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  • ピックアッププレイヤー 2003-vol.01 / 渡辺 匠 選手

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 5月10日(土)、ホーム等々力で行われた1クール目、最後となる横浜FC戦。出場停止あけの出場となる渡辺匠は見慣れない白いスパイクを履いてピッチに立っていた。
「ああ…、心機一転ってやつです」と、少しはにかんで続けた。
「ジンクス担いだりってしたことないんですけどね。等々力で退場して復帰戦も等々力だったから、スペアで置いてある白を履いたんです」。

人生初の退場── 「風にあたって頭を冷やしてた」



 それは、4月29日(火・祝)大宮アルディージャ戦での出来事だった。前半11分、渡辺は大宮FWバレーへのファウルで一発退場を言い渡される。

「俺がボールをかっさらわれて自分のミスだったから…。もっとうまい倒し方があったかもしれないけど、とにかく防がなきゃと思った。笛がなった瞬間、すぐ退場だってわかってた」。

 その後は、試合前にアップする場所に行き「ひとりで風に当たって頭を冷やしてた」という。サッカー人生初の退場は、相当に応えた。

「次の日起きたら、口内炎がふたつもできてた。それに胃薬は4日ぐらい飲みましたね」。

 それでも、ミーティングで石崎監督から「あれは、タクミの判断で、悪いとかそういうことではない」と言葉をかけられ気持ちが楽になった。ベテラン、アウグストも言う。

「確かにタクミの退場で10人になってしまったけど、ああいうプレーは誰にでも起こりうるし仕方ない。今後に活きるだろうし、トータルで見て安定している」。

 フロンターレが昇格しJ1に参入した2000年に桐光学園高から加入した渡辺は、すぐに1年間ブラジルへ渡る。

「かなりいい経験をさせてもらったと思ってます。向こうでは中盤は相当激しい。ガチガチにぶつかる感じでしたね」。

 翌2001年、J2に降格したチームとともに日本でのプロ生活がスタートした。この年、渡辺は序盤戦でスタメンに名を連ね、ボランチとして出場する。

「あの頃は自分でも出られてるのが不思議でした。出ては落ち込んで、の繰り返し。なんでオレが出てんのかなぁって感じるときもあった」

模索の時期が長く続いた。自信を失いかけてもいた。でも、徐々にではあるが、自分が抱える問題点を見極められるようになってきた。

「イージーミスが多かったんですよね。要するに、自滅です。なにをアピールすればいいかもわかってない状態。もう、練習中の意識を変えるしかなかった。
いいところを伸ばすというよりミスをなくそうと。最初は技術的な問題だと思ってたんですけど、結局、メンタルだったんでしょうね」

 乗り越えられた現在は、プレーの質や練習に取り組む姿勢も変わった。以前はなかった“余裕”が生まれた。

「ここはつなぐよりも前に蹴ってラインをあげた方がいいとかそのときやらなきゃいけないプレーは意識してます。前は自分の判断だけでやってたけど、いまは時間帯や流れのなかでプレーができるようになりましたね」

転機── DFへのコンバートは突然やってきた


 DFへのコンバートは練習中のふとしたことがキッカケだった。渡辺の記憶は曖昧だが、石崎監督は、はっきり覚えている。昨年、開幕前の練習でDFの人数が足りず、Bチームのリベロを渡辺が務めることになった。

「わしは、けっこういろんなポジションやらすから。幅も広がるから、やってみろって。両方できたらいいなぁと。そしたら、けっこう良かった」(石崎監督)

 リベロとしてのデビュー戦は、J2も終盤となった42節だった。箕輪の負傷により伊藤(宏)、岡山と組んだ。その日は、すでに昇格を決めていた大分の優勝がかかった一戦だった。

「なにもできなかったイメージがある。結局、負けちゃったしね」とその試合を振り返る。だが、ここから天皇杯に向け、渡辺も、チームも調子をあげていく。天皇杯準々決勝、12月25日対アントラーズ戦は思い出深い一戦となった。

「前日は、ほとんど寝られなかった。国立でやるの初めてだったし、それにプラスしてアントラーズ戦だと思うと最高の舞台だなぁと思って。でも、目覚めはすっきり。いい試合だったし、勝てるんじゃないかって思ってましたね」

 結果的にアントラーズに0対1で惜敗したものの、手ごたえを残した。前線からプレスをかける2003年石崎サッカーの原点が生まれた時期でもあった。

 2003年を迎え、渡辺は、鬼木、山根、茂原らとボランチのポジション争いに加わった。

 しかし、ケガ人などチーム事情もあり、21歳の誕生日に迎えた開幕の対広島戦で彼に与えられたのは、再びリベロだった。引き分けではあったが、明るい展望を感じさせる一戦となった。

「いい試合だったけど、2点目の失点は完全に俺のマークミス。エルツェッグにつかなきゃいけないシーンだった。オレとミノさん(箕輪)の間だったんだけど、ミノさんはもう1枚を警戒していて、俺はボールウォッチャーになってしまった。2点目はセンタリングの精度もそんなに高くなかったし、人についてればやられなかったはず。でも、開幕戦の反省でその後、対処法ができて、同じ形でやられることがなくなった」


 具体的には?

「例え、サイドが崩されても中さえしっかりしていれば絶対に点は取られない。だから、大事なところは最初におさえなくちゃという意識が強くなった。カバーリングと中をやられない、このふたつですね」

 渡辺の特長について、GK吉原は「カバーリングがいいこと。そして、スペースをうまく消してくれる」と話す。

「やりやすいですよ。コミュニケーションを取って、自分とタクミの間に入ったボールは、お互い積極的に行くようにしてる」(吉原)

 それだけではない。本来、ボランチだけに前への対応に優れ、相手の攻撃の芽を速く摘むだけでなく、パスを前線に送ることで攻撃の起点ともなる。

「ボランチとDFラインの間でボールを持って前を向かれるのが一番こわい。もし、引いて守ってドリブルでこられたらズルズル下がってしまうだけ。だから、なるべく前でつぶすことを心がけてる。フィードは、それがなくなったら、アピールするとこなくなりますから(笑)」

 渡辺自身が考える自分の役割は、「ボランチよりひとつポジションが下がった位置にいる」というイメージ。必ず1枚余るのではなく、流れによってはひとつ前のスペースを消す。結果的に、チームのサッカーに自分のプレースタイルを活かせる形となった。

「ボランチに近いリベロ」をめざす渡辺には、理想の選手がいる。レアルマドリードのエルゲラは、本来、ボランチの選手だが、現在は不動のセンターバックだ。きっかけは浦上からかけられた言葉だった。

「ガミさんに、『エルゲラ知ってるか?』って言われて。知ってはいたけど、それから意識して観るようになった。どんなプレーにも、ずっと昔からDFだったんじゃないかって思わせる風格があるんですよね。とにかく、攻撃でも守備でも起点になれる選手になりたい」

 ホーム等々力で迎えた第12節、首位をいく広島に初黒星を献上したフロンターレ。

「山形に5対1で大勝したときより、広島に1対0で勝ったのはホンットうれしかった」と笑顔が溢れる。そして、すぐにキリッとした表情に戻り、こう言った。

「2クール目はイケると思う。強いな、適わないなと思った相手はなかったから」

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