テキスト/隠岐 麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)
川崎フロンターレの14番であり、キャプテン。
そのすべては、“脇坂泰斗”という選手であることが前提にある。
コツコツ積み重ね、周囲からの影響も取り入れ、自分らしさを育んできた。
圧倒的な存在として、突き抜けた自分に出会えれば、フロンターレにタイトルをもたらすことができると信じている。
2026年、ともに高みをめざす仲間たちと掴み取るために──。
誕生日の奇跡
人生には、時にドラマのような瞬間が訪れることがある。
2025年6月11日、脇坂泰斗は、自身30歳の誕生日に、ホームU等々力でバースデーゴールを決めていた。
試合後、脇坂はロッカールームに戻って、すぐ携帯を確認し、第2子となる長男が生まれたことを知った。
「お昼ぐらいに生まれるんじゃないかということだったので病院に寄って会って試合に向かえたらいいなと思っていたのですが、まだ時間がかかりそうということで、病院から試合に向かいました。その試合、僕はベンチスタートで、ハーフタイムに普段なら絶対しないですが初めて携帯を見て、まだ連絡がなくて。後半から試合に出ることになり、試合中はもちろんプレーに集中していました。ゴールも取れて、試合にも勝って、ロッカーに戻って携帯を見たら、妻から連絡が来ていて、生まれたことを知りました」
状況を伝えていた長谷部監督から、締めの挨拶を促された脇坂は、チームメイトに自身の誕生日であることと子どもの誕生を伝え、祝福された。
その後、妻とのやりとりから自身のゴールと子どもの誕生時刻が近いことを知り、クラブスタッフに確認してみると、同時刻であることがわかった。
「6月11日、20時24分。自分の誕生日に試合があり、ゴールを決められたうえに、ちょうどその時間に長男が生まれた。こんなことってあるんだな。いろんなものが重なった奇跡で、絶対に忘れられないだろう30歳の誕生日になりました」
6月25日、J1第15節ホームU等々力でのアルビレックス新潟戦では、自身のJ1通算200試合出場で先制点となる見事なFKを決める。
フィールドプレイヤー全員が集まってきて、ゆりかごダンスをすることができた。
7月5日、J1第23節鹿島アントラーズ戦では、試合前に母から200試合出場記念の花束贈呈を受け、U等々力のファン、サポーターから祝ってもらった。
2025年の終わりに、自身のSNSでは、こんな風に記していた。
“チームの勝利とゴールをみんなで喜ぶことが何より大好き。そのなかでも、今年は息子の誕生日にゴールを決められたこと。発表後の新潟戦でのゆりかご。脇坂家としても、とても大切な宝物です”






分岐点
少し遡ると、2023年末は、フロンターレにとって、ひとつの節目だった。
リーグ戦で8位とそれまで数年間にわたり、優勝、もしくは優勝争いをしていたことを考えると、苦しんだシーズンだったとともに、最後に天皇杯優勝という意地を見せ、報われた場面もあった。
チームの成績はめざしていたものに及ばなかったが、脇坂自身は3年連続となるベストイレブンを受賞している。
質の高いプレーをシーズン通してアベレージに披露した結果が評価されたということだろう。
あれは、秋ごろのことだったと脇坂は記憶している。
試合後、中村憲剛から声をかけられた。
「Jリーグでおさまってないぐらいのプレーをしているから、“14番”をつけているけど、気にしないでヤストが思うようにしていいんだよ」
その年のシーズンオフは、登里享平を始め、山根視来、山村和也、宮代大聖といった選手たちの移籍もあったし、長く在籍したコーチングスタッフも離れ、クラブにとっては転換期のひとつだったとも言えるかもしれない。
脇坂にとっても、海外に行くのか、チームに残るのか、その選択を真剣に考える時間を過ごしていた。
「僕のなかで分岐点でした。個人的に2023シーズンは手応えもあって、ケンゴさんからもらった言葉で、すごく楽になってフラットに考えることができたんです。あの時、ミキくん(山根視来)と電話で話していて、『俺は、行く』と彼は言っていました。僕も、いろいろ考えました。いろんな人から『自分のキャリアのことを優先して考えたら?』というアドバイスや声をかけてもらいました。でも、正直あんまりしっくりこなかったというか。自分がめざしたいところに行くために海外に行くというのは、自然な流れだと思います。でも、その時の僕は、自分のためを思っても、フロンターレでプレーしたい気持ちが強かったし、フロンターレでタイトルが獲りたいんだよなぁって。それだけフロンターレのことが好きなんだなと感じました」
脇坂の口から聞く言葉としては、いい意味での驚きがあった。
フロンターレが好き。
