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SEASON 2014 / 
vol.19

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アカデミーU-18/三好康児、板倉滉

川崎で光り輝くために

アカデミーU-18/三好康児、板倉滉

テキスト/麻生広郷 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Asou,Hirosato photo by Ohori,Suguru (Official)

2015年シーズンからトップチームに加入することが内定したフロンターレU-18の三好康児と板倉滉。
下部組織からのトップチーム昇格、しかもジュニアチームにあたるU-12立ち上げの一期生の年代にあたる2人の存在は、
育成年代に関わる関係者はもちろん、フロンターレのユニフォームを着て等々力のピッチに立つことを
夢見るサッカー少年たちの大きな希望となっている。

 フロンターレが下部組織の充実を図り、小学校4年生から6年生をひとつのチームとしてU-12を立ち上げたのが2006年のこと。川崎市内の育成年代に関わる関係者ともうまく調整をとりつつ、地元の子供たちをクラブで一貫して育てていくことをスタートさせた。その一期生として小学校4年生の頃にセレクションを受けたのが板倉滉であり、1年送れて加入したのが三好康児だった。

「子供の頃からずっとフロンターレのファンだったんですが、そこでセレクションがあることを知って受けることにしました」(板倉)

「今U-18で一緒にやっている岡田優希が隣のチームにいて親同士も知り合いで、あいつが先にフロンターレに入って、次の年もセレクションがあるよということを聞いて、力試しじゃないですけど受けてみようと思いました」(三好康児)

 プロクラブのジュニアチームに入ったことで、2人を取り巻く練習環境は大きく変わったという。練習メニューもボールを扱う技術はもちろんのこと、縄跳びやカラーボールを使って両手で同じように投げるといった体の使い方、さらに生活面での食事管理や挨拶といった礼儀面まで徹底していたそうだ。

 2人が口を揃えてすごく影響を受けた指導者という当時のU-12監督、高﨑康嗣(現普及コーチ)はこう語る。

「育成年代は技術はもちろん、一生懸命さや貪欲さといったサッカーに取り組む姿勢を見ています。一期生の年代の子たちは全員がすごく意識が高かったですし、すごくまとまっていて、周りの大人を変えていってくれるような連中でした。まぁ僕からしたら、彼らは昔もいまも変わらないんですけどね」

 フロンターレU-12は発足2年後のダノンネーションズカップ2008日本大会で初優勝を果たし、フランスで行われた本大会に出場。小学生にして世界の舞台を踏んだ。

「ダノンネーションズカップの頃は、階段を上って行くように毎日成長していました。2人がチームの中心というわけではなかったんですが、うまくいかないときでも一段一段伸びていたと思います。彼らと一緒に僕自身も成長させてもらいました」(高﨑コーチ)

 三好、板倉の2人はU-12からU-15に昇格。三好が中学2年生の頃から飛び級でU-18でプレーし、年代別の日本代表に入る一方で、板倉はなかなか試合に出るチャンスを得られず、周りに追い抜かれる苦しみを味わったという。本人たちに当時の思い出を聞いてみると、「中学の頃はめちゃくちゃ走らされました。まぁ、いまとなっては体力がついたかなという感じですけど」(三好)「僕は全然ダメでしたね。体の面でも気持ちの面でも伸び悩んでいたと思います」(板倉)と対照的な答えが返ってきた。

 代表とのかけ持ちでこの頃からちらほらと三好康児の名前が聞かれるようになり、「U-18でプレーしたり代表に入ることで、自分のなかで見えてきたものがあったと思います」と本人が語るように、小柄ながら抜群のテクニックを持った中学生がいるという話はトップチームでも噂になっていた。実際に中学3年生の頃にトップチームとの練習試合でDFを抜き去りゴールを奪うなど、周囲の期待は着実に高まっていった。

 逆に板倉は周りの同年代の選手と比べて体の成長が遅く、中学生という多感な時期ということもあり、自分のイメージと現実のギャップに悩んでいたという。「正直、あまり気が乗らないなぁと感じながら練習をやっていたこともありました。自分のなかではU-18に上がれるかどうかも分からないと思っていましたし、いま振り返ると本当にサッカーを辞めなくてよかったです」

