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  • ピックアッププレイヤー 2019-vol.09 / MF19 齋藤学

KAWASAKI FRONTALE FAN ZONEF-SPOT

PICKUP PLAYERS

MF34 山村和也

MF19 齋藤学

ああああ

テキスト:二宮寿朗 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Ninomiya,Toshio photo by Ohori,Suguru (Official)

 完全なるイメチェン──。

 そのプレーにはこれが今の自分の姿なのだという叫び声にも聞こえてくる。「今の齋藤学」を知らしめるうえで、あの2連発のインパクトは大きかった。 7月14日、アウェーでの「多摩川クラシコ」はリーグ戦2ヶ月ぶりの先発となった。

1-0で迎えた後半9分だった。中村憲剛と小林悠のパスワークからスルスルッと裏に抜けてきた齋藤は小林のパスにワンタッチで合わせて今季初ゴールを奪った。代名詞の力強いドリブルは一切なし。存在感を発揮してきたタイプが、最後に合わせるまで存在感をかき消してのゴールであった。

 続くホーム、大分トリニータ戦(同27日)は味方のワンツーから出てきたパスを、ゴール中央で待ち受けて右足でそのまま合わせている。

「相手が食いついたなと思って、入っていくスペースも見えていた。そこまで頭で考えてはいなくて勝手に体が動いたような感じでした」

 練習で身につけてきた感覚を、試合でようやく示すことができたという安堵感。ずっと苦しみ、ずっともがいてきたからこそ胸の奥から滲み出ていく喜びを感じ取ることができた。

 敢えて厳しい選択をした自分は間違っていなかった、と──。

 昨年1月、齋藤は育成組織から身を置いてきた横浜F・マリノスを離れ、フロンターレに完全移籍を果たした。プロ10年目の節目となるシーズン。その大きな決断について彼はSNSで「居心地の良いところにいるよりも新しいところに行く怖さ。正直、不安はあるし、緊張あるし」と綴った。

 それも右ひざ前十字じん帯損傷で全治8ヶ月の大ケガを負ってリハビリ中。移籍しても合流はしばらく先で、宮崎での1次キャンプは参加できなかった。移籍当初は言葉では言い表せない不安が彼を襲ったという。

「レンタルで愛媛FCに行ったことはあったけど、あのときはまだ若かったから。代表や横浜で一緒にプレーしたことがある選手も限られているし、ほとんど知らない選手の中に一人入っていく感じだったので、どうしていこうかな、と」

 杞憂に終わった。新しい仲間たちはすぐに受け入れてくれ、アットホームなチームの雰囲気に馴染むのに時間も掛からなかった。だが焦りがないと言ったら嘘になる。2次キャンプでは、みんなと離れてリハビリを続けていかなくてはならない。輪に入ってボールを蹴りたいという気持ちを抑え込むのも簡単ではなかった。

「外から見ていても〝みんなうまいな〟って思いましたもん。もちろん早く、一緒にやってみたい。でもそれで焦ったって仕方がないじゃないですか。自分のことに集中して、リハビリをしっかりやっていくしかなかった。早くピッチに立つには、それが一番の近道になるので」

 不安と焦りの芽が出ても、しっかりと摘んで自分のやるべきことに目を向ける。大きなケガの経験が彼をタフにさせているのもまた事実であった。

 実はケガをしてから一度だけ大泣きしたことがある。

 知人が運転する車の中。曲の名前は分からない。胸に届くメロディーが、枯れるまで涙をすくい上げていった。

「1度も出ることができなかったブラジルワールドカップを終えて、次のロシアを目指すって言ってきて、食事もトレーニングもいろんなことにチャレンジしてきたのにワールドカップが見えなくなった。絶望と言えば絶望。ここまで頑張ってくれた自分の体に申し訳ないなって思ったら……。(知人に)悪い、1回泣くわって言って、もう止まらなくなって。やっぱり精神的にはかなりきつかったなって自分でも思います」

MF19 齋藤学

 涙を出し尽くした後、ふと思った。

 絶望なのかもしれない。でも希望を持ってやることが大事なのではないか、と。

 全治8ヶ月なら順調にいけば4月中には復帰できる。たとえワールドカップへの望みは薄くてもまったくのゼロではない。ロシアを諦めないこととフロンターレ移籍は彼のなかでリンクしていた。いやむしろ奇跡を起こすうねりとするためにも、環境を変えることをバネにしようとした。

 毎日書いた日記には、つらい思いをぶつけることが多かった。しかし復帰が見えてくると前向きな言葉が踊るようになっていった、

 懸命なリハビリと調整によって齋藤は予定より早くピッチに戻ってきた。

 4月8日、それも昨季まで在籍した横浜とのアウェーマッチに、体調不良でベンチ外となった小林悠の代わりに初めてメンバー入りを果たした。

 大きなブーイングとアウェーのサポーター席から届く歓声を背に、後半32分から背番号「37」が登場する。アディショナルタイムだった。自陣からパスを受けると、左サイドをドリブルで一直線。ペナルティーエリアまで運んで放った左45度のシュートはGKに弾かれた。そのとき彼は悔しそうな表情を浮かべたのちに満面の笑みを見せている。

 どんな心境だったのか?

