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ピックアッププレイヤー

2009/vol.09

〜MF23/登里享平選手〜

ピックアッププレイヤー:MF23/Noborizato,Kyohei

入団1年目、期待のレフティー、登里享平。タッチライン際でボールを受けてワンプレーで相手の背後をとるスピードは、いま現在でもトップチームで十分通用するほどの鋭い切れ味を持つ。日々成長を続ける18歳の若者は、左サイドのスペシャリストという現在のJリーグに足りないジャンルを切り開くだけの無限の可能性を秘めている。

1出会い、そして転機

「プロの世界に入れるなんて、中学時代の自分からしたら『まさか!』という感じでした」

 3人兄弟の末っ子として大阪府東大阪市で産まれた登里は、幼稚園に入る前から自宅のすぐ横にあったグラウンドで兄たちと毎日のようにボールを蹴って遊んでいた。両親の勧めで近所のサッカースクールに入団。気づいた頃にはサッカーに夢中になっていたそうだ。そんな登里には、子供の頃からの夢があった。それは、テレビで観ていた全国高校サッカー選手権のピッチに立つこと。登里はその夢を叶えるために、県外の強豪校へと進学することを考えていた。実際に東京の名門、帝京高校の選考会に合格する。だが実際に合格してみると、環境や設備が整っている高校ほど両親の負担も大きくなるという現実に気づかされる。両親は帝京高校に進むことに賛成してくれたものの、登里は地元の大阪の高校に進学することも考えるようになっていた。そんなとき、少年時代から通っていたサッカースクール、EXE’90FCの山元監督から、母校である香川西高校の練習会へ参加を勧められる。

「正直、最初はとりあえず参加してみようかなという気持ちでした。でも、香川西の練習や大浦監督の人柄に惹かれて、練習会から帰る頃にはここに行きたい、ここでサッカーを教えてもらいたいという気持ちに変わっていたんです」

 練習会で登里は香川西高校の大浦恭敬監督に「最終的にはどうしたいんや?」と問われ、「無理かもしれないけど、プロになりたいです」と答えた。すると大浦監督は「その可能性はある」と登里の素質を認めた。登里には、プロになるなら関東の有名校の方がスカウトの目にとまるのではという思いがあったが、「香川西で俺も頑張ってきっかけを作るから、ぜひうちに来てくれ」という大浦監督の熱意にほだされ、香川西高校に進学することを決意する。この選択が登里のサッカー人生を大きく変えることになった。

 登里は入学前から練習に参加し、1年生のときから試合に出場。その年の夏から左サイドに固定され、「ボールを持ったらドリブルをしろ」「全部チャレンジしろ」と監督から言われ続けた。当時の登里は単独でドリブル突破するようなタイプの選手ではなく、周りを使うプレーが多かった。本人も自分の可能性に気づいていなかったのだ。その隠れた才能を大浦監督が見い出し、磨きをかけた。この年、香川西高校は選手権全国大会に出場。登里自身もチームとともにぐんぐん成長していく。2年生になり、インターハイにも出場。大浦監督からも「成長した」と太鼓判を押された。全体練習後、登里は半ば強制的に自主練習を課されていたが、その積み重ねが現在のプレースタイルの基礎を作った。

 そして登里が2年生になった年の暮れの全国高校サッカー選手権大会。香川西の1回戦の相手は静岡の強豪、藤枝東高校。等々力陸上競技場で行われたこの試合にたまたま居合わせたのが、フロンターレのスカウト、向島建だった。

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光り輝く原石

「僕の地元の藤枝東が等々力で試合をするというので、観にきていたんです。2年生のノボリは香川西の左ワイドでプレーしていました。当時はまったくの無名選手だったんですけど、タッチライン際を駆け上がるスピードに釘付けになりましたね。チームがずっと探していた左利きというところにも注目しました」

 キレのある動きを見せる高校生に興味を持った向島は翌年3月、JFA選抜チームに入った登里を追いかけて沖縄高校招待サッカー大会を視察。他チームのスカウト陣からの注目株は大迫勇也(現鹿島アントラーズ)や上里琢文(現京都サンガF.C)だったが、向島の目には彼らとともに左サイドで積極的に勝負をしかけてまばゆい光を放つ登里の姿が映っていた。