それはどんな気持ちや感情があるのだろうか。
「うーん…。難しいですねぇ」と、プレーのことを話す時のような雄弁さではなかったが、考えながら話を続けた。
「たくさんあるので。フロンターレでプレーしている自分が好きだし、等々力が好きだし、いろんな好きがあるんですけど。やっぱりかけがえのない存在ですね。フロンターレって。だから、その時は、フロンターレ以外でプレーしている自分が想像できなかった」




川崎フロンターレ
2026年の今年、フロンターレは創設30周年を迎える。
脇坂は、2011~2013年にかけてフロンターレU-18に所属。その年、U-18のセレクションを受けて合格したのは脇坂ひとりで、その報せを受けた電話の向こうにいたのは、現フロンターレU-15生田監督の久野智昭だった。高校生からアカデミーに所属した脇坂だったが、3年の時にキャプテンに抜擢されている。1学年下には板倉滉と三好康児がいて、2学年下には三笘薫がいた。
アカデミーで3年間を過ごし、「帰ってきてほしい」と言って送り出され、阪南大学へ進学。2018年にフロンターレでプロキャリアをスタートした。
2017年、フロンターレ毎年恒例の春の綾町キャンプに参加していた脇坂は、大学の関係で途中でキャンプを後にするため、空港までスカウトの向島建と伊藤宏樹(当時)とともに車中にいた。
「うちは獲るから。ヤストの考えはどう?」と向島が口を開いた。
「フロンターレに行きたいです」
空港で、ひとりその喜びを噛み締めた。ここにいる人はまだ誰も知らないけれど、俺は子どもの頃から夢見ていたサッカー選手になる夢を叶えたんだ。フロンターレに入れるんだ。そういう気持ちで胸がいっぱいになった。
「なんか…、夢が叶った瞬間でした。ふわふわした感じで、もちろんスキップしたわけじゃないですけど、心がなんだか、ふわふわしました。やった!というのとも違うし、これから始まるんだという引き締まる気持ちと、うわぁっていう気持ちと、いろいろでした」
大阪の空港に着くと、子どもの頃からずっと脇坂を応援してくれた母にLINEをした。
「決まったよ。今までありがとう」





歩んできた道程を辿ってみると、アカデミー3年+プロ9年目。大学時代もフロンターレを感じていたであろう期間も含めると、フロンターレ30年のうち、約半分の長さは関わりながら過ごしてきたことになる。そう伝えると「大学時代を入れるのは、ちょっと無理やりですけどね」と笑いながらも話を続けた。
「でも、7歳からサッカーを始めて、今年僕は31歳になるので、24年サッカーをやってきたうちの半分はフロンターレの選手ということにはなりますよね。だから、間違いなくフロンターレで過ごしてきた時間が人生で一番長いとは言えますし、クラブのいろんな歴史は見てこられたのかなと思います。僕自身は昔の苦しい時代のフロンターレを直接経験はしてないですが、アンテナを張ってきたつもりだし、例えば(中西)哲生さんと食事に行った時に聞かせてもらったり、アカデミー時代に、クラブの歴史を学ぶ機会がけっこうあったんですよ。観客があまりいなかった時期があったのは、僕も子どもの頃から知っていたし、クラブハウスがプレハブだった時代もU-18の時に練習参加させてもらっていたので、知っています。先ほどは、大学時代をカウントするのは無理やりだと言いましたけど(笑)、実際、(スカウトの向島)建さんに何度も試合に来てもらっていたし、半年に一回ぐらい食事に行かせてもらったり、ケガをした時には、すぐ手術の段取りまでしていただき、お世話になりましたからね」
2017年、フロンターレが初優勝した時に大学4年生だった脇坂は、練習が終わるとすぐにひとり暮らしの部屋に帰り、優勝が決まった瞬間を映像で観て、自然と涙が出てきた。「この中に入りたいな」と感じていた。
そういう時間を過ごしてきた脇坂が思う、“フロンターレらしさ”というのは、どういうものなのだろうか。
「それは、僕がU-18の3年間で感じたものがすべてかな」
キッパリとそう回答した。
「だって、横浜市で生まれ育ったサッカー少年が、川崎市のフロンターレU-18に高校生で入って、僕にとってはたった3年間でしたけど、それでこれだけのフロンターレ愛が身につくってことは、それだけのものがあるっていうことだと思います。その頃、よく感じていたのは、フロンターレは、みんな温かいですよね。もちろんコーチングスタッフもそうだし、トップチームの練習に行けば時には厳しく教えてくれるし、僕たちユースの試合結果を知ってくれていたりする。試合では、事業部スタッフが来てくれたり、サポーターが駆けつけてくれてトップチームと同じ応援歌を歌ってくれて、フロンターレを感じさせてもらっていました。それは、やっぱり好きになりますよ。トップチームの選手たちも、サッカーだけをしているのではない姿勢が、本当の意味でかっこよかったし、積極的に声もかけてもらいました。だから、卒業する頃には、自然とフロンターレに帰ってきたいと思っていました。
