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  • ピックアッププレイヤー 2019-vol.03 / FW30 宮代大聖選手

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僕は、ストライカー

FW30/宮代 大聖選手

僕は、ストライカー

テキスト/隠岐満里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Oki,Marina photo by Ohori,Suguru (Official)

2019年5月26日、宮代大聖は、ポーランドの地で19歳の誕生日を迎えていた。
FIFA U-20ワールドカップにU-20日本代表のストライカーとして臨み、この日行われたグループステージ第2節のメキシコ戦でスタメンのチャンスを掴むと、強い気持ちと覚悟を証明する2ゴールのバースデー弾を決めてみせた。川崎フロンターレU-10からアカデミーで育ち、クラブ史上初となる高校3年生でのプロ契約を締結。フロンターレを担うストライカーを目指す大聖のチャレンジは、今、現在進行形で続いている。

 

 宮代大聖とサッカーの出会いは、ボールを蹴ることではなく、リフティングにあった、ということらしい。

 4歳上の兄の影響で幼稚園に通う頃からサッカーを始めていたが、渋谷東部JFCのコーチがリフティングや歌などをするパフォーマーだったことから、そのコーチのように色々できるようになりたい、と幼心に大聖は夢中になっていった。

「すごくハマって、リフティングばかりをやっていました。ボールを落とさないようにしたり、技を少しずつ覚えていって、毎日毎日やっていました」

 そうして、小学2年生になり、大聖の記憶に残っているのは、親がインターネットで「川崎フロンターレ」を調べて、「受けてみるか?」と聞かれたこと。そして、セレクションに行くことになった。

 小学3年のジュニアチームに入るために、約150人が受けて、受かったのは大聖含めて2名、狭き門である。

「一次と二次の二回試験があって、めちゃめちゃアピールした覚えがあります。ゲームをやっていない時間帯にもリフティングをどうにか見てもらおうとしたり。緊張もすごくしました」

 ある日、学校から帰り、サッカー仲間の友だちと遊んでいたところ、一本の電話がかかってきた。両親が働いていたこともあり、電話に出たのは大聖だった。

「合格の知らせでした。嬉しかったです。友だちは一緒にサッカーができなくなると悲しんでいました」

 大聖とフロンターレは、こうして出会った。

 フロンターレに入ってからも、リフティングの練習で技を磨き、その頃からドリブルをしたり、シュートを打ったりということにも楽しさを覚えていった。

 一度、小学生の頃に、学校が終わり遊ぶ友だちがうらやましくなり、「もっと遊んだりゲームもやりたい」と親に伝えたところ、「別にやめてもいいんだよ」と言われたことがあった。

 でも、サッカーは休まず通った。家に帰ってからも、4歳上の兄や兄の友人たちに混ざって、結局のところサッカーをして遊んでいた。

「子どもですからね。そうは言っても、行ったら行ったで楽しかったんです」

 ちなみに、一学年下の久保建英(現FC東京)も小3でフロンターレに入ったが、小3と小4は同じカテゴリーだっため、当時幼いふたりは“チームメイト”だった。

 大聖は、小さい頃から上の学年やカテゴリーに混ざってプレーすることも多かった。

 小学5年の時には、ひとりだけ1学年上に混ざり、スペインで開催されたダノンカップの世界大会にも帯同した。

「タカさん(髙﨑康嗣/現専修大学サッカー部監督)は厳しかったけど、感謝しています。小さい頃にスペインに行って、世界の舞台を経験できたことは大きかった。ダノンカップでは、練習でPKの練習をした時に『それじゃダメだ』って言われて最後まで蹴らされた覚えもあるけど、あれだけ厳しい中でやって、当時は厳しく言われると、悔しくて何だよって思っていたけど、そこで萎えたら終わりですよね。厳しかったけど、その中でうまくできた時はうれしかった」

