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SEASON 2013 / 
vol.13

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MF23/Noborizato,Kyohei

帰還

小宮山尊信 DF8/Komiyama,Takanobu

テキスト/いしかわ ごう 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Ishikawa,Go photo by Ohori,Suguru (Official)

2012年シーズンは、小宮山尊信にとってケガとの戦いだった。開幕戦から先発出場を続けていたが、
第7節の札幌戦後、左足首の手術を決断。再び公式戦のピッチに戻ってきたのは、2013年の8月FC東京戦だった─
約1年3ヶ月のリハビリ期間、彼は何を思い、過ごしていたのか。

  2013年7月16日の麻生グラウンド。
練習後、ピッチに集合した選手達から突然、大きな拍手がわき起こっていた。その輪の中心にいたのは、小宮山尊信だった。翌日のNACK5スタジアムで行われるJリーグ第17節大宮アルデージャ戦にメンバー入りしたのである。望月達也コーチから自分の名前が読み上げられた瞬間、しばらく頭の中が真っ白になったという。

「達也さんに呼ばれた瞬間は、やっと来たな、と。それまでも自分がメンバーに入るかなというのが続いていたけど、入れなかったので、ついに来たと。その後のことは、よく覚えてません(笑)。気付いたときには悠(小林悠)とかノボリ(登里享平)とかが抱きついてきて、みんなも拍手してくれて…『本当に戻ってきたんだな』と思いました」

 アウェイでの試合のため、大宮で前泊を行う。移動はチームバスだが、集合まではそれほど時間の余裕がない。そのため、常連組はあらかじめ遠征の身支度をしておくものなのだが、小宮山にとっては今年初の前泊移動である。練習後、慌ててクラブハウスを出て一度自宅に戻っていった後ろ姿は印象的だった。

「前泊って何を持っていけば良かったのか忘れてましたからね。移動のときに着る公式スーツも、今年は初めてだから、どのスーツを着ていけば良いのかわからなくて…たぶんみんなに聞いても、嘘のほうを教えられるので(笑)」

 このとき、小宮山の帯同メンバー入りにとびきりの祝福をしたのが登里享平だった。チームではともに左サイドバックであり、言ってしまえば、同じポジションを争うライバルでもある。それでも素直に歓迎できるのが登里の人柄でもある。こともなげに明かしてくれた。

「コミくんはライバルですし、そういう意味では怖い存在でもあります。でも一人の先輩としても、サッカー選手としても尊敬できるんです。だって、約1年半ですよ?自分は1〜2ヶ月のケガでも苦しかったぐらいなんです。しかもコミくんは、原因が不明だった。それでも弱音吐いたりすることはなかったし、ずっとストイックに向き合っていた。コミくんは復帰してからも練習のモチベーションがずっと高かったですから、本当に嬉しかったんです」

 そして試合当日。平日の夜にNACK5スタジアムに駆けつけたフロンターレサポーターの励ましもまた熱烈だった。

「コミ、待ってたぞ!」

そう力強く書かれた大きな横断幕がゴール裏から掲げられていたのである。

「正直、試合前から泣きそうになりましたね。サポーターが旗や弾幕を出してくれていたので、ワクワク感も凄かったです。涙を抑えるのに必死でしたが、泣くのは試合のピッチに立ってからにしようと思っていました」

 試合は当時首位を走っていた大宮を、ロスタイムに得たPKをレナトが成功して逆転勝利するという、あまりに劇的な展開で幕を閉じた。ただし、この試合での小宮山は出番を呼ばれることなくベンチで90分を過ごしている。タッチラインを越えることはできなかった。それでも、試合後には嬉しさを隠さなかった。

「やっと復帰することができました。今回はメンバー入りすることができたので、次は公式戦のピッチに立つことが一番喜んでもらえることだと思ってます。次の公式戦まで少し空くので、しっかりと準備をして今度は試合に絡めるようにしたい」

DF8 KOMI 小宮山尊信

 話は、2012年シーズンの開幕時までさかのぼる。
小宮山尊信は開幕から先発出場していたが、思うようにコンディションが上がらず、プレーにも精彩を欠く状態が続いていた。

 原因は左足首の痛みにあった。
もともと彼は右膝に古傷を抱えていた。その右膝の痛みを左足首がうまくカバーすることで身体のバランスを保ってプレーできる状態が続いていたのだという。しかしバランスを取っていた左足首に開幕前後から鋭い痛みが出始めていた。