その後、プロになって最初の頃は、ただただ必死にやっていました。でも、プロっていうのは、一番は自分が望めば環境を変えられるっていう要素が大きいと思うんです。だから、いろいろありますけど、自分が9年ここにいるってことは、ここで成し遂げたいことやプレーする幸せを常に感じているからだと思うし、それは在籍している年数が物語っていることだとは思います」
脇坂泰斗と中村憲剛
2023年の秋に、中村憲剛がかけた言葉というのが印象に残った。
「Jリーグでおさまってないぐらいのプレーをしているから、“14番”をつけているけど、気にしないでヤストが思うようにしていいんだよ」
おそらくいろんな状況や、脇坂の気持ちがわかるからこそ伝えた言葉なのだろうとは感じたが、本質的なところは想像をはるかに超えた内容だった。
「言葉通りなんですけどね。Jリーグでも抜けているプレーをしていましたから。でも、言葉をかけた意図としては、もしヤストに外に行く選択肢があった時に『14番を継いだのに…』と彼が思ってしまっているなら、それは違うよと前任者として言ってあげた方がいいと思いました。もちろん、選択するのはヤスト自身で、結果的に今、彼はフロンターレでプレーしている。だけど、そういう選択肢を与えてあげたかったというのが僕の本心ですね」(中村)
脇坂の気持ちを聞いていたわけではなかったという。ただ、きっとそういう気持ちを背負っているんだろうと察してかけた言葉だった。
「ヤストの本心は、わからないですよ。でも、彼は身近にいた同期や後輩たちがフロンターレを出て海外でチャレンジし、代表でも活躍する姿を見てきたわけで、見送る側、残された側としての寂しさや選手としての忸怩たる想いはあったでしょう。チャレンジしたい想いを彼がどこかに抱えていることは、フロンターレのサポーターの方たちも理解していると思います。僕自身も現役時代に一度だけ、海外に行くことを真剣に悩んだことがあったので、気持ちはわかります。外に行くことを悩んだり選択したからフロンターレに対して気持ちがなくなった、というわけでは決してありません。ただ、選手としては、そう思われてしまっても仕方がない局面でもあるので、移籍を悩んだり選択する選手は、苦しい部分があると思います。『ヤストとタイトルが獲りたい』というサポーターの気持ちも伝わってくるから、なおさらです。フロンターレでプレーをして、ここで成長して、活躍するほど、選手個人としてチャレンジするチャンスも生まれるし、そうしたくなる気持ちが出てくるのは当然のことだと思います。それに、フロンターレのためにも頑張ってやってきた結果そういうチャンスや選択肢が生まれるわけで、ある意味、矛盾したものを抱えながら、きちんと誤解を与えず伝えられるかというと難しいことだと思います。しかも、未来のことはわからないので、無意識に口にすることを躊躇してしまうことも、もしかしたら言いたくても言えない気持ちもあると思うんですよね」

脇坂が「分岐点」と言っていた選択のプロセスや、中村からの言葉で「すごく楽になった」と言っていた理由、すべてを理解することはできないかもしれないが、「フロンターレが好きだから」という言葉だけでは表せない状況や感情があることは中村の話を聞き、伝わってきた。
「そうなんですよ。だから、僕はヤストにそういうことも全部ひっくるめて、あの時期、あの言葉を伝えたんです。ヤストにそれを伝えてあげられるのは僕だろうと思いました。僕自身が14番をつけてきた前任者で、僕の姿を彼は見てきたわけだし、どちらかというと、14番をつけたことは、負担の方が大きかったと思います。ヤスト自身は、そういう覚悟を持って14番をつけたのに、前任者の僕だったり、ファンやサポーターの皆さんが、海外に行きたい気持ちも自分の中にあると知ったら…、と逡巡するものもあったかもしれない。でも、そうじゃないんです。ただ頑張ってやってきた結果、そのチャンスが来ただけですから。だからこそ、言ってあげないといけないなと思いました」
脇坂のサッカー人生には、こうして中村憲剛の存在は要所に出てくる。
2018年に川崎フロンターレに加入した脇坂が、なかなか試合に出られなかったルーキー時代にも、コツコツと自分の課題に向き合い、武器を磨き、向上心を持って取り組み、リーグ戦で初スタメンとして出場したのは2019年5月3日第10節ベガルタ仙台戦のこと。この試合で、小林悠のゴールを含む2アシストを決める活躍をみせ、存在感を発揮した。
そしてこの年、トップ下のポジションを2年目の24歳になる脇坂と39歳になる年のベテランの中村が競うような形で、試合に出ていた。