 当時を思い起こすと、表情を緩めるようにして彼は言った。

「もうサッカーが楽しすぎちゃって(笑)フロンターレもACLを戦っていて全体的に疲れもあったし、その中で最後はオープンな展開になった。だからゴリゴリ行けたというのもあるけど〝うわっ楽しいな〟っていう感情でしたね」

 さあ、ここから──。

「反撃のマナブ」のイメージはできていた。だが試練はピリオドを打たない。試合翌日の練習で足首を捻挫して、その次には筋肉系のケガを引き起こしてしまったのだ。

 一縷の望みは絶たれた。

「(筋肉系の)ケガは足首をかばったというのもあった。フロンターレのみんなはやっぱり〝止める蹴る〟が上手で、俺ももっとやんなきゃなってそれまでも居残りでやっていた。そこから3ヶ月くらいは、だましながらという感じでした。またリハビリは戻りたくないから。でも(患部は)痛いし、自分のパワーも全然上がっていかなかった」

 ロシアワールドカップでの日本代表は初戦で強豪コロンビアを破るなど2大会ぶりにグループリーグを突破し、決勝トーナメント1回戦では優勝候補の一角であるベルギーをあと一歩まで追い詰めた。齋藤は日本から力いっぱい応援した。大迫勇也、山口蛍、酒井宏樹……チームの中核を担う自分たちの世代を誇らしく感じた。と同時に、そこに自分がいない寂しさもあった。

「普通に応援してましたよ。僕と同じようにブラジルの悔しさを持っていた選手が多かったし、次、晴らしたいと思ってみんな頑張っていましたから。僕も、嫉妬みたいな感情がなかったのかと言ったら多少はある。この舞台に立たなきゃいけないってずっと思ってきたわけだから。ただ、後悔はない。自分の力が足りなかっただけなので。サコ(大迫)や蛍たちが頑張っているのを見て、すごいなって思っていました」

 大きな目標が潰えると、次に向かうにはパワーがいる。だが、切り替えは恐ろしいほどスンナリとできた。「だってそれくらい大きい移籍をしたんだから」と彼は言った。

 別にワールドカップをあきらめたわけじゃない。32歳になる2022年のカタールワールドカップだって可能性はあるわけだから。

「逆に出れなかったことブラジルワールドカップのピッチに立てなかったことをプラスに考えたらあれはあれで宝ですよね。だっていつでもあの悔しさを思い出せるから。だから頑張れますよね。別に次のW杯とか、だって32歳だしここから爆発すれば可能性なくはないんだし」

 フロンターレで結果を残す──。

 齋藤はもう一度、コンディションを見直そうとした。Jリーグの中断期にもらった10日間のオフも、関東近郊で自主キャンプに使った。8月22日の天皇杯4回戦、湘南ベルマーレ戦では移籍後初ゴールを決めた。後半戦はリーグ2連覇を目指すチームのために貢献すると意気込んだ。

 10月20日のホーム、ヴィッセル神戸戦でようやく初ゴールをマーク。フロンターレらしい崩しからのゴールというよりも、ドリブルで仕掛けてからの齋藤らしいゴールであった。このときはフロンターレのスタイルと自分のスタイルの融合を図ることよりも、どう新しいチームのなかで自分の特長を活かしていこうかと考えていた。待望のリーグ戦初ゴールに喜びはあったものの、何かしっくりきていなかった。

 彼はその要因を探ろうとした。ずっと、ずっと考えた。やはりフロンターレのサッカーそのものに、自分のほうからもっと歩み寄っていかなくてはならないんじゃないかと結論づけた。

「コンディションさえ上がっていけば、うまくいくだろうって思っていたんです。それがうまくいかない。どうして?何で?と。やっぱり外で仕掛けていくよりも、中で(攻撃の)厚みを出していくところに加わっていかなくちゃいけない、と」

