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ピックアッププレイヤー orihica

 2007/vol.02

「サッカー選手でいられるなんて幸せだなぁと、ふと思うんです」

shuhei 2006年にフロンターレは最終節でリーグ戦2位につけ、2007年のACL出場を決めた。ホイッスルが鳴った瞬間は、勝利で終われた喜びとホッとした気持ちが広がった。ふとみると、自分たちの現状を理解したジュニーニョが、「セグンド、セグンド(2位だ!)」とジャンプしてはしゃいでいる。
「アジアに行けるんだ」と思うと、興奮が腹の底から湧き上がってきた。
 寺田周平に取材をしたのは、フロンターレ初の国際遠征となるACL対アレマ マラン戦を終えて帰国した翌週のこと。開幕となる鹿島戦をホーム等々力で1対0で終え、そのまま成田へ直行。翌朝、約12時間かけてインドネシア・スラバヤへ移動。試合前日にマランへ移動し試合を行う。さらに帰国後、中2日でアウェイの神戸戦というハードな日程をこなし、疲れはピークに達しているだろうという予測はあっさりと裏切られた。表情豊かな寺田による旅の報告から、その様子がイキイキと伝わってくる。
「本当に楽しかったし、すごくいい経験をさせてもらいました。もともと移動では寝られないんだけど、移動も楽しみたいなぁと思って。行きの飛行機では映画を観たり本を読んだりしようと思っていたら、隣に座っていたインド人に、あ、彼は商社の人で日本語がぺらぺらだったので助かったんですけど、話し好きだったからずっと聞き役にまわっていました。トランジットの香港でもヌードルバーなどラウンジがあってリラックスできたし、インドネシアに着いてからもバスにはパトカーが先導してくれたから、ノンストップ。おもしろくて、ずっと外を観ていましたね。インドネシアは交通量が、すごかった。バイクもクルマもね。でも、横断歩道や信号がほとんどないので、地元の人たちは平気で道を渡るんだけど、俺たちは遠くてもそこまで歩いて渡ってましたね。それでも交通量がすごくて渡るのが恐いぐらいでした。朝はエイジ(川島)やタニ(谷口)と散歩したり、練習が午後からだと、近くのSOGOに入っているスタバで、タニやショージ(村上)とコーヒー飲んだりしました。暑さに慣れようと思って外に出たんですけど、凌ぎやすくいぐらいの気温で気にならなかったですね」
 寺田がサッカーの国際試合を経験するのは、大学4年次のユニバーシアード・シチリア大会以来のことになる。3月7日、いつものように試合開始1時間30分前に会場入りをすると、すでにガジャヤナ・スタジアムは満員に膨れあがっていた。

shuhei「本当にアジアの大会に出られるようになったんだなぁ」
 気持ちは高揚していた。さらに心が揺り動かされたのは、芝の状態を確かめるためにピッチに出たときだ。フロンターレユニホームを着たサポーター一行が、ちょうどスタジアム入りするところだった。
「うれしかったですね。スラバヤの国際空港からさらにバスで3時間ぐらいかかるところなのに来てくれて、本当にうれしかった。向こうのチームのサポーターもすごく盛り上がって拍手とかしてくれて温かかったしね」
 試合は、開始直後にフロンターレが先制するも失点を許してしまい、同点に。後半に入り、リズムを取り戻して3対1で勝利を掴んだ。
「前半はきつかった。楽に勝てるとは思っていなかったけど、すごい勢いできて、正直、あんなに苦しむとは思わなかった。勝負をしに行ったわけだから結果を残さないと、と思っていたのでよかったです」

 インドネシア遠征について話す寺田は、終始笑顔だった。いま、サッカー選手としてとても充実した日々を送れているようだ。
「今年は、キャンプからここまでケガなくやれているし、充実していますよ。もちろんすべてにおいてレベルアップしなければという心意気でやっているし、まだまだ伸びていきたい。30歳まではやりたいなぁと思っていた俺が今年32歳になるけど、歳は感じないですね。むしろ、昨年より今年のほうが体は動く感じがしています」
 プレーも精神面もいいバランスで充足し、努力と成長を繰り返している。寺田周平は、ここまできたのだな、と彼の歩んできた道のりを考えた。

寺田周平ORIHICA

shuhei
shuhei

ORIHICA

 学生時代から将来を嘱望されていた寺田は、大学卒業時にほぼ決まっていたプロ入りがメディカルチェックの結果で立ち消えとなり、1年間の浪人生活を送った後、フロンターレへの加入が決まったという経緯がある。念願のプロ入り生活後も、ケガを何度も何度も経験し、数年間という長い時間をリハビリに費やした。それでも、投げやりになることなく黙々とトレーニングを積み重ねた寺田の原動力は、どん底だった浪人生活やリハビリ中も見守ってくれた家族やチーム、お世話になった人たちへピッチで恩返しがしたいという気持ちがあったからだ。サッカーをやれる場所があるということの幸せを知っているから、モチベーションが崩れることはまったくなかった。
 ケガから復帰し試合に出るようになった2004年の頃は、「自分のイメージどおりにまだプレーできていない」と、寺田はよく話していた。昔の自分ならば、走られても全然恐くなかった。むしろ、走ってくれていい、と思っていたぐらいだったけれど、どうしても走られるのがイヤで深くポジションをとってしまうのだ、と。元のレベルに戻れるのか自分ではわからない、とも言っていた。1試合1試合を積み重ねて経験値を少しずつあげていくことに賭けていた。

shuhei そして、いまの寺田から次の言葉が出てきたとき、もう寺田に“復活”という言葉は似合わないし、いらないだろう、と思った。
「相手が走ってもついていく自信が戻ってきた感じですね。そのぶん、前に勝負に行くこともできるようになった」
 気づけば、目安としていたかつての自分に追いつき、追い越していたのだ。
 寺田のプレーは確かな技術に裏打ちされているのはもちろんだが、視野の広さを感じさせられる。隣でプレーをし、「あ、うん」の呼吸で分かり合えるという伊藤宏樹は言う。
「周平さんは、余裕があるというか落ち着いている。リアクションにすぐ反応できて、臨機応変なプレーができますよね。これ、本当なんですけど、周平さんって試合中は実際よりも大きく感じるんですよ。上からピッチ全体を見下ろしているような、そんな感じなんです。それから常に進化しているし、まだ伸びていくんじゃないかという感じですよね」