その経験は、若き日の脇坂にとって、「自分らしさとは何か」を考える原点にもなっていたと今、振り返る。
「最初の頃は、ただただ必死で“自分らしさ”が何かなんて考えたこともなかったです。2019年に試合に出始め、トップ下でポジションがひとつしかないなか、自分が試合に出るためにどうするかって言ったら、ケンゴさんの真似事をしていたらケンゴさんの方が精度も高いし、見えているものも多いので適わない。当時はまだ、ゲームメイクだったり全体を操る感じのプレーはできなかったので、がむしゃらにゴールに向かっていくことや怖さを出すっていうことが“違い”ではないかなとか考えました。そこが原点なのかなと思います。あの頃、ヒデ(守田英正)や(田中)碧たちと切磋琢磨しながら、1試合に懸けて結果を残すんだって野心があったし、そこで実際にゴールが取れていた部分はあったと思います。本当に僕は必死でした。だって次の試合に出られるかわからないじゃないですか。だから、いかに出た時間で結果を残すかを意識していました」
2019年、すでに自分の引退時期を決めていた中村は、選手としてはチームメイトと競争することで自身も成長し、ポジションを獲る意欲も感じながら、同じポジションの脇坂に、アドバイスも惜しまなかった。たくさんのことを教えてもらった記憶は脇坂の中にも残っているし、与えられるだけではなく、自分から貪欲に吸収しようと行動していた。
「ひとつのポジションを争わないといけないけど、もちろんケンゴさんはライバルではないので、ボールまわしとかでは常にケンゴさんのところに行って、プレーを吸収しようとしていました。“違い”を出すとは言いましたけど、足りないものは吸収しようとしていたことで、僕の引き出しは増えていったと思います。いろんなサッカーに触れてもっと勉強したいという意欲を持ってやってきたからこそ、若い頃から、先輩たちから吸収したり自分が成長することには貪欲だったのかなと思います」
背番号が「28」→「8」→「14」と代わり、脇坂自身の成長とともに、“自分らしさ”も当然、進化してきたと言えるだろう。
「そうですね。プロとして積み重ねていろんな経験をしたことによって引き出しも増えている分、状況に応じて引き出しを開けていく作業が大事だと思うし、自分らしさの深さは、広がっていると思います。最近でいうと、昨年は、監督がシゲさんになり、そういう中でまた新しいことや違うサッカーから成長できたところも、プレーの幅が広がってきたことも感じています。今感じていることは、いろいろありますけど、基本はサッカーを楽しみながら勝つためにゴールやアシストをすることが一番の自分の強みだと思っているので、それを出したいというのがシンプルな話です。そして、そのなかで手段はいくつも持っているのが自分だと思うので、その手段を駆使して相手を上回っていきたいです」


キャプテン
2023年シーズンオフ、フロンターレでプレーをすることを選択していく過程で、脇坂の頭には、こんな考えも浮かんできた。
「キャプテンをやってみたいなと思ったんです」
その気持ちを誰かに伝えたわけではなかったが、キャンプ中に鬼木達監督からの打診を受け、脇坂はキャプテンに就任することになった。
「でも、やっぱり2024年は、苦しかったです。シーズン通してキャプテンをやるのは大変なことなんだなって初めて感じました。それまでしたことがなかった肉離れをシーズン終わりにして離脱しましたし…。健人もキャプテンになり苦しんでいるのはわかったし、悠さんは、悠さんらしいキャプテン像を見つけて、プレーや熱量で引っ張り、天然な部分で和ませてくれる感じでした。ショウゴさんは、“ザ、キャプテン”っていう引っ張り方で、純粋に“キャプテン”っていうもので見た時に、やっぱりショウゴさんはすごいな。僕は、そうはなれないとすぐに感じていました。ただ、いきなり見つかるものでもないし、こういう感じかな。ちょっと違うな。という繰り返しで、2024年より2025年は自分の色を少しは出せたのかなと思います。でも、まだ正直に言って、定まっているわけではないです。ただ、ひとつ思っているのは、チームを勝たせたいとかチームを一番に思っていることは、絶対。それを欠かさず持っている気持ちはあるので、そこがあれば大丈夫かなと思います」
チームとして過ごしていくなかで、チームメイトとの関係性においてもまた、時間を重ねていくことで得られた変化もあった。
2026年キャンプ期間中には、こんなことを話していた。
「こうかな、これじゃダメかなとかそういう繰り返しだと思うので、もちろんチームメイトが変われば対応が変わる部分も当然あるし、キャプテンとしての振る舞いは、シーズンが変わるだけでも多少変わるものだと思います。フロンターレには、僕より上に、アキさんも悠さんも僚太くんも丸くんもいる。先輩たちには頼りっぱなしだし、そういう存在がいてくれるのは本当に助かるし、これからも頼っていこうと思っています。
