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SEASON 2015 / 
vol.07

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GK21/Nishibe,Yohei

縁の下の力持ち

GK21/西部洋平選手

テキスト/麻生広郷 写真:大堀 優(オフィシャル))

text by Asou,Hirosato photo by Ohori,Suguru (Official)

2012年の7月にドイツリーグ二部のVfLボーフムへ移籍し、サッカー文化が根づく欧州で
経験を積んだ田坂祐介が、3年ぶりにフロンターレのユニフォームを着ることになった。
ドイツで培ったものを、チームにどう還元できるか。今年で30歳。サッカー選手として円熟期を迎える
背番号35の新しい挑戦がスタートする。

「サッカーはもちろん、移籍自体はじめてだったし、生活環境も含めて、すべてが新しいことでした。海外のクラブで外国人と仕事することも初でしたけど、トータルで見たら楽しかったし、いい経験になったなって思います」

 2015年6月下旬、ひさびさの麻生グラウンド。見慣れた風景、そして3年前にはいなかった選手たちのプレー。そのひとつひとつを確認するように眺めながら、田坂はクラブハウス訪問初日から軽いランニングで体を慣らしていた。

2008年に青山学院大学からフロンターレに加入し、4年半。コンスタントに出場を伸ばしながら、田坂は着実にチーム内でのポジションを築いていた。ボーフムへの移籍は、そんななかでの決断だった。自分のキャリアを見据えた上で最後のタイミングだったという、海外のクラブへの移籍。実質2週間あるかないかという短期間で情報を集め、田坂はドイツへ旅立った。

「それはもう大変でしたよ。最初はサッカーだけじゃなくて、普段の生活から毎日ドキドキしていました。やっぱり一番は言葉の問題ですよね。単語すらわからなかったので、行きの飛行機のなかでドイツ語の本を読んで、自己紹介はとりあえずグーテンターク(こんにちは)でいいかみたいな感じ。それぐらいの急展開でした」

 実際にドイツに渡り田坂が強く感じたのは、サッカー文化が普段の生活に溶け込んでいることだった。レストランに行けば、周りの人々が話している話題はサッカー一色。それも贔屓のチームが勝った負けただけではなく、戦術やフォーメーション、選手起用といった、サッカーに詳しくなければ出てこないような話ばかり。試合を観たあとはクナイペと呼ばれるドイツの大衆酒場に流れ、あの場面はこうだった、ああだったなどとサッカー談義に花を咲かせる。それがドイツの日常的な光景だった。

「1年に一度クラブ総会があってクラブの経営方針や収支の報告をやるんですけど、その場でファンクラブに長く所属してくれた人が表彰されるんですね。それが普通に70年間ずっとシーズンチケットを買っているおじいちゃんだったりするんです。ハード面を見ても世界一の観客動員数を誇るだけあって、3部、4部のクラブが5万人収容のスタジアムを保有していたり、その下の街クラブでも1万人規模のスタジアムを持っていたり。ピッチや練習場もしっかりしていて、そのあたりはイメージしていた通りでした」

GK21/西部洋平選手

 田坂が所属していた古豪ボーフムはドイツ国内で最もサッカークラブが多いルール地方で、ボルシア・ドルトムントやシャルケ04、さらに足を伸ばせば1.FCケルン、メンヒェングラードバッハといったクラブがしのぎを削り、ダービーともなれば熱狂的な盛り上がりを見せる。サッカーを取り巻く環境としては世界トップクラスと言ってもいいだろう。

「ただ、サッカーの質は日本とは全然違いますよね。もちろん所属する選手によって戦い方は変わりますけど、フィジカル重視で大雑把というか。ボーフムにしてもテセさん(鄭大世/現水原三星)や乾(乾貴士/現アイントラハト・フランクフルト)がいたので話は聞いていましたけど、実際に入ってみるとロングボール主体で思っていたよりも守備的なチームでした。だからこそ、日本人の自分が入ることでアクセントになるというか。サイドというよりは中に入ってタメを作ったり、ドリブルでしかけたりというプレーを求められました。ケンゴさん(中村憲剛)みたいなパサーは向こうにいなかったから、ボールを引き出す部分では苦労しましたけど」

 日本人選手がヨーロッパのクラブに渡ると、最初の頃はパスがなかなか出てこないという話をよく耳にする。だが、田坂に言わせればそれは日本でもドイツでも同じで、自分のプレーで周りの選手を納得させ、信頼を得ていくしかないという。

