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ピックアッププレイヤー

2010/vol.07

ピックアッププレイヤー:MF6/田坂祐介選手

もうチャンスを掴み取らなければいけないと2010年を迎えるにあたって田坂は感じていた。強化指
定選手として過ごした2007シーズン、正式加入した2008シーズン。そして、2009シーズンは試合出
場の機会も増え、手応えも感じ始めていた。昨シーズン、クラブ史上最大の優勝のチャンスを経験し、それを逃
す悔しさも味わった。2010年、田坂にとって新たなステージが待ち受けていた。

1 2009年12月5日、日立柏サッカー場。J1リーグ最終節をフロンターレは優勝の可能性を残して迎えていた。田坂は、その大事な試合で90分ピッチに立ち、結果的に3対2で勝利をおさめたものの、勝ち点1が足りずに鹿島アントラーズに優勝を決められるという悔しさを味わった。

試合後、こう語っている。
「最終節で勝ったからこそ、すごく悔しい。フロンターレらしく楽しくプレーして、しっかり勝とうという思いだった。自分たちに足りないものがあるとすれば、いろいろな状況に対応できる柔軟さ。サポーターには今日も残念な思いをさせてしまい本当に申し訳ない。でも、これでフロンターレが終わったわけじゃない。いつも自分たちのことを後押ししてくれるサポーターと一緒に、この悔しさを糧にして前に進んでいきたい」

 2009年、田坂はリーグ戦に24試合出場し、2ゴールを記録した。優勝争いするチームのなかで結果を求められる状況で出場機会が増えていった。そうした緊迫した試合のなかで経験を積み、「自分をアピールするために」必要なプレーから、勝つために自分はどうするべきか、プレーの質も徐々に変化していった。
 田坂を学生時代から知り、スカウトを担当した向島もその変化をこう語っている。
「体が強くなってボールを獲られなくなった。球離れも早くなった。ポジションによってしっかりプレーを変えられるようになった。出始めの頃はまだ波があったけど、だんだん90分通して落ち着いたプレーができるようになってきたと思う」

 高畠勉も、2009年のシーズン終盤にかけ、田坂の変化を感じていたひとりだ。
 2008年の天皇杯広島戦で田坂がボランチで出たとき、チームは0対2で完敗していた。だが、その1年後にリーグ戦の広島戦で田坂がボランチで出たときは、チームは7対0と快勝している。チームの成績と同じ線が描けるように、試合においての田坂のパフォーマンスもあがっていった。チャンスを得たときに結果を出せるようになっていた。攻守に渡って計算できる選手になったと高畠は考えていた。

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1 そして、迎えた2010年──
 田坂自身、「もう勝負しなければいけない年」だと強い気持ちでシーズンに入った。

 そして、試合に出る機会は予想しない形で突然おとずれた。
 チームのキャプテンでありキーマン中村憲剛の怪我というアクシデント。

 チームにとって大事なACL開幕戦、城南一和戦で中村憲剛が下顎骨骨折という怪我に見舞われ戦列を離れた。

「絶対に試合に出たい」
 正直な気持ちを吐露すれば、田坂はそう思った。
 そして、田坂は選ばれた。監督の高畠にとって、自然と導き出された答えだった。

 ケンゴの代わりに出る。
 それは、田坂に多少なりともプレッシャーを与えた。

 ACL初戦が終わり、帰国し麻生グラウンドでトレーニングが始まる。

 Aチームを意味する黄色いビブスをつけ、田坂はピッチに立った。
 ほんの一瞬、「ケンゴさんのプレーを真似しなければ」と田坂の頭によぎった。チームにとってケンゴ不在は大きなマイナスになる。ケンゴの代わりを求められているのならば、それに応えなければならない、と。だが、当然ながらふたりは、プレースタイルも違えば特徴も違う。

 そもそも監督の高畠も「ケンゴの代わり」を田坂に求めていたわけではなかった。
「ケンゴみたいなプレーをしてほしいとは思っていない。田坂のプレーをすればいい。ドリブルでの推進力が一番の田坂の強み。あとは、シンプルにプレーをすること」

 田坂自身もすぐに自分の考え方の過ちに気がついた。
「やっぱり自分にはケンゴさんの代わりはできないし、うまくいくわけがありません。それよりも自分のプレーをしっかりやることでチームにとってプラスになることを考えたほうがいい」
 そこから気持ちは切り替わった。

 3月6日Jリーグ開幕戦に田坂は等々力のピッチに立った。
 そこから、自分自身との戦いが始まった。

 焦りを感じていたわけではなかった。だが、プレッシャーはあった。連続して試合に出る経験が初めてだった田坂にとって難しさは当然あった。

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 例えば、メディアから「中村選手の代わり」というフレーズを何度も聞くことになった。だが、外からの声は、さほど気にならなかった。それは田坂の性格によるものだろう。評価が悪くても自分がめざしていることができれば納得ができたし、評価がいくら高くても自分自身のプレーに納得ができなければ及第点は与えられなかった。負けたときに「中村選手不在は大きかったのではないか?」と聞かれれば、見返してやろうとモチベーションに変えることができた。