 ダノンカップは大聖にとって、初めて海外に触れたキッカケとなり、まだ輪郭は曖昧とはいえ、“世界”を意識した最初の出来事だったことに違いない。

 小6の頃には、ボランチからフォワードにポジションを変え、シュート練習に精を出すようになった。

「久野さんの時は、キックの練習が多かったですね。小学生用のゴールに大人が入るとスペースがない。それをどうしても入れたくて、シュートを工夫したり考えるようになりました」

 現在トップチームのコーチングスタッフである久野智昭は、当時の大聖のことをこう述懐する。

「大聖は、小6でキャプテンをやっていました。身体も大きいし図抜けてたかな。プロになれる可能性もあるとは感じていました。だから、パワーでやったらできちゃうので、あえてスピードでぐいぐい行くんじゃなくて、技術を大事にしてプレーをさせていました。本人もそこは理解していましたね。まだ子どもだから全員が同じようにできるわけじゃないけど、サッカーノートもきっちり書いていたし、考え方もしっかりしていましたね」(久野)

宮代大聖選手

 その後、大聖は、ジュニアユースに所属し、フォワードとしてさらに才能を開花させていった。感覚でやるプレーの中にも自分が考えていたプレーやテレビで観たシーンが現実の場面で再現されるようなこともあった。

「点を決めることが楽しくて、うれしかった」し、「自分が点を取らなくて勝ってもうれしくない。極端なことを言えば負けても自分が3点決めていればよかったし、チームの勝利よりも自分のゴールという感覚がまだ中学生ぐらいの時はあったと思います」と正直に振り返る。

 ジュニアユース時代の転機といえば、年代別のU-15日本代表に選出されたことだろう。

「みんなうまくて、うわー、すっげーうまいなって思いました。対戦してうまいなと思っていた選手が、一緒にやってみたらもっとうまいなって思う選手もいました」

 代表に行けば、「まだまだ通用しないな、余計に頑張らなくちゃ」と思い、またフロンターレに戻って練習をする、そういう日々の積み重ねだった。中学2年の時、フォワードとして動きの質についてキッカケとなる出会いがあった。それが、寺田周平U-15監督(現U-18コーチ)だった。

「周平さんには、動き出しのタイミングとかここで受けるというタイミングを教えてもらったんですね。それまでの僕は動き出しのことをあまり考えてなくてドリブルしてシュートを決めるというスタイルでした。それで何個かタイミングが分かるようになったのは、周平さんのおかげです」

 当時を知る寺田周平は、ずっと大聖のことを見守ってきた。

「大聖が中2の時、中3のチームでみていました。技術はしっかりしていたし、身体も強いし、その後、中3でユースと一緒にやることになりました。性格的にも調子に乗るようなところはないし、順調に育ってくれてうれしい」

 その後、アカデミースタッフの会議で満場一致で決まり、中学3年からU-18チームに合流することとなる。中学2年の冬の時点で、U-18の試合にも出場し、点を取るなど遜色ないプレーをしていた大聖が正式に中学3年でU-18カテゴリーに合流すると、今野章監督は、フォワードとしてプリンスリーグの開幕スタメンに抜擢した。

「その年代だと体つきで中学生が混ざっていると分かる場合もあるけど、大聖の場合は、プレーだけでなく体つきも見劣りしていませんでしたね」

 当時のU-18チームは、岸晃司(専修大)、三笘薫(筑波大・来季加入予定)らが名を連ねており、その中でフォワードとして大聖が入ることになった。「大聖も物怖じしなかったし、『俺が』というメンバーが多かったけど、岸や三笘がお膳立てして、その中で堂々とプレーしていたし、気持ちよくやれていたんじゃないかと思います」

 当時のことを本人は、こう振り返る。

「当時の3年生はすごくうまくて、最初は緊張もしたけど、変な自信もあって、開幕戦でゴールも決めたので、そこからは緊張はしませんでした。というか、周りがどうにかしてくれるから、自分は決めるだけ。うまく活かしてもらえてたかなと思います」

 中学3年でエースに躍り出た大聖だったが、高校1年になると得点が減り結果がなかなか出ない現実と向き合うことになり、再び2年になる頃には、ゴールを量産するようになる。大聖の中で、何か変化があったのだろうか。