「みんなフレンドリーでしたよ。けど、グラウンドに入ったら別物というか、『お前、できるの?』みたいな感じはありましたね。『あいつに出しておけば大丈夫だ』っていうものを、プレーで勝ち取っていかなきゃならない。ピッチ内では小馬鹿にするような言葉もありましたけど、それはどこでもあること。最初はちょっとイラッとすることもありましたけど、そこで言い返すぐらいじゃないと生き抜いていけないです。自分は日本人として背負っているバックボーンが全然違いましたけど、ヨーロッパのクラブ自体ごちゃまぜで、ボーフムにしても去年でいえば12、13カ国ぐらいの国籍の選手の集まりでしたから、そんなのをいちいち気にしてたらやっていけないですよ」

 ドイツでの最初の1年は言葉の面で苦労したそうだが、ドイツに来て半年を過ぎたあたりからサッカーに集中できる環境も整い、シーズンの過ごし方が見えてきた。加入1年目からコンスタントに起用され、監督やチームメイトを納得させるパフォーマンスを発揮した。またピッチ外でも積極的にコミュニケーションをとり、月日を重ねるごとにチームの雰囲気に馴染んでいった。

「ピッチから離れたときの役割っていうのも大事じゃないですか。とくに最初はドイツ語がわからなかったから、みんなから変な言葉を教えられて、そのとおりに言ってみんながゲラゲラ笑うみたいな。そこでプライドを見せて俺はやらないよみたいな感じだと、絶対にチームに馴染めない。逆に『じゃ、これはなんて言うの?』ってドイツ語で返すぐらいじゃないと。そんなやりとりをしていると、自然とピッチ内でもボールが出てくるようになるそういうのって、どこでも一緒ですよ。すべての面でつながっていると思いますね」

 田坂はボーフムで自分の立ち位置を確立し、2年目からは背番号10を背負いチームの軸として奮闘した。しかし、クラブとしては成績を伸ばすことができず監督交代を繰り返し、一部に上がるためのプレーオフにも絡めない状況が続いていた。田坂には昨年から日本を含めた国内外のいくつかのクラブからオファーが届いていたが、総合的に考えたときに次に進む道は見えていたという。

「二部で3年間やってみて、いい部分もそうじゃない部分もひと通り経験することができました。じゃあ次となったとき、他の国でサッカーをやるのも新しい経験になりますけど、ヨーロッパで一番環境が整っているのってやっぱりドイツなんですよね。でも自分としては、また二部のチームでは新しいモチベーションにならない。自分としては経験を積んで、年齢的にもここ2、3年でピークに持っていけるんじゃないかという思いがありました。だったら日本でサッカーをやりたい、帰るならフロンターレ、と考えていたんです」

 田坂が在籍していた3年間のボーフムは結果が出ていないチーム事情もあり、クラブとしてのアイデンティティをなかなか固められずにいた。そんななかフロンターレは風間監督が就任して以降、チームとしての結果だけではなく選手1人ひとりに高い質を求める攻撃的なサッカーを目指し、その特徴的なスタイルはJリーグで認知されるようになった。田坂自身もドイツからフロンターレの試合をチェックしていたという。

「フロンターレの試合の映像はできる限り観ていましたし、オフシーズンに日本に帰ってきたときにもいろんな人に相談しました。ケンゴさんやユウ(小林悠)ともご飯を食べに行ったりして、いろいろ話を聞いています。フロンターレはクラブとしてのビジョンがあるし、追求するサッカーがあるから選手としてもやりがいがありますよね」

そして、田坂は続けた。

「あとはやっぱり、クラブを取り巻いている環境や人が好きなんです。ドイツだけじゃなくて他の国のクラブの環境も見てきましたけど、フロンターレってすごく大きな可能性を持ったクラブだと思うんですよ。自分は一選手だからサッカーに集中しなければいけないけど、プラスアルファとして川崎を盛り上げるひとつの材料がフロンターレだし、サッカー文化みたいなものが川崎を中心に広がっていくんじゃないかって思わせる何かがあるんです」



 この3年間、田坂のプレーを見る機会はほとんどなくなってしまった。ドイツの二部リーグともなると、映像でもなかなかお目にかかることができない。田坂のプレースタイルに何か変化はあったのだろうか。そのあたりを聞いてみた。

「ボーフムではボールを失わずにタメを作って、真ん中に入ってきてスルーパス出したり、自分でシュートを打ったり。マルチな攻撃的MFという感じでした。フロンターレだとゲームを組み立てられる選手がいてボールが出てくるので、もっとアタッカー寄りになれるかなと思っています。現時点ではまだみんなと一緒に練習をやっていないので、どうなるかわからないですけど。まずはチームメイトとうまくコミュニケーションをとりながら、知らない選手の特徴を把握していきたいです」

