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ピックアッププレイヤー

2011/vol.08

ピックアッププレイヤー:MF29/久木野聡選手

01 僕は、変わりました。
 サッカーに対する取組み方、考え方がガラリと変わりました。

 今、僕はフロンターレで点を取って結果を出す。そのことだけに集中しています。

 2009シーズンが終わる頃、横浜FCから期限付き移籍の話をもらいました。

 少し、悩みました。
 フロンターレというJ1の場でチャレンジを続けるか、横浜FCに移籍すべきか──。

 J2ということへのこだわりはありませんでした。ただ、僕はフロンターレで前線以外にもサイドバックなどでも起用されるようになっていたので、「前で勝負がしたい」という気持ちが決め手になりました。横浜FCでもレギュラーの保証はありませんでしたが、前線でやりたかったのです。ひとりで考え、1週間後にはクラブに返事をしました。

 2010シーズン、初めての移籍を経験しました。
 ところが、スタートからつまずきました。

 練習が始まってわずか3日後、僕は右足を捻挫してしまいました。その後、キャンプインしましたが、練習試合もたくさん組まれていたので、自分のプレーもわかってもらいたかったし、チームがどんなサッカーをするのかも知りたかったので、焦って痛みが残ったまま練習に復帰してしまいました。それが、結果的に後々まで尾を引いてしまうことになったのです。

 足の痛みも取れないままプレーをしていたので、コンディションも戻らず、体が重く、走れない。

 その状態で開幕を迎えたわけですから、当然試合に出られる状態ではないし、必要ともされていません。そして、さらに追い討ちをかける出来事が起こりました。

 グローインペイン症候群にかかってしまったのです。恥骨が痛み、全力で走れない日々…。それでも治療やマッサージを受けながら練習は続けていました。おそらく、足首が痛いまま無理してやったことで、体のバランスが崩れてしまったのだろうと思います。

 メンタルも弱くなっていましたし、コンディションが悪く、当然いいプレーも出すことができませんでした。ここで出られなかったらサッカー選手として終わりなのかなと、下を向く日もありました。

 W杯による中断期間まで、そういう状態が続いていました。

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 僕は、周りの人の言うことを聞くようにはしてきたし、それを取り入れているつもりでしたが、それによって自分がすごく変わる程の影響を受けたことはありませんでした。

 だけど、この時期、落ち込んでいた僕を救ってくれたのは、ある選手の「言葉」でした。

 ある日、大黒選手と数人の横浜FCの選手たちとご飯を食べに行きました。その時に、いろんな選手に話しかけていた大黒さんが僕のところにも来て、こういう話をしてくれました。

「練習から100%でやっていないと自分は全力でやってなかったからと言い訳ができるけど、毎回100%でやっていれば自分はここまでしかできないから次はこれをやろうと課題が見つかるし、その方がいい方向に進むよ。それからたとえ試合に出られなくても準備は試合に出るつもりでしっかりやったほうがいい」

 100%でやる──。

 その言葉が、心にずしんと響きました。
 もちろん自分ではやっていたつもりだったけど、どこかで抜いていたところがあったのかもしれない。だからこそ、イライラもするし、怪我をしたことを言い訳にしてきた。でも、そういう状態の中でも100%の力でやれば課題が見つかるし、どんどん成長ができる。

 大黒さんの言葉には力があったし、説得力がありました。壁にぶちあたっていた僕は、大黒さんの言葉に励まされ、救われました。本当に助かりました。その大黒さんは、常に上を目指していました。そして、横浜FCで結果を出し、シーズン途中でFC東京へと移籍していきました。有言実行の人でした。

 そこから、がらっと考え方が変わりました。「試合に出られない、ヤバイ」と思っていた僕は、練習で「今日はこの課題に取り組もう。次はこれをやろう」とマイナスではなくプラスを数えるようになったのです。大きな変革でした。

 同じ頃、もうひとり僕に力を与えてくれた人がいました。
 オニさん(鬼木達ヘッドコーチ)に、偶然、食事をしていた店で会いました。「どうだ?」と聞かれた僕は、「なかなか試合に出るチャンスがない」と言いました。すると、オニさんはこんな話をしてくれました。

「出られる選手はどこのチームに行っても出られるからね。だから、出るためには監督が求めていることは何かって考えることが大事。チームや監督に合うかどうかじゃなくて、監督が求めていることやチームでやろうとしているサッカーを考えてやっていったほうがいいよ」