2024年は、キャプテンとして自分がこうしようとしすぎた部分があったなと感じていました。そういう意味でいうと、2025年はすごく助かるなというか頼もしかったのが、旭だったり、悠樹だったり、達哉の存在でした。本当に頼れるし、試合や練習の合間や食事中の会話も増えました。年下で頼れる存在ができたことは、嬉しくて。その3人の存在はとくに、僕のなかですごい助けになっていて信頼できる後輩なんです。そういう話もケンゴさんにしたら、『俺もキャプテンとして苦しんできたから、悠とかショウゴがそういう存在になったんだよ』って話してくれて。もちろんケンゴさんの場合は年長者だし状況も違うので、僕とリンクさせるのは違うと思ったんですけど、そういうことって大事なんだなって感じられました」
その話をしている時の脇坂が、笑顔でとてもうれしそうだった。
同時に、中村憲剛が、長く務めたキャプテン時代に、年が離れた生え抜きの選手たちの手を引っ張りながら成長を見守り、2017年に初優勝した時に、自分の後にキャプテンを担った小林悠をはじめとする「頼れる後輩たち」の存在を嬉しそうに話していた姿とも、やっぱり重なるところがあった。



頼りになる後輩の存在
副キャプテンを2年連続務める佐々木旭、昨年、チーム内の得点王として引っ張った伊藤達哉の存在。
ここでは、ポジションが近い関係性にある山本悠樹について話を聞いてみた。
脇坂が言う。
「相手から見たら、僕と悠樹、両方つぶすのは難しいと思うんです。悠樹とは、お互いに常に声をかけなくても目がめちゃくちゃ合うし、例えば相手のボランチが僕を意識していたら、悠樹がフリーになる立ち位置を取れたり、その逆もある。それに悠樹から学ぶことも多いんです。悠樹は、狭いところには行かずにフリーな立ち位置を取る。そういうプレーがしたいんだと理解できたことで、自分のプレーの幅も広がったと思います。例えばゴール前などで狭い局面は必ず起きるので、そこは自分が培ってきたものが必要ですけど、悠樹はピッチを広く使ったり、ロングパスもめちゃくちゃうまい。だから、それをチームとして有効なタイミングで出せるよう立ち位置を考えることもある。相手が絞りづらいような立ち位置や距離感でできるのは僕と悠樹だと思うので、相手からしたらやりづらいんじゃないか。それがチームの武器のひとつになっているとは感じています」
脇坂と山本は、プレーの局面だけではなく、試合の中で、チームが向かう方向性を発信し合える関係性でもあるようだ。
「そうですね。ハーフタイムとかに修正する時に、自分と一緒に先頭に立って言ってくれるし、賢い選手なので、監督がやろうとしていることも、理解してくれていることは大きいですね。それを僕らが率先して理解して、時にはピッチ内で微修正しなければいけない立場だと思うし、逆にその部分が甘くなると難しくなってくると思うので。あとは、関係性で言うと、他の選手たちももちろんそうですけど、試合後に食事に一緒に行ったりして、そこではしょうもない話もするけど、サッカーの話もみんなとけっこうしていますね」
一方で、山本悠樹は、どんなことを感じて、考えているのだろうか。
脇坂が「信頼している後輩」と言っていたことについて、「それは、嬉しいですね」と言って、話をしてくれた。
山本がフロンターレに移籍してから2年が経ち、とくに2025年の山本自身のプレーの質やチームに対する貢献度などからも、自ずとピッチ内外での関係性は近くなった面もあっただろう。
「そうですね。昨年ぐらいから、ピッチ内外でよくしゃべるようになって関係性は近くなった感じはします。最初は、ポジションが近いし、こちらが思ったことを伝えた時に、ヤスくんはわかりやすくアクションしてくれるので、そういう中で話す機会が増えていきました。関係性のところで言うと、ボランチからボールを引き出す能力が長けていると思うので、そこを見つけてあげられるようにということは日頃から意識していますし、あそこで前を向くと相手も下がらざるを得ないというか、そこがちょうど浮いているポジションなので、どうボールを届けるかというのは、試合のなかではけっこう考えています」
「そういうなかで僕が勝手にですけど、ヤスくんに感じたこともあって」と言って、こんな話を続けた。
「フロンターレと言えば、ヤスくんっていう感じもあるし、キャプテンもやっていろいろ背負っているんだなということは僕が移籍した年から感じていましたけど、昨年は一緒に試合に出る立場になって、もう少し、いい意味で(背負っているものを)軽くしてプレーしてくれたらいいなと僕は思っていました。そういう気持ちも込めて、自分自身も、より頼もしくならないといけないし、ヤスくんがどう思っているのか、ということもこちらから聞くことも増えたと思います。あえてそんなことは伝えてないですけど、僕個人としてはそう思っています」