「左足首の痛さは徐々に蓄積されていったものだと思います。足首の痛さにも波があるんです。もの凄く痛いときがあっても、それを乗り越えたら問題なくやれることもある。そういう状態をずっと繰り返してきていました」

 ある程度のキャリアを積み重ねたサッカー選手ともなれば、身体のどこからしらの部位に痛みを抱えているのは何ら珍しいことではない。どこの痛みも無く万全のコンディションでプレーできる試合など年に1〜2試合あるかどうかだとも聞いたことがある。

 FC東京や東京ヴェルディなどで活躍し、Jリーグ216試合連続出場という記録を持つ鉄人GK・土肥洋一はこんな言葉を残している。

「出場できる状態ならば、そのケガは痛みでしかない」

 要するに、ケガと認めない程度の痛みと付き合いながらプレーするのがプロサッカー選手の日常でもあるのだろう。小宮山にとっても、右膝に古傷や左足首の痛みとはそういう存在だった。だが開幕して1ヶ月半が経つ頃、その左足首がついに悲鳴を上げた。

 5月2日には左足関節遊離体、左足関節骨棘障害の除去手術を決断。奇しくも、このときチームは風間八宏新監督が就任したばかりというタイミングだった。新指揮官が就任した直後のタイミングで戦線離脱するのは、さぞかし心残りだったのではないだろうか。

「もちろん、気持ちとしてはプレーしたかったですよ。でも足の状態が無理でした。それに次に足首が痛くなったら、もう止めて手術をしようと決めていたんです」

 全治は6〜8週間と診断されていた。
夏には復活できる算段だが、しばらくは試合をスタンドから観戦する日々が続いた。風間監督になってからのサッカースタイルの変化を敏感に感じ取りながら、本人は復帰したときのイメージも膨らませながらゲームを観ていた。

「単純にみんなうまくなっているなと思いました。良い試合のときはパスがつながるし、相手を崩していくので、見ていても内容が面白かった。自分が入ったらどうやってプレーすれば良いのかをイメージしていましたね」

 7月にはチーム練習に復帰。術後の経過は順調に見えたが、今度は肉離れを発症してしまう。さらに左足首を手術した影響で、バランスを保っていた右膝の痛みが激しくなってきたのである。小宮山の復帰に暗雲が立ちこめ始めてきた。いや、むしろここからが苦難の始まりだったのかもしれない。

「練習も合流しましたが、正直、やっていてきつかったですね。肉離れが治ってきて、手術した足首もよくなってきたのに、膝だけはただの痛みじゃなかったんです。明らかにプレーできない痛みになっていた。いろいろ治療をやってもらったけど、治らなくて…」

 夏が過ぎ、秋風が吹く頃にも膝のケガは改善回復の兆しを見せることはなかった。そしてシーズン終盤に差し掛かっていた11月15日、ドクターらチームスタッフと相談し、右膝の手術を決断。気持ちを切り替えて、来季への復活を誓った。

 ところが、年が明けても復帰がままならなかった。
 手術は成功したが、今度は同じ右膝でも違う箇所に痛みが出始める症状に悩まされていたのである。年明けの2月に復帰し、宮崎キャンプには参加したものの、3月24日に等々力で行ったFC東京との練習試合に強行出場したのを最後に、再び治療を余儀なくされた。ただ膝のMRIを撮っても原因は不明。そのため、明確な治療法も見つからない。すでに公式戦から離れて一年が過ぎようとしている。そういった苦しさが重なることで、小宮山は不安にかられた。

「このときが精神的に一番苦しかったですね。自分はどうなってしまうだろう・・・と。それまではケガで引退していく選手というのを実際にどうなのかを考えたことはなかったのですが、きっとこういうことなのかなとも思いました」

 頭を抱えていたのは小宮山だけではない。前例がない症状は、チームスタッフにとっても対処が難しかった。小宮山のリハビリに常に付き添っていたアスレチックトレーナー・境宏雄が明かす。

「例えば同じ膝でも半月板の手術だったら、何ヶ月したら治りますという目処がつくんです。でもコミの場合は、どうすれば膝の痛みがなくなるかどうか、まるでわからない状態が続いて、いつ戻れるかを伝えられなかった。普通なら、本人の心が折れますよ。今だから言えますけど、『これは無理じゃないか』という声が何度も喉まででかかりましたから。もし3月、4月のリハビリでよくなっていく気配がないのなら、今度は内視鏡検査ではなく、2回目の手術をしようという話も本人にはしていました」

