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MF18/Kanakubo,Jun

Where there is a will, there is a way

GK1/杉山力裕

テキスト/羽田智之(報知新聞社) 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by haneda,Tomoyuki (Hochi Shimbun) photo by Ohori,Suguru (Official)

6月14日、等々力陸上競技場から帰路につこうとしている杉山力裕は穏やかな笑みを浮かべていた。
今年のファン感謝デーも、これまでと同じく、サポーター、選手、スタッフ、みんなの笑顔に触れることができた。
大成功だったと思えた。うれしかった。

 「本当にホッとしました。みんなが盛り上がってくれるか、少し不安なところがありましたから。良かったです。自分も楽しめたし、サポーターの方も楽しめたと思う。みんな、一緒になって楽しめました。それは、それは、一安心でした」。

 フロンターレの「ファン感」は、「陸前高田サッカー教室」、「多摩川“エコ”ラシコ」などの大きなイベントと同様、クラブが一体となって作り上げていく。選手サイドと営業サイドが、10回以上のミーティングを行い、日程、出し物、進行などを決める。昨年までは伊藤宏樹氏(現プロモーショングループ)が選手を代表し、杉山はサブとして手伝っていた。伊藤氏が昨季限りで現役を引退したため、今年、杉山が先頭に立ち、準備に奮闘した。営業サイドから関わった伊藤氏と話し合いを重ねた。

 今年の「ファン感」は、例年以上に大変だった。チームは4年ぶりにAFCチャンピオンズリーグを戦い、FIFAワールドカップ・ブラジル大会が開催された影響で、前半戦のスケジュールはハードを極めた。目玉でもあるステージ上のパフォーマンスをどうするか。「これまでは、キャンプの夜に練習をやっていましたが、今年はファン感の方が早かったので、それが不可能でした。いつも、オジフロとヤンフロという2チームに分かれてやっていましたが、今年は1チームにすることにしました。それぞれのチームが練習し、最後に合わせるという作業は時間的に無理だと考えたんです。みんなで一緒に踊るスタイルにしました」。機転を利かせ、限られた練習時間で、最高のステージにした。

 伊藤氏は「リキじゃないと、ここまでのファン感は出来なかった」と言う。「サポーターを巻き込み、一緒に楽しむのがウチのやり方です。厳しい日程のなか、どう盛り上げていくか。まず、選手がやる気にならないといけない。昨年までは、年長の自分がやっているから、みんながついてきたという側面もあったと思う。今年、リキが選手を引っ張ってくれた。いろいろ(プロモーショングループサイドから)頼み事をして、逆に、申し訳なかったかもね」。新入社員の伊藤氏は杉山に助けられたという。

 入団9年目。27歳になった。12年目の中村憲剛に次ぐ、井川祐輔と並んで2番目の古株である。現在、選手会長として、副会長の登里享平らと共にチームをまとめているが、昨年までは、フロンターレのチームカラーを作ってきた伊藤氏がいた。杉山は「昨年の夏ぐらいからですね。宏樹さんが、何かあるごとに、『お前に任せたから』と言ってくるようになったんです。そして、今年で辞めるよって。 宏樹さんがいなくなる寂しさもありましたし、選手会長として、これからどうやっていけばいいのかとも思いました。それまでは、宏樹さんに相談して、宏樹さんの意見を聞いて、それをチーム内で自分が話すという感じでしたから」と振り返る。

 伊藤氏は心配していなかった。「選手会長とかの役職とか関係なく、今まで自分がやってきたことを継いでくれるのはリキがいいなと思っていました。自分をしっかり持っていて、チームのことを考えられる。そういう選手はあまりいない。フロンターレの歴史も知っていて、チームカラーも理解している。チームを引っ張るのは誰?となったら、リキの顔が思い浮かびました。サッカーチームは個性の集まり。バラバラになろうと思ったら、一瞬でなれる。リキなら大丈夫と思っています」。杉山に対して、こうしてくれ、こうすべき、と注文をつけることもない。「好きなようにやって欲しいです」。

