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ピックアッププレイヤー

2012/vol.04

ピックアッププレイヤー:MF6/田坂祐介選手

自分たちの世代が次のフロンターレを引っ張っていく── 2008年にプロとして加入した田坂祐介は、
そんな決意を秘めていた。プロ5年目の今、彼の中には、クラブの次世代を背負っていくゆるぎない覚悟が、
確かに存在している。

01 2011年を表す漢字は「絆(きずな)」だった。

 日本列島を襲った東日本大震災で、家族や仲間など身近でかけがえのない人との「絆」をあらためて感じた一年であったからだ。女子ワールドカップで優勝した、なでしこジャパンのチームワークの「絆」に日本中が勇気づけられたのも記憶に新しいところだろう。

  2008年、プロとしてフロンターレに加入した田坂祐介にとって、同期入団である横山知伸、菊地光将、吉田勇樹とは強い「絆」があった。特に横山と菊地とは、大卒トリオとして雑誌の企画にもたびたび登場するなど、公私共に仲のよい間柄でもあった。しかし2012年シーズンを迎えるにあたって、横山がセレッソ大阪、菊地が大宮アルディージャへの移籍を決断。契約満了となった吉田も、クラブのスクール・普及コーチへと転身した。残された08年組は田坂一人となった。

「これだけ同期がゴッソリいなくなると、やっぱりさびしいですよ。勇樹を含めて、チームにとっても生え抜きの3人で、それだけチームの歴史も知っていたわけだし。お互い口に出して言うことはなかったですけど、『自分たちの世代が次のフロンターレを引っ張っていくんだ』と思ってやっていましたから」

 サッカーに移籍はつきものだ。海外では「移籍は席替えのようなもの」という言葉があるぐらい日常的でもある。だから、2人が違うクラブのユニフォームに袖を通す決断自体に大きな驚きを抱くことはなかった。

「新聞の報道にも出ていましたからね。それをネタにみんなで2人をイジっていたぐらいでした。『キクにオレンジは似合わないよ』とか、『結局、残るんでしょ?』とかね。あの当時はまだ天皇杯も残っていたし、2人はチームのことも考えて、言葉を濁していましたけど」

 2人の胸のうちを直接聞いたのは、リーグ戦が終わってから3人で食事に出かけたときだった。半ば覚悟していたとはいえ、田坂の心中にはやはり複雑な思いがめぐった。

「(移籍を)止めたい気持ちが60パーセント、仕方がないなと思う気持ちが40パーセントでしたね。2人とも『選手としてより高く評価されているクラブでプレーしたい』というのが移籍の理由でした。話を聞いているうちに、もし自分が2人の立場だったら、そういう決断をしたかもしれないな、とも思いました。自分からは『さみしいな』ぐらいしか言えなかったですね。ただやっぱり…自分たち3人で出ているときにフロンターレで優勝をしたかったです」

 ちなみに田坂自身はどうだったのだろうか。
自分も環境を変えて、新たな場所でリスタートするという選択肢はあったのだろうか。

「サッカー選手なので常に自分自身が成長したい。高いレベルでプレーしたいという思いはあります。フロンターレで成し遂げたいことがあるし、フロンターレはタイトルを取れるチームだと思っているから。ここで、まだまだ成長していきたい。だから、この3人だけの関係でいえば、2人が行ったクラブには負けたくないし、絶対に下の順位で終わりたくない。フロンターレに残っていたらよかった…と思わせたいですよ」

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 こうして2012年は、フロンターレの08年同期組がそれぞれの道へと歩むシーズンとなった。だが進む道が分かれたことで、田坂の中で「自分たちの世代が次のフロンターレを引っ張っていく」という思いはより増していったようにも思える。

今シーズン、クラブは伊藤宏樹をチームキャプテンに、中村憲剛をゲームキャプテンに任せる、いわば「原点回帰」とも受け取れる方向性を打ち出しているが、田坂は次の世代を担う自覚があるからこそ、そこに危機感も抱いている。