 チームスタッフが手を尽くす中、取り入れてみたのが痛みのある膝だけではなく、太もも、足の付け根、逆足とのバランスなど、身体全体を意識させた歩き方だった。確信があったわけではなかったというが、経過を観察することにした。境が説明を続ける。

「歩くといっても、それまでのフォームを変えてこう歩け、とかではないんですよ。まずは足の着き方ですね。右足、左足をどうやって地面に着けていくのか、そこから始めました。サッカー選手のリハビリではなかったですね。あとは、そのとき感じたことは全部言ってくれとコミに言いました。痛いときは必ず痛いと言ってくれと。一週間経ってから、実はあの頃から痛かったと言うのだけはやめてくれと」

 ただ手探りだったからこそ、小宮山はチームスタッフとこれまで以上に密なコミュニケーションを取りながら試行錯誤を続けた。中でも、毎日のリハビリに付き添ってくれた境と過ごした日々については、小宮山は少しおどけながらこう話す。

「今日はこれやって、明日はこうしてみようとか境さんと毎日話しながら、その繰り返しで少しずつすり合わせていきましたね。境さんは、手で触っただけで調子がわかるほど、僕の足のことを知り尽くしてくれていました。あるとき、『境さんの手は、もう俺の足の一部ですよ』と言ったら『俺の手はそんな安くないよ』って言われましたけど(笑)」

 歩く、走る、ジャンプする、ボールを蹴る・・・通常はどんどん次のステップに進んで行くリハビリのメニューも、境はとことんまで段階を細かく刻んで設定し、慎重に取り組ませた。それはまるで小石をひとつずつ、時間をかけて丁寧に積み上げていくような地道な作業ですらあった。その段階で確かな手応えを掴めたのは、ボールを使ったトレーニングを始めたときだったと小宮山は明かす。

「今までも走ることまではできていたんですが、ボールを蹴るということになると、膝の角度で神経の伝わり方が違って痛みが出てしまい、復帰するまでに大きなハードルがあったんです。でも今回はそこを越えられた。それでいけると思いました。でもそれも1歩ずつ・・・というよりは半歩ずつですよね。例えば、ボールを軽く蹴り出して、日に日に膝の角度を少しずつ変えて蹴ってみるとか・・・それを続けていきました」

 ボールを蹴るという大きなハードルを超えて次の段階に進んでも、境は慎重な姿勢を崩さなかった。例えば、復帰後のボールゲームや対人は普通であればチームメート同士で行わせるが、このときの小宮山のできるレベルに合わせるために、育成のコーチ陣に連絡し麻生グラウンドに来てもらい、彼らとの4対4や2対2で十分に慣れさせるなど、入念な準備を施して完全復活をサポートした。そんなリハビリを経て、小宮山尊信はチームに戻ってきたのである。

 中断期間中の6月に行った北海道合宿に参加すると、7月からはついに全体練習のメニューをこなすまでに回復した。我慢の日々を乗り越えてきた彼を支えてきたものは何だったのだろうか。

「絶対に戻るんだという気持ちですね。その気持ちがなくなったら終わりだと思ってましたから。あとはリハビリのときに、サポーター、チームメート、ドクター、トレーナー、強化部もそう。みんながポジティブな声をかけてくれました。みんなが自分を必要としてくれているのは、本当にありがたかったです」

MF23 NOBORI 登里享平

 ベンチ入りした大宮アルディージャ戦を皮切りに、湘南ベルマーレ戦、ベガルタ仙台戦とリーグ戦は3試合連続でベンチ入りが続いたが、なかなかピッチには立てなかった。そしてベンチ入り4試合目となった等々力競技場でのFC東京戦。ついに出番が巡ってきたのである。

 2−2のスコアで迎えた後半15分、左サイドの突破で相手守備陣に脅威を与え続けていたレナトに足に異変が起こり、続行不可能となる。その瞬間、交代選手として呼ばれたのは、小宮山尊信だったのだ。

「呼ばれたときはやっと来たかと思って、とにかくうれしかったですね。みんなが頑張れと言ってくれて、それだけで十分だった。嬉しすぎて感情が高まっていたので、感情に支配されないように、やるべきことをしっかりやろうと冷静にプレーすることを心がけていましたね」

