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ピックアッププレイヤー

2011/vol.03

ピックアッププレイヤー:安藤駿介

川崎フロンターレアカデミー出身。今年でプロ3年目のシーズンを迎える安藤駿介。
少年の頃から等々力陸上競技場に足を運び、ピッチを駆けるトップチームの選手たちの活躍に心躍らせた。
僕もトップチームの一員として、いつかあのピッチに立つ──。胸に誓った強い思い。
それがサッカー選手、安藤の原点だった。

01「転機になったのは高1の夏。2週間だけトップチームの練習に参加させてもらって、そのとき将来ここでサッカーをやるって自分のなかで決めました。プロになりたいじゃなくて、絶対になるって決めたんです。誰が何といおうがトップチームに上がってやるって。いま考えたら無茶な考えでしたけど」

フロンターレに憧れて

 小学校の頃は、地元のサッカークラブでボールを蹴っていたごく普通のサッカー少年だった。そこでたまたまGKのポジションに入り、シュートに対して逃げずに飛び込む姿勢を買われ、監督から本格的にGKに取り組むことを勧められた。

「6年生に上がるときに、世田谷トレセンのセレクションを受けたんです。そうしたらフィールドプレーヤーでは落ちたんですけど、GKで受かったんです。それで自分でもGKでやっていけるんじゃないかって思うようになりました」

 中学校に上がるときにいくつかのクラブチームのセレクション受け、最初に受かったのが川崎フロンターレのジュニアユースだった。安藤がアカデミーに入団した2003年、フロンターレはJ2のカテゴリーにいたが、2004年にJ2優勝を果たし昇格。高校に入学する頃には、J1で優勝争いに加われるほどのチームになっていた。年々成績を上げていくチームを、安藤は一般客に混じって等々力のスタンドから見つめていた。

「とにかくフロンターレの試合を観るのが好きで、一人でも行けるときは等々力に足を運んでいました。僕が入ったときはまだJ2で2階席を開けない試合もありましたけど、フロンターレ関連のニュースは欠かさずチェックしていましたよ。モバフロにも入ってましたから(笑)。僕がジュニアユースに入った当時は吉原さん(吉原慎也・引退)が試合に出ていて、ザワさん(相澤貴志)を見始めたのが中3の途中からですかね。あの頃で印象的だったのは、2005年のナビスコカップ予選リーグのアウェイ・ヴェルディ戦です。GKは下川さん(下川誠吾・現ヴィッセル神戸アカデミースクールコーチ)だったと思います。味の素スタジアムのアウェイゴール裏でサポーターと一緒に飛び跳ねて応援したんですけど、前半4-0だったのに後半一気に追いつかれちゃったんですよ。結局4-4のドローでした。試合が終わったら負けたような気分になっちゃって、がっくり肩を落としながら帰ったことを憶えています」

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 母親である直美さんに話を伺うと、安藤は子供の頃、学校のクラスのなかでもそれほど目立つ子ではなかったそうだ。ただ真面目で頑固、意志の固さは昔もいまも変わらないという。ちなみに直美さんは学生時代ボウリングの選手で、アマチュアながら全国大会で優勝するほどの腕前を持っていた。安藤の強肩は、もしかしたら母親譲りなのかもしれない。

「私も体育会で育ってきたので、人に迷惑をかけない、自分で責任がとれるよう行動しなさいとつねづね教えてきました。子供の頃はしつけも厳しかったですし、駿介からしたらうるさいお母ちゃんだったんじゃないでしょうか。駿介は小学校の頃いろいろスポーツをやっていて、サッカーだけじゃなくてバスケットボールもやっていたんですが、昔から気に入っていた川崎フロンターレのジュニアユースのセレクションに受かって、真剣にGKをやってみたいと本人がいってきたんです。当時は体が小さくて線も細かったので、本当にやるのという感じで、親としては嬉しさ半分、不安半分という気持ちでした」