6「選手権のときはスタンドからだったので離れていましたけど、沖縄では目の前で登里のプレーを見ることができました。左足のクロスもいいし、CKの精度も高い。あまりいないタイプだなと再確認できましたし、プレー面に関してはプロでも通用すると自分のなかで確信しました」

 さらに向島は慎重に調査を進め、県内のサッカー関係者の知り合いを通じ、香川西高校の教師などから「性格的にもすばらしい」という登里の評判を聞く。香川西高校の練習試合で笛を吹いたという人物からも、こんなエピソードを聞いた。

「ファールを受けて香川西の他の選手が不満げにしていたとき、ノボリは『いいよいいよ、次頑張ろうぜ!』と、すぐに切り替えようとしていたそうです。その人からも『あいつはいいぞ』という話を聞いて、人間性も大丈夫だなと。それから偶然にも大学の大先輩だった大浦監督に、ノボリに興味があることを伝えました」

 登里自身がプロから注目されていることを知ったのは、5月のプリンスリーグの前日だったそうだ。そこで大浦監督からフロンターレのスカウトが登里を見にくることを伝えられ、いつもの口癖である、「チャンスは平等にない。そのチャンスをつかむかどうかは自分次第だ」という言葉を聞かされる。

 翌月、麻生グラウンドでは、フロンターレの選手に混じってプレーする坊主頭の高校生の姿があった。当時、練習風景を見ていた記者たちの間では「あの練習生は誰?」「なかなかいいプレーするね」という会話が飛び交っていた。

「自分をアピールしようというよりは、プロの世界がどんなものかという楽しみの方が先でした。何しろ間近でプロの選手を見るのもはじめての経験でしたから。練習に行く前はやっぱりピリピリした雰囲気なのかなと思っていましたけど、みんな気さくに話しかけてくれたんです。フロンターレはとにかくチームの雰囲気が良くて、レベルも高い。このチームの一員になってサッカーがしたいと思いました」

 ここから登里の目標は、入団するまでにどこまでプロのレベルに近づけるかというものになった。自分の武器であるスピードはある程度通用する。だが、体をぶつけられると、思うようなプレーをすることができなかった。それまでは積極的に取り組むことのなかった筋力トレーニングにも精を出し、半年後には体重を3、4キロほどアップさせた。

「フロンターレの練習に参加させてもらったことで、プロに入ったときにできるだけ同じスタートラインに立とうという新しい目標ができました。フロンターレの選手のボールへのアプローチやスピードのインパクトが強かったので、練習から帰ってきてからはボールを持っても落ち着けるようになっていたと思います。大浦監督も『練習に参加して伸びて帰ってきてくれた』とタツルさんに連絡してくれていて、すごく嬉しかったですね。あの時期にフロンターレの練習に参加できて、本当に良かったです」

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天性の才能に磨きをかける

 プロの世界に入ってまだ半年も経っていない登里だが、実戦形式の練習を見ていてもまったく違和感なくチームにとけ込んでいる。この春に高校選抜でヨーロッパ遠征を経験し、欧州の一流クラブからゴールを挙げた。すでに年代別日本代表にも選ばれてもおかしくないだけの実力を証明している。スピードのある純粋な左利きで、しかもサイドアタッカーという登里の武器は、どんなチームでも重宝されるはずだ。そのメリットを向島スカウトはこう説明する。

「どこのスカウトも左利きを探しています。それだけで3割増ぐらいの価値があるんですね。本当はユース世代の育成の段階で左利きでスピードある選手を育てていかなければならないんでしょうが、作ろうと思ってもなかなか作れるものじゃない。とくに高校では試合に勝ちたいので、面子が揃っていないと能力のある選手をどうしても真ん中で使いたくなってしまう。その点、ノボリの場合は大浦監督が能力を見極めて、彼の武器を伸ばしてくれました。