もうひとつ聞いてみたいことがあった。
脇坂は、自他ともに技術に秀でた選手であるとの認識があるが、山本は、脇坂のことを、クラブが発信する動画のなかで、「ヤスくんは、“能力”がある」と評していたからだ。
「僕は、大学時代から関西学生リーグで試合に出ているヤスくんのプレーを見ていたので、テクニシャンでゴールもアシストもできる、というイメージを持っていました。でも、プロに入って一緒のチームでやってみたら、それだけじゃないというか全然違っていて、イメージがガラッと変わりました。もちろん技術で勝負している選手だとはわかっていますし、それが特徴だと思いますけど、推進力もあって、一瞬のクイックネスとかトップスピード、そういうフィジカル的な要素が、こういうタイプの選手にしてはやれすぎているっていう印象ですかね。そういうことも当たり前に高いレベルでできるというか。守備のタフさとか走る能力も出て行った時の速さもある。僕、僚太さんもそうだと思っているんですよね。あのふたりは、技術もあるけど、能力もあるよなって僕は思っています」

では、山本から感じる脇坂は、どんな人なのだろうか?
「ヤスくんは、いいお兄ちゃんって感じですね。けっこう悠さんとか丸くんとか上の先輩と仲がいいイメージが最初はあったから、97年世代ぐらいまでが中堅で、ヤスくんからは上の先輩という感じの括りがなんとなくありました。でも、2025年の終わりぐらいから僕たちとか、下の世代とかもそうだし、仲良くしていて、後輩の面倒見もいいなと思います」
山本自身も、試合にコンスタントに出て自分が引っ張る立場であるという自覚や、チームやチームメイトにもっと関わろう、貢献しようとしていることが言動から伝わってくる。
「それは確かにそうですね。移籍してきた時は、やっぱり自分が試合に出てどう活躍するかをまず考えていましたし、2025年はコンスタントに出させてもらっていたなかで、勝てない試合もあったし、ヤスくんがそういうなかですごく背負っている部分を普段からも感じていました。それはいいことでもあるだろうけど、例えば、僕や旭や達哉とかが年下の選手たちを引き上げることをやれると、ヤスくんが下までおりなくていいというか、それが重荷になるのは違うのかなと昨年感じるところもあったので、その辺は僕たちもやらないといけないことですし、それでチームとしていい方向にいけばいいのかなと思います。そうすれば、ヤスくんも、自分のことにも集中しながらチーム全体を引っ張ることにフォーカスできるんじゃないかなって。あの人は、そういうことは言わないと思いますけど、アカデミー出身者でチームに対していろんな想いがある分、その辺をうまく支えてあげられたらいいのかなと、日頃から考えてはいます」
2025年から2026年へ
2025年は、様々な出来事がチームにとっても脇坂個人にとってもあったと言えるだろう。
冒頭に述べたように家族にまつわることも、アスリート個人として現役選手だからこそ与えられる影響力や貢献できることも理解して、ファンコミュニティを発足したり、自身の出身クラブであるFC本郷にチームカラーの黄色の練習着を贈呈するなどの活動も行った。
「個人の活動のところでいうと、サッカー選手としての知名度は注目されている時だからこそできることもあると思うので、積極的に活動していきたいというなかで、やらせていただきました。中でも、FC本郷は数年前に50周年を迎えて、個人としても何かしたいと思っていて、試合では黄色のユニフォームなんですけど、練習は各々好きなものを着ているので、何か揃っていたらかっこいいんじゃないかと考えてプーマさんにも協力してもらいました。子どもたちは未来のサッカー界を引っ張っていく存在だし、少しでもFC本郷に入ってよかったと思ってもらえたらうれしいです」
そして、シーズン終わりには、長くともに過ごしてきた選手たちとの別れもまた経験した。
「長くやっていればシーズンが終わるタイミングで何かがあることは自分自身も含めてわかってはいるし、それでも、当事者となる人それぞれが感じることや経験は違うから、全部はわからないけど、想像できる部分はあるのかなとは思います。でも、引退に関しては、決意した選手が次に向かう期待やワクワク感もあると思うし、一方の残される僕たちはやっぱり寂しさがあるので、そういうギャップは毎回あります。やっぱりお世話になった人たちが引退したり退団することは、受け止めるのが難しいものだし、何回経験しても、いやだなというか寂しいですね」