 ジュニアユースからユースに上がることができた安藤は、1年目から公式戦に出場。デビュー戦は日本クラブユース選手権大会の全国大会だった。もちろんサッカーをはじめた頃からプロになることを目指していたが、意識が変わったのはユースに上がってからだという。漠然とした思いが現実的な目標なったときのことを、いまでも鮮明に憶えているそうだ。それが高校1年生の夏。麻生グラウンドでトップチームの練習に参加した2週間だった。

「練習に参加させてもらったとき、とにかくレベルの違いを思い知らされたんですね。高校1年生ではありましたけど、ここまで差があるものなのかって愕然としました。そして同時に、このグラウンドでフロンターレの一員として練習をして、サッカーで生活をしていくと心に決めたんです。まぁ、自分で自分を追い込んでいった感じです」

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01 安藤が高校2年生になった2007年からU-18のGKコーチに就任した澤村公康GKコーチは、はじめて安藤と一緒に練習をしたときの思い出をこうふり返る。

「安藤とはじめて練習したのは等々力緑地の土のグラウンドだったんですが、彼がプロになるための肉体的な能力とパーソナリティーを持った選手というのは一瞬でわかりました。さらに確信を持てたのは、クラブハウスに戻ってきて今日の練習はどうだったって話をしようとしたら、本人の第一声が『僕、プロになれますか?』だったんですね。まぁ、本当にふてぶてしいというか、自分のことをまだわかってないんだろうなというところもありましたけど(笑)。ただ、目的に対して積極的に自己表現できるのはいいことです。『出る杭は打たれる』といいますが、『出すぎた杭は見上げられる』っていうのが僕の持論で、突出すれば引き抜かれやすくなる。上からピックアップされるということですね。とくにGKというのは自己表現が大事で、安藤はそういったプロになるだけの要素を備えていました」

 澤村GKコーチは、安藤のことを「構いたくなる選手。かわいがられる選手」と評している。安藤はトップチームの練習の合間を縫ってアカデミーに顔を出し、後輩たちのことを気にかけてくれるのだそうだ。GKの後輩のためにキーパーグローブを持ってきてくれることもあるという。

「安藤をはじめ、うちの下部組織はすごく恵まれている育成だと思うんです。川島がワールドカップで活躍して欧州のクラブにピックアップされ、そのあと相澤がしっかり結果を出し、今年は杉山が出てきた。そして安藤は安藤でU-22で日の丸をつけている。こういったパーソナリティーだからプロで活躍できるんだよという見本がたくさんいるので、コーチとしては非常に助かりますよね」

自分はまだきっかけをつかんだだけ

 本人が描いたイメージどおりトップチームに昇格した安藤だが、プロ1年目は勉強の年だった。練習生とプロの一員では、トレーニングでの扱いがまったく違う。練習生は甘めに見てもらえるが、プロ同士に妥協は許されない。ミスをすれば当然、厳しい声が飛ぶ。

「練習参加したときに選手同士で意見をぶつけ合っているのを見てきたし、厳しい世界というのはわかっていました。まぁ人間なんで、怒られてへこむときもありますけど。ただ、それはグラウンドのなかだけで、ロッカールームに戻ればみんな仲がいいし、そういう切り替えができるのがプロフェッショナルの集団なんだなって思いました」

 ロングスローに関しては誰にも負けないという絶対的な自信があった。だが、GKが最初に求められるのはシュートを止めること。プロ1年目は技術、体力ともにユースレベルでしかなかったと当時をふり返る。シュート練習のときですらキャッチすることができず、先輩たちとの実力の差を痛感させられた。だがシーズン後半に入り、天皇杯2回戦・レノファ山口戦で初のベンチメンバー入り。出場はなかったものの、本人にとっては忘れていた感覚を取り戻す特効薬となった。

「やっぱりここだよなって。ウォーミングアップのとき、等々力のこの雰囲気のなかでサッカーをやるために自分はプロになったんだって実感しました。試合に出ていなかったのでそういった気持ちを忘れがちでしたけど、あの試合で再確認できたんです」

