ピックアッププレイヤー 2023-vol.07 / チャナティップ
テキスト/麻生広郷 写真:大堀 優(オフィシャル)
「フロンターレの選手になった初日から幸せな日々を過ごすことができました。鬼木監督、コーチングスタッフ、選手のみんな、スタッフの皆さん、僕のことをいつもサポートしてくれてありがとうございます。今回タイに帰ってプレーすることを決めました。日本に来てから自分の技術を磨けたと思いますし、皆さんと出会えたことでいろいろなことに気付かされました。本当に感謝の気持ちで一杯です」
クラブハウスでの最後の挨拶でこう語ったチャナティップ。
2017年夏に母国を離れ、タイ出身Jリーガーの先駆者として北海道コンサドーレ札幌、そして川崎フロンターレでプレー。Jリーグでプレーするというひとつの夢を叶え、今度は日本で培ってきた経験を母国に還元するというステップに向かうチャナティップからのメッセージをお届けします。
このたびタイのBGパトゥム・ユナイテッドに完全移籍することになりました。
川崎フロンターレの選手になった初日からファン、サポーターの皆さんに温かい声援をいただき本当に嬉しかったですし、感謝しています。
フロンターレに加入してからそれほど月日はたっていませんが、クラブの皆さんにサポートしていただいたことに感謝しています。僕はシーズン途中でフロンターレの選手を卒業しますが、クラブの歴史にチャナティップの名前が刻まれていることを誇りに思っています。フロンターレの選手として戦えたことを光栄に思います。これからはフロンターレのファンの一人として応援していきたいですし、クラブの目標であるJリーグチャンピオン奪還を応援しています。頑張ってください。
僕が日本に来る前に川崎フロンターレというクラブに触れたのは、2017年にムアントン・ユナイテッドでプレーしていた頃です。ACLでフロンターレと対戦して、ピッチにはケンゴさん(中村憲剛)がいて、ソンさん(チョン ソンリョン)やアキさん(家長昭博)、ユウさん(小林悠)、ノボリさん(登里享平)、リョウタさん(大島僚太)、シンタロウさん(車屋紳太郎)たちがいました。Jリーグでもすごく強いチームというのは以前から知っていたので、フロンターレと対戦できてすごく嬉しかった気持ちをいまでも憶えています。
その後、Jリーグでプレーする話が進み、その年の夏に北海道コンサドーレ札幌でプレーすることになりました。Jリーグでプレーするのは僕の夢のひとつでしたが、そんなときにコンサドーレから運命的なオファーをいただきました。
18歳の頃にはじめてタイ代表に選出されたときと同じようにすごく光栄でしたし、夢への第一歩を踏み出すことができたというわくわくした気持ちでした。
まず最初に、僕がはじめてJリーグでプレーした当時の監督である四方田修平さん(現横浜FC監督)に、感謝の気持ちを伝えたいです。四方田さんが僕に出場機会を与えてくれたからこそ、チャナティップがどういう選手なのかを日本の皆さんに知ってもらうことができました。
そしてもう一人感謝の気持ちを伝えたいのが、2018年に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ監督です。
ペトロヴィッチ監督は僕のお父さんのような存在で、絶対に忘れることができません。2018年に東南アジア出身の選手としては初のJリーグベストイレブンに選出されましたが、これは札幌の2人の監督さんだけではなく、コーチングスタッフ、選手のみんな、一緒に切磋琢磨した仲間がいてくれたからこそです。僕のことをより強いサッカー選手にしてくれました。感謝しています。
それから月日がたち、2022年のシーズンがはじまる前にフロンターレからオファーをいただき、これが僕の新しいチャレンジのスタートだと思いました。5年間で4回Jリーグチャンピオンになっているチームで、非常に大きなチャレンジ、困難なチャレンジというのはわかっていました。まず川崎フロンターレというクラブがオファーしてくれたことが嬉しかったですし、僕を獲得してくれたことに感謝したいです。本当にありがとうございます。
僕がフロンターレに加入した2022年はまだ新型コロナウイルス感染症の問題が大きく、なかなか難しい時期ではありました。でも、これは自分が選んだ道です。フロンターレの皆さんには感謝の気持ちしかありません。
クラブの強化部の皆さん、監督、コーチングスタッフ、チームメイト。それからいつも食事を作ってくれた食堂の皆さん、練習着を洗濯してくれたおばちゃんたち──。そして通訳のミュウさん(ジャムパリー ナリット)と一緒に仕事ができたことは絶対に忘れません。フロンターレに関わるすべての人たちにありがとうと言いたいです。チャナティップという人間を救ってくれたことに感謝しています。
2017年の夏から2023年の春まで。日本で過ごした日々は僕の大きな財産になりました。僕がどんな気持ちで戦ってきたかは僕自身にしかわからないこともありますが、Jリーグでプレーしたシーズンは僕にとって大きな宝物です。
でも出会いがあれば、いつか別れの日もやってきます。