 横浜FCの岸野監督がめざしていたサッカーは、「守備の切り替えの早さ」でした。攻撃をしていて取られたら取り返すこと。誰がミスをしても助け合って守備のポジションについたり、奪い返しにいったりすること。

 それまでの僕はコンディションが戻っても、自分のプレーをアピールしたくて攻撃ばかりに意識がいっていました。だから、監督が求める守備の切り替えの早さについて、わかっていたけど、やっていない部分も正直あったと思います。チームが攻撃していて自分のミスじゃなかったら取られても動きが止まっていたところがあったと思います。でも、そこで止まるのではなくて、チームメイトがミスをしても助ける意味でもすぐ切り替えて戻る。そういうプレーを意識してやるようになりました。

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01 前向きになったことで、あらゆることが変わりました。
 まず、練習や練習試合に対するモチベーションです。
 調子がいいんだから使ってくれ、と思っていた僕ですが、練習試合でゴールという結果を誰もが納得できるほど取っているわけではありませんでした。やはり出だしが遅れていたわけですから、自分が調子いいと思っているぐらいでは、監督は使ってくれません。「調子」ではなく「結果」が大事。チームにとっては、調子の良し悪しで結果が変わってしまう選手は途中からでも使いずらいし、使った時に点を取ってくれる選手は、スーパーサブとして使える。それから僕は練習試合で点を取り、次のステップとしてまずは試合のメンバーに入ることを目指しました。

 それでも、すぐにうまくいくわけではありません。
 練習試合で点を取ってもメンバー入りができないこともあります。でも、自分の中では100%の力で取り組んでいるから、何かが足りないのだろうと思えました。それまで点も取ってないくせに「調子がいいから使ってくれ」と思っていた自分が恥ずかしくなりました。結果を出して、周りから「何で使われないんだろうね」って思われるぐらい頑張らなければ、監督から使ってみたいと思われないだろう。そして、このまま精一杯続けていこうと考えられました。

そして──。

 2010年10月13日、天皇杯3回戦対川崎フロンターレ戦が等々力陸上競技場で開催されました。
 天皇杯が近づく頃、あまりベンチ入りが出来ていなかった僕は、ベンチ入りをあきらめかけていました。でも、前日になんとメンバー入りが判明! 本当にうれしかったです。とにかく出たかったので、「頼む、出してくれ」という気持ちで毎日過ごしていましたから。

 初めてアウェイチームとして行った等々力は、ロッカールームをはじめすべてが逆だし、違和感がありました。でも、アウェイチームの僕にサポーターのみなさんが拍手を贈ってくれたことが、心からうれしかったし感動しました。戻ってきたって感じがして、本当にうれしかったです。

 前半、ベンチやアップしながら見ていた試合内容のことは覚えていません。「出してくれ。そしたら点を取る」とだけ思っていました。名前を呼ばれた瞬間、「キター!」とテンションは最高潮に上がっていました。

 後半32分、出番がきました。そして、がむしゃらにゴールだけを狙いに行って、37分になんとヘディングでゴール! シュートの瞬間入ったことがわかったので、ボールの行方を見届けずに逆方向に走っていきました。横浜FCに移籍してから記念すべき初ゴールでした。初ゴールのうれしさというよりも、フロンターレ戦で決めることができたのが僕にとっては喜びでした。横浜FCに対しては、途中から出てもゴールが決められるんだというアピールができたし、フロンターレに対しても頑張っている姿を伝えられた。もう、笑顔しか出てきませんでした。惜しくも延長で負けてしまったけれど、試合が終わった後も、出し切った充実感でいっぱいでした。精一杯やり、何よりサッカーが楽しかったです。

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 その後、メンバー入りに定着することができました。練習試合でも力を抜かずに全力でやり点も取り、それでも交代出場のチャンスがない試合もありましたが、拮抗した試合では使ってもらえるようになりました。シーズン当初からそうした貢献ができればよかったと思う気持ちはありますが、やれることはやったという納得できる部分もある1年でした。移籍してよかったと思えました。

 シーズンが終わり、フロンターレから復帰の話があり、「お願いします」とチームに戻る決断をしました。監督も代わり、横一線でのスタートになる部分もある。改めてしっかりとアピールしてフロンターレで勝負したいと思いチームに戻りました。

