす初めてのシーズンは、中村もまた様々なことに向き合い、気づいたことの多い年だったのかもしれない。

「悠(小林悠)が代表に選ばれたり、今の流れは悪くないと思っている。自分と宏樹さんでやり続けて来たけど、そろそろ変わっていかないとダメだし。悠のほかにも、リキ(杉山力裕)やノボリ(登里享平)もいて、そこに自然と彰悟(谷口彰悟)とか僚太(大島僚太)もくっついていければと思う。例えば、俺がいなくなっても誰かがやるだろうし、それを自分がいる間に継承したいよね。伊藤宏樹は、ああいう形でフロンターレを継承できているし・・・結局は、何を残していくのかだろうね」

──何を残していくのか。
ちょうどこの取材を進めていた10月21日、伊藤はJリーグから「功労選手賞」として表彰されることが発表された。Jリーグおよび日本サッカーの発展のために貢献をした者に贈られる賞で、今回は8名が受賞。日本代表経験者や個人タイトル獲得者など輝かしいキャリアを持つ顔ぶれ中に、代表歴もタイトル歴もない伊藤が名を連ねたのは、意外だったといえるかもしれない。総出場試合数496試合は基準(500試合)に満たないものの、「クラブの社会貢献活動にも企画段階から加わりJリーグ、クラブの理念を率先して推進してきた」という、異例の受賞理由だった。伊藤が現役時代に取り組み続け、クラブに残してきたものはなかなか数字には現れないものだっただろうが、こういう形で評価されたのは誇るべきことである。

──────────

 2014シーズンも、ホームゲームは11月29日のサンフレッチェ広島戦を残すのみとなった。冒頭の、現役選手だった最後の等々力の記憶を聞くと、彼はこうおどけた。

「あの等々力の最終戦のときは、もうこのピッチに戻ってくることはないんだろうな、と思っていました。それが、あんな姿になって戻って来るとは・・・あのとき、たくさん涙を流したサポーターには謝っておきたいですね(笑)」

 「でも…」と言葉を続ける。

「あの涙を笑顔に変えるために、僕はこれからも頑張りますよ」

マッチデー

   

profile
[いとう・ひろき]

2001年の加入から、13年間DFとしてフロンターレの屋台骨を支える。キャリア終盤ではキャプテンとして、選手を支える役目も果たした。2013シーズン終了と共に惜しまれつつも引退。現在フロンターレの集客プロモーションスタッフとして、サポーターとクラブをつなぐ活動に邁進中

1978年7月27日、愛媛県
新居浜市生まれ
ニックネーム:ヒロキ

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