MF19/森谷賢太郎選手

 だがU-18に上がると板倉も高校1年生から試合に出場するようになり、高校2年生の頃には足下の技術を買われて中盤でプレーするようになった。当時の状況を今野章U-18監督はこう話す。

「板倉はセンターバックで使われていたという話を聞いていました。ただ、大きい選手なのでバックステップをしたり、いったんアプローチしてまた戻るといった足さばきの部分を伸ばすために、センターバックとボランチの両方にチャレンジさせたいなって思ったのが最初の印象です。板倉が2年生のときに一個上の年代の後ろのメンバーが安定していたので、より運動量が求められるポジションで、360度からプレッシャーがくるなかで新しい仕事を覚えれば、本人にとっても大きな経験になるんじゃないかなと」

 板倉は2014年春の宮崎キャンプ、そして6月の中断期間の北海道キャンプと、トップチームに練習参加した。「ついていくので精一杯でした。自分としては全然ダメだった」と話すが、一度は諦めかけたトップチーム昇格というチャンスを自らのポテンシャルでつかみとった。

「トップチームに練習参加をしてみて、やれる部分とまだまだ足りない部分の両方を感じたんじゃないでしょうか。高さに関しては同じ年代ではほぼ負けないですし、本人も自信があると思うんです。じゃあ対人のところで速い選手、例えばレナトに対応するとなったときに最初は絶対やられるでしょうから、そこでどうすればいいのかを考えていかなければならないし、今後の課題だと思います」(今野U-18監督)

 一方、三好は代表で国際大会を経験するなど順調にキャリアアップしていたが、U-18に上がってからは怪我に泣かされ、U-17ワールドカップ後には前十字靭帯断裂で全治10ヶ月という大怪我を負ってしまう。怪我をしたのが高校2年生の12月。つまり、三好は高校3年生のサッカー人生の大半をリハビリに費やしたことになる。プロに進めるかどうかの大事な時期でのアクシデント。だが、当の本人は現実をしっかりと受け止めていたようだ。

「不安がまったくないといえば嘘になりますけど、そこまで焦ることはありませんでした。すぐにでもプロになりたかったですけど、ダメならダメでしょうがないというか。だからプレッシャーみたいなものは感じていなかったです」

 現在、三好はようやくリハビリ期間を抜け、ピッチでボールを蹴れるようになった。以前の感覚を取り戻すには少し時間がかかるかもしれないが、そこは持ち前のサッカーセンスで乗り越えてくれるだろう。怪我を転機に精神的に成長した選手もたくさんいる。

「まだ100%ではないと思いますけど、試合感覚は徐々につかんでいるのかなと。三好に関しては能力があるがゆえに、意識の持ち方、コントロールが大事になってくると思います。代表からクラブに帰ってきたときの練習を見ると、俺の姿を見ろって感じではなかったんですね。アカデミーの人間からすると、認められている存在だからこそ、これだけやってるからトップチームに行けるんだと思われるようになってもらわないと。そこは本人とも話をしています」(今野U-18監督)

 それぞれにストーリーがあり、紆余曲折があった。それでもサッカーに対する情熱を失わなかったからこそ、念願のトップチーム昇格を果たすことができた。だが、もうすぐ18歳になる2人にとって、プロに入るということは通過点。これからは職業プロサッカー選手として、さらに厳しい競争を勝ち抜いていかなければならない。三好と板倉を子供の頃から見ている高﨑普及コーチ、そしてプロの厳しさを身をもって経験している今野U-18監督。表現は違うが2人とも期せずして、「覚悟が必要」と厳しくも温かい言葉を口にしていた。

「プロに入れたことはよかったですが、やればやるほどギャップを感じると思います。でも壁にぶち当たって、いろいろ言ってもらった方がいい。聞く耳は持ちつつ、自分自身の芯の部分はしっかり持って、何を言われても折れない心を補足していって欲しいです。競争の世界に入らないことには批評も批判もされないですし、そのステージに立てるのはほんの一握りの人間ですからね。叩かれて、叩かれて、最後に勝ち取ってくればいいと思います」(高﨑コーチ)