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 プロ2年目の2010年は、開幕直前に指に怪我を負ったものの、体力面は落とすことなく練習を積み重ね、川島の海外移籍や杉山の怪我というチーム事情も重なり、中断明けからベンチ入り。リーグ戦12試合、ナビスコカップ2試合、天皇杯1試合と、出場はなかったものの継続してメンバー入りすることができた。

「正直、自分にとっては運に恵まれました。だけど元気なGKが2人しかいないのはチームとしては痛いところで、たぶんスタッフの人たちはびくびくしてたんじゃないですか。そんななかでもイッカはお構いなしにガンガン練習をやってましたけど(笑)。選手である以上、試合に出て結果を残さなきゃいけないので満足はしていないですけど、トップのベンチに入り続けてJリーグの満員の雰囲気を知れたのはすごくプラスでした」

 川島や杉山、そしてフロンターレ歴代のGKたちに影響を受け、尊敬している安藤だが、2010年にともに練習することが多かった相澤の存在は、とくに大きな励みになっているという。

01「2010年はザワさんと一緒に練習やっていることが多かったんです。エイジさんが正GKのときはリキさんがベンチに入っていて、麻生グラウンドに残ってザワさんと一緒に練習していましたし、ザワさんが試合に出たときに僕がサブでメンバーに入っていたので。試合前の準備や心構え、入り方など、すごく勉強になりました。エイジさんがずっと試合に出ているなかで、チャンスが回ってきたザワさんはしっかりと結果を残した。だから個性や能力の違いはあっても、僕にもできるんじゃないかって。まぁ、勝手に前向きに考えているんですけど」

 そんな安藤にもチャンスが巡ってきた。だが、それはフロンターレではなく、U-21日本代表、広州アジア大会のメンバー入りだった。メンバーは安藤をはじめ経験の少ない選手たちの集まりだったが、戦前の評価を覆しチームはみごと優勝。安藤は7試合でスタメン出場を果たし、大きな自信を手に入れた。

「周りからはしょせん2軍だろといわれていたみたいですけど、みんなそんな声を気にせず、最初から結束していました。サッカーは経験がものいうをといわれていますけど、経験がなくたってここまでできるんだっていうことを伝えられたんじゃないでしょうか。あのメンバーでアジア1位になったのはすごく自信になったし、試合を見てくれていた人も何かを感じてくれたんじゃないかなって」

 自分たちがどこまでやれるのか未知数、さらに相手も未知数という状況だったが、初戦の予選リーグ中国戦で勝利し手ごたえをつかんだことで、チームは一気に勢いに乗った。国によってはオーバーエイジを使うなどフルメンバーに近いチームもあるなかで、U-21日本代表は堂々の戦いを見せた。安藤もトップチームでの公式戦出場ゼロとは思えないほどの落ち着いたプレー、ビッグセーブを連発した。

「もう焦っても意味がないと思っていて、開き直っていました。まぁ、焦るヒマもなかったんですけどね。シンプルに声をかけていれば何とかなると割り切っていたし、運もあってそれがうまい具合にはまりました。反響ですか? ありましたね。僕より親に結構きたみたいで、夜中の3時くらいにメールが送られてきたらしいです。両親からは『とにかく結果出て良かった』っていってました。いままで大会直前に怪我をしたりして、いつも結果をものにできないタイプだったので」

 直美さんも澤村GKコーチも、安藤はこれまでずっと怪我に泣かされてきたと語る。だからこそテレビ画面を通して観る安藤のたくましい姿に、感慨ひとしおだったに違いない。

「本当に怪我が多くて、ずっとチャンスをものにできませんでした。楽をしてここまできたわけではありません。泣くときもありました。それを乗り越えてアジア大会に出させていただいて、とにかく悔いのないようにやって欲しいと思っていました。自分の気持ちに走らずチームプレーを徹底して精一杯やってくれたんじゃないでしょうか。中国に行く前に、お前はカッコをつけたらダメ、うぬぼれたらおしまいだよと話しました。『そんなの、わかってるよ』って本人は答えていましたけど。駿介をユースに上げてくれた松本拓也コーチ(現柏レイソルアカデミーGKコーチ)、そして澤村コーチ、フロンターレのスタッフ、選手、関係者の皆様に感謝したいです」(直美さん)

