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ピックアッププレイヤー

2012/vol.10

ピックアッププレイヤー:DF5/ジェシ選手

今シーズンからチームに加入。期待に違わぬパフォーマンスを披露し、開幕戦からの数試合で
サポーターのハートをつかんだ。前所属のブラジル・コリチーバでは4年近くキャプテンを任されるほどの
熱いハートを持った人格者であり、チームメイトからの信頼も厚い。
シーズン序盤の怪我で長期離脱を余儀なくされたが、コンディションが整えば
またピッチで元気な姿を見せてくれるはずだ。完全復活の日は近い。

01「日本にやってきて川崎フロンターレに加わり、トレーニングの段階から優勝争いができるチームだと感じた。ただ、自分自身を信じなければ目標を達成することはできない。道具はすべて揃っている。それを自分たちがどう使うかなんだ。僕の体には熱い血が流れているし、強く戦う魂というものを持っている。だから現状に満足することはできないし、残念に思う。だからこそ試合に出て、この状況から脱出したい。そのためには、まず気持ちの部分で強く戦う姿勢を見せることが重要だと思う」

 ジェシの生まれ故郷はサンパウロ州の郊外、グアラティンゲタという田舎町。姉2人の末っ子として生まれ育ったこの町で、8歳の頃サッカーをはじめた。きっかけは地元のアマチュアチームの監督だった父親の影響だった。周りの友達たちが皆そうだったように、プロサッカー選手になるのは子どもの頃からの夢だった。だが経済的な事情もあり、専門の育成機関やクラブチームに進むことはできなかった。

「もし子どもの頃から環境が整ったプロフェッショナルな育成機関で練習を積み上げていれば、セレソン(ブラジル代表)にも入れたんじゃないかと自分では思っているんだ(笑)」

01 茶目っ気たっぷりの笑顔で話すジェシだが、本人を取り巻く環境は決して楽なものではなかった。アマチュアチームとはいっても日本でいえば草サッカーのチームであり、16歳から19歳まではピントール(ペンキ屋)の仕事をしながら、週末サッカーに打ち込む生活を送っていたそうだ。

プロのクラブチームに入ることができたのは19歳になってから。サンパウロ郊外のタウバテというクラブのユースのテストに受かり、半年後にようやくプロ契約にこぎつけることができた。だがプロ契約とはいっても、現実的にはサッカーだけに集中できる環境とはいえなかった。

09「はじめてプロ契約を結んだとき、家族はすごく喜んでくれた。でもサンパウロ州選手権の三部のクラブだったから、プロ契約といってもそれは登録上のことだけ。ブラジルではよくある話なんだけど、最初の給料はゼロだったんだ。クラブに入ってからトップチームの試合にスタメンで出場していたんだけど、2ヶ月後に160レアル(約7千円)をもらったのがはじめての給料だった。複数年契約を結んでいたこともあって、21歳まで自分からは何も要求することができなかったんだ」

 アマチュア時代はFW、タウバテユースでは中盤でプレーしていたジェシだが、プロ契約を結んでからの試合で本職のセンターバックが足りず、たまたま抜擢された試合で好パフォーマンスを披露し、チームの最終ラインに定着した。センターバックへの転向は、ジェシにとって大きな契機となった。

「ブラジルでは最初からザゲイロ(センターバック)をやる選手はほとんどいない。でも当時の監督に最終ラインで使ってもらって、自分としても納得のいくプレーができて、後ろでプレーすることが気に入ったんだ。もともと父親から『ブラジルではザゲイロは評価されるポジションだぞ』と聞いていたから、全然抵抗もなかったしね」

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 ジェシがサッカーで生計を立てられるようになったのは、プロになってから5年がすぎ、ブラジルの中堅クラブでプレーするようになってからだった。とはいっても安定した生活を送るだけの収入を得られていたわけではなく、独身時代は父親の支え、そして23歳で結婚してからは妻がオペレーターの仕事をしながら家計を助け、ジェシがサッカーに打ち込む環境をサポートしてくれていた。

 「プロになってからも苦しい生活が続いた。何しろ結婚式をしようとしたときは小銭すら持っていなくて、パンも買えない状況だったからね。でも父親や母親から教わったことは、『目標に向かって努力しなさい』ということだった。まず自分を信じないことには何も達成できないといわれてきた。だから自分にはこの道しかないんだと信じ、ゴールにたどり着くまでやるしかないと思っていたんだ。両親の教えがあってこその自分だと思うし、いまこうしてサッカーで生活することができ、支えてくれる妻がいて、子どももいる。夢を叶えることって、現実的にはすごく難しいことかもしれない。だけど、その夢が実現したときに幸せになれるのは間違いないんだ」