 30歳を越えてなお、のびしろを自分自身も周囲も感じているのだ。選手として波に乗り、チームの結果もついてきた“いい時間”を過ごすなかで、どんなことを考えているのだろうか。
「やっぱり1日1日をムダにしたくないというのがある。毎日の練習を高い意識をもってやりたいし、1日1日達成感が感じられるのはいいことだなって。俺ね、ふと思うんです。サッカー選手でいられることが幸せに感じるんですよ。練習終わって家に帰る瞬間とか、たまらないですよ。ああ、きょうも練習やったなぁって。試合前にスタジアムへ向かうバスのなかから、サポーターが歩いているのが見えるでしょう。ああ、これから俺たちがサッカーするところを観にきてくれたんだなぁってうれしくなる。試合前に入場するときは、ぐわーっと気持ちが高まるしね。あと、長くても何年かだからね。サッカー選手という職業でいられるのは。本当に幸せなことですよ」
 同じことをしていても、幸せだと感じられるかどうかは、本人次第である。寺田には、それを誰よりも感じる力があるし、それだけの理由もあるのだ。

「そう思おうとしているところもありますけどね。
そのほうが自分も楽しくいられるし、きつい練習も筋トレもそういう風に思えればやれるしね。得な性格ですよね」
 とはいえ、「ムダにしたくない」という姿勢は、徹底している。
寺田は、練習1時間前に麻生グラウンドに到着する。
クラブハウスに顔を出すのは、1番目か2番目になることが
ほとんどだ。練習に万全な状態で臨むため、筋肉をほぐし関節が
スムーズに動くようにマッサージを行うのが日課なのだ。
練習後もストレッチし、筋力補強をするトレーニングをしてから
マッサージを受けるなど体のケアには人一倍、気を遣っている。
加入以来、間近で見てきた境トレーナーは言う。「しっかり
ケアすることで肉離れもしなくなったし、効果も感じている
だろうから、いくら面倒なことでも毎日必ずやってますね。
あいつの場合、練習できなかった辛さがあるし、
それが年単位という半端じゃない長さだったから、
いま充実しているのがわかるし、練習がイヤだなぁと思うこと
なんてありえないんでしょうね」
 そんな寺田がフロンターレで仲間たちとめざし、
掴み取りたいものがひとつだけある。
「タイトルは本当に獲りたいねぇ。いま、チャンスだよね。
ディフェンスラインも高齢化してきたしね」と言って、
この日いちばんの笑顔をみせた。
「実力を出し切れればいい。そういう意味でも1日1日を大事に
しないと。ずっと応援してきてくれたサポーターと今年タイトルを
獲って喜びを分かち合いたい。タイトル獲ったら
悔いはないよ。もし、獲れたら最高だなぁと思う」

shuhei

 2007年1月──。
 澄んだ空気を胸いっぱいに吸い、景色を眺めながら大山の山頂を寺田はめざしていた。まだ1月だというのに、山道を歩いているとじっとりと汗が出てくる。上着を脱いで、半袖になる。同行者は神奈川県立横須賀高校時代のサッカー部の後輩と同じ横須賀市出身のチームメイト谷口博之だ。
 大山登山は東海大学時代、毎年1回、必勝祈願のためにのぼっていた思い出深い場所だ。最初に登頂した学生にはプレゼントが出るため、大学4年のときには走って登って誰よりも早く山頂に到達した。いま思えば、無尽蔵の体力だったよなぁと振り返る。2004年1月、「原点に戻ろう」という気持ちでひとりでのぼるようになり、以来、オフの大山登山は続けている。2年間はひとりで、そして3年目となる2006年に高校のサッカー部の後輩が加わり、今年からさらにチームメイトの谷口も参加して3人に増えた。
 山頂に到達すると、風邪をひかないように汗で湿ったTシャツを着替える。さすがに冷え込むので上着をしっかり着込む。ここでのお楽しみは高校の後輩が、登山用の調理器具でたっぷりのネギと肉を入れたうどんを作ってくれることだ。ひとくちスープを含んでうどんをすすると、なんともいえない旨みがじわっと口の中に広がる。
「よし、今年も頑張ろう」
 いつしか、大山登山はオフになまった体を動かし、気持ちのスイッチが切り替わる日になっていた。

 来年の1月、寺田は大山の頂からタイトル獲得の報告ができるだろうか。そこで、何を想うのだろうか。

[かわしま・えいじ][かわしま・えいじ]
高さのある打点でボールを跳ね返し、柔らかいボールタッチも駆使しコントロールするDFラインの要。1975年6月23日生まれ、神奈川県横須賀市出身。189cm、81kg。
>詳細プロフィール

www.orihica.com

ORIHICA's FASHION NOTE

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ジャケット

イタリー素材 
3ツボタンスーツ
39,900円

インナー

ボタンダウンシャツ
5,040円
ネクタイ
3,990円

オリヒカ担当者から

イタリアCANONICO社の高級素材を使用した、軽い着心地が特徴のスーツです。今季のトレンドカラーのグレースーツにパステル調のシャツ、タイを合わせれば、最旬のスーツスタイルの完成です。

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