「3年生が卒業して、アオくんの年代が3年生になりました。壁にぶつかったとは自分では思っていないですけど、結果が出ていなかったというのは事実ですね。やっぱりその前までは出して受ければよかったところが、自分が作らなきゃと思うようになって、僕はフォワードだし、選手のタイプとして作る側ではないなと自分で気付きました。当時は、それがわからなかった」

 その頃、大聖には、身近に手本となる存在がいた。それが高3だった田中碧だった。

「アオくんはチームの中でも意識が高くて、というか、めちゃめちゃ高かった。だから、アオくんと一緒にいるようにしたり、練習前とかメニューを聞いたり、一緒にトレーニングしたりして、アオくんには直接言ったことはないけど、それは正直僕にとって大きかったと思います。その前の代の先輩たちは軽々しく話しかけられなかったけど、アオくんは2個上だからある程度話もできたし、いろいろ聞いて取り入れることができた。高校の頃から、アオくんやトレーナー、代表に行ったらそこでフィジコとかにもやり方を聞いて取り入れて、自分のルーティンみたいなものを作ったりしました」

 コツコツ積み上げていくことは子どもの頃からやってきたことだ。結果を出してきた大聖だが、結果が出ない時に、自分と向き合うことも怠らなかった。

「全部最初からやり直すというか。まず、ジュニアの頃からタカさんにスパイクを磨くよう教育を受けていたので、スパイクを自分で磨いてました。実は、昨年、最終節の磐田戦で初めてベンチメンバーに入った時に、伊藤さん(伊藤浩之ホペイロ)が磨いてくれてびっくりしました。代表の時も自分で磨いたり、自分の道具だから大切にしています」

 スパイク磨きの時間は、無心になれるリセットの時間だ。

「後は、サッカーノートですね。小学生の頃は、義務だったので練習内容なども全部書いてました。途中書かなかったこともあるけど、高1ぐらいからお父さんが撮ってくれた試合を観て、毎回見返して、書いて整理する。書くことでわかることもあるし、残るから覚えているし、自分のプレーを整理していました」

 もうひとつのキッカケは、中3の時に、ユース年代の選手たち数人と、トップチームの練習試合に帯同して、試合に途中出場で出たこと。

「朝電車で麻生グラウンドまで行って、一緒にバスで確か浦和まで行きました。それで、サッカーはこうなんだ、こういうプレーをするんだな、動き出しはこういう感じなんだ、というのを見るようになって、両親に頼んで海外サッカーが観られるようにしてもらったりしました」

 そうして、サッカー中心の毎日を送っていた大聖は、時間が24時間あっても足りない。そんな日々を過ごしていた。

「練習後はすぐに帰らないといけないので、自主練習の時間が取れない。だから学校が終わったらダッシュでグラウンドに行って、着いたらすぐ着替えて、筋トレをしたり、自分がやりたいことをやっていました。学校、勉強、サッカー、忙しかったですね」

 2017年10月、大聖は、インドで開催されたU-17ワールドカップにU-17日本代表メンバーとして出場した。

 10月17日、日本は決勝トーナメント1回戦で優勝候補のイングランドとぶつかった。結果的にこの大会で優勝したイングランドを相手に日本は善戦し、90分を0対0で引き分け、PK戦で敗退。久保建英らとともに出場した大聖も2度ゴール前まで迫る場面があった。

 イングランドが日本戦以外で3得点以上記録していることからも善戦したとも言えるだろう。だが、実際に出場した大聖からは、全く逆の感想が戻ってきた。

「何も出来なかった。追い込んだか? そんなこと言えないです。互角の戦いとか、後半何度か攻め返したと言われているけど、それはそうかもしれないけど、正直何もできなかったって言われても納得します。出たメンバーはみんなそう思っていると思います。何もできなかったし、止めることに必死でそこから個になっちゃって、チームとして攻撃できなかった」