 杉山はサポーターと接する時、「サインする時、丁寧に書くようにしています。選手は何回も、何百回もサインをするけど、サポーターにしてみれば、初めてのサインなわけですよね。出来るだけ丁寧に、ですね」と気をつけている。それは、誰かに教わった訳ではない。「ふと、サインをもらいに来る人の列を見て、そう思ったんです」。観察力があり、相手を思いやる想像力もある。伊藤氏が安心するのも納得できる。



GK1/杉山力裕

 杉山は2006年、静岡学園高校からフロンターレに入団した。当時の印象について、みんな口をそろえる。「入った時から貫禄あった」(伊藤氏)、「もともとしっかりしていた」(憲剛)、「18歳にしては、ヘラヘラしてなかったし、僕はこう思いますとか、自分の意見を持っていた」(井川)。それもそのはず。静岡学園では主将を務めていた。当時、監督だった井田勝通氏は「あいつは、決してウソはつかず、誠実で、ひたむきだった。リーダーシップがあり、人を引っ張る機関車のような存在だった」と振り返る。ゴールキーパーが主将を務めているチームは強いというのが持論で、「杉山は一生懸命頑張っていた。キャプテンとしてよくやった。だからこそプロになれたんだ。静岡学園から、3人の素晴らしいキーパーが出ている。森下申一、南雄太、そして、杉山力裕。2人は日本代表に選ばれた。杉山にも期待している」と続けた。

 フロンターレでも、そのキャプテンシーは、早くから期待されていた。2011年、選手会の副会長をやらないかというオファーが来た。杉山は、当時、自宅がお隣さんで、キャプテンを務めていた井川からの言葉を覚えている。「俺、最初、やりたくなかったんです。でも、イガさんは『そういう役をやってくれと、周りから言われるのは、むしろ、光栄なんじゃないか』と。それで、引き受けようと思ったんですよね」。フロンターレを引っ張っていく自覚が芽生えた時だったのかもしれない。

 翌2012年7月、選手会長に就いた。当時のチーム状況は決して良いとは言えなかった。6月23日の第15節・横浜M戦(0△0、等々力)から9月15日の第25節・鹿島戦(2△2、等々力)まで、11試合を1勝5分5敗。最後は6試合未勝利だった。杉山はこの時期、決起集会を開いた。フロンターレでは、通常、シーズン前、中断期、リーグ戦終了後と1年に3度、選手会主催の食事会が行われるが、この時は特別だった。「選手会長になってからは、チームの空気感を意識して感じるようになりました。負け始めたら、練習の雰囲気も変わってくる。あの時は、監督も(風間監督に)代わったこともあり、宏樹さんに相談してやろうと決めました」。ブラジル人もふくめ、選手全員が焼肉を食べながら、たわいもない話をする。サッカーの話は自然発生すればいい。「みんなで一緒にいることが大事なんです。みんなでコミュニケーションを取ることが大事なんです」。選手会長として初めての仕事だった。「サッカースタイルも変わり、最初から適応するのも難しいかもしれないけど、バラバラにならず、同じ方向を向いてやりましょう」。こう挨拶し、チームの結束を再確認して、食事会を締めた。

 選手会長になった杉山は、後輩と食事に行く回数が増えた。もちろん、年齢を重ね、年下が多くなったこともあるが、チーム全体をよく見るようになったことが、声をかけることにつながった。「自分の事で一杯一杯だったところから、チームのことを考えたら、試合に出られないとか、苦しい状況にいる選手をチームから離れさせたくないと思うようになりました。自分もそういう時期を味わったので」。かつて、杉山自身も、吉原慎也氏、相澤貴志、川島永嗣らにされたように、若手の面倒を見るようになった。「モチベーションが難しくなっているところで、誘って。そんな、何かを話すというような堅い感じではないです。現状について、向こうから話してくれる方がいい。聞いてあげるだけでも、少しは違ってくると思います」。杉山らしく、自然体で接することで、信頼も厚くなっている。福森晃斗は「いつも、誘ってくれます。すごく優しい。見た目もお父さんみたいな感じですしね」と笑う。安藤駿介は「頼りになる存在です。体のケアなど、若いうちにやっておいた方がいいことなど、言ってくれます」と話す。