戦いに目を向けても、2025年は、ACLEファイナルズでの準優勝で、悔しさも味わった。
ベスト8の先へ、というクラブの歴史を塗り替えたのは、足を攣らせながらも延長で決めた脇坂のゴールで、そのことを「ヤストが若い頃にはなかった泥臭いゴールだった」と兄のような存在の小林悠が喜んでいたことも印象的だった。
2025年は、その他の大会も含めて、悔しさの残る結果だったと言えるだろう。そういうなかでシーズンオフに入り、新たな年を迎えるにあたり、どんな心境があっただろうか。
「やっぱり2025年はすごく悔しい想いをしたので、2026年を迎えるに当たり、自分のどういう姿を見せたいかっていうのは一番頭にあって、そのためにしっかり休もうと思って過ごしました。力を貯めるため、というか。特別シーズンは約半年ですが、その後も考えると1年半と捉えることもできるので、そのために休もうと思いました。
また、キャプテンかどうかなどを抜きにして、昨年の自分を1年通して見たなかで、もっとできるだろうなとすごく感じました。7ゴール8アシストという結果も中途半端だと思いますし、ACLEに懸けていた分、夏場ぐらいの失速は自分に原因があるとすごく感じていました。僕の出来がチームの出来に直結するっていうのは本気で感じていますし、そういった意味でいうと、チーム内の立ち位置などは抜きにして、“脇坂泰斗”というプレイヤーとして、もっと圧倒的じゃないといけないし、その上で“キャプテン”などの役割がついてくるようにしたい。そうしないと、チームも上がっていかないんじゃないかというのは感じましたし、引っ張り上げるような力は足りなかったと思うので、そこは2026年は自分自身やっていきたいなと感じています。
また、毎シーズン、置かれる状況や自分の持っている知識、世界のサッカーも変わっています。2025年は監督がシゲさんになり、コーチングスタッフも代わり、自分も学ぶなかで、サッカー観がアップデートしたり、成長できている部分もあります。とくに守備の部分だったり、チームとして狭い局面で打開する力は以前からありましたが、立ち位置などで味方を導いたり、そのスペースを味方に使わせるという部分は、成長できたところだと感じられました。僕自身は、運動能力と言われるスピードやジャンプ力やパワーは、Jリーグのなかでそんなに高い方ではないと思うので、知性だったり、技術の方で、より突き抜けたいなと感じています」
そして、2026年。
新たな選手たちも加わり、始動した。
キャンプが終わったタイミングでは、こんな風に脇坂は話していた。
「昨年を経て、監督がやろうとしていることを理解している分、今年はお互いに要求のレベルが上がり、監督からも、こうしてほしいという提示はありますし、昨年以上に高い基準の話ができているので、そこは明らかに昨年とは違うと感じています。元々いるメンバーと、新しく選手たちが加わってくれたので、そこを組み込みながらも進んでいると思います。加わってくれた選手たちは、対戦して力があると感じていましたし、仲間になれてひじょうにうれしいし、楽しみです。それは、サポーターの皆さんもそうだと思います」
タイトル
2026年、3年目となるキャプテンに就任し、麻生グラウンドで「キャプテンとか副キャプテンとか、ベテランとか若手とか、いろいろありますけど、ピッチに入ったら関係ないと思うので、リスペクトし合いながらも、言い合えるようなチームじゃないと、やっぱりタイトルは取れないと思う」と、チームメイトに伝えていた。
今年は中村憲剛がコーチとしてチームに入り、これまで以上に、近い存在として、トレーニング中やピッチで個人的に要求される場面も増えるだろう。
中村とはまた違った視点で、近くで見てきた小林悠は、脇坂のことを「特別な存在」だとして、こんな風に言っていた。
「僚太とかノボリ(登里享平)とかは一緒に育ってきたという感覚が強いですが、8歳年下のヤストは、僕が30歳の頃に新人として入ってきて、キャプテンになるまで成長する姿を一番見てきた存在なのかなと思います。1年目に試合に出られなかった頃も知っているし、ケンゴさんと同じポジションで奪ってやろうという姿も見てきた。今は、そういうヤストがキャプテンになって、同じポジションに大関という若手がいるのも面白いなぁと思います。そうやって、フロンターレが回っていくんだなぁって」
2024年、脇坂がキャプテンに就任した初年度には、小林が副キャプテンになって支えたこともあった。役職があるかどうかにかかわらず、小林がそういう存在であることには変わりないだろう。

「何かの記事でヤストが『自分がMVPになるぐらいに突き抜けないと』と発言しているのを目にしましたけど、ヤストなりに頑張って上をめざしているんだなと思うし、彼がそういう活躍ができればタイトルが近づいてくると本人もわかっているんだなと感じました。だからメディアの皆さんの前でもそういう発言をして、自分にプレッシャーを与えているのかな。
