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ピックアッププレイヤー

2009/vol.11

〜GK1/川島永嗣選手〜

ピックアッププレイヤー:久野智昭、鬼木達、長橋康弘

かつてフロンターレ草創期を支えた3人のプレイヤーがいた。久野智昭、鬼木達、長橋康弘。
彼らはいま、フロンターレ下部組織で指導者として第二の人生を歩んでいる。
ピッチで熱く戦う姿をみせてくれたフロンターレ戦士たちは、
いま、未来へと続く選手たちと向き合っている。選手という第一章を終えた彼らの、その後の道とは──。

 フロンターレの下部組織には、コンセプトがある。「エンジョイ&プライド」というものだ。サッカーをエンジョイし、川崎フロンターレのメンバーとしての誇りを持つという意味をもつ。

 その下部組織で、かつてフロンターレの選手としてチームの一時代を築いた3人が指導者として教えている。

 長橋康弘は、1997年に当時JFLだった川崎フロンターレに移籍。ドリブル突破と献身的なチームプレーで不動の右サイドとして活躍した。2006年末、引退。

 久野智昭は、富士通サッカー部時代からの生え抜き選手で、ボランチや左サイドでプレー。FKでもスタジアムを沸かせる存在だった。2005年末、引退。

 鬼木達は、1998年に期限付き移籍、そして2000年に完全移籍し、キャプテンも務めた戦うボランチ。2006年末、引退。

 2009年7月、3人それぞれに現役引退の時以来となるインタビューを行った。彼らはいま、指導者として何を感じ、何を伝えようとしているのだろうか――。それを聞くために会いに行った。

story1.長橋康弘〜世界に出ていく選手を育てたい

1 長橋は、U-10というジュニアカテゴリーで、コーチとして子どもたちにサッカーを教えている。開口一番、長橋は、笑顔でこう切り出した。

「子どもたちは、純粋にサッカーを楽しんでいて、この年頃は上達が早いから次に会うとうまくなっていたりするんです。それが生で見られて、本当に楽しいです。僕、子どもたちにサッカーで伝えたいことがたくさんあるんですよ」 

 現役引退後、コーチに就任してすぐの時期は、「果たして自分はこれでいいのだろうか?」と自問することもあったという。それは、現役生活を終えた誰もが一度は感じる逡巡だろう。だが、そんな迷いも、子どもたちと日々接することですぐに消えてしまったという。

「自分が、向いているか向いてないのかを考える前に、楽しくなっちゃったんですよね。だから勉強しようと思えてきたし、自分が子どもたちに何ができるのかを考えるようになった。それで、サッカーを見る機会も増えたし、研究するようになりました」

 長橋が真剣に子どもたちと向き合い、彼らの将来のことを考えて、「いま」できることを最大限与えたいと考えていることが伝わってきた。

 フロンターレU-10は、試合での「勝ち負け」を最大の目標としていない。もちろん試合に勝つことは大事だ。だが、目先の勝利よりも子どもたちが「将来のためになにをすべきか」と思えることを重要視している。子どもたちの未来を見据えた上でのポリシーだ。長橋は、フロンターレのU-10監督を務める玉置と話し合いを重ねてきた。

「上手な子たちが集まっているぶん、ボールをもったらフリーの味方に簡単にはたくっていうのはすぐにできるんです。でも、自分でドリブルでいってほしいし、自分の力で全体を見渡してほしいんです。それが将来につながると思って真剣に取り組んでいるんですよね」

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 長橋は、こう振り返る。プロ選手になった自分が、かつて小学生だったとき、自由にプレーしてドリブルでひとりでゴールを取ることが楽しくてたまらなかった。その楽しさが技術につながり、プロ選手になったとき自分の武器になった。それは、自分だけでなく、プロまで行き着いた選手たちは皆、そうだったはずだ。だからこそ、自由にのびのびとサッカーを楽しむ環境を子どもたちに与えたいと考えた。