「僕なんかは冗談で安藤のことを怪我のデパートって言うんですけどね。それぐらい育成の6年間でたくさん怪我をしました。ただ、まったくめげなかったです。これだけポジティブで前向きな人間なんだから、当然上に行くだろうと思っていました。アジア大会は、やっぱり初戦の中国戦でしょう。あの超アウェイの雰囲気のなかで失点ゼロでさばいたのはすごいと思うし、度胸がいいからプレーを見ていて気持ちがいいじゃないですか。GKって白か黒でいいと思うんです。いくならいく、待つなら待つ、つかむならつかむ、はじくならはじく。どんなプレーでも平然とやっていれば仲間に安心感を与えるし、対戦相手からすれば嫌な感じですよね。観客も同じで、必ずGKの動きや表情を見ますから。それがGKの表現力につながっていくんだと思います」(澤村GKコーチ)

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着実に成長する器

そして2011年──。

 Jリーグ開幕戦を終えた時点で安藤のフロンターレでの出場機会はないが、全幅の信頼を寄せているイッカGKのもとで地道にトレーニングを積み、はたから見ても確実にレベルを上げている。GK陣は特別指定選手のダニエルを除けば、安藤が一番年下で経験も少ない。だがアジア大会のように、いつチャンスが巡ってきてもおかしくないのがこの世界だ。ただ、本人は自分が置かれている状況を冷静に見つめている。奢りや慢心は一切ない。

「アジア大会は過去のことで、今年は今年。自分にとってはいい経験にでしたし、転機になりそうではあります。でもチャンスをものにしたとは思っていません。いいイメージは頭に残しつつ、一段一段ステップを踏んでいくことが重要です。とくに僕の場合、先を見すぎていい結果が出ないことをユース時代に経験していますし。先を見据えて行動することがプラスになる人もいますが、自分はいまどうするかが一番大切なんです」

 U-22日本代表も引き続き招集されているが、今年6月からロンドン五輪の2次予選がスタートする。大一番を控えて2月の中東遠征からJリーグで活躍している選手たちがメンバーに入ってきた。GKではFC東京でレギュラーを張り、フル代表も経験している権田修一という同世代の強力なライバルがいる。実績だけを見れば大きな開きがあるのが現実だ。だが、それは現時点でのこと。GKは選手寿命が比較的長い。この先、その関係性がどうなるかは誰にもわからない。

「オリンピックを意識していないといったらウソになりますけど、意識しすぎて動きがちっさくなったら意味がない。だからおもいきって大胆にやりたいです。もちろん目指すところではありますけど、その前に予選もあれば、Jリーグがあるわけで。僕自身としてはここまで右肩上がりで進めていますけど、相当低いスタート地点から上がってきただけ。だから、まだきっかけをつかんだにすぎないんです。試合に出ればやれると自分では思っているし、フロンターレでも早く試合に出ることに超したことはないですけど、まずは揺るぎない実力をつけていかないと。そうじゃなければ本当にチャンスが回ってきたとき、すべてを出し切れないですから」

 高校1年生の夏、夢は目標に変わり、それは現実となった。もうすぐ21歳になる。今どんな思いを胸に秘めているのだろう。だが、これまで辿ってきた道を考えれば、どんなことがあっても安藤のサッカー人生がぶれることはないはずだ。少年の頃に夢見た等々力のゴールマウスに立って活躍することを、現実のものにするまでは。

profile
[あんどう・しゅんすけ]

基本技術の高さと冷静沈着なプレースタイルが特徴のGK。ゆうにハーフラインを超えるロングスローも魅力のひとつ。昨シーズン、2010広州アジア大会(U-23日本代表)で6試合にスタメン出場。自信と経験を手にした。1990年8月10日/東京都世田谷区 生まれ。
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