でも、僕からすると、外に見えているヤストよりも実際は人間くさい部分があるし、まだまだヤストに甘い部分があることも知っているので(笑)、まだ支えてあげたい存在でもある。いい意味でかわいいし、弟みたいな感覚でもあるので、あいつが何か道を外しそうになったら、厳しく言わなきゃいけないのは自分の役目なのかなと思ってます。
ヤスト自身、自分がキャプテンになってから、まだタイトルが獲れていないことは、気にしている部分があるだろうし、あいつが欲しがっているのもわかるので。キレイなだけじゃ獲れないものだと多分わかってるから、そういうヤストも出していってタイトルを近づけていってほしいなと僕は思います。本人が一番獲りたいって思ってるだろうから、僕もしっかりサポートしたいですね」
やっぱり、タイトルは、格別であり特別なものだ。
脇坂はこんな風にそのことを表現していた。
「タイトルって、毎回違う嬉しさなんですよね。贅沢なことに、プロに入った2018年、試合に絡めていないなかでも連覇を経験して、2019年は試合に出始めてスタメンで出たルヴァンカップの決勝で、個人的には苦い思いもあるし結果を残せなかったけど、優勝を経験できた。2020年はチームメイトとポジション争いしながら優勝を経験し、2021年は年齢が近く切磋琢磨してきたメンバーが何人も抜けたなかで優勝した。2023年は苦しいなかでの天皇杯優勝だった。毎回タイトルというものは違うものだし、サッカーの内容などは、いい、悪いと評価はいろいろあると思いますけど、やっている段階では評価って定まらないというか、後々振り返ってみたら、いろいろ言われるものだと思うんです。でも、タイトルは優勝という結果でしかないし、だからこそそこに関わるプロセスがいい。もちろん、タイトルを獲るためにやっているんですけど、その内容は優勝することで、正解に代わるというか。例えば2位になって、すごくいいサッカーをしていたとしても、“いいサッカーだよね”っていう評価は、バラバラで定まらない。だから、やっぱりタイトルは特別なものです。ましてや中心選手としてプレーさせてもらってからの優勝は少ないので、より獲りたいという想いはあります。もっとタイトルを獲りたい。言葉にするのは難しいんですけど。
それに、優勝した後の、ひとつになる感じがすごく好きなんです。サポーターの皆さんもあの感覚を味わいたいなと思っているだろうし。本当にわちゃわちゃしたあの感じが好きで、それをやっぱり味わいたいです。それに、こういう会話の中なので言いますけど、新しい選手たちもタイトルを獲りたくてフロンターレに来てくれている想いが強いと思います。これまで優勝した年、してない年、いろいろありましたけど、やっぱり本気で優勝をめざしている人が多いほど、そういう方向にチームは向いていくと思うし、それが間違いなくあるので、そういう雰囲気を作っていきたいなと思います」
突き抜けろ
最後に、今年はどういうことを大事にしていきたいか、と聞くと即答した。
「強いフロンターレを見せたいです」
──「強い」とは?
「結果ですね。勝つためのプロセスとか勝ち方の引き出し方とか、もちろん選手の能力も含めて、そういったプロセスは踏んでいると思っています」
──それを目指すなかで、個人的に何を大事にしていきたいですか?
「際立たないといけないと思っています。ピッチ上で」
「守備も攻撃も、もちろんキャプテンとしても。ただ、何でもひとりでできると思っていないし、何でも自分でできるとも思っていません。チームの中に“自分”がいるのは分かっているので、そのための働きをしていきたいです」
そして、こうも言っていた。
「あんまり考えすぎないようにしてます。いろいろ考えたし、迷ったし、いい時期も悪い時期も経験したので、そこのフェーズを脱したのかなと思います。今は、経験してきたことを、どう使っていくかの段階だなと。試合の状況、ピッチ内外、いろんな状況があるなかで、経験してきたことをどう使うか。そのなかで、新しい発見があったら自分のものにしていきたいです」
サッカーを楽しんで、突き抜ける存在に。
ともに高みをめざす仲間たちと掴み取るために──。







profile
[わきざか・やすと]
川崎フロンターレU-18出身。繊細なボールタッチと柔らかい動きで前を向きチーム全体の攻撃のリズムを作る攻撃的MF。狭いスペースでも冷静に相手の急所を見定めボールを送り込み、機を見て自らもゴール前に入り込みフィニッシュに絡む。2024シーズン以降3年目となるキャプテンを担う。
1995年6月11日、神奈川県横浜市生まれニックネーム:ヤスト