「失敗してもいいからどんどんチャレンジしてほしい。自分で限界を作ってほしくないんです」

 自由という枠のなかで、長橋が何よりも子どもたちにチャレンジしてほしいプレーがある。それは、ドリブルだ。

「僕は、ドリブルのなかにはサッカーに必要なたくさんの要素が詰まっていると思っています。ボールを扱いながら敵と駆け引きをし、状況を把握するために常にたくさんのものを見ながら先をイメージし、ボールを運んでいく。こんなに多くのことを同時にやらなくては、ドリブルはうまくいきません。それに、ドリブルのタッチは自分へのパスのようなもの。これができる選手は味方へ思いやりのあるパスが出せるはずだし、思いやりのあるボールのもらい方ができるはずです。こうやっていろいろな神経を働かせながらボールとともに頭と体を動かしてほしいと思っています」

 そして、子どもたちの未来に続く夢を一緒に見たいと長橋は願っている。

「子どもたちは、将来フロンターレのトップチームで等々力に立つことを夢であり目標にしています。そういう姿を僕も見れたらうれしいですよね。フロンターレは、こういう選手が出てくるよね、という風に言われるようになればなと思います。僕は、日本人はすばしっこい子が多いし、技術をこつこつと練習して努力できる長所があると思っています。そういう面でメッシのような選手が日本人から出てほしいし、それは可能性があるとまじめに考えています。将来、フロンターレからそういう選手が生まれて、さらには世界でも戦える選手がどんどん出てきてほしいですよね」

 そして、最後にこう締めくくった。

「僕は、いま子どもたちに混ざって一緒にサッカーをやっていますが、よいプレーはいっぱい真似してほしいと思います。そして僕自身もよい手本になれるようにいまもテクニック磨いています。50歳になってもできるように、歩いて抜けるような技術を取得中です」

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story2.久野智昭〜明日もサッカーがやりたくなるように

1 久野智昭は現在、3年間のスカウト担当を経て、今年からU-15コーチに就任している。主に中学2年生が中心となるU-15のBチームにあたるメンバーを久野は指導している。日々の指導のなかでスカウト時代に培ったものが、指導者としての考え方のベースにもなったという。

「高校1年だった選手が3年のときにどう成長しているのか、高校生が大学生になってどう変わったのか、長期間に渡って同じ選手を見られた経験が大きかったですね。その間に、自分が指導者になったらこういう練習を重ねようといったビジョンも明確になりました」

 久野は、現役引退後の人生の目標として、指導者になることを考えていた。最初に配属された仕事はスカウト担当だった。向島建とともにチームの「顔」でもあるスカウトの仕事を3年間担当したことは、いまのコーチ職にも活かされていると振り返る。

「最初は、何もわからないところからのスタートでした。上司であるタツルさんに教えてもらいながら仕事を覚えていきましたね。そのうちにひとりでも行動できるようになって、大会などがあるとホテルや飛行機などの手配をして試合に行き、気になる選手のチェックをしたり、先生方とも話をしたりするようになりました」

 向島と久野は、スカウトをする上で大切にしていていることがあった。
「技術はもちろんベースとして持っていてほしいですけど、タツルさんとは、人間性の面も大事にしてましたね。フロンターレに合った選手を獲りたいと思っていました」

 試合を何度も観にいくと、そうした人間性はプレーを観ているだけでもわかるようになったと久野は言う。
「もちろん、先生方や本人から話を聞いてという部分もありますけどね。でも、それ以前に、例えばファウルをした後、受けたときの態度とかに出るときもありますよね」

 久野が、最初にスカウティングで関わった選手たちは、2007年に加入した薗田、杉浦、養父だった。薗田も杉浦も最初にフロンターレが声をかけ、練習に参加し、ほぼ加入は間違いないとみられていた。だが、選手にとってもチーム決定はその後の人生の大きな分岐点でもあり、悩みもする。もちろん信頼する周囲の人間にも相談するだろうし、他チームが魅力的にうつることもあるだろう。