6 右利きと左利きという違いはありますけど、鹿島の内田(篤人)も高校入りたての頃はFWでしたけど、途中から10番をつけた右サイドバックとしてプレーしていました。清水東の監督にそのことを訪ねてみると、『本当は前で使いたいが、彼の将来を考えてサイドでプレーさせることにした』ということでした。そこから右サイドのスペシャリストになってプロに入り、代表にまで上り詰めたわけです。ノボリも同じようにサイドのスペシャリストになる可能性は十分にあると思います」

 登里自身も、その天性の才能を生かすということを意識し、日々練習に励んでいる。

「それはタツルさんからも言われますし、自分としても人よりチャンスが多いのかなと感じます。これから日本でも、左利きでサイドをスピードで一気に抜き去るような選手が出てきたらいいと思うし、その一番手が自分になれたらいいなって。でも、いまはまだ課題だらけです。ディフェンスやグループ戦術、あとはチーム共通のリズムに合わなかったりだとか。自分は技術とかよりも、トラップとスピードで一気にかわすタイプ。少しずつですけど、最近はオフザボールでの動き出しもできるようになってきました。みんなが自分の特徴をわかってくれてボールを出してもらえるので、そういった動きをもっと極めていきたいです」

 リーグ第14節大分戦、登里は早くもプロ初出場を果たした。試合終盤に投入され、短時間ながら切れ味の鋭い動きを披露。本人は謙遜するが、現時点でもサイドからの攻撃オプションとして十分通用しそうな雰囲気を漂わせていた。彼のプレーを見て、そのような感想を持った人は少なくないだろう。ひさびさに現れた10代の新星に、期待を抱かずにはいられない。

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「高卒1年目の大迫が試合で使われていて、やっぱり本人も意識していると思います。何よりもチームメイトがノボリのことを認めていますし、1年目の18歳の選手という風には誰も見ていないんじゃないでしょうか。本人も自分の特徴というのがわかっているし、小手先でうまいことやろうというのではなく、タテに突破してクロスというプレーに徹することを意識しています。裏のスペースを突く意識も高いですし、うちにはいいパサーがいるのでノボリのプレースタイルは生きると思いますね」(向島スカウト)

 プロ入り当初は、大迫をはじめとする同世代の選手が1年目から活躍する姿を見て焦りを感じたという。だが、最近になって自分のリズムでやっていこうという気持ちの余裕が出てきた。じっくりと土台を作りながらすべてにおいてプロのレベルをクリアしつつ、自分の特徴をアピールしていきたいと話す。

「やっぱり同年代の選手は意識します。でも、いますぐじゃなくても将来的に並んで追い抜けたらいいと思えるようになりました。もちろん悔しさはありますけど、それは現時点で自分がそのレベルに達していないということなので、練習あるのみです。一緒にプレーした選手がJ1やJ2で試合に出ていることは励みになりますし、僕自身も頑張ることができる。自分は代表歴もなくて無名でプロに入りましたけど、尊敬するケンゴさんもプロに入ってから代表に選ばれて、いまでは日本のトップに立っています。そういう姿を見ると、僕自身もすごく勇気が沸いてきます。

 子供の頃、高校選手権に出場することが目標でサッカーをやっていました。でも、実際に出てみたら、達成感というよりは自分の目標の小ささを感じたんです。ひとつハードルを超えたら、さらにもうひとつ超えたいと思うようになりました。高校3年間、1年ずつ新しい目標があって、プロに入ってまた新しい目標ができました。ベタですけど『継続は力なり』という言葉が好きです。続けているからこそ、こうしていまがある。だからひとつずつ階段を上っていって、いつかフロンターレでレギュラーを穫れるような選手になりたいです」

 強力な攻撃陣を擁するフロンターレにおいて、埋没することのない自分だけのスタイルを確立することができるか。「ミラクルレフティー」の成長から目が離せない。

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[のぼりざと・きょうへい]

香川西高校から新加入した期待のMF。スピードを生かしたドリブル突破で左サイドを駆け上がり、正確なクロスでゴールを演出する。全国高校サッカー選手権で怪我を押して出場し、気力でチームを引っ張った姿は記憶に新しい。1990年11月13日、大阪府東大阪市生まれ。
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