 眠っていた才能が少しずつ花開き、20代半ばをすぎた頃にはサンパウロといったクラブからオファーが舞い込むようになっていた。しかしタイミングがうまく重ならずにビッグクラブへの移籍は叶わず、ジェシはブラジルの中堅クラブを渡り歩くことになる。そしてようやくコリチーバというクラブでチームの中心となり、プレーに円熟味を帯びた30歳の頃、日本の川崎フロンターレというクラブからオファーが届く。この頃にはブラジルでもそれなりのステータスがあったジェシだが、フロンターレからの熱烈なオファーに心を揺り動かされた。

 「両クラブでしっかり話し合いを進めてくれたので、すごくありがたかった。ただ家族との話し合いはとても大変だったね。僕自身もコリチーバでは個人としてもグループとしてもすごくいい状態だっただけに、正直すごく悩んだ。年齢的なものもあったし、息子の教育や学校のこともあったから。でもブラジルのサッカー界は、いろんなことがすごく早く動く。だから、またチャンスがあるかどうかはわからない。話が進むうちに、どんどん日本でプレーしたいという気持ちが膨らんでいった」

「僕がいい方向に進んでいるのは彼女のおかげ。同じように夢を追いかけてくれる大きな存在」と話す、妻のアンドレアさんの存在も大きかった。最初に相談したときはかなり驚かれたそうだが、つね日頃から『何もしなくて後悔するよりは、何かをして信じた方がいい』と話していたジェシの気持ちをくみ取り、夫の決断を後押ししてくれた。

「そのときインテルナシオナルも興味を示してくれていて、ブラジルでプレーを続けることへの安心感があったのも事実だった。だけど海外に出ることもいい経験になるんじゃないかとも思っていた。他にウクライナやギリシャのクラブから話があったなか、フロンターレが僕にオファーをしてくれたんだ。この年齢で日本のクラブから興味を示してもらえて、所属クラブとも地道な交渉をしてくれたし、僕自身とも真剣に話をしてくれた。僕のサッカー人生は大成するまで多少時間がかかったけど、本当に幸せな気分で日本に来ることができたんだ」

 その時点ではコリチーバとの契約が残されており少し時間がかかってしまったが、どうにか話がまとまり両クラブ間で合意がなされた。自分の夢を叶え、支えてくれる家族とともに幸せになるため、ジェシは日本に渡ることになった。

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 ジェシを語る上で、その人間性を外すことはできない。「ジェシはすごく紳士的で男らしい。ブラジルで長いキャリアを持っている選手なのに、自分から日本に溶け込もうとする姿勢がすごい」とチームメイトは口々に語る。人は年齢やキャリアを重ねていくごとにどうしても考え方が凝り固まってしまうものだが、ジェシは違っていた。来日した当初からクラブハウスにやってくると、スタッフ全員に挨拶をし、チームメイト1人ひとりと目を合わせ、「今日もがんばろう」と握手をして回る。取材陣やサポーターへの応対も非常に丁寧であり、フレンドリーかつ紳士的な人柄が自然とにじみ出ている。

01「人としてどうあるべきかは、自分としてもつねに意識しているつもりだよ。プロスポーツ選手はいい状況と悪い状況の差がすごく大きいけど、どんな状況に置かれても、できるだけしっかりとした1人の人間でありたいという思いがある。ブラジルでキャプテンを任されたのは、たぶん自分がこういう性格だからだと思う。キャプテンは誰でもできるわけではないし、他の選手の模範にならなければいけない。メンタリティーもすごく重要で、チームが悪い状況のときは必要に応じて自分から言葉を発していかなければならない。そういったものが自然と出ていたことが、自分の役割につながっていたんだと思う。日本にきてもその姿勢は変えるつもりはないし、できるだけ同じように振る舞えるよう、つねに心がけている。それが僕という人間だから」

 その人間性はピッチのなかでも表れている。センターバックはとくに対人プレーや球際の強さが求められるポジションだが、ジェシの長い足を駆使したディフェンスのテクニックは、激しさのなかにもインテリジェンスがあり、クリーンでもある。

「ピッチに立てば勝利が一番の目標だから当然激しいプレーになるし、危険なプレーもあると思う。でも、自分やチームメイト、そして相手チームの選手、ピッチに立つみんなが無事に試合が終わるように祈っているんだ。自分はフェアプレーをつねに心がけている。サッカーをすることが大切なことだから、つねにボールに向かってプレーするイメージを持っているし、悪質なファールは絶対したくない。もちろん試合によっては相手が肘打ちをしてきて、エキサイトすることもあるんだけど(笑)。でも悪質なプレーになることは避けたいし、できるだけ自分のなかでメンタルをコントロールするようにしている。悪い感情がプレーに出てしてまってはいけないんだ」