いまではタイ人選手がJリーグでプレーするのはそこまで珍しくないと思いますが、今度は僕がタイに戻ってJリーグの経験を伝えるという決断をしました。
僕は30歳になる年齢で、自分の力を見せるのはサッカーのグラウンドだと思っているので、いまがそのタイミングなのかなと思っています。
Jリーグでプレーしたこと、日本で経験したことを僕自身が生かしていきたいですし、Jリーガーの日々の過ごし方や練習への取り組み方、サッカーと向き合う姿勢を母国の後輩たちに伝えたいと思います。
僕はこれからタイに戻ってプレーします。
チャナティップらしいプレーをしたいと思っていますし、後輩たちの模範になるような姿勢をピッチ内外で見せられる選手になりたいです。タイリーグのファン、サポーターの皆さんだけではなく、Jリーグで僕のことを応援してくれた人たちにもいいプレーを見せたいと思っています。
またタイのサッカー界だけではなく、東南アジア全体のサッカーを盛り上げていきたいという思いもあります。
それは僕の新たなチャレンジであり、チャナティップというサッカー選手の使命だと思っています。
僕のような小さな選手が大きな選手と戦えるレベルに達するためには、やはり日々の頑張りが必要ですし、何より本人の「やってやろう」という気持ちが不可欠です。
僕のことを見てくれている東南アジアの若いサッカー選手たち、サッカーが大好きな子どもたちに夢を与えることができたら嬉しいです。僕がタイ代表に選ばれたときから応援してくれているサポーターのみんなもいるので、タイのサポーター、アジア全体のサポーターにも夢と感動を与えたいです。
最後に。
日本の皆さん、北海道コンサドーレ札幌のサポーターの皆さん、川崎フロンターレのサポーターの皆さん、四方田さん、ペトロヴィッチさん、そして鬼木さん。両チームのコーチングスタッフ、クラブスタッフ、チームメイトたち──。
日本で過ごし、Jリーグでプレーできたからこそ、僕はここまで強くなれましたし、こうしてサッカー選手としてのキャリアを積むことができました。何度も言いますが、僕と関わってくれた皆さんには感謝の気持ちで一杯です。
フロンターレのサポーターの皆さん。短い期間でしたが、僕のことを温かく迎え入れてくれたことに感謝しています。ホームでも、アウェイでも、楽しいときでも、辛いときでも、どんなときでも応援してくれてありがとうございます。サポーター皆さんの力が僕をより成長させてくれました。
チャナティップという選手を救ってくれたことに感謝していますし、今後も皆さんの成功をお祈りしています。本当にありがとうございました。
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【2023年6月25日 サポーター有志の送別会にて】
コンニチハ! 長くなりそうなので、ここからはタイ語で話します。
今日はたくさんのサポーターの方々に集まっていただきありがとうございます。
日本に来てプレーすることができて、僕に関わってくれたすべての皆さんに感謝しています。川崎フロンターレのサポーターの皆さんだけではなく、北海道コンサドーレ札幌のサポーターの皆さんにも駆けつけていただけたことがとても嬉しいです。皆さん、いろいろな用事があってお疲れのなか、集まっていただきありがとうございます。
川崎フロンターレからオファーをいただいたとき、とても嬉しかったです。
でも、いまここに立って、悲しい気持ちもあります。自分らしいプレーができなかった。川崎フロンターレの力になれなかった。悔いが残っているというのが正直な気持ちです。
川崎フロンターレの強化部、関係者の皆さん、コーチングスタッフ、先輩方、チームメイト、仲間たち、日々僕を支えてくれたみんなに感謝したいと思います。食事を作ってくれた食堂の皆さん、掃除をしてくれたおばちゃん、そして通訳のミュウさん。チャナをサポートしてくれたことに感謝しています。ありがとうございます。
また川崎フロンターレだけではなく、Jリーグ全体に感謝しています。Jリーグのすべてのチーム、対戦相手が僕を強くしてくれました。Jリーグでプレーするのが夢だったので、ひとつの夢が叶いました。本当に感謝しています。
そしてここにいる皆さん。こんな僕を見送りにきていただき、本当にありがとうございます。
僕は川崎フロンターレを去りますが、どこに行ってもチャナティップはチャナティップのままです。
どうかこれからもチャナティップの応援をよろしくお願いします。
コープクン クラップ。
profile
[ちゃなてぃっぷ]
変幻自在のテクニックとクイックネスを生かし、相手の守備網をかいくぐりゴールを演出するタイの国民的英雄。2022シーズン北海道コンサドーレ札幌から加入し、同年リーグ戦16試合に出場。怪我での離脱がありコンディショニングに苦しんだが、それでもピッチに立てば随所で才能の片鱗を見せた。フロンターレで2年目となった2023シーズン6月、BGパトゥム・ユナイテッドFC(タイ)への完全移籍を決断。故郷でのリスタートへと踏み出した。
1993年10月5日/タイ、ナコーンパトム県生まれニックネーム:チャナ、ジェイ