 だが、ACL予選リーグ敗退は田坂にとってひとつの試練になった。
 アウェイの厳しい状況のなかでACLを通じて思うように結果が出なかった。
「やっぱり力のなさを感じたし、いい状況でいいプレーをするのは当たり前ですけど、苦しい状況でその壁を越えられるかというのをケンゴさんの位置では求められる。劣勢になってもパスひとつで局面を打開できたり、一気に流れを変えたり、チームを勝ちにもっていくプレーをしたかった。無難なプレーをしていてもだめだと思うし、自分はこういうことをするんだっていう強い意志が現れたプレーは周りを勇気づけることができると思う」

 田坂の意識が変わりつつあった。
 以前であれば、試合に出るチャンスがあれば、自分の存在をアピールしなければならないという気持ちがプレーに現れていた。ところが、いまは状況が変わった。自分が出ることで何よりもチームの結果がほしい。そのためにはどうするべきか。考える質と深さが変わってきたのだ。

 具体的には、ひとつは周りを活かすこと。
 例えば、レナチーニョに合わせるなら得意な足元にピタリとパスを供給する。早めに簡単にボールを預けて、ディフェンスが近くにいたらサポートに行き、マークを外して、前を向ける状況を作ってあげる。例えば、黒津であれば彼のスピードを活かして早いタイミングでパスを出せば相手ディフェンスを振り切っていける。そうしたチームメイトの特徴を活かしながら、自分が活きる状況を作ってからよさを出すこともできる。むやみにドリブルで仕掛けるのではなく、できる状況を作り出してからドリブルをする、そうした状況判断にも変化が現れた。

「もちろん前から考えていたことですけど、こういう状況に置かれて考えることも増えたのは確かです。そこまで突き詰めてどうしたらいいか、次はこうしてみようという試行錯誤をする質が高まった感じはします」

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 試合に出るとそのビデオでプレーを検証する作業も欠かさない。繰り返し見返すと、自分のプレーが正しかったのか、また違った判断があったのではないかという疑問も生まれてくる。自分で答えが見つからない時は積極的に伊藤宏樹や谷口らチームメイトに意見を求めた。

 例えば、ミスをしたとき、それが次のプレーの布石になるものであれば、そのミスにも価値が生まれる。だが、田坂が最も嫌うのはチャレンジをやめてしまった結果のミスだ。自分のめざすプレーがハッキリと描けていて、そのうえで起きてしまったミスに対して他にも選択肢があったのかどうか、をひとつずつ検証していった。

 同い年の谷口とは、時おりサッカーについて真面目に語り合うこともある。ポジションが似ているし、谷口には田坂にはない経験がある。自分で7割ぐらい答えは出ていても本当にあのプレーの判断はよかったのか。そう迷った時に、谷口のひとことで気持ちが救われたこともあった。

「タニは、『お前がそう思っているんならいいんじゃない』っ軽い感じで言うんですけど、お前がそう言うならそうだなって思わせてくれるんですよ。よく話をしましたね、タニとは」

 そうこうするうちに、田坂にとって「その時」は近づいてきた。
 中村憲剛の復帰だ。

 復帰が近づくにつれ、田坂は内心穏やかな気持ちではいられなくなってきた。
「絶対にポジションを渡したくない」という気持ちが沸々と高まってくる。

 そうして訪れたACL城南一和戦66分、ゴールも決めて調子はよかったが、そのケンゴと交代。さらにはJリーグアウェイ浦和戦では、前半45分でケンゴと交代することになった。
「なんでだよ」
 田坂は、苛立っていた。

1「ケンゴさんお帰りなさいと言いながら、正直ベンチにいてくださいという気持ちでしたね。それぐらいの強い気持ちじゃないとダメだと思っていました。浦和戦でまだ自分が動けるのに引っ込まざるを得ない状況にイライラしていました。必死でした」

 だが、その気持ちをプラスに変換しようと切り替えた。
「自分はそれを活力に変えないといけないと思うし、ケンゴさんと争えることも光栄なことだし、そこで成長できると思ったので、そのちょっとした試練がよかったと思います。本当に心の底から試合に出たいって思いましたから」

 一方の中村憲剛は、田坂のプレーをずっと見てきた。仲がいいチームメイトであり後輩でもあり、その実力を認めてきた。自分が出られない時もよくコミュニケーションをとり、アドバイスを送ってきた。田坂もその具体的なアドバイスには何度も頷かされた。
「あの人の言うことは本当に的を得ているんですよ」と表情を崩した。

 ケンゴは、こう言っている。
「あいつは、変わった。俺は、ずっと見てるよ。ゆくゆくは主軸となってチームを引っ張っていく存在になってもらいたい。いろんな質問をしてくるから、意見を聞く耳をもってるので答えてよく話しているよ。あいつはパサーではない。あいつはあいつらしさを出していくこと。まだ波があるから常に高い次元で安定したプレーをして、代表も狙ってほしいと思ってる。ライバル? まぁ、もうちょっとかな(笑)」

