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ピックアッププレイヤー

2011/vol.10

ピックアッププレイヤー:DF17/菊地光将選手

フロンターレの一員となって今年が4年目。加入初年度から場数を踏んできた菊地光将のプレーは、
ルーキーイヤーの頃の荒削りな印象が薄れ、安定感を感じさせるものに変化してきた。
そんな菊地は、フロンターレでのプロ生活の中で大きなものを手にしていた。

01雪辱のルーキーイヤー

 守るべきものができた時、人はどう変わっていくのか。菊地光将の中にある日常生活と、フロンターレでの戦いを交えながら、言葉を引き出す作業は面白いものだった。

菊地には、家族ができた。このフロンターレでの4年の間に妻を娶り、子が生まれた。それは彼にとって大きな変化だった。そして、家族のことを思う過程の中で、サッカーと真正面から向き合うようになったという。

そもそも菊地は、高校まででサッカーをやめようと思っていた。大きな怪我を負ったという事もあるのだが、進学先は沖縄の大学にと決めていた。そうして一度失ってしまったサッカーへの情熱は高校、大学の指導者との関わりの中で再生する。まずは菊地の才能が高校を最後にサッカーから離れてしまうことを「もったいない」と嘆き、大学進学を強く薦めてくれた浦和東高校の野崎正治監督。そして、進学した駒澤大学で指導を仰いだ秋田浩一監督である。駒澤大学では高い技術を持つ選手たちと共にサッカー漬けの日々を経験し、大学サッカーの頂点を目指す戦いに加わった事も刺激材料となっていた。こうした環境の中、菊地は卒業時に8クラブが競合する選手にまで成長する事となる。そして、その菊地のフロンターレでのプロとしてのキャリアは、大きな挫折から始まる。

「あれは、ほろにがい、どころじゃないです」と口にすると、とびきり悪い言葉を「にがい」につけて、最悪だったその試合を振り返る。それは菊地にとっては プロとしてのデビュー戦での事であり「1−0で勝っていて、オレが入って逆転されたんです」という試合だった。08年3月23日にアウェイで行われたナビスコ杯の札幌戦である。

 リードしていた終盤に、かさにかかって前に出てくる札幌に対し、関塚隆監督(当時)はチームに守備意識を徹底させようと菊地を投入する。ところが、そこでフロンターレは逃げ切りに失敗してしまう。2点を失い逆転負けを喫するのである。ただ、その2失点が全て菊地の責任に帰するものでもないだろうと慰めると、「1点目はオレのマークにやられたんです」とうつむいた。そんな、最低だと自己評価する試合でデビューしたにもかかわらず、彼の評価はゼロにはならなかった。それは、菊地がその後もコンスタントに出場し、チームに貢献してきた事実から明らかだ。

 結局、ルーキーイヤーの菊地は、合計で17試合に出場し、その能力の高さを示した。クラブが大卒選手に求める即戦力としての期待を裏切ることはなかった。屈辱からそのキャリアを始めた菊地は、逆境を跳ね返し、一歩一歩着実に前進して行ったのである。

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両足をつりながらの浦和戦

菊地が戦ってきた数々の試合の中で、最も印象深い試合の一つが2年目に生まれている。CBというポジションの性格上、基本的に試合中に目立たない方がチームにとってはいい試合であるはず。しかし、そのポジションの菊地が目立っていたという点で、彼のこれまでのフロンターレのキャリアの中では特異な試合だった。

 その試合は、09年5月10日に行われた11節のアウェイの浦和戦だった。この試合は常に浦和に先行される苦しい試合展開となっていた。31分にエジミウソンに先制ゴールを許していたフロンターレは、それに先立つ23分に寺田周平をケガで失い、唯一のCBの控えである井川祐輔を投入。後半55分には、同点ゴールを狙うべく、左のSBで出場していた村上和弘に代えてレナチーニョを投入する。この交代采配の結果、森勇介が左SBに移動。井川が右SBにスライドし、ボランチで先発していた横山知伸がCBにポジションを代える事となった。最終ラインの選手のうち、試合開始時のポジションを維持していたのは菊地ただ一人。まさにスクランブル態勢を取ったのである。

 そんな中、フロンターレは57分にジュニーニョが同点ゴールを決めて勢いづく。しかし64分に闘莉王に勝ち越しゴールを許し、再びリードを許してしまうのである。そしてここからの戦いが、魂の震えるものとなるのである。

 フロンターレは73分にレナチーニョがPKを決めて同点に追いつくと、76分には鄭大世が逆転ゴールをねじ込む。ホームで負けられない浦和は、怒涛の勢いで攻勢に出る。共にプロ2年目の菊地と横山のCBコンビが浦和の猛攻をしのぐ中、彼ら二人はそろって両足をつらせてしまう。二階席にある記者席から見ても明らかな二人の異変は浦和の選手たちにも伝わっていたはず。まさに絶体絶命のピンチとなるが、ここで二人はお互いに声を掛けあってこの窮地をしのぐのである。