 このイングランド戦を含めた世界大会での経験は、17歳の大聖に大いなる刺激を与えることになった。試合後、悔し涙が出た。

「いろんな海外のチームとやって、すごいなと思っちゃった自分がいたから、それが悔しくて海外から帰ったらもっとやらなきゃってなりました。代表も、また呼ばれるために結果を出さなきゃいけないし、チームでもやらなきゃいけない。海外のプレーの強度は高いから、それを落としちゃいけないし、海外の人をすごく意識していました。ワールドカップでイングランドに負けて、その選手たちがいろんなビッグクラブで試合に出て活躍している。向こうからしたら俺のことなんて知らないと思うし、実際に戦ったとはいえ眼中にないと思うけど、自分が戦った相手が同じ舞台にいたのに、ビッグクラブでやっていてこんなに置いていかれているんだっていう気持ちは絶対に忘れちゃいけないと思って、常に意識しています」

 大聖は、世代別の代表に選ばれてきたが、実は途中出場の試合も意外と多い。そういう中で結果を出してスタメンを勝ち取る場面もまた多かったし、フロンターレのジュニア時代に一緒だった久保建英らと切磋琢磨して、互いにライバルとして、仲間として高めあってきた。

「(当時の)代表の森山(佳郎)監督は、ファイティングスピリットというのを常に言っていて、それは僕も大事だと思っています。練習中もギラギラ、メラメラしてやるからこそ、海外の選手もあれだけ試合で強くやれるんだと思います。そういうのは本当に大事だし、それが日々習慣化されたら違うはず。自分が常に結果を出さないと次に呼ばれないと思ってやってきたので、どうにか結果を出さないと、と思って、一切余裕がないです。毎試合、点を取らないと、と思っています。アシストしても納得できないし、とにかくゴールを決める」

 そして、また思い返したようにイングランドについて言及した。

「もう一回、やりたい」

 2018年4月、大聖は、高校3年生でクラブ史上初となるトップチームとプロ契約を果たした。順当な流れであり、そのことを驚くというよりも、当たり前のことと周囲も受け止めたと思う。

「自分の目標だったので、達成できたことはうれしかったです。もちろんフロンターレで育ててもらって恩返しじゃないけど、プロになって勝利に貢献してタイトルを獲っていきたい。まずは試合に出ることから。それから日本代表にもなりたいし、海外にも行きたいし、目標をひとつひとつクリアしてステップアップしていきたい」

 大聖にとっては、2018年は最も環境の変化があり、また様々な出来事や気持ちの持ちようを考える鍛錬になった1年だったのではないか。

 トップチームでプロ選手としてスタートを切り、10月にはU-20ワールドカップ世界大会出場を賭けて、タイで開催されたAFC U-19選手権グループに出場。週末には、フロンターレU-18の公式戦にも出場するという生活を送っていた。

 トップチームのメンバーに初めて入ったのは、最終節のジュビロ磐田戦まで待たなければいけなかった。

 数々の実績をユース年代で残してきた大聖だが、Jリーグ覇者のフロンターレで試合に出るチャンスを掴むまでにはまだ至っていない。

「正直出られていないのは自分の実力不足だし、めげずに腐らずに自分が本当にやるべきことをコツコツ努力し続ければ、おのずと試合に出られるようになる…。そんな簡単なことじゃないし、人よりも何倍もやらなきゃいけないけど、絶対にそれを毎日続けていたら結果につながると思うし、やり続けないといけないなと思います。1年目だから、2年目だから出られなくて当たり前とは思わないし、年齢も関係ない。うまくてチームに貢献できる選手だったら絶対に使われるし、そういう選手になっていかないといけない」

 いろんなことを吸収して取り入れている大聖にとっては、ロッカールームやグラウンドでのチームメイトとの会話や、時には自分が入っていなくても聞こえてくる発言すらも、肥やしにしている。

