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ピックアッププレイヤー

 2008/vol.07

ピックアッププレイヤー:MF4/山岸 智選手

原点は、小学生のとき単身留学したブラジルにある。
テクニックはチーム随一。
フロンターレの下部組織から育った生え抜き選手。
木村祐志のサッカー人生とは?

01 東京都港区に創立26年目を迎える風の子サッカークラブがある。港区は、都内でサッカー少年団の数が少ない地域だ。だが、木村の場合、2歳年上の兄と一緒に3歳から、この風の子SCでサッカーを始めた。本人にハッキリした記憶はないが、周囲に言わせるとそのときから楽しそうにボールを蹴っていたのが祐志少年だった。

 3歳のとき、兄と一緒にクラブに入ったときから木村を知る南雲美紀夫(風の子SCヘッドコーチ)は懐かしそうに振り返る。
「小さいときから、とにかくサッカーが大好きでよく練習していました。自分の学年で練習し、兄の学年の練習にも一緒に参加してました。テクニックは昔から秀でていて、いまのサッカースタイルの基礎が当時からできあがっていましたね。性格的には、クールな感じというのでしょうか。みんなと仲はいいけど、はしゃいだり、率先してみんなを引っ張る感じではなくて、一歩引いている。ただ、サッカーのときはプレーでリードするような子でしたね」

 南雲が語る印象は、いまの木村にも通じるところがある。サッカーとなるとタフさがあるというか、真っ直ぐに向かっていくところが木村にはある。南雲はさらに続ける。
「サッカーでは厳しい一面がありましたね。チームメイトにもパスを出したら反応してほしいということをプレーで要求するようなところがありました。サッカーばかりやっていましたけど、かといって勉強もちゃんと両立している頑張る子でしたね」

 ある時、木村に最初の転機が訪れる。
小学6年の夏のこと。父親の知人から誘われ、フルミネンセのジュニアチームに留学することになったのだ。父親からその話を聞いたとき、木村は即答した。
「僕、行きたい」
日本からブラジルまでは一人旅だった。途中でトランジットして、そこからブラジルまで。怖さやドキドキ感はまったくなかったというから、タフな少年である。ブラジルに飛行機が到着すると、空港に父親の知人が待っていてくれた。1週間程度ブラジル観光を楽しんだ後、フルミネンセの寮に入った。さぞかし、ホームシックにかかっただろうと想像すると、答えは期待外れなものだった。

「楽しかったですね。まったく寂しくなかったです。寮にはいろんな年代の人たちが住んでいたんですけど、日本人が珍しかったらしくよく囲まれましたよ。すぐに馴染みましたね。練習も向こうの同じ年代の子たちはすごくうまくて、サッカーやってて楽しかったです。食事も日本からいろいろと送ってくれたけど、僕は好き嫌いもないし、毎日ブラジル料理を堪能していました」
ブラジルでサッカー漬けの小学生最後の夏休みを終え、2ヵ月後、木村はまたひとり飛行機に乗って日本へと降り立った。


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 港区で木村が進学する中学には、サッカー部がなかった。これが、川崎フロンターレのジュニアユースへと入るキッカケになった。当時、木村は「川崎フロンターレ」という存在を知らなかった。近場のプロチームの下部組織をいくつか受け、たまたま合格したのがフロンターレだったのだ。

 それからの木村の毎日は、さらに忙しくなった。学校から家に帰るとすぐに下部組織の練習場である下野毛グラウンドまで通う日々が始まった。電車とバスを乗り継いで片道40分。家を早く出ていたのは、他のチームメイトよりも遠い分、時間がかかるからという理由だけではなかった。ひとり、自主練習をするためだった。下野毛グラウンドは、練習後は照明が消えてしまう。だから、自主練習をするためには練習前の時間を有効に使うしかなかった。この練習が、木村祐志のFKの技術を磨いたのである。

「小学生の頃から、人に教えられるというよりも自分で考えてプレーすることのほうが多かったですね。FKは、よく練習しました。マネしたわけじゃないけど、当時はベッカムが人気があったので、蹴り方とか向きとかテレビで観たりしていました」

 その後、木村は高校生になりフロンターレユースチームの一員となるが、この頃になると攻撃の「要」となり、さらにはFKでもチームの貴重な得点源となった。当時のことを、大場健史(現川崎フロンターレU-15監督)は語る。
「ボールテクニックに優れた面白い選手でしたね。ジュニアユースの頃から知っていますが、やっぱり祐志と(鈴木)達矢は目立っていました。祐志は、ボールに触るのがとにかく大好きでしたね。試合でも、ボールのところに必ず祐志がいて、なにかやってくれる。チームの柱として機能していましたし、プレーの選択肢が多かった。『よく、そこを見てたなぁ』と感心するプレーも多くて、将来的にも面白い選手になるなと感じていました。負けたくないという気持ちも人一倍強かったですね」
当時、ダブルボランチを組んでいた鈴木達矢も「ボールを奪ったら祐志へ、という感じでした」と振り返る。