「応援したいという意味では、個人的にも本当に楽しみです。ただ、彼らが入っていく環境というのはJ1で優勝を狙っているチームで、とてつもない能力を持った選手たちと競争しなければいけません。トップチームで試合に出るためには、相当なパワーと決意がいります。プロというのは長い目で見てくれるようでいて、与えられる時間は短いシビアな世界です。その厳しさを早く知って、うまくいかない時期を耐える心の強さを持っていってもらいたいです」(今野U-18監督)

 とくに三好と板倉を紹介する際には、どうしても「ジュニアチームからの下部組織出身」という表現がついてまわる。若い2人にその看板を一手に背負わせてしまうのは少々酷な話だが、クラブの育成方針のひとつとして、下部組織出身の選手がトップチームでプレーする意義は非常に大きい。

 また近年は高卒でプロに入った選手よりも、大学で出場機会を得て経験を積んだ選手の方が活躍する傾向がある。実際にフロンターレU-18出身で、阪南大学で大きく成長した可児壮隆がフロンターレに戻ってきた。三好、板倉以外にも、トップチームに上がれるかどうかの瀬戸際で大学に進学することになったアカデミー生もいる。彼らが大学の4年間で2人を追い抜く可能性がないとはいえない。トップチーム内での競争はもちろんだが、同年代の選手たちで切磋琢磨することが個々の成長、そして広い意味でのクラブの成長につながっていくだろう。

「トップチームの先輩たちを見ながら取り込めるものは取り込んでいって、さらに高いレベルでプレーできるよう、できることは全部やりたいと思います」(三好)

「1日1日を無駄にせずに努力していくしかないと思っています。まずはU-18でしっかり結果を残して、少しでも早く等々力のピッチに立てるよう頑張りたいです」(板倉)

 アカデミーはここ2、3年でトップチームのスタイルに沿った指導方針を打ち出し、技術に特化した攻撃的なパスサッカーを志向している。つまり三好と板倉がトップチームで成果を出すということは、その一貫性がひとつの形として実を結ぶことを意味する。川崎フロンターレのサッカーとは何なのか。クラブのアイデンティティの確立という大きなテーマが与えられているなかで、これから2人がどのように成長していくかは、川崎市周辺のサッカー指導者からもひとつのモデルケースとして注目を集めることになるだろう。

 小学校の頃から練習場のフロンタウンさぎぬまに通い、等々力のスタンドからトップチームでプレーする夢を抱いていた少年が、実際にそのピッチに立つ日はいつになるだろうか。さらにいえば2人とも早生まれで、彼らは2020年に開催される東京オリンピックの出場条件をぎりぎり満たしている。これから2人はプロという厳しい世界に飛び込んでいくことになるが、本人次第で可能性はどんどん広がっていく。

 三好康児、板倉滉。生え抜きの2人が第一線でプレーする姿をどのような形で見られるかはわからないが、その日が来るのをサポーターも楽しみに待っていてもらいたい。

マッチデー

   

profile
[いたくら・こう]

川崎フロンターレU-18からのトップチーム昇格が内定。空中戦の強さと確かな足下の技術を兼ね備え、U-18ではキャプテンを務めるなどチームの中心選手として活躍。今年の北海道キャンプにも練習参加し、プロのレベルを体感。川崎フロンターレU-12立ち上げの第1期生として、サポーターやクラブ関係者から大きな期待が寄せられている。

1997年1月27日、神奈川県
横浜市生まれ
ニックネーム:コウ

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[みよし・こうじ]

川崎フロンターレU-18からのトップチーム昇格が内定。小柄ながら抜群のボールタッチでDFをかわしシュートに持ち込む得点感覚に優れたレフティー。小学校時代から国際大会に出場。コンスタントに年代別日本代表に選出されるなど、育成年代でのキャリアは申し分なし。満を持してトップチームに昇格。さらなるステップアップを目指す。

1997年3月26日、神奈川県
川崎市生まれ
ニックネーム:コージ

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