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 菊地はその時間帯を「言い方は変ですが、うまくサボろうと話し合っていました。ラインをコントロールしながら戦っていました」と振り返る。

 それに対し、コンビを組んでいた横山は「とにかく声を出し合っていた気がします。早めに声を掛けあって準備していました。ロングボールが多かったので、それで対応できていましたね。裏に走られる方が怖かった」と話しつつ、ロングボールを闘莉王と競る菊地のプレーを「キクのヘディングは闘莉王に負けていなかった。足がつっていてもジャンプして競っていた。あれは日本一ですよ」と絶賛した。

 結局のところ、猛攻を仕掛けてきた浦和は菊地たちを中心とした守備陣を破れず。3−2のスコアのまま終了のホイッスルを聞くこととなる。「嬉しかったですね。浦和のホームで勝てましたからね」と横山はその試合を振り返る。ハラハラの十数分間は、フロンターレの歴史に刻まれるべき死闘となる。そしてその死闘の中心には菊地がいたのである。

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06家族と親友

 菊地は2年目の09年に22試合に出場し、充実したシーズンを送る一方、彼自身がプロとしてのキャリアの中での思い出深いと話すもう一つの試合を演じている。それが11月3日に行われたFC東京とのナビスコカップ決勝だった。

「ああして満員の国立の舞台で試合ができて、サッカー選手としては幸せだと思います。リーグとはまた違った雰囲気というのもあって、いい経験になりました。ただ、負けて、目の前で喜ばれて、それをぼくは1回しか経験していませんが、ずっといる選手は07年にも経験しているわけですし、タイトルへの気持ちは強くなりましたね」

 プロとしての手応えを感じつつ、悔しさにまみれながら、タイトルへの思いを新たにした。そんなシーズンオフの菊地に大きな転機が訪れる。09年12月26日に、かねてより交際を続けてきた藍さんと入籍するのである。加入初年度から菊地は、プロフィールにある「この世で一番好きなもの」の答えとして「家族」を挙げている。そんな菊地が家族を持つこととなったのである。自らを支えてくれている事に感謝しつつ、だから頑張らねばとサッカーへのモチベーションを新たにし、新シーズンに向けて英気を養うのである。

 そんな中、ひとつの事件が起きる。それは大の親友がサッカーを奪われるという出来事だった。年が開けた2010年2月27日。大宮に所属する塚本泰史が会見を行った。彼は自らが骨肉腫という病気に罹患しており、右大腿骨に生じたガンを切除する手術が必要であることを涙ながらに公表。チームドクターからは、それにより、サッカーを続けることが難しい状況だとの説明がなされた。

 高校、大学の7年間を塚本と共に過ごしてきた菊地は、親友を襲ったこの悲劇を目の当たりにし、悲しむのと同時に改めてサッカーができるという当たり前の事を改めて見つめ直したのだという。

「あいつがああいう事になって、だけど、ぼくは普通にこうやってサッカーが出来ていて、だからあいつの事を考えると、当たり前のことをやれているという事を幸せに思いながらやらないとダメなのかなと思いました」

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 自らの家庭と、無二の親友と。サッカーに対する2つの大きなモチベーションを感じながら新しいシーズンに臨んだ菊地は、3月13日に行われたリーグ戦第2節のアウェイの名古屋戦で負傷し、わずか29分でピッチを去る事となる。出鼻をくじかれた形の菊地のケガは、思いの外重かった。治療を続けていた菊地が初めてグランドに出られたのは3週間近く経過した4月2日の事。その日の菊地は自らの状況について「ケガしてから初めてグラウンドに出ました。ただ、筋力が落ちててまだ走れないですね。少し痛みは残っていますが、腫れ自体はかなり引いてきました。このまま上げていければと思います。やった直後は腫れてパンパンでしたからね。筋肉か血管が切れてたみたいです」と話している。

 結局、菊地の復帰はW杯による中断が開けた7月14日の大宮戦まで待たねばならなかった。ただ、復帰後の菊地は出場停止を除く全ての試合で先発しており、09年を1試合上回る23試合に出場する。チームの中の欠かせない選手である事を改めて感じさせられたシーズンとなるのである。

新しい命

 菊地にとってプロ4年目となる2011年の4月26日に菊地家に新しい家族が生まれる。長男の壱輝(いっき)くんである。そんな菊地の、我が子への溺愛ぶりを示すエピソードは事欠かない。例えば、立ち会い出産を勧めたという横山は「出産に立ち会って感動したと話していたのが印象的でした。ぼくが立ち会ったので『立ち会ったほうがいいよ』と話してたんです。最初は嫌だって言ってたんですけどね」と話している。壱輝くんの写真を携帯電話の待ち受け画面にし、複数の選手から「子供の話をするととたんにデレデレになる」と言われるほどの子煩悩ぶりを見せる菊地は、生まれ来る我が子のためにも頑張らねばと、シーズン前のキャンプにおいて無理をしてしまう。相馬直樹新監督にアピールしようして、ケガを悪化させるのである。