 木村はフロンターレの下部組織でいろんな指導者に出会った。サッカーが大好きな少年は、そうして十人十色のサッカー観を吸収していった。ジュニアユースに入った頃から、漠然とプロになりたいと思い描いていたが、ユースで試合を重ねるにつれ、「10番」を背負った祐志は、ハッキリとプロ選手になることを頭にイメージするようになった。

 ユース時代には、フロンターレのサテライトの試合にスタメン出場するチャンスも得た。現役時代の今野アシスタントコーチとの2シャドーで、FKも蹴らせてもらった。ちなみに、相手チームである名古屋グランパスのGKは、川島永嗣だった。結果は1対2で敗れたが、木村にとってはトップチームの選手たちとともにプレーできた至福の瞬間だった。

「きんちゃん(今野コーチ)とか、僕がジュニアユースに入った頃からよく練習後に等々力に試合を観に行って、みていた選手でしたからね。まさか一緒にプレーすることになるとは、あのときは思いもしませんでしたから。うれしかったですね」

 高校3年の夏、トップチームに昇格できる可能性があることを木村は知った。そして、10月、うれしい知らせが舞い込んだ。それは、木村の18歳の誕生日の出来事だった。

  2008年──。

07 木村はプロ入り3年目を迎えた。今年は、ナビスコカップの千葉戦と柏戦で、どちらも残り5分程度ではあったが、試合にも出場することができた。緊張することなく、途中から入るからには結果を残そうとピッチに入った。今年のテーマに掲げている「がむしゃらさ」をとことん出そうと思った。そして、「やれる」という手応えを掴むことができた。「ボールにもけっこう触れたし、ジェフ戦のときは一度でしたけど、崩すこともできた。いい自信になりました」

 高校時代まで、「攻め」の担い手としての役割を任されていた木村は、プロに入ったと同時にふたつの課題をみつけた。ひとつは、多くの選手がプロ入り直後に感じる「スピード、判断の速さ」そして、もうひとつは守備だった。昨年までは、どうしても攻撃にばかり意識を集中してしまったが、木村本人も守備の大切さには気づいていた。試合に出るためには必ずクリアーしなければいけないことにも。そして、今年は、意識的にこれまで以上に守備に気持ちを割くことにした。それは、高畠監督からもコーチ時代からずっと言われ続けてきたことだった。

「ツトさんに守備はできるようにならないとってずっと言われてきました。今年は、寄せ方だったり追い込んでとることだったり、やってみたらうまくいくようになって守備が楽しくなってきたんですよ。ボランチは当然守備もできて当たり前。そのうえで、攻撃のセンスだったり、という部分を出していきたいです」

 高畠監督も、木村の変化を間近で見て感じていた。
「祐志を見ていると、やるべきことの整理がやっとついてきたのかなという感じがしますね。守備のこと、攻撃のこと、自分はどういう風にすべきかということがわかってきたんじゃないですかね」

05 試合に出ることを味わったいま、その喜びをまた知るために、がむしゃらにやっていきたいと木村は語る。守備も攻撃もすべて頑張って、スタメンを脅かすこと。それが、いまの目標だ。そう語る木村は、とにかく前向きで芯がぶれていなかった。
「僕、サッカーは楽しいものだと思っているんで、どんなことがあっても落ち込むようなものではないと思っているんですよね。サッカーがイヤだなぁと思ったことってこれまで一度もないし。がむしゃらにプレーすることを1年通して続けていきたいです。心が折れないように、頑張ります」

 3歳のとき、物心がつく前からボールを蹴っていた。何時間でも飽きずに、ボールさえあれば楽しかった。その気持ちをもったまま、おとなになった。そして、プロサッカー選手になった。

 木村はいまでも風の子SCやフロンターレの下部組織にオフの期間に顔を出す。そして、一緒にボールを蹴っている。
「僕が試合に出て、同じ環境にいる自分たちでもできるんだっていうことを彼らに思わせてあげたいですね。そのためにも、早く試合にたくさん出たいです」

 川崎フロンターレのホームゲーム、等々力でFKのチャンスが訪れる。キッカーは誰か。中村憲剛か、大橋正博か、原田拓か、または木村祐志か──。そんな場面が訪れたらどうするか? と木村に聞いてみた。
「自分でファウルをもらってとったFKだったら、僕が蹴りますって言いますね。ダメだって言われたら、下がりますけど…。でも、たぶん一応言うと思います。誰にも邪魔されない、唯一の見せ場なんで」

 それから、きっぱりと言った。
「みんなうまいけど、負けませんよ」

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[きむら・ゆうじ]

川崎の下部組織から所属し、トップ昇格を果たした攻撃的MF。ボールスキルやプレースキックの精度は主力選手が一目を置くほどのレベル。1987年10月5日、東京都港区生まれ、177cm/70kg
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