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 しかしその真面目なプレースタイルがゆえ、4月18日のナビスコ杯予選リーグ仙台戦で体を投げ出してゴールを守ったプレーでジェシは足を痛め、しばらくプレーを続けたものの、ピッチに倒れ込んだ。翌日精密検査を行った結果、出た診断は左膝後十字靭帯損傷。全治まで約3ヶ月程度を要する見込みという重いもので、怪我をしてしばらくは膝をギブスで固定。足を引きずりながら歩く姿が痛々しかった。異国の地での生活に慣れてようやく落ち着いてきたころの大怪我。本人にとっては相当なダメージだったはずだ。

 だがジェシの表情から笑顔が消えることはなかった。これまでと同じ様子で「オハヨウゴザイマス!」とみんなに声をかけながらクラブハウスに顔を出し、地道なリハビリに励んだ。その成果もあり6月中旬には膝の負傷は癒え、グラウンドでランニングができる状態にまで回復した。しかし、しばらく激しい運動から離れていたこともあって、今度は筋肉系の痛みが出てしまい、復帰時期が少しずれ込んでいる。完全なコンディションで全体練習に戻ってこられるまであと少し。8月に入ればピッチに立ってボールを蹴るジェシの姿を見ることができるだろう。

「実際にフロンターレでプレーしてみて、みんな一生懸命努力をしていることを感じるけど、結果につながらないこともあるのが現状だと思う。サッカーのシーズンがすぎていく時間はものすごく早いから、できることは限られている。個人として、グループとしてもっとやらなきゃいけないことがある。もちろん僕自身にもいくつかの改善点があるし、それが簡単なことではないのはわかっている。でも自分がここにいるのは、ただ1年間をすごすのが目的じゃない。このチームでプレーして勝利に貢献し、最後にタイトルを獲りたいという目標があるんだ。ずっとブラジルでやってきた自負もあるし、日本でも同じようにプレーする自信はある。あとは監督、コーチングスタッフ、メディカルスタッフと話をしながら、サッカーに取り組んでいきたいと思う」

 日本にきてみてわかったこと。それは日本人の想像以上の優しさや謙虚な精神性だった。サポーターからも温かく迎え入れられ、実際のピッチで結果を出すことで信頼感を手に入れた。ジェシが怪我をしたあと、すぐ等々力のスタジアムに背番号5のフラッグが掲げられたのがその証拠だろう。

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「新体制発表会見でこれまで味わったことのない感銘を受けたし、練習後のクラブハウスではみんな笑顔で気軽に声をかけてくれる。サポーターが自分のことを優しく受け入れてくれたことを幸せに感じるし、みんなには感謝の気持ちで一杯だよ。でも、それは自分だけじゃない。サポーターにどれだけ恩返しできるかということを考えながら、チーム全員がグラウンドのなかで戦っているんだ」

01 春先に来日した家族も、日本に生活にだいぶ慣れてきた。息子のカイキは日本の小学校に通うことになり、フロンターレのサッカースクールにも入った。アンドレアさんも「フロンターレでタイトルを獲るという目標に向けて、少しでも長くプレーできるように」と、夫の夢を温かく見守っている。

「だからこそ家族が見ているなかで試合に負けるのは嫌だし、より責任感が強くなった」と表情を引き締める。リハビリ中に監督が代わり、新しいサッカーのスタイルにチャレンジしなければならない立場だが、ジェシのこれまでの豊富な経験、そしてサッカーに取り組む真摯な姿勢が失わなければ、復活の日はやってくるはずだ。最後に、ジェシはいつもの笑顔でこう答えてくれた。

「みんなが期待していることをひしひしと感じているし、その思いにこたえられるよう、これからも一生懸命努力をしたいと思う。後ろを振り返ることはしない。いまやらなければいけないことを自覚して、チームの目標、そして僕自身の目標に向かって、前に進んでいきたい」

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[じぇし]

ブラジル1部コリチーバから加入した屈強なDF。前チームではキャプテンを務め国内リーグ屈指のセンターバックとして高い評価を受けており、日本での活躍が期待がされる。強靱なフィジカルと懐の深さがあり、セットプレーでも攻守において強さを発揮する。1980年4月22日/ブラジル、サンパウロ州生まれ。184cm/80kg。>詳細プロフィール

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