 伊藤氏が引退したことは、成長のきっかけとなった。大きな存在だったが、いなくなったことを嘆いてもしかたがない。どうプラスにするか。新たな試みでチームをまとめようとしている。「宏樹さんがいるだけで、ものすごく安心感がありました。今、頼る存在がいなくなった。逆に、宏樹さんだけじゃなく、みんなと話をするようになったと思います。憲剛さん、洋平さん、イガさんという先輩は前から話していますが、悠、ノボリら中堅や若手にも意見を聞いて、チームがひとつになっていけるように気をつけています。いろんな人の意見が聞けるのはいいですね。憲剛さんとかは長くいるから、チームの空気をよく感じている。憲剛さんから、(みんなで)飯行こうか、みたいな感じで言われることももありますし。みんなに助けてもらっています」。

 キャプテンの憲剛は全幅の信頼を寄せている。「リキのやることに関しては心配していない。むしろ、リキがやるなら大丈夫だろうと思っています。反応がいいし、うやむやにしない。彼はチームにとって大事な存在だと思う。フロンターレっぽい選手。頼りにしています。ゴールキーパーはポジションがひとつしかない。試合に出なかったりしても、腐ることなく、真正面向いて練習に取り組んでいる。たいしたものだと思う。そういう姿勢を続け、積み重ねている。苦しい時の振る舞いを、みんな、見ている。だから、みんな、ついて行くんだと思う」。

 杉山の真摯な姿勢や振る舞いは、ゴールキーパー陣の雰囲気も良くしている。ライバルであり、同士。それは、フィールドプレーヤーも同じだが、ゴールキーパーはより密接な関係を持つ。試合に出られるのは1人。ゴールキーパーだけの練習も多く、顔を合わせている時間も長い。フロンターレのゴールキーパー陣は、ピッチを離れれば、仲が良く、いい関係を築いている。

 杉山は「特に意識していることはないですよ。あえていうなら、練習がキツイ時に声を出すぐらいですね。そうしないと、ただ、練習をこなしてしまいがちになるので。みんなで盛り上げて行こうとは思っています」と話す。それでも、西部洋平は「若い時は、ライバルに対して、もっとガツガツしていたし、もっとバチバチの関係だった。川崎に来て、自分が試合に出ていなくても、純粋に応援できるようになった。これは、リキの人柄もあると思う。スタメン外れた時、暴れたくもなるだろうけど、ぐっと我慢して、『頑張ってください』と言ってくる。すごい大人。単純に性格がいい。男気もあるしね。俺も、サブに回ったら、『頑張れよ』と思える。今、この関係は崩れないと思うし、うまく行っていると思う」と証言する。

 杉山は「洋平さん、むちゃくちゃいい人なんですよ。いじられても笑っているし、飯も連れて行ってくれる。試合では男気あるし」と言い、お互いが尊敬し合っている。

 継続は力なり。杉山は、7月12日の天皇杯2回戦、Y.S.C.C.戦から、西部が頬骨を骨折したこともあり、ゴールマウスを守っている。ワールドカップは終わり、J1も再開した。リーグ戦5試合を、3試合連続無失点勝利も含め、5失点に抑えている。これは、杉山が準備し続けてきた成果である。

 3月15日、第3節のホーム・大宮戦で、今季初先発するも、3-4で敗れ、出場機会を失った。「チャンスが回ってきて、気負っていたわけではないですが、結果は出なかった。1試合で(先発を)代えられた時、気持ち的には難しかったですが、そこで気持ちを落とすのはもったいないと思いました。今までも、そういう経験してきたので、気持ちだけは切らさずにやってきました」。スタメンとサブ、つまり、期待と失望を繰り返し、強くなった。前を向き続ける強靭な心構えが、守備陣を牽引している。

 初タイトルを目指すフロンターレにとって、杉山のチームを支える度量、そして、やり続ける姿勢は武器になるはずだ。

マッチデー

   

profile
[すぎやま・りきひろ]

フロンターレ在籍9年目。積極的なプレースタイルが持ち味のGK。乗ったときの神がかったセービング技術はGK陣の中でもひときわ輝いている。実戦経験を通してプレーの安定感も出てきており、風間監督のもとで最後尾からボールをつなぐ意識も高まっている。

1987年5月1日、静岡県
静岡市生まれ
ニックネーム:リキ、スギ

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