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「ケガをした中で無理して続けてしまって。今思えば休めばよかったんですが、痛みに耐えてやってたらやっぱりダメでした。2次キャンプになり、これからチームが仕上がるという時に抜けてもいいのかなという思いがあったんです」

 その当時の菊地の状態についてトレーナーの境宏雄は「腸腰筋というのを痛めたんですが、あの時期に離れたくないという気持ちがあるのはわかります。違う選手は、痛いところを抱えながらダマシダマシやってチーム戦術を理解していました。そうすればよかったんでしょうが菊地は痛い中で全部やろうとしていました。それがケガを悪化させる原因でした」

 モチベーションが空回りした菊地は出遅れることとなり、シーズン開幕を控えとして迎える事となった。アピールしようと無理をして「結局それでパフォーマンスが悪くて評価が下がったので、休めばよかったんですよね」とその時のことを反省。はやる気持ちを抑える事も時には必要だという事を知るのである。ただ、震災の影響もあり1ヶ月半ものブランクが生じたことで、開幕から3試合目の名古屋戦で先発出場。その後はCBの一角としてのポジションを手にしている。今季の菊地はこれまでに出場した全ての試合で先発しており、リーグ戦19試合を終えて、すでに17試合に出場する活躍を見せている。

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2つの家族

06 安定した戦いぶりを見せる菊地の秘密は何なのか。横山も含めた同期同士でよく集まって食事する仲だという田坂祐介は、結婚後の菊地について「奥さんと結婚して、子供ができたくらいからグラウンドに早く来て準備をしてメリハリのついた生活になりましたね。精神的に充実しているというのはあると思います」と述べている。また本人もそうしたサッカーへの日常的な取り組みについてより真剣になったのだと明かしている。

 そんな身近にある家族の存在について、菊地は「支えてもらっていますし、自分がチャレンジしようと思ったときにはたぶん後押ししてくれると思います」と話し、妻である藍さんへの全幅の信頼感を見せている。そして、プロサッカー選手という職業について理解してくれている事についての感謝の言葉を口にしていた。そしてそうした思いはプロ入りし、離れて住む事になったご両親に対しても感じているのだと話すのである。

 菊地がまだ大学に在学中の時のこと。共に沖縄の大学に進学する予定だった友人が菊地の実家を訪れた際に、彼のご両親に対する態度が悪いじゃないかと友人から叱られたのだという。「その時は親と一緒に住んでいてよくわからなかった」菊地だが、「プロになって離れて生活するようになって、その大事さがわかってきました」と続ける。そんな菊地は「奥さんや息子さん、親友のために頑張ろうと思っている?」との質問に対し「親もね」と付け加えるのである。そして「ここまでサッカーをさせてもらってきて、恩返しじゃないですが自分が頑張ることで、親に喜んでもらいたいという思いはあります。ただ、面と向かって感謝の言葉とかは言えないですけどね」と話していた。

 大事に思う2つの家族のためにも頑張らなければならない菊地は、今季、流れの中で奪った見事な得点を決めている。6月18日の広島戦でのゴールである。このゴールは、ポジションをブレイクさせ、相手ボールをカットしてからの見事なカウンターから生まれたもの。そしてそれは、ポジションを上下方向に流動的に入れ替えて攻撃を作ってきた今季のフロンターレを象徴するゴールでもあった。しかし菊地はそのゴールについては一言も触れることなく、ただCKでの得点力のなさを反省しその責任を口にするのである。奥ゆかしいというか、控えめというか。自らを飾ることが下手というか、純粋というべきか。

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「(セットプレーで点がとれていないことについて)ホント、そうなんです。この前の新潟戦ではCKが12本もありながら無得点で、それは中に入っている一人としては責任を感じています」

 そんな菊地ではあるが、ひとつ印象に残った言葉がある。それは、自らを奮い立たせてくれている家庭を念頭に「変な話、もっと頑張らなきゃ」と述べている点であろう。控えめで温厚な菊地にしては、大胆な発言ではないかと感じた。そしてそれは家族を大事に思うが故の言葉でもあった。

 家族が大好きでたまらないという菊地に、インタビューの最後に奥さんへのメッセージをもらおうと粘ったが、「嫁はこれを見ないよ。大丈夫です。いいです、嫌です(笑)」と拒否された。そんな奥さんの旧姓は「川崎」さん。「かわさき あい」さんと結婚した菊地は、フロンターレへの愛をタイトルという形で示してくれるものと信じている。

profile
[きくち・こうすけ]

空中戦の競り合いと1対1の局面で抜群の強さを誇る屈強なDF。粘り強いハードマークで相手チームのエースを封じ込める。もともとボランチでプレーしていたが、プロ入り後センターバックとしての経験を積み、最終ラインの軸として成長を続ける。1985年12月16日/埼玉県越谷市生まれ。
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