「みんなうまい選手ばかりで、盗むところもいっぱいある。練習からもうみんながうますぎるから、一緒にやることで成長できる。そういう環境であることは本当にフロンターレのいいところだし、みんなが意識が高くて練習の強度も高いので、素晴らしい環境にいると思っています。チームメイトの先輩たちも話しかけてくれることが多いし、練習でも今の動きが良かったとか言ってくれたり、自分からもこっちの動き方がいいですか?とか聞くようにしています。後はやるべきことを変わらずやること。アオくんも努力を陰でずっとしていてチャンスを掴んで今欠かせない存在になっているし、そういう風に自分もいつチャンスがまわってくるかわからないし、総力戦だし、連戦だし、できる準備というものを毎日することが今は大事。それを意識しています」

 ところで度々、名前が登場する田中碧にとって、学生時代から知る大聖は、どんな存在なのだろうか?

「大聖は、変わらない。プレーもそうだし、普段の感じも変わらない。昔から練習熱心だったし、集中してやっていましたね。プレースタイルも、例えば『守備的になったな』という変化をする選手もいるけど、大聖は変わらない。パワーも昔からあるし、シュートも強いし、うん、いい意味で変わらない」(アオ)

 大聖が、こだわってきたのは、フォワードとして点を取ることだ。その最たる目的は、チームを勝利に導く、ということだ。そういう意味で、小林悠の存在は大聖にとって大きかった。

「僕、例えチームがよくない状況でも、点を取れる選手になりたい。やっぱりチームが苦しい時に点を取れる選手はなかなかいないと思うし、こいつが出たら絶対決める、そういう選手になりたい。悠さんは、得点王を取った時とか、あんなに苦しい状況でも点を取っちゃう。本当にすごいと思います。ああいうのは、本当にすごいと思うし、やっぱり悠さんは違うなって。うまいし、気持ちがある。フォワードは自分が勝たせるんだって気持ちがないとやれないと思います」

 自分が点を取るんだ──。

 そういう大聖の気迫が如実に現れたのは、AFC U-19選手権のこと。初戦の北朝鮮代表戦に後半途中出場をした大聖は、ファーストプレーでFKを獲得し、試合を決める4点目をたたき出し、結果を出し、2試合目のスタメンの座を勝ち取った。結果的に3試合で4ゴールを決める活躍で、日本のU-20ワールドカップ本戦出場に大きく貢献した。

「初戦はスタメンじゃなかったので、どうにか点を取って結果を出したいと思っていました。最後は負けてしまったので納得はしていないけど、やっぱりもっとチームが苦しい時に点を取れる選手になりたいです」

 大聖の気合の入ったプレーを日本で見守っている人がいた。フロンターレU-18監督の今野章だ。

「後半から入った試合とか、すごい気迫がある表情をしていて、その顔だよ、その気迫だ、大聖と思いながら観ていましたね」

 今野監督は、大聖が代表チーム、トップチームと掛け持ちし、週末にユースに合流して試合に出る中で、環境が変わることで、自分のプレーが結果的に上手くいかなかったり、周りを活かしきれなくなることで、気持ちも不安定になっていることを何度か指摘したことがあった。

「彼のイラつきも見えたし、自分ひとりでやろうとすることもあったし、呼んで本音で言い合ったこともありましたね。大変さは見ていてわかるし、普段一緒に練習する時間がほとんどない中で、試合に出て周りと連携をするのも難しかっただろうと思います。それでもやっていかないと人間的に成長しないと思ったし、90分しっかりやりきることが大事なんじゃないかって。どんな環境でも100%やることが大事。調子も気持ちも上がらないように見えて、それをコンディションのせいにするんじゃないって厳しく言ったこともあるし、それだったらユースに来なくていいって言ったこともありましたね。あいつも本音で話して、泣きそうになっていて悔しかっただろうけど、『わかりました、先発勝ち取ります』って言ってました。メンタル面のコントロールもいろんな環境でやって難しかっただろうし、代表やトップチームもあってうまくいかない苦悩とか葛藤もあったと思う。ずっと見守ってきたし、志も見えていたけど、気持ちの持っていきかたとか方向性が違うと思った時は、気付いて欲しかったし言うようにしてましたね。でも、俺に言われたことをパワーに変えて最後上向きに持っていけたのはよかった。見返してやるって気持ちもあっただろうと思います」