「それでもみんな最後に自分で『フロンターレでやりたい』って決めてくれて、うれしかったですね。どんな誘いがあっても、何があっても『フロンターレでやりたい』って思ってくれる選手たちに入ってきてほしいですから」

 フロンターレで長年プレーしてきた久野だからこそ、チームについて愛着をもって堂々と選手たちに語れたこともあっただろう。そうした熱意もまた、彼らにとって加入を決める手助けになったはずだ。

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 では現在、久野は担当しているフロンターレジュニアユース世代の選手たちに、具体的にはどんなことを伝えたいと思っているのだろうか。

「もちろん実生活の面やあいさつがきちんとできるなど人間性の面も大事。あとは、やっぱり技術。特徴がはっきりしていること。ボールがもてるとか、ヘディングが強いとか足が速いといった特徴に対して、技術をつけていってあげたい」

 中学生は、成長段階にあり、成長の度合いやスピードは人によって違う。久野は、それを踏まえたうえで、選手ひとりひとりの特徴を活かしてあげたいと考えている。

「例えば、体が小さい子もいれば、大きくてスピードがある選手もいる。身体能力の違いは、当然でてきます。でも、小さい選手でも、相手よりも早く動いたり裏を取ることで、相手のプレッシャーの速度を遅めることができる。そうしたことを身につけさせてあげたいですね。それに技術とハート…、全部持っていればいいけれど、持っていなくてもいい。なぜならサッカーは11人でやるもの、選手たちは十人十色で自分の特徴を極めチームとして戦えばいいと思うんです」

 そして、何よりも選手たちの「変化」に気づくことを指導者として大事にしているという。それが、中学生というサッカー人生の「過程」の段階にある彼らにとっての成長につながると考えているからだ。

「勝負はもちろん大事です。でも、結果がすべてじゃない。例え試合に負けることがあっても、その試合でチームや選手個人がどう『変化』したのかを僕が見極めることが必要なんだと思っています。チャレンジすることを恐れず勇気をもって戦った結果、負けることがあっても、そうした変化を見逃さず褒めてあげることが大切だと思っています」

 ジュニアユースの選手たちは、日々の学校生活や勉強などもあるなかで、サッカーを両立していくことになる。先日のこと、久野は学校訪問に出向き、選手たちの担任の先生と話しをする時間をもった。そこで改めて、学校やプライベートで何があろうと、サッカーをやる時間は“楽しい”という気持ちにさせてあげたいと感じたという。

「みんなサッカーが好きで続けている。学校もあって大変だし、練習に通うのに1時間以上かかる子もいれば、朝6時に起きて勉強する時間を作ってる子もいる。中学生は一番多感な時期だから、悩むことも多いと思う。きょうは、テンションが低いなぁっていうのはあいさつでわかりますよね。でも、やっぱり一番は気持ちよくサッカーをやらせてあげたい。だから、いいところを見つけて褒めてあげて、また早くサッカーがしたいなぁという気持ちで毎日、練習から帰ってもらいたい」

 最後に、久野が思い描くフロンターレの指導者としての夢について聞いてみた。

「自分の夢じゃなくて教えた子がどうなるのかっていうのが見たいですね。中学生の間にサテライトやトップチームの試合にデビューしちゃうような子がフロンターレから出てほしいし、海外まで行くような選手も生まれてほしい。僕は彼らのサッカー人生の、その通過点の1年間を担当するわけだから、うまくコーチ間のコミュニケーションをとって、流れがきちんとできるようにしたい。そのなかで成長していく手助けができたらうれしいですね」

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story3.鬼木達〜人の気持ちがわかる選手になってほしい