「ヒロキさんとケンゴさんは、フロンターレをここまで押し上げてきた2人だし、このチームのことを一番考えている2人だと思う。でもこれからは、2人についていくだけじゃなくて、自分たちの世代が引っ張っていって、逆に『俺らに頼ってくださいよ』と言えるぐらいにやっていかないとダメ。いつまでもこの2人におんぶに抱っこではいけない」

 ここで田坂の口にする「自分たちの世代」をもう少し噛み砕いて説明してみよう。
現在フロンターレの年齢構成を眺めてみると、その世代は、3つに大別される。一番上の世代は、伊藤宏樹、黒津勝、中村憲剛に代表されるベテラン組である。クラブがJ2だった時代を知り、J1復帰後のフロンターレを強豪クラブと呼ばれるまでに押し上げてきた、言わずもがなの功労者たちだ。

対して一番下の世代はというと、小林悠や楠神順平、登里享平といった20代前半の若手になるだろう。フロンターレはJ1の強豪クラブという認識で入団してきている。昨年は小林悠のブレイクもあり、良い意味でこの若い力の台頭を感じるシーズンでもあったと言える。

 08年組である田坂は、その間の世代に当たる。クラブが右肩上がりで急成長を遂げている最中に入団し、タイトル争いの雰囲気も肌で感じてきた。彼らは上の世代とともに体験したこと、彼らの背中を見て学んできたことを、下の世代に託していくパイプ役ともならなくてはいけない。強豪クラブが「世代交代」に失敗するのは、この中堅世代への橋渡しがスムーズにいかなかったケースが得てして多い。田坂はその重みもしっかりと認識している。

「ヒロキさん、クロさん、ケンゴさんが、等々力に来てくれるサポーターが数千人の時から地域に密着した活動を続けてクラブを大きくしてきた。そういうのは、下に伝えていかないといけないと思っています。それがフロンターレというクラブの色だから。そして、その上でタイトルを狙わなければいけない」

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 思えば、直近の2シーズンに限れば、クラブは「勝てば優勝」というしびれるようなタイトル争いを経験していない。だがその体験は「口で伝えるよりは、感じるものだと思っている」と言い切る。「それはあの場所に行かないと感じられないし、やっぱり自分たちで感じるしかないから」。タイトル争いの緊張感を肌で感じさせることは、田坂の世代が伝えていかなければならない役割でもある。

 そう考えると、今季の選手会長に田坂が就任したのは自然なことだったのかもしれない。
今年の選手会長については、前任を務めていた横山が移籍したことで、その補佐的な立場をつとめていた杉山力裕と田中雄大が中心となって選定を進めていた。当時の経緯を杉山が証言する。

「タサにお願いしようと決まったのは今年になってからですね。新入団会見があった夜に、クラブのスタッフや何人かの選手で集まって食事をしていて、そこでの話合いで決まりました。最初は、自分か(田中)雄大にやって欲しいと言われたんですよ。ただ去年のヨコさんぐらいの年齢の人のほうが、上の世代とも下の世代とも関わりあえるし、強化スタッフやフロントともうまく話ができると思ってました。そこで、みんなからタサの名前が挙がった。責任感があるし、チームの中心選手でもある。生え抜きでもありますから。満場一致でしたよ」

 後日、話を持っていくと、本人は快諾してくれた。
就任の理由について田坂本人に聞くと、「権力が欲しかったので」と冗談を飛ばすが、「そういう立場にならないといけないと思っていた」という心情も明かしている。

「去年、ヒロキさんからも『自分がキャプテンになったのも25歳。そういう世代がそろそろ上に立って引っ張っていかないと、これからはダメなんじゃないか。自覚を持ってやっていったほうがいい』と言われていた。キャプテンではないですけど、チームを支えたり、前に立ってみんなを引っ張っていくこともしていきたいと思っている」

「立場が人を育てる」という言葉があるように、立場や地位によって生まれる責任や権限が、その人自身を磨くことは少なくない。そこに強い自覚を持っているのも、田坂自身がプレイヤーとしてもさらにもう一段上のステージに自分を持っていかなければならない必要性を感じているからなのだろう。