 そして、ケンゴが復帰し、田坂は同じピッチに立つことになった。ケンゴにポジションを取ってかわられないようにと必死にやり続けた結果、田坂はそのケンゴと同じ場所にいることになった。
「一喜一憂は全然していないですよ。何試合も出続けることの難しさは痛感しているし、ちょっとでも調子を落としたら他にも選手はいっぱいいる。調子を維持するためにどうしようというのが大事でした。でも、ケンゴさんと一緒に出られて、純粋にすごく楽しいです。盗めるプレーがある選手がいてくれるというのはうれしい。盗もうと思ってやっています」

 田坂にとって、今年は後で振り返った時にも転機となるだろう。
 いまは、その転機の間を変化し続けている最中だ。
 理想のプレイヤーに近づくために。

「やっぱり自分のなかでは点がとれるミッドフィルダーが理想なので、なんでもできるようになりたいんです。ビルドアップもバランサーもシュートもできて、ひとりのプレイヤーとしての価値を高めたい。そのなかで自分の特徴は攻撃なので決定的な仕事ができるようになりたい」

 決定的な仕事。
 つまり、ACLで痛感した「試合を決めるプレーをすること」である。だから今、田坂はアシストやゴールという結果にこだわっている。
「目に見える結果も残していかないとこのチームで出続けるのは厳しいと思っていますから」

 レギュラーとして試合に出続けるという次のステップに上がった田坂には、当然要求も厳しくなる。高畠も今シーズンのステップアップと攻守に渡りチームに欠かせない選手であることを認めたうえで、ドリブル、パス、判断、すべてにおいてさらにレベルアップを求めている。田坂自身も、いまその課題に取り組んでいるところだ。

「ミスをせず単純なこともしっかりと正確に精度を上げることも必要。そういう基本を徹底することで勝負のパスを出す。自分が狙い、なおかつ受け手がほしいと思うタイミングで出す。そういうパスを出していくのが自分の課題だと思っています。例えば、ケンゴさんとジュニーニョはお互いを見ていなくてもジュニが走っているだろうというタイミングでパスが出てくる。そういう関係をいろんな選手と築いていきたい」

 いまの目標を田坂は明確に口にできる。
 ひとつは、フロンターレでタイトルを獲ることだ。
 あと一歩という経験を繰り返してきたフロンターレの選手たちは、「何が足りないのか」「優勝するにふさわしいクラブとは何か」という命題をつきつけられてきた。ここで負けたら優勝はできない、とか、こうしなければ優勝はできない、という言葉が日常的に選手間で飛び交うようにもなってきた。
「常に優勝を意識できている。チームとして勝つために何をしなければならないかを考えれば、自然と個人レベルで何をしなければいけないかもわかってくる」

 そして──。
 個人的な目標は、「日本代表入り」だと田坂は初めてハッキリと言葉にした。
 もちろん、プロサッカー選手になることが目標だった子どもの頃のように、日本代表選手になることは目標にはしていた。サンフレッチェ広島F.C時代にメンタルトレーナーに教えてもらった経験から、高校時代から将来のゴールを見据えてそこから今何をやるべきかという考えを田坂は取り入れてきた。「長期目標」「中期目標」「短期目標」というふうに自分がやりたいことや未来のゴールを見据えて、やるべきことを逆算していく考えだ。

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 その田坂いわく「逆算システム」に基づき、今年はレギュラーとして試合に出るという目標は立てていた。そしてさらにその先の目標には日本代表入りがあり、日本代表入りを果たすためには、今年から試合に出なければ間に合わなくなる。一方で、今年実際に試合に出るようになり、代表入りが漠然とした目標から具体的なそれへと変化したということもあった。

 どちらにしても、今の個人レベルの目標は、「日本代表入り」。そう言葉に出せる時が来た。
「やっぱり試合に出てないと声を大にして言えなかったです。それに、ケンゴさんにも言われたんです。フロンターレの中盤で試合に出る主力選手は、代表に入るぐらいじゃないとダメだって」

 それは、田坂にとって新たなモチベーションになった。 
 一番身近にいる目標であり競う相手である中村憲剛を筆頭に、稲本、川島、チョンテセがワールドカップを舞台に戦う姿を見て、大いなる刺激を受けた。

「彼らの姿を見て、それは代表入りのものさしであり世界へのものさしになった。このクラブが世界につながっているという事実を目の当たりにして、頑張れば世界につながれるんだという意識がもてましたから」

 田坂にとっての世界への扉。
 その目標を叶えるために──。

「今」何をすべきかを考え、最大限のできることをするだけだ。

 答えはわかっている。
 だから、田坂に今、迷いはない。

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[たさか・ゆうすけ]

独特のリズムを刻むしなやかなドリブル突破が魅力のMF。サイドが主戦場だが、昨シーズンはキープ力と展開力を買われてボランチでも高レベルのパフォーマンスを披露。さらなる飛躍が期待される。1985年7月8日、広島県広島市生まれ。172cm/63kg。
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