 ドイツでプレーしていた3年間で、フロンターレも様変わりした。選手層もかなり厚みを増してきている。田坂がドイツに渡る3ヶ月前に風間監督が就任しており、その方針は大方イメージできているだろうが、すぐにチームにフィットできるかどうかはわからない。ドイツ二部とはいえどチームの中心としてプレーしていた田坂の能力からすると、試合に出ることだけを考えれば他のチームでプレーする選択肢もあったのではないだろうか。質問をぶつけてみると、こんな答えが返ってきた。

「でも、優勝やACLを狙うチームはたくさんの選手を抱えなきゃやっていけないし、フロンターレがビッグクラブになっていく上で競争は当然というか、自分としては全然ウェルカムなんですよね。絶対試合に出られますからって言われたらそれはそれで面白くないというか、競争は絶対にあった方がいい。そのとき一番いい選手が出ればいいし、自分としてはそこに選ばれるよう努力するだけです。ケンゴさんやヨシトさん(大久保嘉人)っていうチームを引っ張っていく選手がいるのは大きなメリットですけど、軸になる選手が抜けたなかでも勝てるチームになっていかないと。人が変わってもサッカーの質を落とさず戦えるようになっていけば優勝は遠くないと思うし、フロンターレにはそのポテンシャルが十分あると思います」

 ドイツのサッカー放送では交代の際にその選手のデータとして、ボールタッチ数に加えて1対1の勝率が表示されるという。球際の強さ、逃げない姿勢、極端にいえばミスしたあとのファール覚悟の激しいプレーも、ドイツでは戦っている選手の象徴として受け入れられるそうだ。選手の体格や国民性の違いといえばそれまでだが、日本とはまた違った厳しいリーグでもまれてきた田坂の経験が、チームに新たなエッセンスを加えてくれるかもしれない。

「風間さんが作ったサッカーのベースがあるなかで、これまで自分が培ってきたものをフロンターレでうまく生かしたい。ただ頑張ったら勝てる、走ったら勝てるというわけじゃないですけど、ピッチ内では相手がいて、予想できないことが起こるので、そのあたりは臨機応変に対応していきたいです。自分がフロンターレにいた頃から、風間さんもうまくやればいいと話していましたから。ただ、うまくやるというのは幅を持たされているわけで、自分で方法を見つけなきゃいけない。そう簡単なことではないです。だから選手たちもいろいろ考えて、うまくいかないときはコミュニケーションをとりながら解決策を出していくのが重要だと思います」

 田坂も今年で30歳になる。年齢的には上の世代に入ってくるが、中村憲剛や西部洋平、大久保嘉人、井川祐輔といった年長者が引っ張っていくなかで、また違った角度からチームを支え、フロンターレイズムを引き継いでいってくれるだろう。移籍加入はタイミングがすべてだが、総合的に物事を考えつつ、ときに大胆に実行に移すことができる田坂の加入は、ある意味、必然だったのかもしれない。

「自分の立ち位置を含めて、チーム全体がうまく回るよう力になりたいです。簡単なことではないかもしれないけど、すごくやりがいがあるし、新鮮ですよ。半分以上知らない選手だし、自分としては復帰というよりも、これから新しいことをはじめるぞっていう気持ちが強いですね。知らない選手とは一から関係を作っていかなきゃならないし、知ってる選手ともすり合わせていく部分があると思うので。まずはこの半年。2ndステージから試合に出られるようになるので、そこから100%の力を発揮できるよう準備したいです」

 経験豊富なベテラン、潜在能力を秘めた若手と個性豊かな選手たちが揃い、グループとしての地力もついてきた。目指すところはひとつだけ。そのパズルを完成させるラストピースとして、特別指定選手時代につけていた35番を再び背負う田坂の活躍に期待をせずにはいられない。

「今年、新しいメインスタンドが完成したんですよね。自分は仮設スタンドの頃すら知らないので、きっと風景が全然違うんだろうなあ。写真を見るだけでも、そのすごさがわかりますからね。クラブハウスも建て替え中で、新生フロンターレがどんどんできあがっていくわけだ。ハードの部分もいろいろ揃ってきて、あと足りないのはタイトルだけだと思います。クラブ、そしてサポーターの悲願達成のために、チームの一員として力になれるようがんばります。本当に楽しみですよ。フロンターレのサポーターって本当に温かいし、熱いですから」

マッチデー

   

profile
[たさか・ゆうすけ]

足下の巧みなテクニックを駆使したドリブル突破が武器のMF。ドイツに渡り対人プレーの強さも身につけ、3シーズンぶりにフロンターレに復帰。本人が選んだ背番号は特別指定選手時代につけていた35番。初心に立ち返り、新たなステージに挑む。

1985年7月8日/広島県、
広島市生まれ
ニックネーム:タサ、タッピー

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