06 このインタビューの合間、ふとした流れで最近読んだ本の話題になった。
田坂が挙げてくれたのは、意外にも将棋界の第一人者・羽生善治の書籍であった。「タイトルを思い出せないのですが・・・」とのことだったが、本の中で紹介されていた「大局観」というフレーズに強く惹かれるものがあったという。

 「大局観」とは日常では耳にしない用語かもしれないが、「大局を見る」ならば、比較的使われる言葉だろう。「部分だけを見て全体を見ていないこと」をよく「木を見て森を見ず」というが、その反対の意味に当たるものだと言っていい。いわば、上空から眺めて全体がどうなっているかを把握するイメージで、羽生によれば、難しい場面で差し手を決断する際には、ときに俯瞰の眼といえる大局観に頼ることがあるそうだ。サッカーに置き換えてみれば、局面ではなく、試合全体の流れを把握しながら、有効なプレーを選択する作業に近いだろうか。そしてプラスになる手段、有効な手が見つからないような不利な状況が続く場面に、大局を見て「いかにマイナスの少ない手を選んでいくか」という羽生の発想などは、これまでの自分にはなかった視点で、えらく感銘を受けた様子だった。

 「リスクのとり方」についても、羽生の考えは刺激になるものだった。経験を積んでくるにつれてさまざまなものが見えてくるため、人は知らず知らずにリスクを取らなくなりがちだ。しかしミスを恐れるあまり、ブレーキをかけて取るべきリスクを取らなくなるのは逆に危険であり、そこで意図的にアクセルを踏む手を選択するというのが羽生の考えである。

 サッカーにおいても「リスク」というワードを目にすることは多い。例えば味方の攻撃時に、相手FW2人に対して、1人多い3人を自陣に残しておく考えは「リスク管理」の一環である。ただ羽生の考えを田坂なりにサッカーに照らし合わせてみれば、3人残った状態を維持し続けることが、常に正しいリスク管理のあり方なのか、ということになる。ときには自陣に残っていたうちの1人が、2バックになってもいいから攻撃参加する場面があっても面白いんじゃないのか。そのほうが得点につながる可能性が高いし、リスクも少ないかもしれない。羽生の本のなかで書かれているこれらのリスクのとり方は、田坂自身のサッカー観に影響を及ぼすものとなったという。

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 それにしても、ここまで田坂祐介を駆り立てているものは何なのだろうか。

  08年にプロとして入団し、10年からはJ1クラブのレギュラーとして活躍している。傍目から見ている限りは、プロのサッカー選手としては、順風満帆なキャリアを送っているように思えるからだ。だがそんな疑問に対して、彼は珍しく語気を強めて「まったくそうは思わないです」と否定している。

 そして自分に言い聞かせるように、こう口にした。
「チームでタイトルを取っていないし、個人としても日本代表にも入っていない。この二つですね。特にタイトルは、チームに入団したときから言っているけど、まだ取れていない。まず、そこが順調ではないですよね。それにもう27歳。ワールドカップまであと2年しかない。危機感を持って、結果にこだわってやらないといけないんです」

 このインタビューの後日、麻生グラウンドで取材していると、田坂が「羽生さんの本の題名、わかりましたよ」と声をかけてくれた。

「タイトルは、『結果を出し続けるために』です」

なんだかそれが田坂本人の決意表明のようにも聞こえて、少しおかしかった。

結果を出し続けるために。

2008年から変わらぬ背番号を、ずっと変わらぬ思いで付け続けている田坂祐介の、プロ5年目が幕を開けた。

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[たさか・ゆうすけ]

巧みなボールテクニックを駆使したドリブル突破が武器のMF。パスセンスや運動量も兼ね備えており、守備的なポジション以外ならどこでも任せられる器用さも持ちあわせる。怪我なくシーズンをすごし、レギュラーポジションを揺るぎのないものにしたい。1985年7月8日/広島県広島市生まれ。172cm/68kg。>詳細プロフィール

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