1「現役を引退したとき、もう自分のことで泣くことはないと思っていた」

 鬼木は、その日を振り返って言う。

 2006年シーズンで現役生活を引退した鬼木は、その翌年、ジュニアの指導者として第二の人生をスタートさせた。2007年1月22日、その翌月からユースのコーチに就任することが決まっていた鬼木は、ジュニアチーム最後の日を迎えていた。淡々と最後の練習が終わると、子どもたち全員が鬼木をサプライズで送り出した。泣きじゃくりながら、そのひとりが感謝の手紙を読むと、他の子どもたちも泣き出す。鬼木は、その様子をみながら胸がいっぱいになっていた。

「いまでも、その話をすると泣きそうになる。僕にとって、最初にジュニアで教える機会がもてたことは救われたかもしれない。まだ、手探りのなかでやってるなかで、小さい子どもたちだけど、こっちが真剣にやっていることに対して100%で返してくれた。答えが合ってる、間違っているじゃなくて、そういう必死に向き合ってくれる姿をみて、ああいう子たちと会えてよかったなぁって本当に思いますね」

 2008年2月、鬼木はフロンターレ下部組織のトップカテゴリーとなるU-18コーチに就任した。やはり、鬼木というと想像がつくのは、「熱血コーチ」の姿だ。現役時代から戦う選手としての印象が強かった。そうした姿勢は、きっとコーチという仕事に変わっても鬼木のベースとなっていることだろう。

「自分が引退して強く思ったのは、選手として真剣に戦える場があることのありがたさ、なんですよ。もちろんいま、指導者として真剣に取り組んでいるけど、選手としての戦う場は僕にはもうない。だから、いまはどれだけ苦しくてもそういう場があることに気がついてほしいと選手たちには伝えています」

 では、コーチとして鬼木が彼らに伝えたいこと、伝えていることなにか。それは、長橋、久野にも通じる話なのだが、「サッカーを楽しむこと」そして、そのための「技術」ということだった。

「厳しさも大切だと思って自分は生きてきたからそこは伝えたい反面、楽しむことも伝えたい。現役時代を振り返っても、最終的に楽しめている選手は残っていくけど、どこかで変なプレッシャーやストレスを感じてサッカー自体を楽しめなくなると、絶対にいいプレーができなくなる。それを伝えるのは難しいけど、どの世代にも共通する大事なことだと思う」

 では、技術については、どうか。鬼木は指導者となり改めて技術の大切さを考えるようになったという。

「指導者になって気持ちというものは絶対に捨てたくない部分だけど、技術がやっぱり軸になっていくものだし外せないものだと思いましたね。頑張ればなんとかなるじゃなく、頑張るのは当たり前。極論をいえば、サッカーはうまくないとつまらないし、うまくなればサッカーが楽しめるから」

 サッカーを楽しむためには技術が必要である。そして、そのうえで、いかに戦える選手になるか。それが、鬼木の考えだ。

「戦えなかったらグラウンドに立つ資格がないと思う。例えば、自分はこういうプレースタイルだからと得意なことだけをやるのではなくて、チームで決められたことのためにハードワークをして、そのなかで自分を出す。好きなことだけでは、高校生世代では通用しないというのはわかってほしいですね」

 それは、鬼木の経験から出てくる言葉だった。

「うまい選手はいくらでも見てきたけど、せっかくうまいのに走れなくて試合に出れないとか、走れないから走れるディフェンスに完封されちゃうとかって悲しいじゃないですか。技術はあるんだから。だったら走れるようになればいい。だから、走れるというのはキーワードですね」

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 それは、つまりチームが機能するためにあと一歩足を出せるか、苦しい時間帯に走って戻りディフェンスできるか、ということだろう。それがチームの勝利につながることになり、そういう選手が将来プロ選手になったときに必要とされる。そのことを鬼木はユース世代の選手に伝えたいのだ。

「もちろん技術は必要です。そのうえで、走れるということ。すごく走れてもあまり技術がない選手とうまくて走れない選手だったら、うまい選手を走れるようにさせよう、と思う。だから、技術というのはプロでは絶対に必要なこと。そのうえで走れるかどうか、だと思います」