 ゆっくりとタッチラインに向かう際、給水ボトルの水を何度も飲み込みながら、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせた。交代選手が8番・小宮山尊信だとわかった瞬間、レナトの負傷交代で悲壮感すら漂っていた等々力の雰囲気が一変し、大きく、温かい拍手がわき起こった。第四審判が交代ボードを提示したのを確認すると、「拍手、でかいよ」って思いながら、タッチラインをまたいでピッチに足を踏み入れた。止まっていた時間が動き出した瞬間だった。

 リスタートしたファーストプレーでは、左サイドバックの位置についた彼のもとに、センターバックの實藤友紀からパスが送られてきた。そのファーストプレー、相手が少し寄せるしぐさを見せてきたため、彼はトラップしてボールをコントロールするのではなく、ダイレクトで前にいる登里享平にパスを預けた。ぎこちなさはなく、実にスムーズにゲームに入っていった。最終ラインの一角として的確な守備をこなし、復帰戦の30分を堪能した。

「フワフワはしていなかったですね。不安もなかった。それにずっと足が痛かったので、そんなことは不安のうちにも入らなかった。でも正直、言うとゴールを決めたかったですけど(笑)。おれ、持ってねぇなぁ、と。本当にあっという間の30分でしたね。試合に出れたのは自分だけではなく、いろんな人のおかげですから。感謝の気持ちでいっぱいでした」

 試合後の挨拶では、サポーターからの最大級のコールと横断幕に感謝を述べている。

「サポーターが自分のコールをしてくれていたのを聞いて泣きそうになりました。サポーターがいなかったらここまで来れなかった。1年以上休んでいたので、まだまだ恩返しできていないと思っているし、チームに貢献したいという気持ちがすごくある」

 さまざま人に感謝を告げる中でも、やはり一番の感謝はトレーナーの境だったかもしれない。あのとき小宮山がピッチに入る瞬間、境はどんな思いでその姿を見つめていたのだろうか。

「すごく喜びたかったのですが、レナトがケガをしていてそっちに行っていたので、コミが入る瞬間とはちょうどすれ違いでした(笑)。この日のためにリハビリしていましたからね。試合後は『おー!コミ!』と喜びを分かち合いましたよ」

 こうして小宮山尊信はピッチに帰還した。翌週の第21節ヴァンフォーレ甲府戦では、先発出場。90分フル出場を果たし、チームにとっても4試合ぶりとなる勝利に貢献している。試合後、ゴール裏のサポーターに拡声器で完全復活を報告した。

 復帰戦となったFC東京戦を皮切りに、レギュラーの一角として試合に出続けた一ヶ月だった。小宮山はこの2013年の8月を「幸せ」という言葉で表現した。

「サッカーことだけを考えられるのって幸せですよね。試合に出ていたら、良いプレー、悪いプレー、今日はあれが良かった、悪かったといろいろ考えますが、そういう風にサッカーのことだけを考えられるのが、本当に嬉しかったんです」

 自信を持っている対人守備での強さは相変わらずだ。小宮山が復帰してからというもの、チームは左サイドを起点にされて失点する場面は減った。試合を重ねるにつれ、カットインしてシュートを狙うという彼らしい得意の形も見せ始めている。今後の戦いに向けた、自身の展望をこう口にする。

「風間監督は『自分の利益とチームの利益を一致させろ』とよく言ってました。そこはもっと自分も合わせていかないといけないと思ってます。自分は自分で良いところがある。それをもっとチームに還元していきたいし、チームがそのプレーを欲しがっているぐらいに、自分の持ち味を出していきたい」

 度重なるケガの悪循環を乗り越え、一年三カ月間ぶりに帰還したタッチラインの向こう側の世界。本来の仕事場に戻ってきた小宮山尊信のショータイムは、きっとこれからだ。

マッチデー

   

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[こみやま・たかのぶ]

豊富な運動量とフィジカル、そして足下のテクニックを兼ね備えたサイドバック。昨シーズンは怪我に苦しみプレーできない期間が長く続いただけに、今シーズンにかける思いは人一倍強い。かつての鉄人ぶりを取り戻し、ライン際で躍動する姿を再び見せてもらいたい。

1984年10月3日/千葉県
船橋市生まれ
176cm/79kg
ニックネーム:コミ

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