 12月9日、トップチームが二度目の優勝パレードをしている頃、大聖は等々力にいた。

 プリンスリーグ最終戦となった東京ヴェルディユースとの対戦は、結果次第で残留が決まる重要な一戦となったが、大聖は、この試合でゴールを決めて、U-18のプリンスリーグ残留に貢献し、人より1年多い4年に渡ったフロンターレU-18の活動に幕を下ろした。

 当時のことを聞くと、大聖は、はにかんだような笑顔をみせた。

「いろいろありましたね。今野さんと最後いろいろ話して、最終的に与えられた状況で100%力を出し切ることがどこであっても大事だと話してもらった。最後の方は調子も戻すことが出来て、最終戦(12月2日)にトップチームでもベンチに入ることができた。あそこで自分がふて腐れてやらなかったらそこまでの選手だし、あの時間とか経験は大事だったなと思います。実際の僕は、当時、いろんな場所に移動したり、サッカーも違うし、疲れもあったと思います。自分で納得のいくプレーができていなくて、それも悔しかった。多分当時の自分はいっぱいいっぱいで、移動して、試合前に何をしなければいけないかとか、自分自身の整理ができていなかったと思います。それでも今野さんとも話して、その中でも自分はやらなきゃいけないと思って整理した結果、原点に戻れてうまくいったのかな」

 原点とは?

「サッカーノートをもう一回見なおしたり、目標設定をしたり、もう一回やろう、と。プリンスリーグの最終戦で等々力で3対0で勝ってゴールも決められて、ホッとはしました。1年間通して最後いい形で終われてチームも目標に向かってひとつになれてよかったと思います。今野さんにも中3から使ってもらって、いい時も悪い時もあったし、怒られたこともあったけど、向き合ってもらって、感謝していますし、いろいろ考えてくれていたのかなと今はわかります」

 今野を始めとするアカデミーのコーチングスタッフたちは、卒業生たちがトップチームで活躍することを本当に心から喜んで、そうなることを願って、いつも見守っているのがわかる。

 寺田周平U-18コーチは、「等々力で活躍する姿が見たいね」と笑顔で話してくれた。

 今野監督は、「大聖は、最後のシュートとか動きは間違いないだろうけど、そこに行くまでにケンゴやリョウタが一瞬で出してくれた時に、どう相手を外せるかの動きの質、シュートまでの過程にこだわって行くことが必要でしょうね。活躍してくれることを楽しみにしているし、期待してます」と声を弾ませた。

 小学校3年生でフロンターレに入り、それからずっとフロンターレ一筋でやってきた。だから、大聖を子どもの頃から知っている大人たちは、クラブにもサポーターにもたくさんいる。それは本人にとっても幸せなことだろう。

「サポーターにはユースの試合にも来てもらって、なんていい人たちなんだろうって思います。フレンドリーだし、すごいサポーターっていう存在はいいですよね。ありがたいです」

 2019年5月7日、U-20ワールドカップ世界大会に向けたメンバー発表があり、「絶対に選ばれたい」と話していた大聖も無事、選ばれた。

 だが、これはまだ通過点だ。

「出る、出ないじゃ全然違う。出て、結果を残して、アピールをしてきたい」

 そう大会前に決意を語っていた大聖。

 フロンターレファミリーや家族が見守るなか、世界の舞台で輝け──。

profile
[みやしろ・たいせい]

ゴール前への飛び出しと強烈なシュートが武器のFW。川崎フロンターレU-12からアカデミーで育ち、昨シーズン4月にクラブ史上初となる高校3年生でのプロ契約を締結した。今年開催されるU-20ワールドカップでの活躍も期待される将来性豊かなストライカーだ。

2000年5月26日
東京都港区 生まれ
ニックネーム:タイセイ

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