 鬼木の口から出てくる話は、厳しい言葉が並ぶ。だが、彼は真剣に選手たちに向き合って、必死で日々のトレーニングにぶつかっている。指導者の本気度は、選手たちに伝わり、少しずつその影響を受けて変わっていくだろう。

「ジュニア世代の子どもたちは夢はいくらでも見られるけど、年齢を重ねて高校生ぐらいになると現実に直面する場面も出てきますよね。勉強もあるし、大変だとは思う。でも、僕は、気迫や必死さを求めたい。苦しい練習でも楽しめている選手は、見ている側も楽しくなる。苦しくても張り切ってていいねぇって思うしね。それに、そういう苦しさを乗り越えればそれが必ず自信になる。よく選手たちに話すんですけど、僕は、8割の力でいい結果が出ても自信にならないと思う。100の力でやって初めて100の結果が返ってくると思うし、必死でやってそこから得られるものが本当の答えなんじゃないかって。だって、プレッシャーのないゲームを何百試合やっても、1回の緊張感あるゲームをやる経験には代えられないですから」

 これから、フロンターレユースの選手たちは、プロになる選手もいれば、大学生になる選手もいる。サッカーをやめてしまう選手もいるかもしれない。そうした分岐点の選手たちに鬼木はこんなことを伝えたいと考えている。

「人の気持ちがわかるようになってほしい。僕は、それが人間関係にしても生活にしてもサッカーにしてもすべてつながると思う。向こうから来た人に『こんにちは』とあいさつすれば、相手は気持ちよくなる。そういうことを人にしてあげられるかどうかなんです。それはサッカーでも同じで、相手の特徴をよくわかってあげれば、足が遅い選手には足元にパスを出してあげようと思うし、チームが疲れているときに俺が声を出そうとか、無理やりいくのではなくボールを大事につないで絶対に失わないようにしようとか思える。結局、サッカーも人と人との関係だから、それをわかったうえでさらには表現できるようになってほしいですね。そして、彼らが今後どういう道を歩むにしても何か残してあげられたら、と思っています」

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エピローグ

 2009年──。

 いま、フロンターレはACLを戦っている。Jリーグでも強豪チームと言われるまでに成長した。等々力競技場は、フロンターレカラーで染まる程にサポーターが増えた。

 かつてのフロンターレは、JFL、J2、J1昇格、J2降格、そして再びJ1昇格という波乱万丈な時代があり、観客数が1000人にも満たないゲームもあった。鬼木、久野、長橋はその時代を経験し、時を積み重ね、フロンターレを支えてきた。苦労、喜び、挫折、様々な壁をフロンターレで乗り越えてきた功労者である彼らが、いま、指導者となって違う形でフロンターレの未来を築いている。

 当たり前なのだろうが、彼ら3人がすっかり指導者の顔に変わっていたことが、うれしくもあり感慨深かった。

 長橋はこう言った。「サッカーを通して上達することの楽しさや喜びを感じてほしい」

 久野はこう言った。「毎日、明日もサッカーをやりたい気持ちにさせてあげたいし、特徴を伸ばしてあげたい」

 鬼木はこう言った。「サッカーを楽しむためには技術が必要。その上で、走れてチームのために頑張れる選手になってほしい」

 フロンターレの下部組織の選手たちは、成長の過程で彼らひとりひとりと出会い、様々なことを吸収していくだろう。それが、また未来へと続く道となり、やがて振り返ると大切な通過点となっているのだろう。

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profile
[くの・ともあき/おにきとおる/ながはし・やすひろ]

J2、そして2度のJ1昇格と、フロンターレの歴史と共に歩いてきた3人。ベティ、オニ、ヤスの愛称でサポーターに親しまれ、長年に渡ってレギュラーとしてフロンターレを支える。2005、2006シーズンに、相次いで引退を表明、現在は下部組織コーチとしてヤングフロンターレの人材育成を担う。 > 下部組織ページへ

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