 横浜FCでの1年間で、様々な経験をしたことに感謝しています。

 フロンターレに入ったばかりの僕は、田舎から出てきて何もわからず、チームメイトともあまり話すことすらもできませんでした。でも、チームスポーツにとってコミュニケーションを取ることは欠かせないことです。意見を言ったり、コミュニケーションを取らなければ自分のプレーもわかってもらえません。そうしたことができるようになったのはフロンターレで3年目になってからのことでした。横浜FCに移籍した当初も、やはり話が出来ませんでしたが、それがよくないことはもうわかっています。ありがたいことに、キクさんと駒大で同期だった八角さんとキャンプで仲良くなり、そこから他の選手たちとも徐々に仲良くなり、フレンドリーなチームのおかげで溶け込めることができるようになりました。

 カズさん。
 カズさんと呼ぶことさえ失礼と感じてしまう、僕にとって永遠のスター"カズ"と同じチームにいられたこと、今でも信じられません。とにかくオーラがありました。年齢を重ねればスピードが落ちるのは当然のことですが、カズさんの場合は、逆をついたり、動きの質が高くシュートが巧かった。力の強さではなくコースに流し込む巧さ。「"カズ"だ! 凄いなぁ」という僕の子どもの頃からの熱い憧れの気持ちは一緒だった1年間で冷めることはまったくなく、最後までスターでした。話かけてもらったことは何度かありました。でも、僕から話しかけたことは、たったの一度きりです。

 シーズンが終わった時に、思い切って言いました。
「スパイクください」

 僕の宝物です。

 アツさんもキックの質から何からひとつひとつのプレーの技術がずば抜けて高かったです。一緒に練習した時、「こういう風にした方がいい」とか「こういう練習を続けた方がいい」などとアドバイスをもらいました。

 大黒さんはもちろん、カズさんやアツさんという経験豊かな選手たちと過ごせたことは僕にとって財産となりました。

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 2011年、フロンターレでの日々が再び始まりました。
 相馬監督に前線で使ってもらい、日々のトレーニングから課題をもって取り組んでいます。やはりフォワードとして受け方やターンの仕方などできないところはまだまだたくさんありますし、実際に監督からも「もっと前を向けるだろう」「シュートだろう」と細かいところまでわかりやすく指摘をしてもらっています。

 できない部分を克服しようとした時、功治さんのプレーが目につきました。というか、僕は以前から功治さんのことが大好きだったのです。功治さんの凄さは客観的に見たらドリブルやひとりで打開できるところだと思います。でも、それだけではありません。間で受けた時に周りを細かく確認したり、ターンをするか、ターンをしないでボールを落とすのかという判断が早い。僕は功治さんのドリブルはできないかもしれないけど、その判断の早さは真似ができるはず。そう思って、トレーニングしています。

01 出してもらえるならどんなポジションでも試合に出たいです。
 でも、できるならば一番自分を出せるフォワードで勝負したいです。

 そのためには練習試合や練習からゴールという結果を出すこと。
 昨年、乗り越えた経験があるので課題はまだまだありますが、自分がやるべきことに迷いはありません。

 巧い選手はたくさんいるけれど、そこで点を取れるかどうかが問われると思います。それが今の小林だし、あれだけ点を取っていれば周りからも「点を取れる選手だ」と認められます。それだけの結果を残している小林は普通に凄いと思います。そして、そういう選手がもうひとりいたら監督も楽になるだろうし、選択肢も増える。

 僕もしっかりと食い込んで、そう思ってもらえるように頑張りたい。

 フロンターレに僕が加入したのは2006年のことです。
 あれから5年の歳月が過ぎました。 当時は、ただただがむしゃらに頑張っていました。でも今は、課題をもって練習に取り組んだり、点という結果を出すためにアピールしようと日々思って過ごしています。

 フロンターレは本当にひとりひとりの選手がうまいです。僕が良いタイミングで裏に抜けていけば必ずパスが来ます。だから、この先どんな状況でチャンスが巡ってきても、点が取れる選手になりたいです。そして、ゴールを決めて、みなさんに喜んでもらいたい。そう思っています。

profile
[くきの・さとし]

もともとアタッカータイプのFWだが、2列目やサイドバックなど複数のポジションをこなすユーティリティープレーヤーでもある。確かな技術と気持ちのこもった泥臭いプレーでアピールし、攻撃陣に刺激を与える。1987年4月16日/宮崎県宮崎市 生まれ。
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