 そのためには何をしていけばいいのか。

 サッカーというものをもっと深く知る必要がある。そう感じた彼は映像、書籍、インターネットでサッカーに対する知見を広げ、そのうえでフロンターレのスタイルを分析、研究した。自分がどうプレーしていけばいいか、関わっていけばいいか、「学ぶ」人は頭で整理することから始めた。

「俺、きっと今までサッカーを〝分かったふり〟していたんです。違うサッカーのスタイルを持っているチームに入ったら、これまでの自分のサッカー観じゃ通用しないことが分かった。〝俺、もっと勉強しなきゃダメでしょ〟って本当に感じた。フロンターレに来なかったら気づかなかったかもしれなかった」

 移籍初年度のシーズンは外から見れば結果的に、消化不良と思われるかもしれない。だが、やるべきことに気づけた。これほどない大きな収穫だと彼は捉えた。

 2019年シーズンの齋藤は昨年と〝同一人物〟ではない。

 イメチェンを印象づけた2連発こそが学びの成果であり、手応えをつかんだという実感を得ることができた。

「以前と違ってとにかく周りを見えるようになったし、周りが見えるようになった。プレーの選択肢が増えて、自分の中でより一層サッカーが楽しくなっている。前までは自分のところにボールが来たら10回中10回、全部仕掛けていました。でも今なら選択肢が増えて10回中3回くらいになるかもしれない。その3回分の質を高めようとしているのが今。自分のサッカーを変えられたから、10回を3回にできているということ。

 確かにサイドから仕掛けていくのは自分のプレー。だけど、それよりも中に入ってパス交換しながらスルーパスを受けるほうがより点を取ることができる。なぜって、中のほうがゴールに近いわけじゃないですか。相手が中に密集しても、崩し切ろうとするのがフロンターレのサッカー。そこに加わることが自分の中で凄く楽しくなってきている」

 シーズン序盤はなかなかチャンスがもらえず、ケガとはまた違う苦しみも味わった。勉強を積み重ねても、その成果を出す場がないというのは想像以上のストレスとなった。結果という欲しかった対価を手にして、リニューアルした自分がどんなプレーをしていくか。何より齋藤自身が、楽しみにしていた。

 またしても──。

 ようやく進んでいくと思っていた時計の針が、また突然止まった。

 2連発から1ヶ月後のホーム、清水エスパルス戦(8月24日)3試合ぶりに先発した彼は負傷交代でピッチを去った。

 右ひざ内側側副じん帯損傷で全治6~8週間。手術した前十字じん帯ではなかったのは不幸中の幸いとはいえ、再びリハビリ生活に戻るというダメージは精神的に大きかった。

「またケガをしたというのもあるし、骨挫傷も抱えていて午前2、3時まで痛くて眠れない日々が続きました。成長を感じるのであれば去年と今年は全然違う。もっと試合に出たいし、もっとアシストしたいし、もっと点を決めたい。それができると思っているのにできない。〝さあ頑張るぞ〟っていう気持ちに向くには時間が掛かった」

 試練は乗り越えられる者にしか与えない。

 その言葉を信じてケガの連鎖を乗り越えたのはチームメイトの小林悠である。齋藤も再び懸命にリハビリに取り組み、チームに戻ってきた。

 言うまでもなく、勝負はこれからだ。

 齋藤は語る。

「大きな目標で言えばもう1回、日本代表に入ること。今の代表はJリーグで活躍しても難しいところではあるけど、飛び抜けられれば可能性はあると思うんです。ただ今はそこを見るというよりはフロンターレでいかにやるかしか考えてないです」

 大きなチャレンジを結実させる──。その気持ちは一切揺るがない。いや、今のほうがより強くなっているのかもしれない。

 そしてこう言葉を続けた。

「自分の移籍を〝失敗でしょ〟と思っている人はたくさんいるかもしれない。でも俺自身が納得できたら、それはもういい経験だと思うんです。いや、これって経験しなきゃいけなかったな、とも。ここから頑張ってパフォーマンスを上げて、フロンターレで活躍して代表に入りましたってなったら、自分にとってどれほどの経験値になることか。厳しい選択をするほどきついものってないですよ。でもその分、得るものは大きい。そう思って、俺は生きているんです」

 唇を噛んだ分だけ、齋藤学はたくましくなった。

 繰り返された試練を乗り越えて、迷いなく己の道を切り進んでいく。

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[さいとう・まなぶ]

切れ味鋭い突破が最大の武器のMF。細かなボールタッチと急加速する瞬発力でDFを置き去りにし、果敢にゴールに切れ込んでいく。レフティーながら右足のシュートもあり、フィニッシュのバリエーションの多さも魅力のひとつ。

1990年4月4日、神奈川県川崎市生まれ
ニックネーム:まなぶ

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